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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 律宗

 1 律宗
  宗 祖    鑑真(688~763)
  高 祖    南山大師道宣(596~667)
  本 尊    梵網経の教主、盧舎那仏
  経 論   四分律・梵網経・法華経・道宣の著述
  総本山    唐招提寺 奈良市五条町13-46
  寺院教会数  39
  教師数   24
  信徒数    29,500
【沿革】
 律宗とは、梵網経の盧舎那仏を本尊とし、『四分律』『梵網経』『法華経』と道宣の著述を所依として、戒律を持つことによって悟りを得ようとする宗派である。
 律宗は、中国の唐の時代に道宣(596~667)が四分律南山宗を創唱したことにはじまり、日本には道宣の孫弟子である鑑真によって伝えられた。
 天平勝宝六(754)年、鑑真は聖武天皇の勅請をうけて来朝し、東大寺に戒壇院を設け、聖武天皇はじめとする多くの人に戒を授けた。日本には戒律を授ける正式な戒壇がなかったが、以後、この戒壇院において公式の授戒が行われるようになった。
 天平宝字3(759)年、鑑真は朝廷より新田部親王の旧宅を賜り、そこに唐招提寺を建立して止住した。以後、唐招提寺は朝廷から篤く外護され、戒律の根本道場として栄えていった。
 また、天平宝字5(761)年には、筑紫(福岡県)観世音寺、下野(栃木県)薬師寺にも戒壇が設けられた。東大寺を含む戒壇は日本三戒壇と称され、以後、僧尼の受戒はすべてこの三箇所で行われるようになった。
 平安時代になると、伝教大師最澄が天台宗を弘め、法華一乗の教えに基づいた大乗戒を主張し、これまでの戒は小乗の戒律として退けた。そして最澄滅後、比叡山に円頓戒壇が建立され、さらには空海の真言宗が興隆したことも加わって、次第に律宗の勢力は衰えていった。
 しかし、平安末期には、唐招提寺の実範(じつはん)、鎌倉時代には覚盛(かくじょう)や、西大寺の叡尊(えいそん)等が出て律宗の復興が計られた。
 これら東大寺戒壇院、唐招提寺、西大寺を中心とする奈良の律宗を南京律(なんきょうりつ)(南都律)と呼ぶのに対し、鎌倉時代の俊芿(しゅんじょう)が中国宋代の南山宗を学んで、京都に創建した泉涌寺(せんにゅうじ)を北京律(ほっきょうりつ)と呼ぶ。以後、唐招提寺、東大寺戒壇院、泉涌寺、西大寺が律宗の四本山となったが、このうち西大寺は、空海を高祖、叡尊を宗祖として戒密双修を唱え、後に真言律宗として独立した。
 また、江戸時代には、天台宗や浄土宗の中から四分律を取り入れた安楽律・浄土律・正法律などが興ったが、時代を経るとともに衰退の一途をたどった。
明治になって政府は、律宗の独立を認めず、真言宗の中に組み入れたが、唐招提寺派はこれに従わず、律宗として独立し現在に至っている。

【教義の概要】
 律宗は、『四分律』に説かれている250戒・348戒等の戒律を持つことにより、悟りを得ようとする宗派である。

〈化教・制教の二教判〉
 道宣は一代仏教を化教と制教に分ける教判を立てた。化教とは因果の道理や邪正の差別を知らしめる教法をいい、制教とは仏弟子の守るべき戒行を明らかにする戒律をいう。道宣はこの制教を宗の本分として律宗を創始した。
 化教には、性空教(しょうくうぎょう)・相空教(そうくうぎょう)・唯識円教の三種があり、性空教とは人法の性空を説く小乗の教えで、阿含経・僧祇律・四分律・倶舎論・成実論に説かれるものである。相空教とは般若皆空を説く大乗の浅教で、般若経等に説かれ、唯識円教とは性相円融を説く大乗の深教で、法華経・涅槃経等に説かれる教えである。

〈分通大乗説〉
 律宗の所依の教典である『四分律』は、本来小乗の教典であり、その内容は「性空教」に当たる。しかし、道宣は一切諸行を戒行とみて、定・慧も戒の中に含まれるとし、『四分律』は、その一分が大乗の深教である「唯識円教」に通ずるものであるとした。これを「分通大乗説」という。
 これらの道宣の教えをもとに律宗では、『四分律』で説く小乗の戒律を、大乗戒である『瑜伽論』の摂律儀戒(しょうりつぎかい)(定められた戒を守り非行悪行を防止する)、摂善法戒(しょうぜんぽうかい)(進んで善を行う)、摂衆生戒(しょうじゅじょうかい)(衆生を利益する利他行)の三聚浄戒(さんじゅじょうかい)に配当している。この大乗の精神に立って身口意の三業にわたり、これらの戒を受け持ち、止悪・修善・回向衆生(衆生の幸せのために積極的な導きをすること)を行じていくことを旨としている。

【律宗の戒律】
 律宗では、戒律は身(行動)・口(言葉)・意(精神)のすべてに及び、以下の戒律を守り実践することが悟りを得る道であるとしている。
一、五戒…不殺生戒・不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒で、信徒が日常守るべきものとされる。
二、八斎戒(はっさいかい)…五戒に加えた、不香油塗身戒(化粧をしたり装身具を身につけてはいけない)・不歌舞観聴戒(歌を歌ったり聞いたり、芝居をしたり見たりしてはいけない)・不高広大床戒(体に心地よい、高く広く大きな寝床で寝てはいけない)で、不非時食戒(正午を過ぎてから食事をしてはいけない)を加える説もある。これらは信徒が寺院において一日一夜だけ持つ戒であり、修行日は毎月8、14、15、23、29、30日(六斎日(ろくさいにち))に特定されている。
三、十戒…八斎戒に「財産を蓄えてはいけない」という戒を加えたもの。沙弥・沙弥尼(見習いの修行僧)が守るべき戒。
四、具足戒…比丘は250戒、比丘尼は348戒という日常生活の細部にわたるまで規制した戒。

諸宗破折ガイド 真言律宗

 1 真言律宗
  宗 祖    叡尊(1201~1290)
  高 祖    弘法大師空海
  本 尊    釈迦如来
  経 論    金剛頂経・大日経・理趣経・梵網経・四分戒本
  総本山    西大寺 奈良市西大寺芝町111-5
  寺院教会数  90
  教師数    211
  信徒数    105,700

 真言律宗は、西大寺を総本山とする宗派で、真言宗の教義にもとづき、律宗で説く戒律を遵守し、衆生を救済すること(済生利人(さいしょうりにん))を旨としている。釈迦如来を本尊とするが、これは鎌倉時代に釈尊の教えに帰ろうとの復興運動が起こったためである。
 真言律宗では空海を高祖とし叡尊(えいそん)を宗祖としている。叡尊は律宗の僧であったが、醍醐寺や高野山などで真言密教を修行したこともあって、唐招提寺や東大寺戒壇院とは戒観を異にしていた。叡尊は、西大寺に住すると西大寺流を打ち立て、独自の布教活動をするようになった。
 西大寺は律宗の寺院であったが、叡尊以後、真言律をとなえる門流の中心となっていった。叡尊を西大寺初代長老とし、二代長老信空のときに真言律宗の基礎が固まった。真言律宗は、後宇多天皇が全国60余州の国分寺を西大寺に従属させたこともあって、最盛期には1500箇寺を門流としていたといわれる。しかし戦国時代になると、律宗とともに真言律宗も衰退していった。
 明治5年の太政官の通達によって、唐招提寺を除く律宗の各派は、すべて真言宗に帰属させられたが、明治28年、西大寺派は真言律宗として独立し今日に至っている。

【破折の要点】
◆律宗のはじまりは、鑑真が中国の四分律南山宗を伝えたことによる。鑑真はこのときに天台の三大部等の典籍も伝えている。鑑真は日本の仏教事情を鑑み、まず基礎的な律蔵をもととした教えを弘め、それよりはるかに高度な教えである天台の教義は、その時機が到来するまで弘めず、後世の弘通に託したのである。したがって、鑑真が伝えた律宗は、後に『法華経』が弘まるための機を整える教えにすぎないものであった。

◆律宗では、戒律を守り修行を実践することが、悟りを得る道であるとしている。たしかに仏道修行者にとって、防非止悪を旨とする戒律は大切なものであるが、律宗で説く戒律は、あくまでも小乗の戒律である。これは、250戒、348戒などによって、日常生活の細部にわたって規則を定め、行動・言葉・精神を規制するもので、末法の衆生には実行不可能な修行である。
 日蓮大聖人は『祈祷抄』に、
 「正像既(すで)に過ぎぬれば持戒は市(いち)の中の虎の如し」(新編630)
と仰せられ、末法では、持戒の聖者などは街中(まちなか)に虎を求めるのと同様で、あり得るものではない、と御教示されている。

◆律宗は、現在では大乗を装っているが、本来は小乗最下位の教えにもとづいた宗派である。小乗教は自利のみを目的としたもので、一切衆生を救済しようとする仏の願いに反するものであり、自他ともに成仏を願って修行する大乗教に比べ、はるかに低級な教えである。

◆律宗では、道宣の「分通大乗説」をもとに、小乗の戒を大乗戒で説く三聚浄戒に当てはめ、大乗の教えに通ずるものであると主張している。
 しかし、日本天台の開祖伝教大師は、律宗をはじめ南都六宗が主張してきた戒はあくまでも小乗の戒であるとして捨帰し、大乗円戒こそ大乗の教えに相応しい戒であるとして、法華経をもとにする円頓戒壇の建立を目指したほどである。この大乗教である『法華経』に、
 「我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり(中略)已に説き、今説き、当に説 かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」(法師品 開結325)
と説かれ、一切の経典の中で法華経が最高の教えであると釈尊は示されている。
 また方便品には、
 「正直に方便を捨てて」(開結124)
と説かれ、譬喩品にも、
 「余經の一(いち)偈(げ)をも受けざる」(開結183)
と示され、小乗教はもちろん、爾前権教に説かれる教義、修行、悟りのすべてを捨てよと教示されている。
さらに見宝塔品では、
 「此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れ戒を持ち 頭陀を行ずる者と名づく」(開結354)
と示され、『法華経』を受持することが戒を持ち、成仏することであると説かれている。
 これらのことから律宗は、明らかに仏説に反している。


 
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