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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

郭巨(かくきょ)の得釜(とくふ)

 郭巨の字(あざな)は文誉である。
 彼の家は大変貧しく、母と妻と三人で慎ましく暮らしていた。やがて妻は子供を出産し、いよいよ生活が苦しくなってきた。子供も三歳となり、育ち盛りで食べる量も増えてきたので、母はいつも自分の食べる分を減らして孫に与えていた。
 そのうち一家の貧困が極めて厳しくなり、抜き差しならぬところまで逼迫したので、郭巨は妻に向かって「わが家は貧乏なので全員が生きていけない。お前は子供を連れて一緒に坑(あな)を掘って死んでほしい。子供はまた産むこともできるが、母は一人しかおらず、再び得ることができないからだ」と言った。妻は主人の言葉に逆らわず素直に頷いた。
 郭巨は三尺余りの坑を掘ると、そこから黄金の釜を発見した。これは天が孝行の郭巨を賞し、くれたものであり、役人も人々もけっして郭巨の釜を奪うことも、取ることもできないのである。
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 郭巨の得釜の故事の出典は蒙求(もうぎゅう)である。郭巨は中国後漢の人で、二十四孝の一人であり、孝行を尽せば必ずその報いがあることの譬えである。
 日寛上人は「世の中の人は、親を思う気持ちは子供を思う気持ちの一分にも相当しない。子を埋めて母を養おうとする志は至信の孝養である」と仰せである。
     (歴代法主全書八巻)


 
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