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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

宗祖日蓮大聖人御誕生会 2月16日

 宗祖誕生会は、御本仏日蓮大聖人の末法ご出現をお祝いし御報恩申し上げるために奉修される行事です。 『大集経(大方等大集経)』に「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固、次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固、次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とあり、人心が荒廃して濁悪の時代となってしまい、もはや釈尊の仏法では救われなくなると説かれているのです。
 この末法という時にたいして法華経では、従地湧出品第15において「我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属あり。是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く此の経を説かん。」と地涌の菩薩の存在を示し、如来神力品第21において「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅せん」と、その活動の内容を説かれています。
 この時に当って釈尊が法華経で説いた後五百歳広宣流布の金言どおり、日蓮大聖人が末法万年尽未来際までの一切衆生を救済する御本仏として日本にご誕生になったのです。すなわち、貞応元年(1222年)2月16日に貫名次郎重忠を父とし、梅菊女を母として安房の国(千葉県)長狭郡東条小湊でご誕生あそばされました。釈尊の入滅が2月15日であるのに対し、大聖人が2月16日に誕生されていることは、釈尊の仏法が滅する時に、まさに御本仏が出現されるという、まことに不可思議な因縁を示すものといえましょう。
 また大聖人のご出生については『産湯相承事』(御書・1708)に種々の不思議な瑞相が伝えられています。
「ある夜、おん母君が比叡山に腰をかけ、近江の琵琶湖の水で手を洗い、そして富士山から登った日輪を胸に懐いた夢をみました。
 不思議に思っておん父君に話したところ、父もまた不思議な夢をみたというのです。
 それは、虚空蔵菩薩が可愛らしい児を肩に乗せて現れて、『この児は上行菩薩であり、行く末は一切衆生を救う大導師となる方である。この児をあなたに授けよう。』といって消えてしまったというのです。二人は、実に不思議なことであると語り合ったのです。
 この後でおん母君は懐妊を覚えました。
 また、御誕生の日にも次のような夢を見ました。
 一本の青蓮華の花が開いて、そこから泉が湧き出しました。その清水をもって産湯をつかわれました。余った清水を四方へ注々と辺り一面は金色に輝き、回りの草や木には一斉に花が咲き実がなりました。」(趣意)
 まことに末法の御本仏の御出現にふさわしい不思議で荘厳な霊夢であったと拝されます。
 大聖人はご自身の出生を御書の中に、
「日蓮今生には貧窮下賤の者と生まれ旃陀羅が家より出でたり」(佐渡御書 御書・580)
「日蓮は日本国東夷東条安房国、海辺の旃陀羅が子なり。」(佐渡御勘気抄 御書・482)
「民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり」(妙法比丘尼御返事 御書・1258) と述べられているように、漁師の子としてご誕生され、幼名を善日麿と称されました。
 このことはご自身「示同凡夫」のお姿として出生され、当時最下級の人民とされていた「旃陀羅」の子を名乗り、みずからが民衆の中に入って、末法濁悪の機根である一切の大衆を救済されるためにほかなりません。
 つまり、私たちと同じ凡夫のお姿で、同じ裟婆の大地において、仏道修行の極まるところ仏の境涯があると示されることは、ご自身のお姿を通して私たちもまた、私たちの現在の姿形のまま、御本仏大聖人・御本尊にたいして真剣なる仏道修行により仏の境涯に至ると教えられているのです。  総本山では法主上人ご出仕のもと、御影堂において読経の後、五重塔において「お塔開き」がおこなわれ、読経・唱題してお誕生会を奉祝いたします。
 このお塔開きは、大聖人の末法ご出現をあらわすもので、大石寺の五重塔が西の方を向いているのは、大聖人の仏法が中国・インドを経て世界に広宣流布するようすを、太陽が東から昇って西を照らし、全世界に光明をおよぼすことになぞらえているからです。
 妙霑寺においても、御本仏日蓮大聖人の御誕生をお祝いし御報恩申し上げる法要が営まれます。


 
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