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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

釈 尊 の 背 痛

 釈尊は舎利弗に次のように告げた。
 久遠の昔に国の節会日を祝して波羅奈城で大会が催された。刹利と婆羅門の二人の力士がこの節会に来て相撲をとることになった。婆羅門は刹利に「汝、我れをなぐることなかれ、約束を守ってくれれば君に銭宝を与えよう」と言うので、刹利は力を十分に出しきらずに婆羅門を屈伏せしめた。二人は共に王から賞をもらったが、婆羅門は刹利との約束を守らなかった。
 後の節会日にまた二人が来て相撲をとった。婆羅門は前のように許しを求め、刹利はその通りにしてやったが、また恩に報いなかった。このようにして三度目となったので、刹利はしばしば欺むかれたと思い「汝は三度私を誑(あざむ)いた」と言い、物を使わず右の手で婆羅門の頭を押さえ、左の手で腰を捉えて、つつめてその脊椎を折った。それはまるで甘蔗(かんしょ)を折るようにである。さらに婆羅門の体を持ち上げて三度回して人々に見せしめた。それから地に打ち付け、そして地に堕とした。そのために婆羅門は死んでしまった。それを見ていた王は大いに歓喜し、銭十万を与えた。
 「舎利弗よ、刹利の力士とは私であり、婆羅門とは調達(提婆達多)である。私は瞋(いかり)をもって撲殺した。この罪により約千歳地獄に堕ち、今仏陀となったが、残縁がある故に背痛を患っているのである」と。
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 これは興起経に説かれ、弘決に引用されている。日寛上人は「世尊でも苦の業因を免れることができないのだから、迷倒の凡夫はなおのことである。もし正法を聴聞できなければ現業も、まして宿業も消滅することができない。しかし、信心が強盛であれば宿業も滅することが可能である」と仰せである。
     (歴代法主全書四巻)


 
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