本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

霊 輙 の 報 恩

 晋の霊公のすることが道理に外れているので、趙盾(ちょうじゅん)が諌めたところ、霊公はそれが気に入らず、趙盾に酒を飲ませ、武装した兵に待ち伏せをさせて殺そうとしたが、ある人が、そのことを趙盾に知らせたので、急いで車に乗って逃げようとした。
 霊公は逃がさないとの用意から、あらかじめ車の一輪を外しておいた。急難に襲われ逃れる術もなかったが、霊輙(れいちょう)という者が車の一輪の軸を臂をもって受け、すばやく車を走らせて、ことなきを得た。
 この人はどういう人かというと、趙盾が、かつて首山に狩りに出かけた時、そこの桑の木の茂った所に病に伏して三日、食を採っていない者がいたので哀れに思い、飯を食べさせた。
 のちにこの病人が霊公の侍臣となり、趙盾の恩を報じようと、戟(ほこ)をもって辺りを払い、霊公の兵を撃って逃がしてくれた。
 趙盾が喜びのまま名を尋ねると、「翳桑えいそう(よく茂った葉陰の多い桑の木)の餓人なり」
と答えて、名を言わずに立ち去って行った。
  ******************************************************************
 これは『左伝』や『太平記鈔』に説かれていて、日寛上人は知恩・報恩の例として引かれたのである。
     (歴代法主全書八巻)


 
inserted by FC2 system