原文(書下し文)
日有上人申状
日蓮聖人の弟子日興の遺弟日有誠惶誠恐(せいこうせいきょう)謹んで言(もう)す。
殊に天恩を蒙り、且つは諸仏同意の鳳詔を仰ぎ、且つは三国持法の亀鏡に任せ、正像所弘の爾前迹門の謗法を棄捐(えきん)せられ、末法適時の法華本門の正法を信敬(しんぎょう)せらるれば、天下泰平国土安穏ならしめんと請うの状。
副(そ)え進ず
一巻 立正安国論 日蓮聖人文応元年の勘文
一通 日興上人申状の案
一通 日目上人申状の案
一通 日道上人申状の案
一通 日行上人申状の案
一、 三時弘経の次第
右、謹んで真俗の要術を検(かんが)えたるに、治国利民の政は源内典より起こり、帝尊の果報は亦供仏の宿因に酬(むく)ゆ。
而るに諸宗の聖旨を推度するに、妙法経王を侵され一国を没し衆生を失う。庶教典民に依憑して万渡を保ち、如来勅使の仏子を蔑ずる。緇素(しいそ)之れを見て争(いか)でか悲情を懐かざらんや。
凡そ釈尊一代五十年の説法の化儀興廃の前後歴然たり。所謂(いはゆる)小法を転じて外道を破し、大乗を設けて小乗を捨て、実教を立てて権教を廃す。又迹を払って本を顕わす、此の条誰か之れを論ずべけんや。
況んや又三時の弘経は四依の賢聖悉く仏勅を守って敢えて縦容たるに非ず。爰(ここ)を以って初め正法千年の間、月氏には先ず迦葉・阿難等の聖衆小乗を弘め、後に竜樹・天親等の大士小乗を破して権大乗を弘む。次に像法千年の中末、震且には則ち薬王菩薩の応作天台大師南北の邪義を破して法華迹門を弘宣す。将又後身を日本に伝教と示して六宗の権門を拉(くじ)き一実の妙理に帰せしむ。
然るに今末法に入っては稍(やや)三百余歳に及べり。正に必ず本朝に於いては上行菩薩の再誕日蓮聖人、法華本門を弘通して宣しく爾前迹門を廃すべき爾の時に当たり已んぬ、
是れ併(しかしなが)ら時尅と云い機法と云い進退の経論明白にして通局の解釈炳焉(へいえん)たり。寧(むし)ろ水影に耽(ふけ)って天月を褊(さみ)し、日に向かって星を求むべけんや。
然るに諸宗の輩所依の経経時既に過ぎたる上、権を以って実に混じ、勝を下して劣を尊む、雑乱と毀謗と過咎(かぐ)最も甚し。
既に彼を御帰依の間仏意快からず、聖者化を蔵(かく)し善神国を捨て悪鬼乱入す。此の故に自界の親族忽(たちま)ちに叛逆を起こし、他国の怨敵弥(いよいよ)応に界を競うべし、唯自他の災難のみに非ず剰(あまつさ)え阿鼻の累苦を招くをや。
望み請う、殊に天恩を蒙り、爾前迹門の諸宗の謗法を対治し、法華本門の本尊と戒壇と並びに題目の五字とを信仰せらるれば、広宣流布の金言宛(あたか)も閻浮に満ち、闘諍堅固の夷賊も聊(いささ)か国を侵さじ。仍って一天安全にして玉体倍(ますます)栄耀(えいよう)し、四海静謐(せいひつ)にして土民快楽(けらく)に遊ばん、
日有良(や)や先師の要法を継ぎて以って世のため法のため粗(ほぼ)天聴に奏せしむ。
誠惶誠恐謹んで言す。
亨永四年三月 日有