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日蓮大聖人御申状

【解説】
 文永5年の正月、蒙古の属国になるようにとの牒状が初めて届けられ、2月には蒙古の使者が到来しました。鎌倉幕府は為す術もなく、 ただ邪宗の寺社に祈祷をさせるばかりでした。日蓮大聖人は今こそ国諌の時と感ぜられ、かつて立正安国論を託した宿屋左衛門入道に宛てて、 再度執権北条時宗に内奏するよう、この書状を認(したた)められました。

原文(漢文)

日蓮大聖人御申状
 其後書絶不申不審無極候
 抑去正嘉元年丁巳八月二十三日戌亥刻大地震日蓮引諸経勘之念仏宗与禅宗等有御帰依之故日本守護諸大善神作瞋恚所起災也若無此対治者為他国可被破此国之由勘文一通撰之正元二年庚申七月十六日奉付御辺故最明寺入道殿進覧之其後経九箇年今年大蒙古国牒状有之由風聞等云云如経文者自彼国責此国事必定也而日本国中日蓮一人当可調伏彼西戎之人兼知之論文勘之為君為国為神為仏可被経内奏委細之旨遂見参可申候恐々謹言
 文永五年八月二十一日    日蓮
宿屋左衛門入道殿

原文(書下し文)

日蓮大聖人申状
 其の後書絶えて申さず、不審極まりなく候。
抑(そもそも)去(ゐ)ぬる正嘉元年丁巳八月二十三日戌亥の刻の大地震、日蓮諸経を引いて之れを勘えたるに、 念仏宗と禅宗等とを御帰依あるがの故に、日本守護の諸大善神瞋恚を作(な)して起こす所の災いなり。

 若し此れを対治なくんば、他国のために此の国を破らるベきの由、 勘文一通之れを撰し、正元二年庚申七月十六日御辺に付け奉りて、故最明寺入道殿へ之れを進覧す。

 其の後九箇年を経て、今年大蒙古国の牒状之れある由風聞すと等云云。 経文の如くんば、彼の国より此の国を責めんこと必定なり。而るに日本国の中には、日蓮一人彼の西戎を調伏すベきの人に当たり、兼ねて之れを知り論文(ろんもん)に 之れを勘う。


 君の為め、国の為め、神の為め、仏の為め内奏を経らるべきか。委細の旨は見参を遂げて申すべく候、恐恐謹言。

 文永五年八月二十一日   日蓮
宿屋左衛門入道殿

現代文

日蓮大聖人申状
 その後は書状が絶えたままになり、申し上げることが出来なかったので、どうしたことであろうかと存じております。
 さる正嘉元年8月23日午後9時ごろの大地震について、日蓮が諸経を引いてその原因を考察したところ、念仏宗と禅宗等に為政者がご帰依されているために、日本を守護する諸の大善神が瞋恚の心を持って、起こした災難にほかなりません。
 したがって、念仏宗や禅宗等を対治されないならば、必ず他国から攻められてこの国が亡びることはまちがいないということを、勘文『立正安国論』一通にしたため、正元2(=文応元)年7月16日、貴辺を通じて、時の執権であった故最明寺入道時頼殿に進覧いたしました。
 その後、9ヵ年を経た今年正月、大蒙古国から牒状が届いたことを風の便りで耳にしました。もしこれが事実ならば、経文に明らかに示されるとおり、必ず蒙古が日本を攻めてくるのです。  そこで、大蒙古国という西戎(せいじゅう)を調伏(じょうぶく)する者は、日本国中にはただ日蓮一人のみであることを、かねてから私は知っており、また『立正安国論』にもその内容を勘えたのです。
 これはひとえに、君主のため、国家のため、神のため、仏のために申しあげることですから、執権に内々に奏上していただきたいのです。くわしいことは、ご面談の上で、直接申しあげます。
 文永5年8月21日   日蓮
宿屋左衛門入道 殿



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