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立正安国論

【解説】
 日蓮大聖人のご化導は「立正安国論に始まり立正安国論に終わる」といわれています。奉読する所は、安国論の結論となる最後の部分です。

原文(漢文)

立正安国論立正安国論
 主人悦曰鳩化為鷹雀変為蛤悦哉汝交欄室之友成麻畝之性誠顧其難専信此言風和浪静不日豊年耳但人心者随時而移物性者依境而改譬猶水中之月動波陣前之軍靡剣汝当座雖信後定永忘若欲先安国土而祈現当者速廻情慮急加対治所以者何薬師経七難内五難忽起二難猶残所以他国侵逼難自界叛逆難也大集経三災内二災早顕一災未起所以兵革災也金光明経内種種災過一一雖起他方怨賊侵掠国内此災未露此難未来仁王経七難内六難今盛一難未現所以四方賊来侵国難也加之国土乱時鬼神乱鬼神乱故万民乱今就此文具案事情百鬼早乱万民多亡先難是明後災何疑若所残之難依悪法之科並起競来者其時何為哉帝王者基国家而治天下人臣者領田園而保世上而他方賊来而侵逼其国自界叛逆掠領其地豈不驚哉豈不騒哉失国滅家何所遁世汝須思一身之安堵者先祈四表之静謐者歟就中人之在世各恐後生是以或信邪教或貴謗法各雖悪迷是非而猶哀帰仏法何同以信心之力妄崇邪義之詞哉若執心不飜亦曲意猶存早辞有為之郷必堕無間之獄所以者何大集経云若有国王於無量世修施戒慧見我法滅捨不擁護如是所種無量善根悉皆滅失乃至其王不久当遇重病寿終之後生大地獄如王夫人太子大臣城主村帥郡守宰官亦復如是
 仁王経云人壊仏教無復孝子六親不和天神不祐疾疫悪鬼日来侵害災怪首尾連禍縦横死入地獄餓鬼畜生 若出為人兵奴果報 如響如影如人夜書火滅字存三界果報亦復如是法華経第二云若人不信毀謗此経乃至其人命終入阿鼻獄又同第七巻不軽品云千劫於阿鼻地獄受大苦悩涅槃経云遠離善友不聞正法住悪法者是因縁故沈没在阿鼻地獄所受身形縦横八万四千由旬広披衆経専重謗法悲哉皆出正法之門而深入邪法之獄愚矣各懸悪教之綱而鎮纏謗教之綱因此朦霧之迷沈彼盛焔之底豈不愁哉豈不苦哉汝早改信仰之寸心速帰実乗之一善然則三界皆仏国也仏国其衰哉十方悉宝土也宝土何壊哉国無衰微土無破壊身是安全心是禅定此詞此言可信可崇矣
 客曰今生後生誰不慎誰不恐被此経文具承仏語誹謗之科至重毀謗之罪誠深我信一仏而抛諸仏仰三部経而閣諸経是非私曲之思則随先達之詞十方諸人亦復如是今世者労性心来生者堕阿鼻文明理詳不可疑弥仰貴公之慈誨益開愚客之癡心速廻対治早致泰平安生前更扶没後非唯我信又誡他誤耳

原文(書下し文)

立正安国論
 主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしいかな、汝欄室の友に交はりて麻畝の性と成る。誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば、風和らぎ浪静かにして不日に豊年ならんのみ。




 但し人の心は時に随って移り、物の性は境に依って改まる。譬へば猶水中の月の波に動き、陣前の軍の剣に靡(なび)くがごとし。汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん。若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱(いそ)いで対治を加へよ。



 所以は何。薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、二災早く顕はれ一災未だ起こらず。所以兵革の災なり。金光明経の内、種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未だ露はれず、此の難未だ来たらず。仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以四方の賊来りて国を侵すの難なり。加之(しかのみならず)国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱ると。








 今此の文に就いて具に事の情(こころ)を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや。



 帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。


 就中人の世に在るや各後生を恐る。是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪(にく)むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。



 若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄(ひとや)に堕ちなん。所以は何、大集経に云はく「若し国王有って無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし。王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならんと。



 仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐(たす)けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書(ものか)くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。





 法華経第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。又同第七巻不軽品に云はく「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と。涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。




 広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各悪教の綱に懸かりて鎮(とこしなえ)に謗教の綱に纏(まつ)はる。此の朦霧の迷ひ彼の盛焔の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。



 汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。



 客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和(したが)はざらん。此の経文を被きて具に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し。


 我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは是私曲の思ひに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明らかに理詳らかなり疑ふべからず。




 弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじて更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。 


現代文

立正安国論
 主人は悦んで、次のように語りました。嬉しいことに、故事に「鳩が化けて鷹となり、雀は変わって蛤となる」とあるとおり、あなたは立派な教えを説く人と交わることにより、蓬(よもぎ)のように曲がっていた邪信が、麻のように真っ直ぐな素直で正しい心となりました。誠に、現在盛んに起こっている種々の災難に深く心をとどめ、「正法治国・邪法乱国」と説く日蓮の言葉を固く信ずるならば、天変地夭は治まり、風は和らぎ、波は静かとなって、やがて必ず豊年となります。
 ただし、人の心は時にしたがって移り変わり、物の性質は環境によって変わるものです。たとえば、水に映った月が波によって動き、戦陣の兵が強敵の勢いになびくようなものです。あなたは今、正法を信ずると決意していますが、後になればきっと忘れてしまうでしょう。もし、まず国土を安穏にし、自分の現在と未来の幸福を祈ろうと思うならば、すみやかにその方策に思いをめぐらし、急いで邪宗邪義を破折し対治を加えるべきです。
 その理由は、先に述べた『薬師経』に説かれる七難のうち、「人衆疾疫(しつえき)難」「星宿変怪(へんげ)難」「日月薄蝕(はくしょく)難」「非時風雨難」「過時不雨難」の五難はすでに起こっていますが、まだ二難が残っています。それは「他国侵逼(しんぴつ)難」と「自界叛逆(ほんぎゃく)難」です。また『大集経(だいしっきょう)』に説かれる三災のうち、「穀貴(こっき)」「疫病」の二災は早くから現れていますが、一災がまだ起きていません。それは「兵革(ひょうかく)」の災です。さらに『金光明経』に示されている種々の災過も次々に起こっていますが、そのなかで、他国の賊がこの国を侵掠するとの災難はいまだに現れていないし、起こってもいません。また『仁王経』の七難のうち、日月難・星宿難・火災・水災・風災・旱災の六難は、今盛んに起こっておりますが、一難だけは現れていません。それは、四方から賊が現れてきてこの国を侵略するという難です。そればかりでなく、『仁王経』には「国土が乱れるときは、まず鬼神が乱れ、鬼神が乱れるから万民も乱れる」と説かれています。
 今、これらの経文に基づいて、わが国の現状を観察すると、百鬼が早くから乱れ、多くの国民が横死しています。ここに、「鬼神が乱れるから万民も乱れる」との先難は明白です。よって、いまだに現れていない自界叛逆難と他国侵逼難が必ずやってくることは、火を見るより明らかです。それらの災難が悪法を信ずる謗法の果報として競い起こってきたならば、そのとき、いったいどうされるというのでしょうか。
 帝王は国家を基盤として天下を治め、国民は所有地を管理し生産に励んでこそ、社会や生活が保たれていくのです。しかし、もし他国から賊が来てこの国を侵略したり、国内に反乱が起こって所有地を略奪されたならば、誰しも驚かないでいられないでしょう、騒がないでいられないでしょう。国を失い、家がなくなったならば、人々はいったいどこへ逃(のが)れたらよいのでしょうか。あなたが自分一身の安全を願うならば、まず第一に、一国の安穏・安泰を祈らなければなりません。
 もともと、人はこの世に生きている間、自分の死後・来世のことを恐れます。このことから、邪教を信じたり、謗法を貴んでしまうのです。このように、人々が仏法の正邪を分別できずに迷っていることはよくないことです。それでも仏法に帰依している人は殊勝なことですが、邪義を邪義と知らずに信じていることを哀しむものです。同じ信心の力をもって、仏の教えを崇めるならば、謗法・邪義の説を崇重してよいものでしょうか、邪法・邪師の邪義は捨てなければなりません。
 もし、邪教に執着して、謗法の心を払拭することができなければ、早くこの世を去ることになって、必ず無間地獄に堕ちてしまうのです。その理由を、『大集経』には「もし国王があって、過去の無量世という永い間、布施・持戒・智慧の修行を積んで来たとしても、仏法が滅びようとする相を見ながらそれを護ろうとしなければ、永い間かかって作った無量の善根をすべて失うことになる。乃至、その国王はまもなく重病にかかり、亡くなってのち大地獄に生ずるでしょう。この王と同様に、夫人・太子・大臣・城主・師匠・郡長・官吏等もまた、ことごとく地獄に堕ちるのである」と説かれています。
 『仁王経』には、「仏教を破壊する人には、その人の家庭に孝行の子供がなく、親子・兄弟・夫婦は互いに仲が悪く、天の神も守護しない。そのために、病気や悪鬼が日々に襲ってきて、肉体的・精神的な苦しみを与える。こうして、災難が絶え間なく起こり、死んだのちは地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちるのである。もし、再び人間として生まれてきたならば、兵士や奴隷のように、楽しみのない果報を得る。音に響きが応ずるように、物に影が添うように、夜に明かりを消すと人が書いた文字は見えなくなってしまうが、実際は字が残っているように、この三界の果報も、現世につくった罪業によって死後の悪報を受けていくのである」と説かれています。
 法華経第二の巻の『譬喩品』には、「もし人が仏の正法を信じないで法華経を誹謗するならば、乃至その人は死んだのちに無間地獄に堕ちる」と説かれ、また法華経第七の巻の『不軽品』には、「謗法の人は死んだのち、千劫という想像を絶するほど永い間、無間地獄に堕ちて大苦悩を受ける」と説かれています。『涅槃経』には、「正義を説く善き友人から遠ざかって、正法を聞かずに悪法に執着していると、その因縁によって無間地獄に沈み、五十八万八千里四方もあるような地獄いっぱいに身体が拡がり、寸分の隙もなく大苦悩を受けるであろう」と説いています。
 このように広く多くの経典を開いてみると、いずれの経典にも謗法は大重罪であることが説き示されています。ところが、悲しいことにこの国の人々は正法の教えの門を出てしまって、深く邪法という牢獄に入っています。愚かにも、一人ひとりが悪い教えの綱に引っかかって、末永く謗法の網に包まれてしまうのです。現世には邪教の霧に迷わされ、死後は阿鼻地獄の炎に焼かれるのです。これが愁(うれ)えずにおられましょうか、苦しまずにおられましょうか。
 あなたは、一刻も早く邪法を信ずる心を改めて、実乗の一善である妙法の教えに帰依しなさい。そうすれば、娑婆世界を含む三界はすべて仏国土となります。仏国であるならば、どうして衰微することがありましょうか。十方の国土はことごとく宝土となります。宝土ならば、どうして破壊されることがありましょうか。国土に衰微や破壊がなくなれば、あなたの身は安全となり、心は平穏になります。この言葉は心から信ずべきであり、崇めるべきです。
 これらのことを聴聞した客は、次のように述べました。
 今生と後生にわたる不幸の原因をこれほど明確に指摘されたならば、誰れしも今生の行為を慎み、あなたの言葉にしたがうことでしょう。今、この経文を開いて仏のお言葉を拝しますと、誹謗の罪科はきわめて重く、正法を破る罪状は誠に深いことがわかりました。
 私が阿弥陀仏だけを信じて他のすべての仏をなげうち、浄土の三部経を信仰して法華経やその他の経典をさしおいたのは、けっして自分が勝手に考えたからではありません。これは単に、念仏の開祖やその一門の言葉に随ったものにほかなりません。恐らく、世の中の人々も同様でしょう。これでは、この世では種々の災難のために身心ともに苦しみ、しかも死んだのちに無間地獄に堕ちて過酷な苦悩を受けることは経文に明白であり、その道理はくわしく説かれておるので、まったく疑う余地がありません。
 あなたの慈悲あふれる訓戒をいよいよ仰ぎ、自分の愚かな迷いをますます自覚し、すみやかに謗法対治の方策を立てて、早く天下の泰平を実現したいと思います。そして、まず現世の生活を安穏にして、死後の成仏も願っていきます。そのためには、ただ自分ひとりが信ずるだけではなく、他の人々の誤りをも戒めていこうと決意しています。



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