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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

節分会 2月3日  (YouTubeへ

【節分は年の変わり目】
 もともと節分は、立春、立夏、立秋、立冬の前日をいい、年に四回ありましたが、立春の前日だけを『節分』というようになったのは、昔の暦で年の変わり目の重要な日にあたっていたからです。今は、立春を「国立天文台の観測によって太陽黄経が315度になった瞬間が属する日」とされていますので、立春が動けばその前日の節分も変わります。

【節分に鬼を追い払う】
 季節の変わり目には邪気すなわち鬼が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらいの行事が執り行われていました。
 それは、宮中での年中行事であり『延喜式』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていました。「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去されていました。
 新しい年を前に、邪気を払い、厄を落とそうという中国の行事が日本に伝わり、平安時代から、立春の前日に『追儺(ついな)』の行事が始まりました。これが現在の節分の豆まきの原型となりました。

【豆まきの起こり】
 豆まきは、宇多天皇の時代に、鞍馬山の石穴から鬼が出て来て都を荒らすのを祈祷し、僧侶が鬼の穴を封じて三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたとする伝説(壒嚢鈔【あいのうしょう】)から起こっています。
 その時代からおよそ四百年後の室町時代に『豆まき』という形が現れました。『豆まき』の行い方は地方によって違いますが、大豆を日が暮れる前に炒って升に入れ仏前に供えておき、一家の主人が年男になって、通常は「鬼は外、福は内」と唱えながら、玄関からまき始めて、部屋ごとに窓や戸を開けて豆をまきます。

【日蓮正宗では「鬼は外」と言わない】
しかし、日蓮正宗では、「鬼は外、福は内」といわず、「福は内、福は内」といいます。これは御本尊ましますところには鬼はいないからだとか、御本尊に認められている鬼子母神や十羅刹女という鬼を外に追い払ってしまったら守護することができなくなってしまうからといわれています。

【豆まきの効力】
 豆には、生命力と魔除けの呪力が備わっているといわれ、または語呂合わせで豆(=魔目)を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅(まめ)」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあります。
 そして、まき終えると「一年間マメで過ごせますように」と、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数または年齢より1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないといわれています。

【豆まき以外の厄除け】
 地方によっては『豆まき』以外にひいらぎの枝にイワシの頭を剌して軒先に掛けるところもあります。これは鬼が家の中に入ろうとしても、ひいらぎの枝で目を突くからとか、イワシの赤い目を女鬼が嫌がるからといわれ、一種の魔よけのしるしです。また、『ヤンカガシ』といってにんにくや髪の毛を燃やし魔よけとするところや、切り餅を串に刺して戸や窓に挟む所もあります。

【災難を払う】
 このように、災難や不幸が起こることへの不安感が根底にあってこのような行事が生まれたのですが、その代表的なものが『厄年』でしょう。『厄』には様々な説がありますが『厄』という字は木の節のことで、木に節があると製材や加工に困ることから転じて、災いや苦しみの意味に用いられたとか、『厄』は一種の神祭りをする神役の『やく』であるとか、生命力が弱り始めたり体の変化の節目であるとかいわれています。
 『厄年』はかぞえ年で男は25歳・42歳・61歳、女は19歳・33歳・37歳といわれ、さらにその年齢の一年前を『前厄』、その年齢を『本厄』、その年齢の次の年を『後厄』といわれています。

【御書に説かれる厄】
 大聖人は『厄年』について『日限女釈迦仏供養事』に、
「今の日眼女は三十七のやく(厄)と云云。やくと申すは譬へばさい(賽)にはかど、ます(升)のはすみ(角)、人にはつぎふし(関節)、方には四維(よすみ)の如し。風は方よりふけばよはく(弱)、角より吹けばつよし。病は肉より起これば治しやすし。節(ふし)より起これば治しがたし。家にはかき(垣)なければ盗人い(入)る、人にはとが(失)あれば敵(かたき)便(たよ)りをう(受)く。やく(厄)と申すはふしぶしの如し。」         (1352頁)
と説かれています。
 さらに、その『厄年』に対処するために『太田左衛門尉御返事』に、
「災難を払はん秘法には法華経には過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな」(1224頁)
と仰せです。
 また、『法華経安楽行品第十四』にも、
「諸天昼夜に 常に法の為の故に 而も之を衛護し」   (開結462頁)
と説かれています。
 『厄年』など迷信であるとして気にしない人もいるようですが、『厄年』を契機にさらに健康や仕事などの身の回りのことに対して再点検することも油断を防ぐ意味で大切であります。
 『四条金吾殿女房御返事』に、
「三十三のやく(厄)は転じて三十三のさいはひ(幸)とならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。年はわか(若)うなり、福はかさなり候べし」      (757頁)
と説かれています。

【恵方巻き】
 恵方巻き(えほうまき)とは、節分に恵方を向いて無言で食すると縁起が良いとされる巻寿司のことです。
 そもそも「恵方」とは、吉方(えほう)兄方(えほう)とも書き明方(あきのかた)ともいいます。運勢判断において吉(きち)をもたらすとされる方角のことで、年の干支(えと)により毎年異なり,個人的には生年月日の干支によっても異なります。歳徳神(としとくじん)がその方角からくるとして,恵方棚(えほうだな)を設け吉祥を祈ったり、年の初めにあたって、その方角にある神社や寺に参拝するのを恵方参(えほうまい)りといって、朝暗いうちから出かけ、人より先に行ってお札(ふだ)を頂いて帰ってくる宗教行事です。日蓮正宗の教義からすると、明らかに謗法行為です。
 「恵方巻」を食べることは、大正時代から戦後にかけて関西で行われていた商売繁盛を祈る芸遊びが始まりです。その後、平成元年に広島市の大手コンビニ店が「大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある」と聴いて仕掛けたことから、全国へ広がったものです。

【節分会に参詣しましょう】
 総本山大石寺では節分の日に、御法主上人猊下の大導師のもと、御影堂において節分会が奉修され、読経・唱題ののち、御法主上人が御宝前にお供えされた炒り豆を「福は内」とまかれます。続いて、御助番の僧侶二名が御影堂内の内陣・外陣に豆をまきます。法要のあとには、参詣者に炒り豆・福茶・甘酒が振る舞われます。
 これにならって、全国の末寺でも節分会が奉修されます。

 
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