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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

如説修行抄(現代語)

                        文永10年5月 52歳
如説修行抄

第一 行者が難に遭う道理を明かす

 そもそも考えてみるに、この末法に三大秘法の南無妙法蓮華経が流布する時、生をこの日本国に受け、この経を信ずる人には「末法においては、釈迦如来在世に比べて、なお怨嫉が多いであろう」と法華経法師品第十に予言されている。
 その理由は、釈尊在世の時は、一切衆生を化導し救済したのは、釈尊という立派な仏であった。しかも弟子たちは大菩薩や小乗教の悟りを得た阿羅漢であった。また人界、天界の人々、四衆・八部・人非人たちであっても、釈尊は、長い間、機根を整えてから法華経を説法したのである。
 しかし、それにもかかわらず、なお怨嫉の難が多かったのである。ましてや末法の今の時は、宗教の五箇からみて、南無妙法蓮華経という教えが打ち立てられ、衆生はそれを求める機根となり、正法流布の時が来ているとはいっても、その法を説く師をみれば、外見は凡師である。
 そのもとに集まった弟子たちもまた、大集経にあるように、闘諍堅固・白法隠没の時代を反映した貪瞋癡の三毒強盛な末法濁悪の衆生なのである。その故に、善師たる日蓮から離れて、諸宗の悪師に親しみ近づくのである。
 したがって真実の法華経を、仏の説の如く修行していく行者の弟子檀那に三類の敵人が出現するのは当たり前のことである。

第二 弟子檀那に教えいましめる

 そのゆえ「この大法を聞いた日から、覚悟を決めなさい。末法には在世以上に三類の敵人がはなはだしく現れるのである」とかねがね言ってきたのに、わが弟子檀那の中に、そう聞いてはいても、いざ大小の難が出現すると、今初めて聞いたかのように驚き肝をつぶして、信心を破る者がいる。
難が起こるとはかねてからいっておいたことではなかったか。
 常々経文の文証を立てて、「況滅度後(きょうめつどご)・況滅度後」と、朝夕に教えてきたことはこうした時のためであった。
 日蓮が、安房(千葉県)の清澄寺(きよすみでら)を、また以前に住んでいた松葉が谷を追われたり、小松原の法難で傷を受けたり、また幕府のとがめを受けて、伊豆や佐渡の遠国に二度も流罪にあったりしたのを、見たり聞いたりしたとしても、それらは前々からわかっていたことであり、今さらあらためて驚くべきことではないではないか。

第三 難に遭うことで法華経の行者であることを明かす

 問うていうに、仏の説の如く修行する行者は、薬草喩(やくそうゆ)品にあるように「現世安穏」であるはずである。どうして三類の強敵が盛んに出てくるのであろうか。
 答えていうに、過去の法華経の行者の例を見れば、釈尊は法華経を説いたために「九横の大難」にあわれている。また過去の不軽菩薩は、法華経を説いたために杖木(じょうもく)で打たれ、瓦や石を投げつけられた。竺の道生は、正法弘通のために大衆にあだまれて呉の国の蘇山(そざん)に流され、宋代(そうだい)の法道三蔵は、仏法を護るために国王を諌めて、顔に火印(かなやき)を押された。また、中インドの師子尊者は檀弥羅王(だんみらおう)に首をはねられ、天台大師は、南三北七の諸師にあだまれ、わが国の伝教大師は南郡六宗の人々に憎まれた。
 これらの仏菩薩、大聖等は法華経の行者としてこのような大難にあわれたのである。これらの人々を、如説修行の行者といわなければ、いったいどこに如説修行の行者をたずねたらよいのであろうか。
 しかも今末法というこの時代は、闘諍(とうじょう)の絶え間ない時代であり、釈尊の教えの力もなくなったうえに、世はすべて悪国・悪王・悪臣・悪民だけになって、皆、正法に背き、邪法・邪師を崇(とうと)び重んじているために、国土には悪魔・鬼神が乱入して、三災・七難が盛んに起こっている。このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのであるから、たいへんな時に生まれたのである。
 だが法王釈尊の命令に背くわけにはいかないので、一身を経文に任せて、あえて権教と実教との戦いを起こし、どんな難にも耐えて、一切衆生を救うという忍辱(にんにく)の鎧を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提(ひっさ)げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗をかかげ、未顕真実(みけんしんじつ)の弓を張り、正直捨権(しょうじきしゃごん)の矢をつがえて、大白牛車(だいびゃくごしゃ)に打ち乗って、権門(ごんもん)をかっぱと破り、あちらへ押しかけこちらに押しよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人をせめ立てたところ、ある者は逃げ、ある者は引き退き、あるいは日蓮に生け取られた者は、わが弟子となった。このように何度もせめ返したり、せめ落としたりはしたが、権教の敵は多勢である。法王の一人は無勢であるから、今にいたるまで戦いはやむことがない。

第四 現世安穏が間違いないことを明かす

 しかし法華経は折伏であって、どこまでも権教の理を破折していくという金言であるから、最後には、権教権門を信じている者を、一人も残さず折伏して、法王の家人となし、天下万民、すべての人々が一仏乗に帰して三大秘法の南無妙法蓮華経が独り繁唱する時になり、またすべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えていくならば、吹く風は穏やかに枝をならすこともなく、降る雨も壤(つちくれ)を砕かないで、しかも世は羲農(ぎのう)の世のような理想社会となり、今生には不詳の災難を払い、人々は長生きできる方法を得る。
 人も法も共に、不老不死であるという道理が実現するその時を、みんなが見てご覧なさい。その時こそ「現世安穏(げんせあんのん)」という証文が事実となって現われることに、いささかの疑いもないのである。

第五 如説修行の相を明かす

 問うていうに、如説修行の行者というのは、どのように信ずる人をいうのであろうか。
 答えていうに、今の世の日本国の人々がみんな如説修行の人といっているのは、爾前に説かれた権教も、皆、一仏乗と開会(かいえ)してしまえば、どの法でもすべて法華経であって、もはや勝劣・浅深はない。したがって念仏を唱えるのも、真言を持つことも、禅を修行するのも、総じては一切の諸経ならびに仏菩薩の名号(みょうごう)を持(たも)って唱えることも、すべて法華経を持つことになるのだと信ずるのが如説修行の人であるといっている。
 私に言わせれば、それはまったく違っている。所詮、仏法を修行するについては、人の言を用うべきではない。ただ仰いで仏の金言だけを守るべきである。われらが根本の師と仰ぐ釈迦如来は、成道のはじめから衆生を救う最高の法である法華経を説こうと考えておられたが、衆生の機根がまだそこまで熟していなかったので、まず権(かり)の教えである方便の経を、四十余年間説法して、それから後に真実である法華経を説かれたのである。
 だからこの法華経の序分である無量義経で、権教と実教の境界を指し示し、法華経以前を方便、以後を真実と立て分けられたのである。
 いわゆる無量義経にあるように、大荘厳等の八万の菩薩たちが、釈尊が法華経を説く準備として権教を説き(為実施権 いじつせごん)権教を開いて実教を顕わし(開権顕実 かいごんけんじつ)そして権教を廃し、実教を立てたこと(廃権立実 はいごんりゅうじつ)の由来を知って領解(りょうげ)の言葉を述べ、「法華経以前の歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)の諸経では、終に無上菩提(むじょうぼだい)を成ずることができなかった」と断言したのである。
 しかして後に正宗分である法華経(方便品)に至って「世尊は法久しくして後、要(かなら)ず当(まさ)に真実を説きたもうべし」と説いたのをはじめ、「二無く亦三無し、仏の方便の説をば除く」「正直に方便を捨て」、譬喩品に「乃至余経の一偈をも受けざれ」と戒(いまし)められたのである。
 このように仏が定められた後は、唯有(ゆいう)一仏乗の妙法だけが一切衆生を仏にする大法であって、法華経以外の諸経は、少しの功徳もあるはずがないのに、末法の今の学者は、どの経でも仏の説教なのだからすべて成仏できるのだと思って、あるいは禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗・諸経を勝手に信仰している。
 このような人をば、譬喩品で「若し人、信せずして此の経を毀謗(きぼう)せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至(ないし)、其(そ)の人命終(みょうじゅう)して、阿鼻獄に入らん」と決定しておられるのである。このように約束された経文の明鏡を根本として、仏説と少しもたがうことなく、一乗の法が成仏の法であると信じて進むのが、如説修行の行者であると、仏は定められたのである。

第六 末法における如説修行を別の視点から明かす

 これに対して難じていわく、そのように方便権教である諸経諸仏を信ずるのを指して法華経というならば、それはたしかに間違いないであろう。それならばただ法華経一経だけに限って、経文どおり受持、読、誦、解説、書写等の五種の妙行に励んで、他を批判せず、この安楽行品のように修行するものは、如説修行の行者といわれないのだろうか。
 答えていうに、およそ仏道修行をする者は、摂受(しょうじゅ)・折伏の二つの修行法を知るべきである。一切の経論も、摂折二門を出ることはないのである。こうしてみると国中の多くの学者は仏法をだいたい学んだというけれども、時節に合致する肝心な修行の道を知っていない。譬えていえば、年の四節や春夏秋冬の四季も、その都度働きが変わるのである。つまりは夏は暑く冬は寒く、春は花が咲き、秋には菓(このみ)がなるのである。だから、その季節の働きに合わせて春に種子(たね)をまき、秋に菓を取るべきである。それを逆にして、秋に種子をまき、春に菓を取ろうとするならば、どうして取ることができようか。極寒の時には厚い着物は役に立つ、極熱の夏には何の必要があろうか。また涼風は夏には必要であるが、冬は何の役に立つであろうか。
 仏法もまたこのようなものである。小乗教が流布して功徳のある時もあり、権大乗教が広まって功徳のある時もあり、実教である法華経が広まって成仏できる時もある。しかし正法と像法の二千年間は、小乗教や権大乗教が流布する時である。釈尊滅後二千年を過ぎて、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経だけが広宣流布していく時なのである。この時は淨(あらそ)いが絶えない、すなわち、闘諍堅固の時であり、しかも釈尊の白法が隠れ、没する時と定められていて、権教と実教とが雑(まじり)り入り乱れて、はっきりしなくなる時である。敵があって戦わなければならない時には刀や杖や弓箭(ゆみや)を持って戦うべきである。敵のない時ならば、こうした武器が何の役に立つだろうか。
 今、末法においては、権教が即実教・正法の敵となっているのである。一乗の法である法華経が流布されていくべき時には権教が敵となって、権実の区別がはっきりしないならば、実教の立場からこれを責めるべきである。これを摂受・折伏二門のなかでは、法華経の折伏というのである。
 天台大師が法華玄義巻九の上に「法華は折伏にして、権門の理を破す」といっているのは、まことに理由のあることである。そうであるのに摂受である身、口、意、誓願の四安楽行の修行を、今の時に行ずるならば、それは冬に種子をまいて春に菓を取ろうとするようなものではないか。鶏が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵(よい)に鳴くのは物怪(もっけ)である。権教と実教との立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れて山林の中にとじこもって摂受を修行するのは、まさしく法華経修行の時を失った物怪ではないか。

第七 日蓮大聖人こそ如説修行の人であることを明かす

 そうであるならば、末法である現在、法華経の折伏の修行を、いったい誰が経文どおりに実践しているだろうか。誰でもいい、諸経は無得道であり、堕地獄の根源であり、ただ法華経だけが成仏の教えであると声を大にして主張し貫いて、諸宗の人々を、またその教法を、折伏してみられるがよい。三類の強敵が競い起こってくることは間違いない。われら本師である釈迦如来は、随自意の法華経を説いた在世八年の間折伏をなされ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年の間折伏なされた。今また日蓮は二十余年の間、権教の邪義を破折してきた。その間に受けた大難は数えることができないくらいである。これは釈尊の九横の大難におよぶかおよばないかは論じられないが、像法時代の天台や伝教でさえも法華経のために日蓮ほどの大難にはあっていない。彼らはただ悪口されたり怨嫉されたりしただけである。
 日蓮は二度幕府の御勘気をうけ、遠国に流罪され、また竜の口法難では首の座にすえられ、小松原では頭に傷をうけた。そのほか悪口されたり、弟子等を流罪にされたり、牢に入れられたり、また日蓮門下の檀那はその所領をとりあげられて領内から追放されたりしている。
 こうした大難には竜樹・天台・伝教の難といえどもどうして及ぶはずがあろうか。したがって如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ず競い起こると知って覚悟を決めることである。ゆえに釈尊の滅後から二千余年の間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておいて、末法に入ってからは日蓮とその弟子檀那がその行者である。
 われらを如説修行の者であるといわなければ、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の行者ではなくなってしまう。謗法の提婆(だいば)・瞿伽利(くぎゃり)・善星(ぜんしょう)・弘法(こうぼう)・慈覚(じかく)・智証(ちしょう)・善導(ぜんどう)・法然・良観房等が法華経の行者といわれ、釈尊・天台・伝教・日蓮とその弟子檀那等は、逆に念仏・真言・禅・律等の行者ということになってしまうであろう。
 そして法華経が方便権教の教えであるといわれ、念仏等の多くの経々がかえって成仏の教えである法華経となるという、逆の関係になるのである。こうしたことはたとえ東が西となり西が東となることがあっても、大地がその上に繁茂(はんも)する草木と共に飛び上がって天となり、天の日月・星宿が共に落ち下って大地となる等のことがあったとしても提婆達多等が法華経の行者となり、爾前経が法華経となるなどということはあろうはずがないのである。

第八 善に向かうようにすすめ、悪に陥らないよういましめる

 哀れなことかな、今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっっている有様(ありさま)を見て、悦(よろこ)んで嘲笑(ちょうしょう)していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上とは世の常の習いである。いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が、朝の太陽にあって消えてしまうように、わずかの間の辛抱ではないか、そしてついに仏果に叶って、寂光の本土に住んで自受法楽する時に、今度は反対に、今まで笑ってきた謗法の者が、阿鼻地獄の底に沈んで大苦に値うのである。そのとき、われらはその姿をどんなにか可哀想に思うことだろう。
 いかに三類の強敵が重なろうとも、決して退転することなく、恐れる心をもつようなことがあってはならない。迫害を受けて、たとえ頸(くび)を鋸(のこぎり)で引き切られようとも、胴をひしや鉾(ほこ)でつきさされ、足にはほだしを打って、そのうえ錐(きり)でもまれたとしても、命の続いているかぎりは、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱えとおして死んでいくならば、釈迦・多宝・それに十方の諸仏が、霊山会上(りょうぜんえじょう)で約束があったとおりに、ただちに飛んで来て、手を取って肩にかきえ、霊山にたちまち連れていって下さるのであり、薬王菩薩と勇勢(ゆぜ)菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、それから十羅刹女等が、妙法受持の者をかばい護り、諸天善神は天蓋(てんがい)を指し旗をかかげてわれわれを守護して、たしかに常寂光土の仏国土に、送りとどけて下さるのである。なんとうれしいことではないか。

末文

        文永十年 癸酉(みずのととり)五月 日       日蓮  在御判
   人々御中へ
  この如説修行抄を常に身辺から離さずにみられるがよい。


 
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