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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

僧 侶 の 尊 厳

  賓頭盧(びんずる)尊者は拘舎弥城の優陀延王(うだえんのう)の臣下であったが、博識で慈悲深く、よく十善を修していたので王は許して出家させた。具足戒を受け、やがて阿羅漢を得た。
 王は後年、二十里ばかり離れていた城を出て、尊者の住坊に参礼した。時に多くの佞臣(ねいしん)達は、尊者が国王を門前まで迎えず、礼を尽くさなかったのを見て悪心を懐き、王を諌めた。王は佞言を受け入れ、非礼の尊者を殺害しようと思った。
 尊者は後に王が門に入るのを見て、直ちに床より下おりて七歩進んで王を寺中に迎え入れた。王が、
 「出家は上座から動かないのに、いま、席を離れて私を迎えるのはなぜですか」
と問うと、尊者は、
 「王が前に来た時は善心であったので、迎えのために門前に出なかったけれども、いまは悪意を持っているので、もし私が迎えに出なければ必ず殺害されると思ったからです」
と答えた。王は、
 「私は妄りに佞言を信じてしまった」
と、尊者に請うて過(とが)を悔いた。そのため堕地獄は免れることができた。
 しかし、尊者は王に記して、
 「僧が迎えに出るために七歩、歩いたことにより、あなたは後、七年にして必ず王位を失うでしょう」
と言った。その如く、他国の兵が攻めて来て王は脚を鎖でつながれ、囚禁された。
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 これは『四分律』に説かれていて、インドの僧の尊厳が国王に勝ることを示したものである。日寛上人は、
 「たとい元家臣であっても、一度、妙法受持の僧となったからには尊敬すべきである」
と述べられている。
 インドにおいては国王でさえ、僧侶の上座にいることはなかった。師として礼を尽くしたのである。
 宗祖大聖人は『四信五品抄』に、
 「優陀延王(うだえんおう)は賓豆盧尊者(びんずるそんじゃ)を蔑如して七年の内に身を喪失し、相州は日蓮を流罪して百日の内に兵乱に遇えり(中略)罰を以て徳を惟ふに我が門人等は福過十号疑い無き者なり」(御書 1115頁)
と仰せになっている。
     (歴代法主全書八巻)


 
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