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日道上人申状

【解説】
 この申し状が認められ延元元年は、南北朝の動乱のさなかで、5月には楠木正成が湊川で戦死するなど、戦乱と災害による社会不安は増大しつつありました。

原文(漢文)

日道上人御申状
 日蓮聖人弟子日興遺弟日道誠惶誠恐謹言
 請殊蒙天恩対治爾前迹門謗法被立法華本門正法天下泰平国土安穏之状
副進
先師日蓮聖人
 一巻 立正安国論 文応元年勘文
 一通 先師日興上人申状案
 一通 日目上人申状案
 一 三時弘経次第
右遮那覚王之済度衆生也捨権教説実教日蓮聖人之弘通一乗也破謗法立正法謹検故実釈迦善逝演説本懐則設四十余年之善巧日蓮聖人之利益末世也則依後五百歳明文也凡一代施化赴機情而判権実三時弘経随仏意而分本迹誠是従浅至深捨権入実者歟是以陳朝聖主捨累葉崇敬之邪法帰法華真実正法延暦天子改六宗七寺慢幢立一乗四明寺塔也天台智者弘三説超過之大法普退四海夷賊伝教大師用諸経中王之妙文鎮祈一天安全是則以仏法守王法之根源以王法弘仏法之濫觴也経曰正法治国邪法乱国矣云云抑知未萌六正之聖人也蓋了法華諸仏之御使也然先師日蓮聖人者生智妙悟深究法華淵底天真独朗玄鑑未萌災蘖矣如経文上行菩薩後身遣使還告薩垂也若然所弘法門寧非塔中伝付秘要末法適時大法乎然則早棄捐権迹浅近謗法被信敬本地甚深妙法自他怨敵自摧滅上下黎民遊快楽而已仍為世為法誠惶誠恐謹言
 延元元年二月        日道

原文(書下し文)

日道上人申状
 日蓮聖人の弟子日興の遺弟日道誠惶誠恐謹んで言す。
 殊に天恩を蒙り、爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を建てらるれば、天下泰平国土安穏ならんと請うの状。
 副え進ず


 一巻 立正安国論 先師日蓮聖人文応元年の勘文
 一通 先師日興上人申状の案
 一通 日目上人申状の案
 一、 三時弘経の次第
 右、遮那覚王の衆生を済度したもうや、権教を捨てて実教を説き、日蓮聖人の一乗を弘通したもうや、謗法を破して正法を立つ。謹んで故実と検えたるに釈迦善逝の本懐を演説したもうや、則ち四十余年の善巧を設け、日蓮聖人の末世を利益したもうや、則ち後五百歳の明文に依るなり。


 凡そ一代の施化は機情に赴いて権実を判じ、三時の弘経は仏意に随って本迹を分かつ。誠に是れ浅きより深きに至り、権を捨て実に入るものか。


 是れを以って陳朝の聖主は累葉崇敬の邪法を捨てて法華真実の正法に帰し、延暦の天子は六宗七寺の慢幢(まんどう)を改めて一乗四明の寺塔を立つ。天台智者は三説超過の大法を弘めて普く四海の夷賊を退け、伝教大師は諸経中王の妙文を用いて鎮(とこしな)えに一天の安全を祈る。是れ則ち仏法を以って王法を守るの根源、王法を以って仏法を弘むるの濫觴(らんしょう)なり。経に曰わく、正法治国邪法乱国と云々。




 抑未萌(みぼう)を知るは六聖の聖人なり、蓋し法華を了(さと)るは諸仏の御使いなり。然るに先師日蓮聖人は生智の妙悟深く法華の渕底を究め、天真独朗玄(はる)かに未萌の災蘖(さいげつ)を鑑みたもう。経文の如くんば上行菩薩の後身遣使還告の薩垂(さった)なり。若し然らば所弘の法門寧(むし)ろ塔中伝付の秘要末法適時の大法に非ずや。





 然れば則ち早く権迹浅近の謗法を棄捐し、本地甚深の妙法を信敬せらるれば、自他の怨敵自ら摧滅し上下の黎民快楽に遊ばんのみ。

 仍って世のため法のため誠惶誠恐謹んで言す
  延元元年二月   日道
 

現代文

日道上人申状
 日蓮聖人の弟子で日興の遺弟である日道が、誠に恐れながら謹しんで申しあげます。
 ことに天皇の大恩を賜り、爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を立てられるならば、天下は泰平にして国士は安穏となるため、ぜひとも正法に帰依されますよう、請い願うところの書状です。
 先師の申状を副えて奉ります。
 一巻 立正安国論 先師・日蓮大聖人が文応元年に記した勘文
 一通 先師日興上人申状の案
 一通 日目上人申状の案
 一つ 三時弘経の次第
  毘盧遮那仏(大日如来)は、衆生を救済されたでしょうか。教主釈尊は、権教を捨てて実教を説き、日蓮大聖人は、謗法を破して正法を立て、法華一乗を弘通されました。謹んで往古の説法・弘通の意義を考えてみますと、釈尊は本懐たる法華経を演説されるために、四十余年の方便権教を設けています。日蓮大聖人が末法の衆生を利益されるのは、『大集経』の「仏滅後、第五の五百年は我が法の中に於いて、闘諍言訟・白法隠没し、損減して堅固なり」との御文によっているのです。
 およそ、釈尊一代五十年の説法は、衆生の機根によって権教と実教とを判別し、また釈尊滅後の正法・像法・末法の三時の弘経は、仏の御心に随って、迹門を弘める時代と本門を弘める時代を立て分けられています。このように、浅い教えから深い教えに至り、権教を捨てて実教に入ることは、誠に仏法の道理なのです。
 この道理にしたがって、中国の陳の第五代叔宝(しゅくほう)は、先祖代々が崇敬(そうぎょう)していた邪法を捨てて、法華真実の正法に帰依しました。日本においては第50代桓武天皇が、伝教大師に帰依して、六宗七寺の慢心を打ち砕いて改め、法華一乗の寺塔を建立いたしました。天台大師は、已・今・当の三説を超えた法華経の大法を弘めて、国外からの賊を退けました。伝教大師もまた、諸経の中の王である法華経の妙文をもって、永く天下の安全を祈ったのです。これこそ、正しい仏法が王法である国家を守る姿であり、また国家が正しい仏法を弘めるという、理想的な姿のはじまりです。このことは、経文に「正法は国を治め、邪法は国を乱す」と説かれています。
 もともと、未来を予知したのは六正臣という聖人です。また、法華経を悟った人は、まさに諸仏のお遣いです。しかるに、先師日蓮大聖人は、生まれながらに法華を悟った人として、当然のことながら深く法華経の極意を究められていました。その智慧によって、はるか未来の災いを見通して、予言をされたのです。経文のとおりであれば、日蓮大聖人こそ上行菩薩の生まれ変わりであり、遣使還告(けんしげんごう)の菩薩ですから、日蓮大聖人が弘められる法門、すなわち法華経の虚空会の儀式において多宝塔の中で教主釈尊より付嘱された妙法蓮華経の教えとは、末法の一切衆生に適応した唯一の大法であることは、間違いありません。
 ならば、早く爾前権教と法華経迹門の謗法を棄て去り、本地甚深の妙法蓮華経を信敬されるならば、国内外の敵は自然と滅び、天下の国民は楽しく暮らすことができます。
 よって世のために、また法のために、誠に恐れながら、謹しんで申しあげる次第です。
  延元元年2月   日道



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