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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

元旦勤行 1月1日

 正月一日は一年中でもっとも意義の深い祝日として、古来いろいろな行事がおこなわれてきました。
日蓮大聖人は、
「五節供の次第を案ずるに、妙法蓮華経の五字の次第の祭りなり。正月は妙の一字のまつり」(334頁)とおおせられ、本宗で行われるる元旦勤行は一層深い意義をこめて御祝い申し上げる法要なのです。
 大聖人は、十字(むしもち)御書に、
「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり。」(1551頁)とおおせられて、年の始めを大切にする功徳を説かれています。

 妙霑寺では、1月1日に元旦勤行を午前0時から、初勤行を午前11時と午後2時から奉修されます。

【元日、元旦、正月の違い】
「元」は、「もと、根本、根源、物事のもととなるもの、はじめ、はじまり、最初、第一」などの意味を持つことから、その年最初の日、つまり、1月1日のことです。1月1日ですから、0時0分から23時59分の24時間のことです。
一方、元旦の「旦」は地平線の上に太陽がある状況を表す指事文字(絵としては描きにくい物事の状態を点や線の組み合わせで表した文字)で、「明け方、日の出」の意味ですので、元日の朝のことをいいます。
また、「正月」とは、本来は旧暦1月の別名ですので、一月の1ヶ月間という意味ですが、通常「三が日」または「松の内」(1月7日または15日まで)という意味で使用されています。

※「松の内」
松の内とは、門松などの正月飾りを飾っておく期間のことです。
門松は、歳神が迷うことなく家にやってくる目印として用意され、その歳神は鏡餅に宿るとされています。
そして、正月飾りを片付ける日は1月15日であり、鏡餅を食べる「鏡開き」は1月20とされていました。これは、松の内の期間には歳神が宿っているので、松の内が終わってから「鏡開き」をするという訳です。
しかし、江戸時代の徳川三代将軍家光が4月20日に亡くなり、毎月20日は家光の月命日になったことから、「月命日に鏡開きはよくない」ということになって、鏡開きを1月11日に行うことになったのですが、 この日はまだ松の内にあって、今度は「松の内に歳神がいるのに鏡開きをするのは好ましくない」ということになり、1662年に徳川幕府が「1月7日をもって飾り納め」というおふれを出しました。
これは関東方面では周知できたのですが、関西方面には十分に伝わらず、それまでどおりの1月15日までとなったとされています。
また、正月は、暦の上での新年を迎える行事をいい、年越し、年取りともいいます。大晦日から元日にかけての行事が中心になるのですが、当初は12月の中旬から1月下旬まで続く行事でした。
もともと神道において、正月には各自の家に祖先の神が帰って来るという信仰がありました。祖先の神は、先祖の集合霊であり、それを正月さま、歳神(としがみ)、歳徳神(としとくがみ)と呼んでいました。
この歳神を迎えて家を祭場にする準備をするのが「御事始め」で、上方では12月13日でした。これを煤(すす)払いともいいましたが、家長はこの日から精進潔斎に入りました。
門松もこの日から立てたのですが、門松は帰って来る歳神の依り代(しろ)とされました。昔は、一日の始まりは夕方でしたから、正月の行事も大晦日の夕方に始まりました。
したがって、現在は年越しそばとなって残っていますが、昔は12月31日の夕食が正月の最初の食事でした。1月1日に食べる雑煮は、歳神に供えた食品を下げてごった煮にして、神と人とが一緒に食事をする「直会(なおらい)」の一種でした。
また、正月には親族の全員が揃って歳神と一緒に食べることに意義があり、そのため遠く離れた子や孫が親元に帰って来る時、食品を持って帰っていました。
その風習が現在の歳暮になったのです。  

 
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