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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

合抱(ごうほう)は毫(ごう)より初まる

 日寛上人は『文句』の「山をつくるには簣(あじか)より始まり、合抱は毫より初まる」の文等を引かれた後、次のように仰せである。
 「一抱(ひとかかえ)、二抱えもある大木も、雲にとどかんばかりの大樹も、その根本をよく尋ねてみるとわずかに毛先ほどの双葉から生じたもので、この双葉がだんだんと功を積んでついに大木となるのである。同じく百里、二百里の道も、ただ一足一足の功を積んで到達するのである。また、高山も麓の塵が積もって雲がかかるほどの山となるのである。天を浸ひたすような大海も一滴一滴の露や小川などの水が集まって大海となるのである。
 凡人は一滴の露が集まって大海になるとは考えない。小さな塵が積もって山になるとは思わない。また、双葉が大木になるわけがないと思っている。一足、二足と歩むうちにはなかなか目的地に達することができないので、千里の道は遠く感じられるけれども、今まで述べてきたことは目前の道理であり、古人の言葉であるから疑うべきでないのである。
 仏道を修する人もまさしくこの譬えどおりである。たった一句二句の法門を聞いて一遍二遍のお題目を唱えるばかりでは、万徳を満円する仏身・三十二相を具す仏になれるとは思えないけれども、かの塵が積もって山となり露が集まって海となり、双葉がやがて大木となり一足一足動かして千里を行くように、日々寺院に参詣して「南無妙法蓮華経」と唱え奉れば、一足一足の裏に寂光の都は近くなり一遍一遍、唱えるごとに大山、大海のような仏身を、心にこしらえるようになるのであるから、参詣を重ね、唱題が肝要である。
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 とかく人間は結果だけを望んで現実の努力を忘れがちである。目的を達成するためには発心と、それを持続する精神が必要である。現巨人軍の王監督は恵まれた素質もあったが、同時に宿舎に帰ってから黙々と夜遅くまで素振りに打ち込んだという。その結果、世界一のホームラン打者になれた。一流選手になればなるほど、練習は人の倍以上するものである。信心も同じで、自分に信心があると思っている人でも唱題という実践行を怠っては前進がなく後退するだけである。
 日々まじめに欠かさず信心する人は一生の間に大山ほどの功を積むことになるのである。
     (寿量演説抄・歴代法主全書4-240頁)


 
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