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日行上人申状

【解説】
 暦応(りゃくおう)4年に相承を受けられた日行上人は、一国の混迷を憂慮され、この申し状を後村上天皇に上奏されるために京都に卦かれました。そのとき、征夷大将軍であった足利尊氏にも諌状を与えられたと言われています。

原文(漢文)

日行上人御申状
 日蓮聖人弟子日興遺弟等謹言
 欲早任如来出世化儀依聖代明時佳例棄捐爾前迹門謗法信仰法華本門正法令致四海静謐衆国安寧子細事
副進
日蓮聖人文
 一巻 立正安国論 応元年勘文
 一通 祖師日興上人申状案
 一通 日目上人申状案
 一通 日道上人申状案
 一 三時弘経次第
右八万四千聖教不出五時説教五千七千経巻不勝八軸妙文此則釈尊一代五十年説法之間立前後弁権実所以先四十二年説先判権教也後八年法華後判実教也而諸宗輩付権捨実依前忘後執小破大未得仏法淵底者也由何成現当二世利益乎経曰正法治国邪法乱国矣若世上不静謐者御帰依仏法豈非邪法耶是法住法位世間相常住矣若又於有四夷乱者寧可謂正法崇敬之国乎由愛敬悪人治罰善人故星宿及風雨皆不以時行矣被愛敬謗法悪人被治罰正法行者之条何疑之乎凡捨悪持善破権立実之旨如来化儀次第也大士弘経先蹤也又則聖代明時佳例也最可被糺明之耶於此正像末之三時之間有四依大士弘通次第所謂正法千年之古月氏先迦葉阿難等之大羅漢雖弘小乗後竜樹天親等之大論師破小乗弘通権大乗像法千年之間漢土則始後漢以来雖崇敬南三北七十師諸宗陳隋両帝御宇南岳天台出世破失七十代五百年御帰依仏法而弘法華迹門治乱国度衆生倭国亦自欽明天皇以来二百年二十代之間南都七大寺雖被崇諸宗五十代桓武天皇之御宇伝教大師破失諸宗謗法叡山被崇敬天台法華宗退夷敵難治乱国是又末法今上行菩薩出世法華会上之砌虚空会時自教主釈尊親承多宝塔中付嘱法華本門肝要妙法蓮華経五字並本門大曼荼羅与戒壇今時可弘時剋也所謂日蓮聖人是也而諸宗族非只不信剰成誹謗悪口間引和漢証跡録勘文仰明時聖断雖捧奏状于今無御信用之条難堪次第也所謂被停止諸宗謗法被崇敬当機益物法華本門正法者四海夷敵傾頭合掌一朝庶民順従法則此乃為身不言之為国為君為法恐恐言上如件
 暦応五年三月        日行

原文(書下し文)

日行上人申状
 日蓮聖人の弟子日興の遺弟等謹んで言す
 早く如来出世の化儀に任せ、聖代明時の佳例に依って、爾前迹門の謗法を棄捐し、法華本門の正法を信仰せば、四海静謐を致し衆国安寧ならしめんと欲する子細の事。
 副え進ず
 一巻 立正安国論日蓮聖人文応元年の勘文
 一通 祖師日興上人申状の案
 一通 目目上人申状の案
 一通 日道上人申状の案
 一、 三時弘経の次第

 右、八万四千の聖教は五時の説教を出でず、五千七千の経巻は八軸の妙文に勝れず、


 此れ則ち釈尊一代五十年説法の間前後を立てて権実を弁ず。所以に先四十二年の説は先判の権教なり、後八年の法華は後判の実教なり。

 而るに諸宗の輩、権に付いて実を捨て、前に依って後を忘れ、小に執して大を破す、未だ仏法の渕底を得ざるものなり、何に由ってか現当二世の利益を成ぜんや。


 経に曰わく、正法治国邪法乱国と。若し世上静謐ならずんば御帰依の仏法豈邪法に非ずや、是法住法位世間相常住と云えり、若し又四夷の乱あらんに於いては寧ろ正法崇敬の国と謂(いひ)つべけんや。悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以って行(めや)らず、謗法の悪人を愛敬せられ正法の行者を治罰せらるるの条何ぞ之れを疑わんや。


 凡そ悪を捨て善を持ち、権を破して実を立つるの旨は如来化儀の次第なり、大士弘経の先蹤(せんしょう)なり、又則ち聖代明時の佳例なり、最も之れを糺明せらるベきか。

 此に於いて正像末の三時の間四依の大士弘通の次第あり、所謂正法千年の古(いにしえ)、月氏には先ず迦葉・阿難等の大羅漢小乗を弘むと雖も、後竜樹・天親等の大論師小乗を破して権大乗を弘通す。像法千年の間、漢土には則ち始め後漢より以来(このかた)南三北七の十師の諸宗を崇敬すと雖も、陳隋両帝の御宇南岳・天台出世して七十代五百年御帰依の仏法を破失し、法華迹門を弘め乱国を治し衆生を度す。倭国には亦欽明天皇より以来二百年二十代の間、南都七大寺の諸宗を崇めらるると雖も、五十代桓武天皇の御宇伝教大師諸宗の謗法を破失して、叡山に天台法華宗を崇敬せられ夷敵の難を退け乱国を治す。





 是に又末法の今上行菩薩出世して法華会上の砌虚空会の時、教主釈尊より親(まのあた)り多宝塔中の付嘱を承け、法華本門の肝要妙法蓮華経の五字並びに本門の大曼荼羅と戒壇とを今の時弘むべき時尅なり、所謂日蓮聖人是れなり。

 而るに諸宗の族(やから)只信ぜざるのみに非ず剰え誹謗悪口を成すの間、和漢の証跡を引いて勘文に録し、明時の聖断を仰ぎ奏状を捧ぐと雖も今に御信用なきの条堪え難き次第なり。


 所謂諸宗の謗法を停止(ちょうじ)せられ、当機益物の法華本門の正法を崇敬せらるれば、四海の夷敵も頭(こうべ)を傾け掌(たなごころ)を合わせ、一朝の庶民も法則に順従せん、
 此れ乃ち身のために之れを言さず、国のため君のため法のため恐恐言上件の如し。

  暦応五年三月   日行 

現代文

日行上人申状
 日蓮大聖人の弟子である日興上人の遺弟等が、謹んで申しあげます。
 早く、仏が世に出現して衆生を教化する方法に任せ、高徳の天子が世の中を平和に治めた佳き先例によって、爾前迹門の謗法を打ち捨て、法華本門の正法を信仰されるならば、全世界が穏やかに治まり、多くの国も安泰となります。
 書状も副えて、私の願いを申し上げます。
 一巻 立正安国論 日蓮聖人が文応元年に記した勘文
 一通 祖師日興上人 申状の案
 一通 日目上人申状の案
 一通 日道上人申状の案
 一つ 三時弘経の次第
 以上の書状にありますように、八万四千といわれる釈尊の教えは、華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時にすべて収まり、五千巻あるいは七千巻と称される経巻には、法華経八巻の文に勝れるものはありません。
 釈尊は一代で50年の説法をするにあたり、前後を立てて、権教と実教をわけられました。ですから、先に説かれた42年の教えは権教であり、後の8年に説かれた法華経は実教と判じられています。
 ところが諸宗の人々は、権教を信じて実教を捨て、先の42年の教えを依りどころとして後の8年の法華経を忘れ、小乗の教えに執着して大乗の教えを打ち砕いています。ですから、未だに仏法の奥深い究極の教えが得られていないのです。どうして、現世・当世の二世にわたる利益を成就することができるでしょうか。
 経文には「正法は国を治め、邪法は国を乱す」と説かれています。もし、世の中が穏やかに治まっていないならば、国を治める人々が帰依されている仏法は邪法にほかならないのです。法華経にも「是の法は法位に住して、世間の相常住なり」とあるとおりです。もし、四方の族が乱を起こすならば、どうして正法を崇めている国といえるでしょうか。悪人を敬い、善人を罰することによって、星の運行に乱れが生じ、季節はずれの暴風雨が発生するのです。このことから、謗法の悪人を敬い、正法の行者を罰していることは、まったく疑う余地がありません。
 およそ、悪を捨てて善を受持し、権教を破り実教を立てることは、仏が衆生を教化する正しい方法です。また、正法・像法に仏法を正しく弘めた賢人・聖人の先例です。また、高徳の天子が世の中を平和に治めた佳き例です。以上のことをよく問い糾すべきです。
 これに関して、正法・像法・末法の三時に、法を弘める賢人・聖人の弘通において、順序があります。つまり、正法時代の昔の1000年間は、インドにおいてまず迦葉尊者や阿難尊者等の小乗の阿羅漢果という悟りを得た人々が小乗教を弘めたのですが、後に竜樹菩薩や天親菩薩等が小乗教を破折して権大乗教を弘めました。像法時代の千年間に入ると、中国ではじめ後漢の時代より、南三北七の十師の諸宗を崇めていましたが、陳・隋の皇帝の治世のときに南岳大師や天台大師が出現して、後漢より70代・500年の間に帰依してきた仏法を破折し、法華経の迹門の教えを弘め、国の乱れを治め、衆生を済度したのです。日本では、欽明天皇より200年間・20代の間、奈良の七大寺の諸宗が崇められてきましたが、50代桓武天皇の治世のときに、伝教大師が諸宗の謗法を破折して、比叡山に天台法華宗を開き、人々から崇め敬まわれ、他国の敵を退け、乱れた国を治めたのです。
 ここに末法の現在、上行菩薩が出現して、法華経の説法の虚空会のときに、教主釈尊より直接、多宝塔の中で付嘱を承けましたが、その付嘱の正体である法華経本門の肝要の妙法蓮華経の五字と本門の大曼荼羅と戒壇との三大秘法こそが、末法の今に弘めるべき時に当っています。そして、その任に当っているのが日蓮大聖人なのです。
 ところが、諸宗の人々はこのことを信じないだけでなく、かえって謗ったり、悪口を言ったりするので、日本・中国の先例を証拠としてあげて上申書に書き記し、英邁なる聖天子の裁断を請う『立正安国論』等の文書を献上いたしましたが、今に至るまで用いられていないことは、甚だ辛く堪え難いことです。
 諸宗の謗法を禁止され、末法の人々に利益を施すところの法華本門の正法を心より崇め敬うならば、四方の敵も頭を傾け合掌して深く信仰し、この国の庶民も世の掟てに従順するでしょう。
 このことは、自分の身のために申すのではありません。国家のため、天子のため、法のために、恐れながら申しあげさせていただく次第です。
  暦応5年3月  日行



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