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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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第67世日顕上人 創価学会問題

『文藝春秋』平成4年2月号

平成四年
なぜ「破門」を通告したのか
創価学会員に告ぐ
宗門七百年の伝統教義はかく、”蹂躙”された


 日蓮正宗(宗門)の在家信徒団体として会員数を増やした創価学会だが、次第に対立が顕在化。宗門は平成三年十一月、「解散勧告」に次いで遂に「破門通告」を申し渡した。その経緯について、沈黙を守っていた阿部日顕法主が自ら手記を寄せた。学会内で神格化していく池田大作名誉会長を「仏法を私する、まさに悍馬(かんば)のごとく、手がつけられないという感じ」「総本山・宗門を、創価学会の傘下に入れようとの考えがはっきり現れてきた」と厳しい言葉を連ねて批判し、大きな反響を呼んだ。

-創価学会による宗門批判が再び目立ち始めた昨年春以来、編集部では宗門側、とくに出来れば法主ご自身の見解を紹介した、と考え続けた。メディアを多く持つ学会側に比べ、宗門側の見解はほとんど世に出ていなかったからだ。法主ご自身が直接マスコミに登場するなどあり得ないとも思われたが、本誌に登場していただきたい、と最初に申し込んだのは昨年四月。以来、数次にわたる困難な交渉の末、実現したものである。もちろん日蓮正宗の歴史上初めてのことであり、今後もあり得ないと思われる。(編集部)

 平成二年は、日蓮正宗総本山大石寺のご開山二祖日興上人が、身延山を離山され、新たに駿州富士郡上条大石ヶ原に大石寺を開創してからちょうど七百周年にあたります。その年から具体的にはじまった、宗門と創価学会との問題は、いまや謗法集団となった創価学会にたいし、宗門の正統性と、日蓮大聖人の教えをまもるための容易ならざるものでありました。宗門は、いわば危急存亡のときを迎えたのであります。そして、ついに昨年十一月七日、本宗は断腸の思いで、創価学会にたいして「解散勧告」をし、同月二十八日には、「破門通告」を発することとなりました。
 創価学会と訣別するにあたって、私はあの宗祖日蓮大聖人のお姿を思い起こしていました。文永八年(一二七一年)、鎌倉幕府の手で捕らえられた日蓮大聖人は、鎌倉の大路を馬に乗せられて引き回され、由比ヶ浜の竜の口刑場まで連れ出されたのでした。いざ首をはねられんとした時、突如天変地異がおこり、大聖人は虎口を脱したと自ら述べられています。生涯を仏法の布教に捧げた大聖人の法難はまだ多くあります。大聖人がいかなるときでもみずから困難を切り開きあそばされたことを思えば、どうして当代の私が逡巡することができましょう。
 また、日興上人のお姿も私が深く拝する処です。日興上人が、身延山を離山される契機となったのは、当時の身延山大檀越たる波木井実長が、大聖人の教えに背いた行為(すなわち謗法)をおこなったことを、日興上人が厳しく制誠し、聞き入れられなかったからです。厳格に日蓮大聖人の教えを守ろうとされた日興上人が身延を離山し大石寺を開かれたのは。正応三年(一二九〇年)のことでした。
 私はここに宿縁を感ぜずにはいられません。折しも七百年後の今日、再び日蓮正宗が、宗門の根本を揺るがす困難と向き合うこととなろうとは。
 昨年十一月七日、宗門は、創価学会にたいして「解散勧告」をし、さらに十一月二十八日「破門通告」をいたしました。このことは広く報道されることとなりましたが、一般社会の方にとっては、なぜこのような事態にいたったのか、真相がよくわからなかったのではないかと思われます。
 この間、私の耳にも、学会員の方々が、宗門の信仰と創価学会という組織との間に立って、非常に悩み苦しんでいるという声が多くつたわってきました。その煥悩の声を、私は苦渋の思いで聞いていました。しかし、こうして私自身が、信徒の皆さん、創価学会の皆さん、さらに広く社会一般の方々に、思うところをお話しする機会に恵まれたことを、喜んでいます。
 「解散勧告」及び「破門通告」にいたる直接の端緒となったのは、一昨年十一月十六日の、池田名誉会長の発言でした。その内容に非常に不穏当なものがあったからです。ケジメをつける意味から、創俑学会にたいして真意を質しておくべきであるという考えから「お尋ね書」を送達したわけです。それに対して学会からは真面目な返事はなく、まったく別個の、宗門と私にたいする大変ひどい誹膀・中傷をしてきました。これが「九項目のお伺い書」と呼ばれるものでした。
 そういう経緯があっても、なんとか善導したいという気持ちは、捨てたわけではありませんでした。そのときのみならず、私が法主となってから十有余年、創価学会と相対してきましたが、その間、なんとか本来の信徒のあり方にもどってもらいたいという気持ちをもちながら、池田名誉会長以下の人たちと対応してきたつもりでした。しかし、残念ながら、ついに十分な教導ができなかったのです。

今回の処置の意義
 その原因はひとつには、創価学会の池田名誉会長たちの心の中に、やがて自分たちが主導権を握って宗門を支配しようという考えがあったのではないかと思われます。そういうところから、私たちの誠意をもった善導を聞かず、むしろ逆に彼らの立場からは批判なり、嫌悪なりということが、ずっと蓄積されていたのでしょう。それが一昨年、不意に無法な言いがかりという形で吹き出たと思うのです。
 先ほど述べた通り、この発端が、ちょうど開創七百年というときに現れたところに、私は大変不思議を感じておるわけです。なぜかといいますと、七百年の昔に、日興上人が、大聖人の仏法を誤ってはならぬということで、正しく対処する意味で決然と身延を離山し、大石寺が開かれました。それからちょうど七百年目に学会の問題がおこったわけです。じつは、その年の最後に、宗門もきちんとした立場で処置をしておこう、ということで考えたことがありました。
 しかしそのときは、決定的な処分とかいうことではなく、法華講本部の規約改正ということを行い、総講頭などの本部役員の資格を一時的に喪失するということで、その後の反省を期待することとなりました。しかし、まったく期待はずれで、いよいよ宗門にたいして、反抗に反抗を重ねるような様子が出てきたわけでございます。その結果。昨年一年教導・制誠を重ねたすえに、やむをえず創価学会にたいする破門というところにまで至ったわけです。
 将来のために、正しい大聖人の仏法を、どこまでも守ろうということで、今回の処置があったということです。日興上人の大石寺開創の意義に通ずるものがあると、確信しています。
 創価学会が、法人をつくり、僧侶をおしやって、自分たちが主導権をもっておるかのような有り様でしたので、僧侶がなにか気持ちのうえで萎縮しているような面がありました。本来の僧侶の自覚と申しますか、民衆の先頭にたって導いていく姿勢が出てこない。しかし、今回こういうことになったために、かえって僧侶の自覚が回復したのではないでしょうか。その点からは、私にはむしろやるべきことをやったという意味での、安堵感があるということも言えると思います。
 学会員の中にもいろいろな立場の方がいるようです。「よくやってくれた」という人、宗門を完全に敵視している人、その中間にあって悩んでいる方もあると思います。この信仰と組織の板バサミになっている方々にご同情申しあげますが、しかし私どもは正しいことをした、と申し上げたい。学会の秋谷会長や森田理事長などが、今回のことは宗門、法主の嫉妬にあるなどと全く見当違いの言をしばしば弄していますが、これなどまさに自分の境涯で推しはかるから「嫉妬」などという考えが浮かぶのです。一心欲見仏不自惜身命の僧侶の確信など到底知りえない人たちだと思います。
 創価学会側の報道は、宗門の悪口だけが先行しています。そういうものだけ読まされている多くの学会員が、非常にゆがんだとらえ方をしているということもあるでしょう。そういう意味で、中間にいて、本質も知らされずに悩んでいる人たちは、お気の毒です。なんとかこの人々にたいして、正しい考え方に基づいて、正しい選択をしていただきたいと念じています。
 ちょっと世間的に見るとおかしく感じられるかもしれませんが、私どもは、あくまで宗教団体としての見解をもって、一切を対応していこうと思っております。
 日蓮正宗では、入信の時、寺院において僧侶からご本尊を受け、そしてその教えを頂く意味での「ご授戒」という儀式があります。それを受けた人たちは、基本的には日蓮正宗の信徒です。これは変わりません。創価学会員の折伏によって入信した人でも、日蓮正宗の信徒としてご本尊を受けたわけですから、個々の人は、創価学会員である前に日蓮正宗の信徒であるということであります。
 ただし、創価学会を破門にしたということは、やはり必然的に学会員の立場の人たちを併せて破門にしたという意味がありますので、学会員という身分とか立場の主張は認めません。そういう対応をきちんとしていくことで、割り切ったつもりでおります。
 ここで、おさらいのために、日蓮正宗と創価学会のそもそもの関係をお話ししておきましょう。

日蓮正宗と創価学会
 日蓮正宗は、日蓮大聖人が弘安二年(一二七九年)に顕された本門戒壇の大御本尊(総本山大石寺にご安置)を信仰の主体にしています。そして、大聖人の仏法を唯授一人の付嘱によって正統に承継せられたご開山二祖日興上人以来、代々の法主上人が血脈相承をもって、宗祖の仏法をうけついでまいりました。
 これにたいして創価学会は、はじめ創価教育学会として昭和五年に発足し、その後、日蓮正宗信徒の団体となり、昭和二十年創価学会として再建したものでした。法主の指南のもとに日蓮正宗を外護し、また正宗の教えを「広宣流布(こうせんるふ)」するのが設立の目的でした。
 したがって創価学会員は、学会員である前に、まず日蓮正宗の信徒なのです。また創価学会は、宗旨の根本に絶対的に帰依し、法主の教導に従って、日蓮正宗信徒団体としての本分を守らなければならないことは、いうまでもありません。
 創価学会の戸田城聖二代会長は、昭和二十六年、宗門外護と折伏活動の便宜の上からという理由で、宗教法人を設立しようとしましたが、その際、宗門より提示した三つの原則を守ることを確約しました。
 それは、
一 折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
二 当山の教義を守ること
三 三宝(仏法僧)を守ること
 の三点でした。
 すなわち、宗門外護と三原則の遵守こそは、宗教法人創価学会が、自らの会則規則においても定めるとおり、本宗信徒の団体として存立する上で欠くことのできない大前提であったのです。
 本宗三宝とは、仏宝、法宝、僧宝の三つです。本宗の仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人を随一として唯授一人血脈付法の歴代上人(法主)すべてにわたります。したがって、教えの上からいけば、日蓮正宗信徒及び創価学会会員は、ともに三宝に帰依しているはずです。ゆえに、日蓮正宗を信仰している創価学会員ならば、当然、僧侶を敬い尊ぶものでなければならないのです。
 日蓮正宗の寺院では、これまでは、僧侶のお経などによって、葬式・法要などを行なうことになっていました。それが、一昨年十二月に、法華講本部の規約を改め、それにともなって、前の規約により就任した総講頭、大講頭の職にあった者は一時的に資格を喪失するということになりました。
 するとたちまち、常識では考えられないような宗門にたいする罵誓雑言や非難がおこりました。挙げ句の果てに昨年の中頃くらいから「葬式も何も、僧侶に頼む必要はない」と言い出したわけです。これは、自分たちが勝手にいままでのあり方を全部破壊しようというものです。日蓮正宗の本来の信仰のあり方に対する逸脱であるし、背反の行動でもあることは、はっきりしています。
 しかし。宗門側としては、今までも学会員の場合は葬式を引き受けないとか、法要を拒否するとかいうことは一切ないのです。願って来ればかならず僧侶としての立場から、正しく対応しております。なにしろ学会は、上層部で非常に強い指導をしているらしく、心の中では「私は僧侶にお願いしたい」と思っている人まで、無理強いのような形で、ぜんぶ僧侶を呼ばない学会葬を強制されているようで、そういう点ではお気の毒だと思います。
 今となっては遠い昔話のようにも感ぜられますが、私は戦前に、創価学会の初代会長である牧口常三郎先生と、何度かお会いしたことがあります。その頃私はまだ十七、八歳だったでしょう。青年僧侶とも言えない年齢でしたが、お通夜の帰り、二人で電車の吊革にぶら下がって、いろいろなお話をしたものでした。
 牧口さんという方は、非常に仏教の信仰が篤く、学究肌の印象の強い教育者でした。「利・善・美」という「利」を強調した独特の価値論をお持ちで、そういう形で仏法をわかりやすく説明されました。真面目一方な方で、半面、組織経営はあまり得意でなかったようです。当時の創価学会の会員数は五千人……一万人には満たなかったと思います。戦時中特高警察に逮捕されて亡くなったことは返す返すも惜しいことでした。

仏法上の誤まり
 学会の組織を大きくしたのは、二代会長の戸田城聖氏でした。
 この方はまことに機略縦横な方で、仏法の生命論を主体としたわかりやすい説明で多くの人の共感を得られたようです。世間的な苦労も多かった方だから、世間のことに通じて人の心を掴むのが上手でした。また、創価学会をきちんとした組織にしなければということを常に考えてそれを実行したのです。あの方が昭和三十三年に亡くなるまでに、みるみる学会員は七十五万世帯あるいは八十万世帯にもなったといいます。
 私は戸田さんをよく存じあげていますが、戸田さんはいつも会員にたいし「この戸田が広宣流布するんだ」と言っておりました。したがって「お前たちは、ぜんぶこの戸田の言うことを聞け」と言われてもおり、一見言葉は乱暴ですが、真実味が籠もっていて、まわりの人びとを魅了する力のあった方でした。この徹底した会長中心主義のあり方が、会員の獲得に功を奏したのだと思います。同時に戸田さん自身、本当に自分の命を捨ててでも大聖人の教えを守り、また広めていくという、根本の一念をお持ちだったと思います。
 昭和二十年代から三十年代にかけては、終戦まであった「神国日本」の価値観がすべて崩壊した時期で、国民は思想的な拠り所を失って、何を拝んでいいかわからない、何を頼っていいかわからない、という思想的に低迷した時代でした。
 そういう時期に、新興宗教が雨後のたけのこのようにあらわれたのですが、その中で、創価学会の活動が非常に国民の共感を得て、わずかな時期に会員数が急増したものでした。ですから、後には八百万の会員になったという創価学会のその後の発展は、戸田さんに負うところが大きいのです。いったん火がついたなら、後はさらに大きく燃え広がるわけですから。また、よかれあしかれ会長中心主義という学会の体質は、戸田さんのときにできたものでした。
 その創価学会を受け継いだのが、現名誉会長の池田大作さんでした。池田大作さんについて一言で言うことはできませんが、会長に就任してまもなく、こんな発言をしたということです。
 大聖人の御遺命の大事である本門戒壇について、「戒壇建立ということはほんの形式にすぎない。(中略)したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえない……」と。
 早いうちから、仏法にたいし浅識、軽視、蔑視の気持ちがあったのではないかと思わざるをえません。民衆の幸福といっても、それは大聖人の本門の戒法から離れたものでは宗門の法義に反するものです。また、創価学会の会長中心主義の流れの中で、「池田先生絶対」という風潮がごく初期から会の中にあったように思います。
 学会の増長ぶりは、教義の上からも由々しい問題なのです。
 少々仏法用語を使うことになりますが、かみくだいて、説明してみましょう。ひとつは「教相」、ひとつは「観心」という言葉です。これは仏教上の基本的な意味として、あらゆる宗派にすべて備わっているものです。「教相」とは要するに、教え、ということです。相は、高いもの低いものを選びわけるという意味です。したがって、これが最高であるとか、一番美味しいものなんだということをきちんと分けるのが教相ということです。「観心」は、教えを自分の身にあてて、それによって自分が幸せになっていく、心を開いていくという意味です。「教相」はあくまで理論的な教えであり、これにたいして「観心」は実際に自分がその教えを受けるということです。実際に信心して、お題目を唱えて修行していくというところが「観心」になるわけです。
 当然ながら、宗教には、両方が必要なわけです。もちろん日蓮正宗にもその両方があります。「教相」と「観心」の最高のところでは、それが一体になっているのであり、これが大聖人の教えの本質、本体としての「本尊」あるいは「三大秘法」と言います。
 教えを受ける形にも時として誤りが生じますが、それが左右の偏向です。一番中心になる正しい立場が中道であります。これはご本尊を余計な見解を入れず素直に信ずることです。これが根本中心の教えであり、正しく心を観ずるいちばんの元です。つまり大聖人の教えの通り、このご本尊を信じていけばいいわけです。
 しかし、往々にしてそうならないこともあります。その一方のかたよりは、あまりにも「教相」すなわち教えの形式の方にとらわれてしまって、教えの意義を生かしての本当の徳とするという利益が現れてこないことです。もう一方のかたよりは逆に「観心」の方に偏しすぎて自分勝手な解釈に走るというものです。歴史的には、平安時代を風扉した天台仏教が、時代が下がってきて中古天台の頃になると、「観心」の方にかたよった思想なり教えがその宗派の人たちによって形成されたという例があります。
 池田会長になってからの創価学会のあり方は、まさにこの「観心」偏重そのものです。「教相」には、小乗、大乗、権大乗、実大乗、それからさらに日蓮大聖人がその一生をかけて説かれた下種本門の教えなどが厳然と存在します。ところが、それらを自分の立場に転用し、あくまでも自己中心の考え方で解釈してしまう。これは、本宗の教義にたいする独断からくる観心主義の中のひとつのあり方なのです。
 上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)という方が、法華経に出てきますが、この方が末法にご出現されます。そして大聖人様のお振る舞いは、たしかに上行菩薩様であります。この上行菩薩様は、じつはその深い久遠の悟りからいえば、一番の元の寿量品(じゅりょうほん)という教えに説かれた、久遠の仏様の悟りの内容の中に入るべき意味があります。それが大聖人様である七拝するまではよいが、それと同じように妙法を広めているのは私たちなんだから、その中心者であり、指導者はその意味がある、という考え方にだんだんなっていくのは行きすぎです。
 そのような流れから、「久遠の師」とか「悟達」とかいう言葉が、いわゆる「昭和五十二年路線」のときに出てきたのであります。そういう教義上の問題が、まず根本にあります。当時、創価学会は組織の力というか、功績もたしかに大きくなっていましたが、一番の問題は、池田大作さん個人の資質であったと思われます。 池田さんは、自らが仏法の元をつかんでいるかのような考え方をする人でした。当時大変問題になって日達上人も本当にご苦労された戒壇に関する我慢偏見もそれです。なんとかこちらが教導しようとしても、俺の考えは絶対正しいんだと……。仏法を私する、まさに悍馬のごとく、手がつけられないという感じが率直に言ってあったのです。
 しかし、この時は池田さん自身が昭和五十三年十一月七日、総本山に登山して自らの信心指導の行き過ぎをお詫びし、さらに昭和五十五年四月二日「恩師の二十三回忌に思う」と題する所感においても反省の意を表明しました。

「僧」と「俗」の間
 現在創価学会がさかんに宗門批判のひとつとして喧伝している事柄の中に、宗門は僧侶をいちだん上において信徒を蔑視しているといういわゆる「僧侶」批判があります。池田さんは「宗教改革」なる言い方まで持ち出しているようです。これは一見聞こえのいい言葉なのですが、本宗の仏法にたいする本来の理解をまったく欠いているといっても過言ではありません。
 平成三年初頭から、創価学会では、「僧俗平等論」なる主張をするようになりました。とくに「阿仏房御書」などの信心成就に約して示された御書や、第九世日有上人の「化儀抄」第一条の本意を曲解し、たとえば、  
「僧侶と信徒の関係にあっては、まずなによりも、信心のうえでは僧俗平等であることが第一義であると思います。その上で僧侶と信徒の本分及び役割を生かした相互の尊重・和合があるのではないでしょうか」 (平成三年一月一日付『お尋ねに対する回答』)
 と、いかにも宗門が権威主義をもって、信徒蔑視をしているかのような主張をしています。また池田氏も、「信徒の側は、僧侶の権威にひれ伏した時に、本来の信仰心は失われ、僧に仕え、依存するのみの形式的な信仰となり、真の功徳はなくなる。
 御本仏・日蓮大聖人、すなわち大御本尊に信伏随従し、仕えることは正しいが、その根本からはずれて、僧侶に仕えることは、仏法の本義に背く誤りであることを知らなければならない」(平成三年十月十七日)
 と言っています。
 これは、明らかに仏法本来の僧俗師弟のあり方を曲解する発言と言わなければなりません。
 僧俗の次第について、宗祖大聖人は、
「所詮真言、禅宗などの謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り、我が弟子等の出家は主上・上皇の師と為らん在家は左右の臣下に列ならん」
 と仰せられています。僧侶と信徒は、仏法上、師匠と弟子という筋目の上からの相違が存在するのです。
 さらに大聖人は、  
「僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す。譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、仏法有りどいへども僧有りて習伝へずんば……伝はるべからず(乃至)然れば僧の恩を報じ難し、されば三宝の恩を報じ給うべし」
 と説かれました。
 仏法においていかに僧の役目が重く大切であるかが明らかです。その僧は俗の立場とはっきり区別されております。
 また、日興上人は「遺誡置文」で、  
「若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事」
 と、これまた座席の配列に誓えて、僧俗の相違を明確にされています。  
「僧俗」という形は、やはり宗門古来のあり方の中で、必然的に存在します。ただ、日蓮大聖人の教えだけが、他の宗派と異なるのは、その教えによって、僧も俗も全部が宗教的な意味での最高の功徳が得られるし、その方法すなわち修行のあり方もまったくおなじであり、これを「僧俗一途」といいます。
 しかし、それにしても僧侶は直接に大聖人から伝わる法の中にあって、それなりの僧侶としての修行もし、寺院にも住して、その法を保っていくという立場は厳然としてあります。信徒はそのお寺の信徒として、あるいは日蓮正宗の信徒としての意味で僧侶の教えを受けながらやっていくのです。もちろん、最後的に「僧」と「俗」との違いがあって、僧侶だけがより幸せになれる、一般の人はここまでであるということは、絶対にありえません。
 一般僧侶は、法主の血脈によって、「三宝」のひとつ、「僧宝」の一分に加わります。本宗の信徒は、唯授一人血脈付法の法主を仏法の師匠としますが、所属寺院の住職・主管もまた、血脈法水への手続の師匠と考えなければなりません。このように、僧俗は信心成就においては、僧俗が一体平等となるが、そこに至るまでの信心化儀という場面では、必ず師弟の筋目が存在するものです。
 ただ本宗の場合は、在家もご本尊をいただいています。自分の一切の祈念も、何も、在家において自分自身でできるということではあります。しかしそれでも、実際の問題として、僧俗のけじめはあって、やはり僧侶は内から仏法を守っていく、在家は外から仏法を外護する。そういうあり方において僧侶は在家を敬い信頼し、在家も僧侶を尊敬し、その教えを聞いていくということが七百年来続いているのです。
 ついに創価学会の批判は、「法主」という立場にまで及んでおります。
 平成三年十月二日付「創価新報」では、『神話だった法主への信伏随従』と見出しをつけて、
「法主への信伏随従なるものが、所詮は、信徒に隷属を強いるために後世につくり上げられた『神話』にすぎないものであることがうかがい知れよう」
 と言っております。
 この言はおよそ本宗の信徒団体とは考えられないものです。不変であるべき法義を、その時その時の、自分たちの都合にあわせて、くるくると変えているのです。あまつさえ、宗門を「法主根本主義」、「法主絶対主義」などと決めつけて誹謗するなどは、宗門の言動の真意が、創価学会にはまったく理解できていない証左といっていいでしょう。
 とくに本宗は、大聖人より特別な血脈相承があって、日興上人から、日目上人、日道上人とずっと伝わっています。そこに聖なる法を末法万年のうえにおいて、伝えていくという、伝承伝持のうえからの、僧宝の厳たるあり方が存在するわけです。
 ここに日興上人、日目上人と連綿と伝わって七百年に及んでいる意味があります。
 それに反して、創価学会では、日興上人だけが、僧宝であるとしきりに言っていました。すなわち三宝の仏の宝、法の宝、僧の宝のうち、仏と法は大聖人様であり、ご本尊ですが、僧の宝は日興上人だけであるということです。しかし、そんなことをいえば、以後は何も伝わってないままで今日にきていることになるではありませんか。ですから、そういう点でも、僧は厳として法を正しく保つ中心であるとされるのです。
 もしそういうことを認めないと言うならば、自分たちでまったく違う宗教観なり、宗教の元となるものをつくらなければならない。けれども、日蓮正宗である限りにおいては、ご本尊を信仰する限りにおいては、宗教改革なんていうことがあるはずがないと、私ははっきり申しておきたい。
 そもそも宗教改革という言い方自体が、日蓮正宗の教義とはまったく相反するものです。むしろ彼らの考えていることは宗教改革ではなく、宗教改変というべきでしょう。三宝の問題にしても、自分たちも教えを広めているのだから、僧宝であり、だから、現在の僧とまったく平等であるというのです。これも僧にたいする観心主義偏向の素人考えです。こういう風に短絡的に考えること自体が仏法信者として失格です。うかうかすると、池田氏を大聖人の再来だなどと考えたり、信じたりしている人もいると聞きます。この考えは本宗三宝を破壊する、増上慢的偏見によるものです。
 そこまで教えの元のあり方を自分のところに引き寄せようとするのは、観心主義の悪弊が極まったといっていいでしょう。
 そういうことで、宗教改革とかいろいろなことを言っていますが、ぜんぶ根はひとつところから出てきている感じはします。これは日蓮正宗の教えに対する根本的背反であり、自分勝手な仏法違背の考えだと思います。
 たしかに宗門は、教えのうえから、その正統性を指導することはあります。これは、権威とか権力という言葉とは全く違うと思います。宗門独自のあり方としての法を正しく保つための指導性は、当然あるわけです。
 かたや、創価学会は創価学会として会長中心の権力構造がある、これはこれとしながら、創価学会もまた、宗門をたてていくという形が最初の頃はありました。
 それがいつのまにか、池田さんには、今度はいよいよ宗門より上へ行こうと。総本山・宗門を、創価学会の傘下にいれようとの考えがはっきり現れてきたのです。つまり権力的にも財政的にも、社会に対する問題からも、創価学会中心になり、宗門はその一部分でいいんだという思い上がりです。そうなれば宗門は雁字(がんじ)搦(がら)めになって、宗門の本来の主張、信仰のうえから正統性を述べていくことも、創価学会の都合いかんで左右されるばかりか、頭から権威権力の傘を被せられて身動きできなくなるのは当然です。だから、今度の問題をどうしてもきちんとしたいという根拠の一つは、実はそこにあったのです。  

「法主何する者ぞ」
 たとえば、池田大作氏は、実質的には公明党という政党の支配者と言われています。法華経自体の教えの中には、「俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん」という教えがあります。「治世の語言」というのが、政治に当たると思うのです。これは、法華経のよい教えが広宣していけば、政治そのものが妙法の教えに順じて、すばらしく立派になるという意味での、法華経の功徳を言っているのです。憲法的解釈からの政教分離という言葉がありますが、あくまで宗教において本当に陶冶されて、思想や境涯の次元が高くなった人びとによって正しく勝れた政治が行なわれるのなら、これはむしろいいことではないかと、今でも私は思っています。しかし、今のあり方はそうではなく、公明党に事件やらスキャンダルやらが続出して、むしろ逆に、法華経を誤解させるような、日蓮大聖人の教えをゆがめるような形になっているのではないかと思っています。
 仏法には第六天の魔王という存在があります。欲界の中の一番上なのです。ですから非常に支配力がある。常人の考えられないような力がある、と仏法の世界観にはあるのです。しかし魔であることに変わりはありません。この者の思うところ、欲界の一切についてのそのあり方は自由自在に支配できる。池田さんも普通の人ではないということは言えると思います。
 実際の池田大作さんはなかなか上手な人で初対面の人はつい「この先生はすばらしい人だ」と思ってしまうのです。実は、私もある時期もっと池田さんのことを信用していました。しかし、本質的には私どもがよくよく見極めていくと、やはり我見の強い、仏法の本来のあり方から逸脱した部分が見えてくるのです。
 法華経に説かれている仏法上の大悪人に僣聖増上慢というのがありますが、これについて妙楽大師が「後々の者(俗衆・道門増上慢にたいする僣聖をいう)はうたた識りがたし」といっています。則ち巧みな心が深く、悪人であることがなかなかわからない、見分けにくいといわれるのです。
 日達上人が、「五十二年路線」の後始末について、いろいろな問題を最終的にまとめられたのは、昭和五十四年五月三日の創価学会本部総会でのことでした。その時日達上人からお言葉があって、ともかく信徒としての基本をばずさない限り、創価学会も日蓮正宗の信徒団体として、これまでのことを一切改めさせたうえ再び協調してゆきたい、と仰せられたのです。日達上人がお亡くなりになったのは、ちょうどその二ヵ月後。その後を私がお受けしたわけです。本宗の場合、血脈相承はもちろん大事な意義があります。大聖人から伝わる法の伝授が中心ですが、それと同時に、やはりご先師のお考えを素直にお受けすることが、後の者の責務なのです。そのため私も、日達上人のお言葉を守り、創価学会がきちんとけじめをつければ、また一緒にやっていこうと思ったのです。
 そういうことがあって、一時は創価学会といい、池田さんといい、しばらくは恭順の態度でした。ですから私も、なんとか本来の宗門の信徒という態度を変えないように、そこのところを基本としてやってもらいたい、と思ってずっと十年間やってきたわけです。その間、いかにも「猊下を本当に心から信頼しています」というような言葉もあって、私も「本当にこの人は立派な信者だ」と思ったことが確かにありました。
 もっとも、その反面日達上人在世中にも、私はこんな現場に遭遇しました。日大講堂で行なわれた創価学会の総会に招かれて、日達上人が話をされた。総会が終わったあと「早瀬先生と阿部先生は残って下さい」と言われて、まもなく池田氏がやってきて、「今日の猊下の話は、あれは何ですか」と言う。私たちが怪訝な顔をしていると、「猊下は私のことに一言も触れなかったじゃないか」。そして、その後の言葉を聞いて耳を疑いました。「図にのぼってるんじゃないですか」と。「法主何する者ぞ」という考え方は、もうこの時にはあったのでしょう。
 法華経の根底にある、即身成仏という考えかたは、素直で我見を捨てた真面目な信仰であります。一人の人間を特別に神だとか仏だとか言うのではなく、みんながそれぞれ持っている命の尊さからの信心の徳を妙法と開いていくということであって、一人の人間が特別に権力を持つということではないのです。
 特に、大聖人様は法華経を広めることによって、法華経に予証されている難を受けられた。その難は俗衆増上慢、道門増上慢、僣聖増上慢という人々が必ず出てきて難を加えるのです。大聖人様はあらゆる難をお受けになったうえで、法を顕されるという意味がありました。難を受けてそれを耐え忍んだ上での法の顕れ方なのです。そこには全然、権威だ、権力だなどというものはないのです。
 私などもその教えを受けている者として、教団の中で私のことを上へ上へと奉りすぎるのはいけないと、いつも僧たちに言っているのです。だから、仏法の即身成仏という意味は、本当に権威や権力という意味ではなくて、みんなの真の幸せを願う心の境涯を言うわけです。そこで、今の創価学会のあり方が、いろいろな面から見て民主的とは言えない感じがします。
 創価学会は総本山大石寺について現在こんな噂を流しているそうです。「お山は今草が茫々だ」、「野犬がいて危ない」、「ヨタ者が徘徊している」。いずれも反駁する気力も起こらないほどの妄言です。また、昨年七月から創価学会運営による登山方式を本宗本来の末寺を通しての登山方式に改めたのですが、戒壇の大御本尊へのご開扉のご供養は基本的に二千円に決めました。これについても、「三万円取られる」とか、「そのうち四万円、五万円になる」と言っているそうです。
 日蓮大聖人様の教えは「正直」が根本です。あくまで、正しいことをきちんと言うことです。悪い人は事実を歪曲して、いろいろ嘘言ったりするけれども、そのためにどんな難が来ようとも、耐え忍びつつ、正直に正しいことを示していく、という教えです。私は絶対に、そうでなければ本当の功徳はない、と思っています。

「元なきものはかくの如し」
 また、近頃、一部には、昭和五十二年当時のように、宗門と学会が和解するのではないかという見方もあると聞きました。
 しかし今回の場合は前回とはまったく事情が違います。しかるべき決意をもって、まず「解散勧告書」を出しました。しかし創価学会はかえってこれに反発し、ますます悪質なる誹謗と中傷を加えてきたのでやむをえず、「もうこれからは、日蓮正宗から破門し、創価学会は日連正宗とは一切関係のない団体とする」と通告しました。しかも、これは私がひとりで決めたことではなく、宗門僧侶の総意に基づき、また責任役員会の議決を経ておこなったことなのです。こういう非常事態になったために、かえって僧侶が民衆を導いていくという、僧侶本来の自覚が各僧侶に出てきたのではないか、と思っているのです。
 私はかつて創価学会第二代会長戸田城聖氏が、昭和三十一年八月十日、岡山市妙霑寺の落慶入仏式の折りに、第六十五世日淳上人に申しあげた言葉を思い出さずにはいられません。  
「将来、もし、学会が大きくなって宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするようなことがあったら、いつでも解散をお命じください」
 かつては、創価学会も、そういう自覚をもって「広宣流布」につとめていたのです。
 学会と訣別するにあたって、私がもっとも心を傷めたのは、学会員の信徒の皆さんのことです。
 先に述べたように、創価学会を破門したということは、やはりそれに属する会員を認めないことになります。しかし、個人個人は今でも日蓮正宗信徒であり、学会員としての主張は認めませんが、日蓮正宗信徒としての立場は宗門として基本的に認めるということであります。私は、なんとしても信仰と組織の間で思い悩む学会員の方々のお力になりたいと思っています。そういう方は、ぜひ近くの日蓮正宗寺院をお訪ね下さい。
  また、今なお学会が正しいと思っている方でも、今世、来世、再来世、未来永遠の命の中で、いつか救済すべくお力になれるときがあると思います。
 中国のことわざの中に、「元あるものはかくの如し」それから「元なきものはかくの如し」というふたつの譬えがあります。
 前者は、たとえわずかなものであっても、着実なものであれば、たとえば、泉の水がこんこんと涌き出るように、いつまで経っても、どんな日照りでも、水は絶えない、と言う意味であります。逆に後者は、たとえ一時的に繁栄したとしても、しっかりとした元がないものは、たとえば大雨が降ったあとの水たまりのように、すぐになくなってしまうという意味であります。
 この譬えを宗門と学会にあてはめれば、宗門は七百年の伝統を持ち、その根本において、大聖人様からの法脈を正しく伝授してきました。日蓮正宗は、下種仏法の元から存在した教団なのです。また、これからも、その意義を受けて法を正しく広めようとする宗団であります。
 これにたいして創価学会は、本来は日蓮正宗の法燈を護るべき団体であるのに、今日では誹謗・中傷を繰り返して、日蓮正宗を口汚くののしるような存在になり下がってしまった。本来の正宗信徒の立場から離れて、非常にゆがめられた存在になってしまいました。元のないところでは、やはり、本当の仏法の功徳はありません。
 創価学会の皆様は、過去世の尊い宿縁によって今世に尊い生を受け、受けがたいご本尊を拝する功徳にも恵まれたのです。
 心地観経に、「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」
 とありますように、誰しも過去、現在、未来の三世の生命をもって今世に生活をしているのです。今生の日々の生活は過去世の業因の現われであると同時に、未来世の生活の結果を生む大事な因を積いるのです。  それを考えると、今こそあらゆる膀法の悪を止めて、正直に本門戒壇の大御本尊を拝することが肝要なのです。
 大聖人様が「仏法は体のごとし世間は影のごとし体曲がれば影ななめなり」と仰せのように、池田さんや学会首脳の信心姿勢が、日蓮正宗本来のあり方から大きく逸脱しているのですから、それに従っていけば、世間法である生活が曲がってくることは当然です。どうか皆様には、正直な信心に住し、成仏の境涯を磐石に築かれるよう念じてやみません。

                    

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