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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

地獄の恐ろしさを見て発心した難陀

 釈尊が迦毘羅城(かびらじょう)におられた時、釈尊は難陀も受戒すべき時が来たと思われ、難陀の家の門前まで来て光を放って宅を照らし出された。難陀は「間違いなく釈尊だ」と呟いて使用人に見させた。やはり釈尊であった。難陀も自分で確認しようとすると婦(つま)は「もし外に出て見てしまえば出家することになる」と言い、衣服を引っぱって止めた。難陀は婦に「すぐ帰るから」と言うと、婦はしぶしぶ納得した。
 仏は鉄鉢を渡して飯を盛らせた。難陀がそれを外に出て渡そうとすると、既に釈尊はそこにいなかった。仕方なく時間が経ってから阿難に渡した。
「どうして汝が鉢を持っているのか」
「釈尊が私に渡した」
「仏に鉢をお返ししなさい」
難陀は歩いて鉢を仏に返したのである。
 しばらく釈尊に従い、日暮れには家に帰ろうと、難陀は思っていた。仏はその心を知って大きな坑を化作して、「もし死ねば絶対に帰ることはできない」と言った。釈尊は阿難に「難陀に知事をさせなさい」と言った。
難陀
「知事とは何か」
阿難
「寺中で調べなさい」
難陀
「どういう所作があるのか」
阿難
「多くの比丘が乞食に行って留守の間、地を掃き、水を打ち、家を補修し、また夜は門戸を閉じ、明け方は門戸を開け、厠やも奇麗に掃除しなさい」
 難陀は言われたように僧のために門を閉じようとするが、西の門を閉じると東の門が開き、東を閉じると西側が開く有様であった。
 「たとい失敗しても自分は王である。今日の倍の百千のしっかりした寺塔を造立しよう」と思って家に向かって帰り出した。大道を通れば釈尊に出会うかも知れないので小径こみちを通って行くと、仏の帰られるのと逢ってしまったので、気付かれないように樹の枝に隠れたが、風が吹いて枝が払われ、見つかってしまった。

「どうして帰るのか」
難陀
「婦が待っているからだ」
 帰って仏は難陀を連れて迦毘羅城から出て鹿子母園(ろくしもえん)に着いた。

「汝はかつて香酔山(こうすいせん:崑崙山こんろんざん)を見たことがあるか」
難陀
「いまだ見たことがない」
 仏は難陀の衣服の角すみを掴まえて飛び、すぐに香酔山を見せた。山の上に果樹があり樹の下には雌猿が一匹いたが、片目がつぶれていた。焼かれたのである。

「どういう天なのか」

「天には欲がない、どうしてここと比較できよう」

「難陀、汝は天を見たことがあるか」
難陀
「ない」
 釈尊は難陀の衣服の角を掴まえて、三十三天に至り遊観させた。歓喜之園(かんぎのおん:忉利天にある帝釈天の四箇の一つ)に着いて彩女を見させた。また交合園等を見、さらに種々の音声を聞いた。その所に夫のいない天女がいた。天女は仏に問うた。
 「仏の弟の難陀は持戒し、ここに生じた。まさにわが夫となるべきです」
 釈尊は難陀に「天女と孫陀利そんだりはどう違うのか」と問うた。
難陀
「天女と孫陀利(婬女)とを比べるのは、孫陀利と片目のない雌猿とを比べるようなもので、比べることができない程、天女が勝っている」
釈尊
「梵行(婬欲を断ずる法をいい、これを修すれば梵天に生ずる)を修すれば天に生ずる利がある。汝が今、持戒すれば天に生ずるであろう」
 難陀は仏と共に祇園精舎に帰ったが、それから難陀は天宮を慕い梵行を修したのである。
 これを見て釈尊は衆憎に「難陀と共に法を行ずることも、同座することもいけない」と命じた。難陀は阿難が従兄に当たるのできっと自分を嫌わないだろうと思って同座しようとしたところ、阿難は避けて遠ざかった。
「なぜ私を捨てる」。
阿難
「君と私は行が別なので同座できない」
難陀
「それはどういう意味か」
阿難
「君は天に生ずることを願うが、私は寂滅を願っている」
 難陀はそれを聞いてから、一層憂悩した。

「汝、捺落迦(なから:地獄)を見たことがあるか」 
「いまだ見たことがない」
 釈尊は難陀の衣服の角を掴まえて諸地獄を見せた。獄卒は「仏の弟の難陀は生天のために梵行を修しているので、しばらく天上にいるけれども、やがて地獄に来て苦しみを受けることになろう」と言った。
 難陀は地獄の怖さを目で見て知ったので、懼(おそろ)しさのあまり涙を雨の如く流した。仏は「天の楽しみのために梵行を修するのは、こういう過りがあるのだ」と言った。
 仏は難陀を逝多林に連れて帰り、彼のために広く胎相を説いた。難陀はこれによって初めて発心し、解脱のために持戒して阿羅漢果(聖者の位)を得たのである。
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 これは入胎蔵経に説かれているもので、難陀の貪欲の相を示されたものである。日寛上人は「凡夫が邪見熾盛(しじょう)の外道になっても、なおかつ釈尊は衆生を正しく誘引されたことを記したものである」と仰せである。
 釈尊はあらゆる手立てを用いて難陀を正しい仏道に誘引したのである。
     (歴代法主全書四巻)


 
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