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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

宗旨建立会(立宗会) 4月28日

 宗旨建立会とは、末法の御本仏日蓮大聖人が、外面的化導として南無妙法蓮華経の題目を宣言されて宗旨を建立し、立宗を 宣言あそばされた建長5年(1253年)4月28日を記念してご報恩申し上げる法要です。

 大聖人は12才の時に房州(千葉県)清澄寺に登り、16才の時に道善房を師として出家得度して是生房蓮長と名乗られま した。以来、鎌倉、比叡、三井、高野、南都六宗を遊学研鑽して、仏教の奥底を究められました。
 その奥底とは「法華経」のことで、法華経「見宝塔品」に「誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん。」とある 「妙法華経」であり、「如来神力品」の上行菩薩等に付嘱された「嘱累の為の故に此の経の功徳を説かんに、 猶お尽くすこと 能わじ。」とある「此の経」のことです。そして時については、「薬王菩薩本事品」の「我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して」とある末法の時代なのです。さらに重要なことは「如来寿量品」の 文底に秘し沈められた事の一念三千の 法門こそ「根本の大法」なのです。
 大聖人は、末法万年の人々が救われる道は、この妙法蓮華経に帰依すること、すなわち「南無妙法蓮華経」と唱える以外に ないことを確信されました。そして、一度これを言い出せば「勧持品」に説かれる三類の強敵による大難が ふりかかり、身命にまで及ぶであろうことを承知されたうえで、立宗宣言の場所を日本第一智者になし給えと祈った虚空蔵菩薩と師匠の道善房への報恩を行うために清澄寺と定められたのでした。

【内証の題目】
 大聖人は建長5年3月22日から28日の早暁にかけて、清澄寺の一室にこもり、これからいよいよ地涌上行の再誕として 、命をかけて題目を弘通する自らの大任のもとに、如説修行の折伏を行ずるための深い思索を重ねられました。 28日の未明 、御年32歳の大聖人は、ひとり清澄山上嵩ケ森に立ち、遠く太平洋の彼方にさし昇る日の出を待たれました。やがて水平線上にその姿があらわれると起立合掌されいていた大聖人の口から 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と、末法万年の闇を照す下種の題目が、おごそかに熱誠をこめて力強く唱え始められました。大聖人は、ご自身の胸中にそなえられる題目をもって 、太陽をはじめ全宇宙の生命に厳かな 開宗の宣言を送られたのです。この題目こそ今まで誰人も唱え出すことのなかった自行 化他にわたる題目です。
 大聖人は山を下り、清澄寺内、道善房の持仏堂において、順縁の浄円房等(道善房・父母・兄弟・縁者等)に対し、念仏と 禅を破折され、内証に具わる題目と内面的な悟りを説かれました。道善房は、激しく怒り大聖人を勘当します。 父母は、手をすり合わせて大聖人を制します。しかし、父母は大聖人が諄々と説かれる法門に納得して帰依します。

【外用の題目】
 それから一か月後の4月28日の午の刻(正午)、清澄寺諸仏坊の持仏堂には、大聖人の説法を聞こうと、多くの僧俗が集 まっていました。そこで日蓮と改名された大聖人の立宗の第一声が、朗々と響きわたったのです。 末法という時代の説明から 釈尊の仏法がすでに力を失なったこと、既存の八宗十宗等は頼むに足らぬ宗旨であると述べ、特に禅は天魔、念仏は無間地獄 と説かれました。 そして、末法の衆生を救うことができる教えは、一切法の根源である南無妙法蓮華経以外にはないと外面的な化導をなされました。聴衆は逆縁の衆生であり、 特に地頭の東条景信は、後の文永元年(1264年)に大聖人を襲った小松原の法難を引き起こしています。

 宗旨建立会は、大聖人の一切衆生を救済する忍難の如説修行が開始された大慈大悲の御心を拝し奉り、御報恩申し上げる儀式であります。日蓮正宗の信徒である私たちは、これらのことに深く思いを巡らせ、 妙霑寺に参詣して御報恩申し上げましょう。
  参考【3月28日と4月28日−第67世日顕上人 開宣大法要の御指南

 妙霑寺においては、
4月28日 午後2時から
宗旨建立会が奉修されます。


 
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