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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

日興遺誡置文(現代語)

 日興遺誡置文
                              御書 1883頁
                      (サブタイトルは編集者が設定しました)


はじめに
 さてよく考えてみると、末法に弘通される太陽のごとき仏法は極悪の謗法の闇を照らし、久遠寿量の南無妙法蓮華経という妙なる風は釈尊が伽耶城(がやじょう)の近くにおいて始めて覚りを成じたという権教を吹き払った。
 ああ、この仏法に巡り合うことは、まれなことであり、優曇華(うどんげ)の花の咲くことに譬えられ、また、一眼(いちげん)の亀が浮木の穴にあうことに譬えられる。それでも足りないぐらいである。
 ここに我等は、宿縁が深く厚いことから、幸いにもこの経に巡り合うことができた。
 従って後代の門下のために、箇条書きにして一つ一つの項目を書き遺したのは、ひとえに広宣流布せよとの日蓮大聖人の御言葉を仰ぐためである。

第1 五一相対(ごいちそうたい)を示して訓戒する
一、日興門流が立てている(富士の)教義は、いささかも先師・日蓮大聖人の御化導に相違していないこと。
一、五老僧の立てた教義は、一つ一つ先師・日蓮大聖人の御化導に相違していること。
一、日蓮大聖人の御書を、いずれも偽書であるとして、日興門流を誹謗する者があるであろう。もしそのような悪侶が出現したら、親しみ近づいてはならない。
一、偽書を造って御書と称し、本門・迹門は一致であるとして修行をする者は師子身中の虫であると心得るべきである。
一、謗法を呵り責めることもなく、遊び戯(たわむれ)れ雑談等を習慣とすることなく、並びに外道の書物や歌道を好んではならない。
一、檀信徒の神社・仏閣への参詣を禁ずるべきである。まして、僧侶の身でありながら、一見と称して謗法を犯し悪鬼が乱入している神社に行ってよいはずがない。(そのような僧侶がいることは)返す返すも残念なことである。これは、全く私が勝手に言っているのではない。経文や御書などを読めば明らかなことである。

第2 門下に行学二道の精進を促す
一、才能のある弟子においては、師匠に仕えるための諸(もろもろ)の用事を免除し、御書をはじめとして仏法のさまざまな教えを学ばせるべきである。
一、(仏法の)学問がまだ完成していないのに、名聞(みょうもん)や名利(みょうり)を考える大衆は、私(日興上人)の門下ではない。
一、 私(日興上人)の後代の あとに従う人々は、仏法の権教と実教の勝劣を知らない間は、父母や師匠の恩を振り捨てて、生死の苦しみから出て仏道を証得するために、この寺に登って学問をすべきである。
一、大聖人の正法を会得せずして、天台の法門を学んではならない。
一、教えによってあらわされる理法や物事の道理を徹底して見極めることなくして、天台の法門を学んではならない。
一、日興門流においては御書を心肝(しんかん)に染め、極理(ごくり)を師から受け伝えて、その上で、もし暇(いとま)があるならば、天台の法門を聞くべきである。
一、(仏法についての)論議や(正法の)講義、説法を好むべきであり、それ以外のものを混同してはならない。
一、広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、おのおのの力に随(したが)って妙法を弘通すべきである。

第3 仏法護持の根本精神を示す
一、我が身のことより法を重く考えて修行している者に対しては、たとえ下劣の法師であっても「当(まさ)に仏を敬う如くにすべきである」との道理に従って、その人を信じ敬うべきである。
一、妙法を弘める法師は、たとえ身分の低い者であっても、(修行を積んだ)老僧のように思って敬うべきである。
一、たとえ位の低い者であっても、自分より智慧がすぐれている人を尊敬し、師匠とするべきである。
一、たとえ、時の貫首(一宗の法主)であっても、仏法と異なる勝手な自説を立てた場合には、これを用いてはならない。
一、たとえ宗内の多数で議決したことであっても、仏法と相違があるならば、貫首はこれを打ち砕くべきである。

第4 門流の化儀を示す
一、墨染めの衣の色を黒くしてはならない。
一、褊衫(へんさん)という短衣の上着と裙子(くんす)という下裳を直接縫い合わせた法衣である直綴(じきとつ)を着てはならない。
一、謗法の者と同座してはならない。与同罪(よどうざい)になることを恐れるべきである。
一、謗法の者から供養を受けてはならない。
一、刀や杖等の武器を持つことは、仏法を守るためであれば許される。ただし、仏前に出る時には、身に付けてはならない。もし、中間という寺院で召し使われた一般の衆僧等の場合は帯刀を許してもよいのではないか。
一、たとえ若い僧侶であっても、位の高い檀那より下の座に配置してはならない。
一、先師・日蓮大聖人のように、私(日興上人)の門下の振る舞いも聖僧であるべきである。ただし時の貫首や習学中の僧などが、一時的に女犯したとしても、平僧にしてとどめておくべきである。
一、難問答に巧みな仏道修行者に対しては、先師・大聖人がなされたように、尊重するべきである。

第5 二十六箇条厳守を遺誡する
 右の条目は、大略以上のようであるが、未来永劫にわたり、一切衆生を救い護るために、二十六か条を定め置くのである。
 後代の僧侶はあえて疑惑を生ずることがあってはならない。このうち一か条でも犯す者は、日興の門流ではない。
 よって定めるところの条目は以上の通りである。
      元弘三年酉癸(みずのととり)正月十三日 
                                日興 判


 
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