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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

善星比丘(ぜんしょうびく)

 城中に一人の尼乾子(にけんし)外道がいた。名を苦得という。常に「衆生の煩悩と解脱には因縁がない」と言っていた。また、尼乾を師と仰ぐ善星比丘も「世間に阿羅漢はいるが、苦得を最上とする」と言っていた。そこで釈尊が「苦得は羅漢でない」と言うと、善星は「どうして嫉妬するのか」と言うのであった。
 釈尊は「汝は悪邪見を生じている。もし苦得を羅漢というなら、七日のうちに苦得は宿食を患わずらい、腹痛して死に、死んでから食吐鬼の中に生まれる。同学の者がその屍を担つぎ、寒林の中に置くであろう」と言った。すぐに善星は苦得の所へ行って、今釈尊から聞いた話をした。
 苦得は食を断じることにし、六日たち、七日目が終わったので、ホッとして黒蜜を食して冷水を飲むと、腹痛が起こり死んでしまった。同学の者は苦得の屍を担ぎ、寒林の中に置いた。苦得は食吐餓鬼の姿となり、その屍の辺にいた。善星はこのことを聞いて寒林の中に行ってみると、まさしくそのとおりで、苦得は脊をかがめ、地にうずくまっていた。
 善星は苦得に「死んだのか」と尋ねると、「我、既に死んだ」と答えた。「どうして死んだのか」「腹痛によって死んだ」「誰が汝の屍を運んだか」「同学だ」「どこに置いたか」「寒林だ」「どういう身になったか」「食吐鬼の身になった。善星よ、よく聴きなさい。如来は真実を述べている。おまえはどうして信じないのか。信じないのなら私のようになるであろう」と諭した。
 しかし、善星は釈尊の所に帰ると「苦得は命終して三十三天に生まれた」と嘘を言った。釈尊はその非をたしなめ、「如来には嘘がない」と言った。なおかつ善星は「私はすべて信じない」と言うのであった。
 釈尊は大衆に向かい「私は善星のために真実の法を説いたが、彼は信受する心がない。善星は十二部経を読誦し、四禅を得ていたが、悪友に親近したために四禅を失い、禅定をやめて悪邪見を生じてしまった。そのため『仏なし、法なし、涅槃あることなし』と言っている。もし汝らが如来の真実の語を信じられないというなら、善星は尼連禅河(にれんぜんが)にいるから、共に行って見るがよい」と言って、釈尊は迦葉と共にそこへ行くと、善星は遥かに釈尊を見ると悪心を生じ、そのまま阿鼻獄に堕ちたのであった。
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 善星比丘とは釈尊の出家前の子である。日寛上人は涅槃経巻三十三を引用され、有解無信の者の行く末を示されているのである。説話というより実話とすべきか。
     (歴代法主全書4-177頁)


 
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