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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

月  と  猿

 過去世に空閑に処していた五百匹の獼猴(みこう:大ざる)が遊行していたら、そこに一本の尼拘類樹(にくるじゅ)という木があった。木の下には井戸があり、井戸の水は月を映していた。
 大ざるのボスは井戸に浮かぶ月を見て、群に「月が死んで井戸に落ちている。みんなで月を出して暗闇を破ろう」と言った。群は「どのようにして出すのか」と尋ねると、ボスは「自分は出す方法を知っている。わしが樹の枝を掴まえるから、おまえ達はそれぞれ尻尾を掴まえろ。そうすれば手が月まで届く」と言った。
 他の猿は皆、言われたとおりにし、もう少しで井戸の水(月)に手が届こうとした時に、猿は重く枝が弱いために枝は折れて、猿どもは井戸の中に堕ちてしまった。師が迷うために多数の者を迷わしめるのである。
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 これは『弘決』に引用されていて、日寛上人は「始成と久成は同じでないのに本迹一致と言う者は迹門に執する故であり、本迹ともに失うことになる。彼かの獼猴が水中の月を真月と思うようなものである。
 もし正直に釈尊・天台・妙楽・大聖人の金言に従うなら、迹門は水月の如く劣り、本門は本月の如く勝れている。これこそ本迹ともに知る者である。故に各がもし本迹迷乱の師に与すれば、彼の大ざるの言葉に従って群が井戸の底に堕ちたように、無間地獄という井戸の底に堕ちてしまうことになる。それは不憫なことである。だからこそ、釈尊・天台・妙楽・大聖人の金言を信じて、一代教のなかには法華経、法華経のなかには寿量品の南無妙法蓮華経と修行すべきである」と仰せになっている。
        (歴代法主全書四巻)


 
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