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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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釈尊か日蓮大聖人か(第65世日淳上人 著)

 現在、日蓮聖人の門下と称するものに九宗二教団がある。各教義を異にしてしかも我れ日蓮の正系なりと称しているが、これはだれも了解することのできないところであろう。
 これらは皆共に真実として許容さるるか、あるいはいづれか一つは真であって、他は皆誤っているとしなければならぬ。今、もしどれも真実であるとすれば、聖人は相反する教義を説かれたものであるとしなければならない。
 御書を拝すればたしかに相反する御説示がある。しかし信じ奉る者にとって二つの相異る点があった時その二者をそのまま信じ奉ることはできない。その間において必ず一つの本意があると拝さなければならない。
 あるいは又全般の一分一分であるというならば、その全般の究極は何かと拝さなければならない。ここにおいて吾人はいづれかが真実であり、いづれかが真実でないと判断せざるを得ない。近頃日蓮宗の教学者たる某氏は六百五十遠忌に当り門下の統合を力説し説を発表した。
「歴史的には日蓮宗が根本であって他は皆分流である。これを教義的にいえば日蓮聖人の大思想は十一の教義をもってしても、とても解釈するはできない。」
 これは大きな間違いと言わざるを得ない。
 そもそも日蓮宗が歴史的に根本であると考えているところに彼等の迷いが内在している。恐らく彼等は身延・池上が旧蹟であるからと考え、六老僧のうち五老僧の末流であるからというのであろうが、これは非常な偏見である。
 聖祖曰く「法貴きが故に人尊く人貴きが故に処貴し」と。身延・池上・中山等の尊かったのは、聖祖が在住遊ばされたからである、聖祖の尊きは法の尊きが故である。今や人と法とがおらず、何をもって尊しとするか。又五老僧の末流であるからというは、もし数をもって邪正を決するというならば、聖祖は数の多きをもって法の邪正を定めてはならぬと仰せられたのに背く。あるいは相承があるというかもしれないが、佐渡御書の端書に事をよせたり、釈尊の一体像を盗みとってその裏書に譲状を捏造したりして相承を云々しても何人も承服できない。
 歴史的には日蓮正宗が根本で聖祖の御意中を推し奉ることのできない鼠輩(そはい)共が勝手に信徒を誑かすために造り上げたのが他の十派である。
 それはさておき、十一の教義をもって聖祖の大思想は尽し得ないとの説は半面において一分一分の説に過ぎないということになる。しからば自ら信じ奉るところは一分にすぎないと肯定しているのである。はたしてこれで満足でき得るであろうか。
 吾人は聖祖の大思想に円全接し奉らなければならぬ。もし某氏の言の如く十一派が各々一分一分を説くものとすれば、当然これらを合して全的に拝さなければならぬと考える。しかるに前述の如く全く相反する場合においては、それ等の奥か底に全面があると拝さぬばならぬ。しかしその時には表のものは絶対となすことが出来ないから、聖祖は遂に全面を顕さらなかったといわざるを得ない。故に氏の言は不用意の間にいわれしものか、あるいは単称日蓮宗の教義に厭(あきた)たらずしての言と察せざるを得ない。
 吾人は理の趣くところ十一派の立つる教義は、一つは真であって他は非真実でなければならぬと信ずる。それ故もし非真実なるものを真実なるが如く考えて、他のために説くならば、悪知識の衆を悪趣に至らしむるものにしてその罪を恐れなければならぬ。もし自ら真にいて他の非真実を見ては、徹頭徹尾排撃しなければならない。これ決して自分のためにのみするのではなく、法のためであって仏法中怨の責を免れんがためである。蓮祖の弟子として当然の責任である。
 ここに日蓮門下各宗の御本尊を見るに、あるものは釈尊を造立し仏は釈尊に限るといい、あるいは大曼陀羅を本尊とし、これ釈尊の内証仏は釈尊なりとたつるもの、また大曼陀羅をたててこれ法華の八品所顕にして付嘱の相貌即本尊とする造像の釈尊と大曼陀羅と体一つにして釈尊なりとたつるもの、大曼陀羅即日蓮大聖人の当体なりとたつる宗とある。
 宗教の根本宗旨の肝要たる御本尊において同じ門下といいながら、かくの如き幾多の本尊が成り立つものにあらず。必ずこれ聖祖の御意を曲解する結果にしていづれか真、いづれか非真と断ぜざるを得ない。この問題を解決することは門徒刻下の急務である。
 上の御本尊の問題は錯雑して一見不分明の如くであるが、要をとって約すれば、釈尊造像が正しいか、曼陀羅一本の受持が正しいかということと、日蓮大聖人を御本尊と崇め奉るが正しいか、釈尊を本尊と信ずるのが正しいかの問題になると思う。
 従来この問題を判然と定めなかったがために、教義は紛々交錯して停止する処がなかったと思われる。もとより教義の構成は祖書によってなされるのは当然であるが、痴見をもって一文に執し説をなさば、異曲殆んど矯すに道がない。
 現在の吾人は既成の教義においていづれが真実なるものありとの断定の下に教義の帰趣を察し、その大綱において理非曲直を簡択して信を決定しなければならぬ。これをなすには先づ釈尊造像か、曼陀羅一本か、釈尊か蓮祖かの問題が第一である。この関係は種々綾なされてはおるが、いづれをもって御正意となすかにおいて、これを祖書に照合すれば簡明であると思う。
 釈尊四菩薩脇士造像について御遺文に照合すれば、一つとしてそれを断定し給えることはないと拝せらる。 あるいは論をなすもの観心本尊抄は造像御正意の如くいうものがあるが、これは曲論である。本尊抄は法本尊の御説示であって尅体については末だ御説示になってをらぬと拝すべきで、したがって上行菩薩の断定さへ控えさせられたのである。
「此の菩薩仏勅(ぶっちょく)を蒙(こうむ)りて近く大地の下に在り正像に未だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫(ほうまつ)に同じ。此れを以て之を惟(おも)うに正像に無き大地震・大彗星等出来す、此等は金翅鳥(こんじちょう)・修羅・竜神等の動変に非ず偏(ひとえ)に四大菩薩を出現せしむ可き先兆なるか」(観心本尊抄)
 しかして後の弘安二年富木殿へ給わる四菩薩造立抄に、
「御状に云はく、本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼ねて聴聞仕り候ひき。然れば聴聞の如くんば何れの時かと云々。(中略)当時は其の時に相当れば、地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん。先づ其の程に四菩薩を建立し奉るべし。尤も今は然るべき時なりと云々。」(四菩薩造立抄)
と仰せられしを拝すれば富木殿と蓮祖との間の御意味は、ほぼ推察し奉ることができる。
 しかも又本尊抄副状によれば、本尊の御説示さえ
「此の書は難多く答へ少なし、未聞の事なれば人の耳目之を驚動すべきか。」
との御用意の御言葉を拝すれば、何が故に最後の御断定を御控え遊ばされたかは明らかに拝察できる。
 造像御本尊が御正意と断定できないのは明了たるものである。むしろこの時において大曼陀羅を予想遊ばされしことが首肯できる。
 何故かといえば、
佐渡においてこの時すでに御本尊を図顕遊ばされていたこと(一)
未曾有の大曼陀羅也との御銘あらせられしこと(二)
四菩薩建立に必ずしも確然たる御答えをなされざりしこと(三)
本尊抄に御明示遊ばされしこと(四)
等において、しかく拝することができよう。
 ここにおいて何が故に御明示がなかったか、かえって千日尼等に御示しあらせられて大檀越の富木殿に御示しがないのは一応不審であるが、これ「惑耳驚心」を恐れさせ給わったからである。聖祖が御本尊においては非常に御用心遊ばされ妄りに御説示のなかったのは、御滅後に五老僧中尚普賢・文殊を脇士となし、あるいは一体像を安置して疑わなかったものがあったという史実に徹しても明かである。
 本来からいけば富木殿は、観心本尊抄を拝してもう一歩奥に入って了解すべきであったが、そこまで立入らなかったのは過去の宿習がしからしめたのではあるまいか。これをもって造像御正意の如く拝し、将来の造像の因由をつくったのである。
 今日、単称日蓮宗始め造像をなして敢へて怪しまぬのは禍根がここにある。
 これに反して大曼陀羅においては到るところ御正意なる旨を拝することができる。
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」 (経王殿御返事) 
「爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん、竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼陀羅を、末法二百年の比(ころ)、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり。」                              (日女御前御返事)
「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども、三世の諸仏の御師」云々。                               (妙法曼陀羅供養事)
「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。」                                      (草木成仏口決)
 この他随所に拝することができる。釈尊造立は大体一尊仏の御印可で四菩薩造立に及んでいないから、なお未だ御本意でなく観心本尊抄においても前述の如きであるから、釈尊等の造像は御正意でないことは明かである。然るに単称日蓮宗初め他の日蓮門下において造像をとっているのは聖祖の御本意を尽さぬからである。
 次に釈尊か日蓮大聖人かにおいては大曼陀羅が釈尊を現わすか、日蓮大聖人の御当体であるかによって極めて簡明に決せらるると思う。 これを祖書に照合すれば、あるいは教主釈尊と仰せられ、あるいは多宝塔中の釈尊分身等であるとも、あるいは日蓮大聖人の当体であるとも仰せられてある。教主釈尊を本尊とすべしの御文書を挙ぐるならば、
「答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。」                                   (報恩抄)
 釈迦・多宝・分身等を本尊とすべしとは前掲の御文もそうであるが、
「是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏のすりかたぎたる本尊なり。」
                       (日女御前御返事)
 更に日蓮大聖人の御当体なりとの御文は、
「日蓮がたましひを(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ」云々。                               (経王殿御返事)
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。」                                         (御義口伝下)
等の御文である。
 かくの如きまちまちの御文があるが、これらははたしてまちまちであるか、同じ御意であるかが問題である。これを三大秘法抄に拝すれば、
「寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初より以来(このかた)、此土有縁深厚・本有無作三身の教主釈尊是なり。」と仰せられてある。
 しかして御義口伝に
「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とは是なり。」
と御示しあれば両者は同一と拝さなければならぬ。しかし前者は教主釈尊であるから別なりと異論があろうが、教主は釈尊と上行菩薩とである。因果倶時の不思議の一法といい因行果徳の二法という因行は上行、果徳は釈尊でなければならぬ。因行に果徳を摂すれば教主は上行、果徳に因行を摂すれば教主は釈尊になる。
 今のこの境は釈尊・上行体一の辺において無作本有を指して教主釈尊と称したるものにして、一念三千の境であり、南無妙法蓮華経の体である。
 前掲、報恩抄の所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏云々をもって推し量り奉ることができる。
 迹門の理、本門の事も義はここにある。更に霊山会上釈尊の我本行菩薩道の事証は上行菩薩にある。この仏末法には日蓮として出現し、上行の事を行う末法は本未有善の衆生、悪機謗法の時なるがためである。
 本尊とは法華経の行者の一身の当体也の御言を拝すべきである。しかして果徳の釈尊の当体なりとは仰せられていない。大曼陀羅即日蓮大聖人の御当体、日蓮大聖人の御当体なること明かである。
 これにかかわらず無始の仏界を釈尊にとり、仏は釈尊なりと固執するものは法華の文上の上行菩薩や前四味の釈尊に執われるからである。
 もしかくの如きを恋慕しておれば百年妙法を唱うるも、ついに仏果を証得することはできない。
 末法今の時は日蓮大聖人の御教示により大曼荼羅と日蓮大聖人とを信じ奉りて成仏を期せなければならぬ。
 日蓮門下、九宗二教団ありといえども、文により義により日蓮大聖人の御正意を伝うるものは独りわが日蓮正宗あるのみにして、他八宗二教団は非真実にして無得道のもののみである。
 経に「雖近而不見・衆見我滅度」というはこれらを指す。恐るべきかな。
                     昭和六年五月  (大日蓮)

※旧字体の表現及び御書は、読みやすいように編集しました。

 
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