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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

臨終用心抄(現代語)

日寛があれこれ記した。
臨終用心抄
一、御書(祖判32 11:日女御前御返事)に仰せである。そもそも思うに、日蓮は幼い時より仏法を学んだが、思うことは人の生命は定めなきものである。息を吐いて吸うあいだに死んでしまう。風の前の燈火のようなもので、譬えでなく真実である。賢い人もはかない人も、年老いた人も若い人も、いつ死ぬか決まっていない。そうであれば、まず臨終のことを習学してその後に他の学問を修学すべきである。

一、臨終の事を属絋(ぞっこう)の時ということ。
身延派日重が書いた見聞愚案記(2 6)に書かれている。臨終の事を「属絋之期」というのはわた(綿)に由来している。臨終のとき、息が絶えたことを見極めるため、摘んだ綿を鼻や口に当てて揺らがないことで死亡を確認したことから、このようにいわれた。

一、多念の臨終、刹那の臨終ということ。
見聞愚案記(2 8)に書かれている。「多念の臨終」というのは、臨終は今日、唯今であると心がけて常に題目を唱えることである。次に「刹那の臨終」というのは、最後臨終のときである。これが最も肝心である。臨終のときの一念は多年にわたる普段からの行為によるのであり、絶えざる心がけが大切である。木が倒れる時には、必ずその木が傾いている方向に倒れるようなものである。臨終にその結果をうけるのであるから、強く牽くべきであるという文である。(弘一中44)多念も刹那もともに具えていることが肝要である。

一、臨終の時、心が乱れる三つの原因があること。
(1)断末魔(だんまつま)の苦しみのため 断末魔の風が体中におきるとき、骨と肉が離れる。正法念経には、命が尽きるとき風が皆動く、1000の鋭(するど)い刀で身を刺すようなものであると説かれている。このことを知ることは、仏の16分の1にも及ばない。(「於十六分中 猶尚不及一」雑阿含経や大智度論釋初品中舍利弗因緣第16などにある。一切衆生の智は舎利弗であっても仏の16分の1にも及ばないこと)もし、善業 があれば、苦悩は多くはない。インドの衆顕という人が書いた顕宗論(けんしゅうろん)に、他人を謗ることを好み、真実・不真実にかかわらず、人の心を傷つける者は、風刀の苦しみをうける、とある。

(2)魔の所以。
無住道暁が編纂した沙石集(4 23)に書かれている。 ある山寺の法師が世におちて女人と一緒に住んでいた。この法師が長く病に伏して、妻から看病を受けていた。心安らかに臨終を迎えようと思い、元々道心があって念仏を唱えていた者であったので、最後を知り端座合唱して西方に向かって念仏を唱えたが、この時妻が「私を捨ててどこにいくの。ああ、悲しい。」と首に抱きついて引き倒した。法師は「なんと情けない。心安く臨終させよ」と立ち上がって念仏を唱えようとすると又、妻が首について、引き倒された。これは魔障のなせること。また、志がある僧は、妻と一緒に庵室にこもり、妻にわからないように持仏堂に入って端座してめでたく死ぬことができた。その後、妻が見つけて「なんと口惜しい。拘留孫仏(過去七仏の第四仏)の時から付き添ってとった物を逃がしてしまった」と怖ろしい形相で手を打って飛び消えた。爾前権門の行者でさえ、このように魔が働いて心安く臨終を迎えるのを妨げる。況や本門寿量文底の行者においては魔障がある。それは、必ず生死を離れることができる故である。

(3)妻子や家来の嘆きの声や財産に執着するため 。
陳実が編纂した大蔵一覧(5 15)、沙石集(4 26)に書かれている。一生五戒を持った優婆塞が臨終のとき、妻をあわれむ愛執があったので、後に妻の鼻の中の虫に生まれた。このことは聖者に会って知ったことである。 空過致悔集(身延日重:下の9)に書かれている。
鎌倉時代の京都廬山寺の明道(みょうどう)上人は三大部の抄に執着があったので、聖教のうえに小蛇となっていた。また、ある長者は金の釜を持っていたが、臨終に惜しいと思ったので、その後、大蛇となってこの釜のまわりでとぐろをまいた。
虎関師錬が書いた元亨釈書(19 13)に引用されている。
ある律師は天井に銭20貫文を持っていて臨終に思出して、蛇となってその銭の中に住むとある。檀徒の夢にでて、「この銭を三宝へ供養すべし」と告げた。夢のとおりその銭の中に小蛇がいた。哀れに思って法華経を書いて供養したところ、後に夢の中で悟りを得た。
そうであれば、臨終の時には、妻子や心残りな財宝を見せてはならない。花を愛する者は蝶に生まれ、鳥を愛する者は畜生に生まれる。
本朝語園(孤山居士:488 28)。元亨釈書(19 14)。

(1)断末魔(だんまつま)の時、心が乱れないようにするためにどう用心すればよいか。
平生から覚悟しておくべきである。
一つには、顕宗論の意になぞらえていえば、他人を謗(そし)ってはいけない 、人心を傷切(しょうせつ)してはいけない。常日頃(つねひごろ)の用心が必要である。
二つには、法華玄義(4 23)に書いてある。
この身はもともと「有(う)」だった訳ではなく、先世からの妄想で現在の四天(地水火風)を構成している。虚空を囲(かこ)むのを仮に名付けて「身」となしている。 柴を集めて結べば庵になり、紐をとけばもとの柴の野原になる。
 水は水、火の本質は火に帰するを思うこと。そうであれば、「水と水」とは、水は本の水という意味である。すなわち先世からの妄想である。
集められる物は地水火風の四大である。死んでも心法に妄想の足の緒がついてまた結び合わせて身を受けるのである。これを十二因縁の流転というのである。
この身は「地」「水」「火」「風」の四大からなっている姿は、堅湿煙動の性質を示しているが、骨肉の固まっているのは「地大」であり、身に水分が潤っているのは「水大」であり、この身が温かいのは「火大」であり、動くのは「風大」である。
この四つが虚空を囲んでいるのがこの身である。板や柱を集めて家を作って いるようなものである。
死後に体が冷えるのは「火大」が去るから、遺体をそのままにしていると腐るのは「地大」が去るから、切っても血が出ないのは「水大」が去るから、動かないのは「風大」が去るからである。 死ぬときの苦しみは家を槌(つち)にて壊すように、四大の木材を一つ一つ取り離すようなものであるため、苦しむのである。
断末魔とはこれをいう。この離散の五陰(色受想行識)というように離散の四大である。そうであれば、読むことは苦である。はっと気が付いたところである。わかれば本の野原とよまるも理解が離散することは本のというのが法界の四大に帰ったことである。
このように、この身の四大が離散して、もとの法界の四大に帰ると覚悟すれば、驚くことはない。驚くことがなければ心が乱れるようなことはない。

三つには、常に御本尊とこの身が一体と思って唱題に励むべきである。御書(14 47:三世諸仏総勘文教相廃立)まことに己心(こしん)と仏心が一心であると悟れば臨終を妨(さまた)げる悪業もあらず、生死に留まるべき妄念(もうねん)もない。また、(23 37:如説修行抄)に、たとえ首をのこぎりで引き切り(中略)霊山へ走ってくださる。金山(2末32)

(2)魔の所為に対して、どう用心すればよいか。
答えるに、平生覚悟あるべきである。黄檗禅師の伝心法要に述べる。臨終の時、もし諸仏が来て種々の善相があっても随喜してはいけない。もし、諸悪が現じて、種々の相があっても恐怖と畏れの心を生じてはいけない。心をなくして完全であるべきである。これが臨終の要(かなめ)である。随喜怖畏の心をなくして、ただ妙法を唱えるべきである。 一休禅師の弟子で、禅を学んだ武士蜷川新左衛門が臨終のとき、阿弥陀仏・観世音菩薩・勢至菩薩の三尊が来迎したのを見て弓を持ってきてこれを射ると、庭に落ちたが、確かめると古狸が死んでいた。これを思うべきである。御書(28 32:治病大小権実違目)にある。摩訶止観に、三障四魔というのは、権教を行ずる修行者を障るのではない。今日蓮が時、具さに起こる。臨終の時まで心得えるべきであるという文である。

(3)妻子財宝に対してどう用心すればよいか
答えるに、白居易(中唐の詩人:楽天はあざな)が、「筋肉や骸骨はもともと実がない。一束の芭蕉草と同じで、眷属がたまたま相寄っている。一晩の林の中の鳥の声を聞く」と詠んだものである。
3・4の句は心地観経の心である。かの第3に宿る鳥も夜明け頃(平坦)に分かれて飛んでいく。命が終わって別離することもまたこのようなものである。
大蔵一覧集(5 24)、五無反復経、沙石集(7 9)に書かれている。
昔、仏法を求める修行者がいた。山中を行く時、2人の農夫がいた。一人は臥しており、一人は畑を作っている。父子だろうと立ち寄ってみれば、その子が毒蛇にかまれてすでに死んでいた。しかし、父は嘆く様子もなく修行者に言った。そこの道をいくと家がある。これは自分の家だ。そこから食事を持ってこい。今しがた子供がにわかに死んだ。一人分の食事を持ってきてと言って食べ、修行者が言うには、父子の別れは悲しいもの、どうして嘆く様子がないのかと問うた。答えて言うに、親子はわずかの契りである。鳥が夜に林に寄り合って、夜が明ければ方々に飛び去るようなものである。皆、業に任せて別れるのであり、どうして嘆く必要があろうか。さて道人がその家に行ってみると、女が食べ物を持って門のところに出ていた。事の次第を語ると、「それでは一人分の食事が不要になった。」家の中に老女がいた。僧が「死んだのはあなたの子か」と聞いた。老女は「そうじゃ」と言った。我が子が死んだことを聞いても嘆く色を見せなかった。そこで修行者はなぜ嘆かないのか尋ねたところ、老女いわく「母子の契(ちぎ)りは、渡し船に 乗り合うようなものである。岸に着けば散々になるようなものである。各業に任せて行くのである」とのこと。
またこの女性に死んだ者との関係を尋ねると、自分の男であると答えた。どうして嘆かないのか。なにゆえに嘆く必要があろうか。修業者の同じ尋ねに対し、妻は「夫婦の仲は市場に行き合う人のようなものである。用事がすめば方々へ散るようなものである。」と答えた。このとき修行者は万法の因縁は仮のことだと悟った。
又、財宝のことは、在家出家ともに、生きているうちに遺言して書き置くべきである。そうであるならば、在家は財宝に執着し、こうしよう、ああしようと思って心が乱れる。出家は袈裟・衣・聖教など、あの人に譲ろうかこの人に譲ろうと思って、心が乱れる。よって確かに書き記すべきである。これらの妄念があってはならない。したがって、ただ死後のことだけを心掛けることが肝心である。

見聞愚案記(2 8)、沙石集(9 12) 経典に書いてある。
妻子、珍宝、及び王位は臨終に臨むときは随わない。ただ、戒律及び布施と不放逸(精進を怠らないこと)は後世の伴侶となるのである。
人王65代天皇華山(かざん)院は、小野の宮殿の御女、弘徽殿(こきでん)の女御である藤原忯子が先に死んで自分が残されたことを悔やまれ、世の中は心細いものだと思われたころに、粟田の関白でまだ殿上人だった藤原道兼が、扇にこの文を書いてあるのをご覧になられて心を決め、世にある楽しみは夢幻(ゆめまぼろし)である。国の要職も役に立たない。天子の位を捨てて、仏門にお入りになられた。すでに、内裏を出られたとき、寛和2年6月23日の月が明るくさすがに名残惜しかったのか、村雲に月がかかったので、私の願いがすでにかなったと言って貞視殿の高妻戸(両開きの戸)よりお降りになられた。それよりその妻戸を打ちつけられる滅多にないご発心である。お聞きするもなんと悲しいことでございます。常にこの経文を信受すれば執着心があろうか。執着心がなければ心が乱れることはない。臨終のことは常々頼んでおくべきである。見聞愚案記(2 8)
常に臨終を心にかけておくことが肝心である。在家は妻子または帰依している僧によく言っておき、臨終だと思えばよく臨終を勧めてくれるようにと、出家は弟子等または善知識と思われる人に常に頼み約束しておくべきである。
多くの人は、死期が迫ったとき本当のことをいうと、本人が気力を落とすと思って、死期を考えさせないようにすることがあるが、いわれのないことである。もし、弱ってきたら、一日二日、一時二時でも早く臨終を迎えることが大事だと思って、臨終を勧める人が大善 知識なのである。
少々経を読む者が祈祷だと言って、病人に唱題を勧めるのが祈祷になるというのは全くの愚かのいたりである。 臨終を勧めることが肝心である。 空過致悔集(下8)に述べる。臨終は、勧める人が肝要である。例えば、牧場の馬を取るには、必ず乗って取るのである。乗るときは、必ずうつむいて乗らなければ落馬してしまう。ちゃんと うつ向いて乗ろうと思っていても、いざという時、うつ向くことを忘れてしまうが、側から助言すれば、うつ向いて馬を取ることができる。このように、病気死期に責められて臨終のことを忘れてしまうのを、側から勧めることが肝心なのである。その勧めかたは、唯(ただ)題目を唱えることである。

臨終の作法
一、臨終の作法はその場所を清浄にして、本尊を掛け、香華燈明を奉るべきこと。
一、遅からず、速からず、だだ久しくただ長く、鈴の音をたやさないこと。気(息)が尽きることをもって最期とすること。
一、世間の雑談は一切語ってはならない。
一、病人の心残りになるような事を一切語ってはならないこと。
一、看病人が腹を立てる事や貧愛(とんない:むさぼり求めること)することを語ってはならない。
一、病人が何か尋ねるようなことがあったら、心に障(さわ)らぬように答えること。
一、病人の近くに、心留まるような資財等置いてはならない。
一、ただ、病人に対して、『何事も夢なりと忘れなさい。南無妙法蓮華経と唱えましょう』と勧めることが肝心である。
一、病人の心に相違する人を、決して近づけてはならない。概ね訪ねて来る人のことを、いちいち病人に知らさないこと。
一、病人の近くには、三・四人を超えないようにすべきである。人が多ければ騒がしくて心が乱れる事がある。
一、魚鳥五辛を食べ、酒に酔った人であれば、どのように親しい人であっても門内に入れてはならない。天魔が便りを得て心乱れ、悪道に引き入れるからである。
一、家の中で魚を焼き、病人ににおいが及ばないようにすること。
一、臨終の時は喉が乾くので、清紙に水をひたして、時々少々口に当て潤すこと。誰であっても、水などと言って、あらあらしく多くしぼり入れてはならない。
一、ただ今(臨終)の時、本尊を病人の目の前に向かえ、耳のそばより『臨終は今です。大聖人がお迎えに来られました。南無妙法蓮華経と唱えなさい。』と言って、病人の息に合わせ、速からず遅からず唱題するべきである。すでに絶えきっても2時間ばかり耳へ題目を唱え入れなさい。死しても底心があり、あるいは魂が去りきれず、死骸に唱題の声を聞かせば、悪趣(あくしゅ)に生まれることはない。
一、死後の10時間も12時間も動かしてはならない。これ古人(昔の人)の深き誡(いまし)めである。
一、看病人等あらく当たってはならない。あるいは、かがめおとすことは、返す返すあってはならない。
一、断末魔という風が身中に起こる時、骨と肉が離れるのである。死苦病苦の時である。この時、指であっても当たってはならない。指一本であっても、大磐石(だいばんせき)をなげかけるように感じるのである。人目にはそれほどでないように見えるけれども、肉親(にくしん:身体)の痛みは言葉に言い表せない。一生の昵(なじ)みは、只今限りである。善知識も看病人も悲しむ心を持つべきである。疎略(おろそかな様子)の心であってはならない。古人の誡である。全体として、本尊でなければ他の物を見せてはならない。妙法でなければば他の音を聞かせてはならない。
一、臨終のとき、一念に瞋恚の心を起こし、悪趣に入ること。
一、大蔵一覧集(5 15)に述べている。阿耆陀(あぎだ)王という人は、国王で善知識であるが、臨終のとき看病人が扇を顔に落したため、瞋恚を生じて、死んで大蛇に生まれて加旋延(かせんねん)に遇って、この理由を語る。 沙石集(4 26)に引用する。私的見解だが、この出来事によって、死期に物をかける時に荒々しく掛けてはいけない。あるいはかけなくてもよい。
一、御書(18 22:日女御前御返事)に、また思いがけずに臨終などが近づいたような時は、鳥や魚を食しておられる時でも読むことができるならば経もよみ、そして南無妙法蓮華経とも唱えさせなさい。すでに思いがけない時はこれを許すことをもって知るべきである。兼ねて臨終とみればこれを食してはいけない。なお、これ臭いにおいである。どうしてすぐに食するか。

一、臨終の相によって後の生まれる所を知ること。
金山(2末 35)に諸文を引用する。後に見る。御書(32 11:妙法尼御前御返事)に仰せである。法華経に「如是相(中略)本末究竟等」とあり、大智度論には「臨終のとき色の黒い者は地獄に堕ちる」とあり、守護国界主陀羅尼経には「地獄に堕ちる臨終の相に15種の相があり、餓鬼に生ずるのに7種の相があり、畜生に生ずるのに5種の相がある」とあり、天台大師の摩訶止観には「身が黒色なのは地獄の闇に譬える」とある。(中略)天台大師は「白は天界の生命に譬える」といい、大智度論には「赤白色で端正な者は天上界に生まれる」とあり、天台大師の御臨終を記したものには「色が白かった」とあり、玄奘三蔵の御臨終を記したものには「色が白かった」とあり、釈尊一代の聖教を定めた名目に「黒業をなした者は六道に留まり、白業をなした者は四聖となる」とある。
一、他宗の信仰をしている謗法の修業者はたとえ善相であっても地獄に堕ちるべきこと。
中正論(8 60)に書かれている。たとえ 臨終正念であり、念仏を唱えて死んだとしても、法華謗法の大罪があるゆえに阿鼻地獄に入ることは疑う余地がない。
私見だが、禅宗の三階禅師は現実に声を失って死んだ。真言宗の善無畏は皮膚が黒くなり、浄土宗の善導は転倒狂乱した。他宗の開祖たちですら、すでにこのようである。まして末弟の輩はその意義を知るべきである。師匠は針のようなもの、弟子檀那は糸のようなもの。その人は命を終えて阿鼻地獄に入るというのはこのことである。
一、法華本門の行者は、善相でないけれども、成仏疑いなきこと。
一致派一音日暁が書いた安心録(あんじんろく(16)に書かれている。問う、もし臨終の時、あるいは重病により正念を失脚し、唱題することができず、空しく死亡したら、悪趣に堕ちるか。答える、ひとたび、妙法を信じて謗法せざる者は、無量億劫にも悪趣に堕ちない。涅槃経に説かれている。四依品の会疏(6 12:章安大師の涅槃経解釈)私は涅槃した後に、もしこのような大乗微妙の経典を聞くことを得て、信じて敬う心を生じることがあるとすると、まさに知るべきである。これらは未来世の百千億劫の間、悪道に堕ちない。20巻徳行品会疏(20 18)もし衆生があって一経を聞けば7劫の間、悪趣に堕ちない。(以上)涅槃経ですらこのようなのである。いわんや法華経であればなおさらである。経の力が甚深であることを仰いで信じ敬うべきである。法華経提婆達多品に説かれている。浄い心で信じ敬い、疑惑を生じない者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちず、十方の仏前に生まれる。信敬というのは、五種の妙行の中には、受持の行に当たる。いわんや行に加えて妙法を唱えればなおさらである。御書(11 初め:法華経題目抄)一生のうちに、ただの一遍の唱題ですら悪道に堕ちない。深く信受すべきである。
私見だが、妙法蓮華経第21如来神力品に説かれている。私が滅度した後において、まさにこの経を受持すべきである。この人は、仏道において信念が決まっていて疑うことはない。
一、臨終に唱題するものは、必ず成仏すること。
先ず平生からに心に懸け、造次顛沛(ぞうじてんばい:わずかな間、とっさの場合)にも最も唱題するべきである。また三宝に祈ることが肝要である。
また善知識の教え修得して、事前に死期を知り、「臨終正念証大菩提」と祈るべきである。多年の修行と功績によって、三宝の加護があって、必ず臨終正念(臨終にあたり、心が迷わないこと、邪念を起こさないこと)することができる。臨終正念ができ、妙法を口唱すれば、成仏の決定(けつじょう)は疑う余地がない。
一、伝教大師の最も大事な秘密の書である修禅寺決(4丁)にある。
臨終の一念三観(一念に空仮中の三諦が円融し相即していることを観ずる修行)は、人が臨終に断末魔の苦が速やかに来て、身体に迫る時、心や精神がマヒして、臨終の区別ができない。もし臨終の時において、出離の要法を修行しなければ、平生の習学が何の役に立つだろう。故にこの位において、法具の一心三観を修行すべきとは、即ち妙法蓮華経のことである。。臨終の時、南無妙法蓮華経と唱えたら、妙法の功徳によって速かに菩提を成じ、生死の身を受けなくてよい。これは仏力・法力・信力によるものである。
一、法華文句(4 72)に述べられる。那先比丘経(弥蘭陀王問経)に説かれている。人は死に臨み南無仏と称したなら泥梨(ないり:地獄のこと)に堕ちることを免れることができるとあるが、どういうことか。人が一つの石を水に浮かべれば、石は必ず沈むことは疑いがない。もし、百の石を船の上におけば沈むことがないようなものである。もし、すぐに死ねば、必ず泥梨(地獄)に入る。石を水の上に置くようなものである。もし、死に臨んで南無仏と唱えれば、仏力によって泥梨(地獄)に入らないようにできる。船の力のゆえに石が沈まないようなものである。種脱の違いである。
御書(5 29:撰時抄)に仰せである。提婆達多は釈尊の御身から血を出すほどの危害を加えながらも、臨終の時には「南無」と唱えた。「南無仏」といえば地獄にはおちないですんだ。
また、御書(32 12:妙法尼御前御返事)に仰せである。また、法華経の題目を臨終の時に二遍唱えたということだが、法華経の第7卷の如来神力品第21には「私の滅度の後にはこの経を受持すべきである。この人は仏道で必ず成仏することは疑いない」とある。釈尊一代の妄語の経々ですら法華経の大海に入ったときには、法華経の御力によって実語となる。ましてや法華経の題目においてはなおさらである。白粉の力は漆を変えて雪のように白くする。須弥山に近づく諸々の色は、みな金色になる。法華経の題目を持つ人は一生ないし過去遠々劫の黒業の漆が変わって白業の大善となる。ましてや無始以来の善根はみな変じて金色となる。それゆえ、故聖霊は最後臨終のときに南無妙法蓮華経と唱えられたのだから、一生ないし無始以来の悪業は変じて仏の種となる。煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏という法門はこれである。この文、法力である。                                       大智度論(24 14)
臨終の一念は、百年の修行よりすぐれている。心力が定まって猛々しいことは火や毒のようなものである。少ないといっても大事を為すことができる。人が陣に入って身命を惜しまないのを、名付けて健(勇健)というようなものである。臨終には、信力が猛々しいゆえに仏力・法力も、ともにいよいよ顕れ即身成仏するのである。たとえばよい火打と石の角とほくちと、この三つが寄り合わさって火がおきるようなものである。
御書(22 14:十如是事)(28 3:諸宗問答抄)に仰せである。仏道に入る人にも上中下の3種類の機根があるけれども、同じく一生のうちに顕すことができるのである。上根の人は聞いたその場で覚りを極めて顕すのである。中根の人は、もしは一日、もしは一月、もしは一年のうちに顕すことができる。下根の人は。仏法の理解に進展がなく、行き詰まったままであり、しかも、一生のうちに限られたことなので、臨終の時に至って、諸の見ていた夢も覚めて寤になるように、今まで見ていたところの生死・妄想の間違った考えや偏見は跡形もなくなって、本覚の寤の覚りにかえって法界を見るならば、みな寂光の極楽であって、日ごろ賎しいと思っていた我が身が、三身即一身の本覚の如来となるのである。
御書(32 22:上野殿御返事)に仰せである。日蓮の法門が道理に合わないのであれば、臨終には正念となることはない。
御書(13 28:顕立正意抄)に仰せである。私の弟子の中に信心が薄くて浅い者は、臨終の時に阿鼻地獄の相を表わすのである。そのとき、私を恨んではならない。
一、末法は本(もと)から未だ善根が無い。(11 47:法華初心成仏抄)
一、末法に入っては、釈尊在世の結縁の者一人もなく、権教や実教によって成仏する機根は一人もなくなったのである。(25 4:教行証御書)
そのほか(24)教行証御書に述べている。今、末法に入り釈尊在世の結縁の者一人もなく、権教や実教によって成仏する機根は一人もなくなったのである。この時は、末法濁悪の世であり、逆縁と謗法の者に、初めて本門如来寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経をもって成仏の下種とするのである。如来寿量品に「是の良き良薬を、今留めて此に在く」とあるのはこのことである。
私見に述べる。一つには釈尊在世からさること遠いゆえに、二つには実際に濁世の衆生であるゆえに、三つには仏はかねて本化の菩薩(地涌菩薩)をもって下種を行う導師と定められたゆえに、四つには威音王仏の像法と釈尊の末法が同じであるゆえに。以上
 臨終用心抄を終わる。
 寛延元戊辰(つちのえたつ)暦8月27日大石寺に在するときに書写し奉る。
    大日蓮華山門流優婆塞 了哲日心(曽谷教信の子息か?)
 弘化3年丙牛(ひのえうま)8月、栗木仁兵衛日敬本には題に臨終用心抄とあって、奥書きに富士日寛師説法也とあり、嘉永5年壬(みずのえ)2月中旬の広察本には日寛師の名がないが、臨終用心抄とはあった。この2本共に了哲本とは同じでない。また転写のために生じた相違ではない。あるいは聴聞者の覚書であるゆえに互いに繁簡(繁雑と簡略。事細かいことと大まかなこと。)があるのであろうか、さらにつまびらかにする。
 昭和11年10月7日朱校(ある写本をその異本と対照し、校正文を朱筆で本文の横に書込むこと。)を加へ【原本になった】終了する。
                                      日亨 在判。 


 
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