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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 法相宗(聖徳宗、北法相宗)

3 法相宗
 宗 祖   慈恩大師窺基(633~682)
 始 祖   玄奘(600~664)
 本 尊   釈迦如来(興福寺) 薬師如来(薬師寺)
 経 論   解深密経・唯識三十頌・成唯識論
 本 山   興福寺 奈良市登大路町48
       薬師寺 奈良市西ノ京町457
 寺院教会数 169
 教師数   288
 信徒数   575,687

【沿革】
 法相宗は、インドより唯識の経論を持ち帰り翻訳した玄奘を始祖とし、その弟子・慈恩大師窺基(きき)(基ともいう)を宗祖として、中国・唐代に興った学派仏教である。
 法相宗の教義の根本である唯識思想は、インドの無著が都率天の弥勒菩薩より伝授されたという唯識大乗の教えをもととして、弟の世親とともに大成したものである。
 世親以後の唯識学は、インドにおいて盛んに研学され、瑜伽学派(瑜伽行派)といわれた。これには、徳慧、安慧の系統と、陳那、無性、護法、戒賢の系統と、難陀、勝軍との三系統があったといわれる。玄奘は戒賢より唯識教理を伝授されて中国に持ち帰り、その弟子・窺基が法相宗として開宗した。
 日本へは飛鳥時代より奈良時代にかけて4回にわたって伝えられた。
 初伝は白雉(はくち)4(653)年、道昭によって、第二伝は斉明四(658)年、智通・智達によってもたらされた。道昭、智通、智達は、玄奘・窺基より教えを受け、帰国後、元興寺(がんごうじ)を拠点として教えを弘めたので、元興寺伝・南寺伝と呼ばれた。
 さらに、第三伝は大宝3(703)年、智鳳・智鸞・智雄によって、第四伝は天平7(735)年、玄昉(げんぼう)によってもたらされた。智鳳・智鸞・智雄・玄昉は、窺基の弟子・智周より教えを受け、帰国後、興福寺を拠点として教えを弘めたので、興福寺伝・北寺伝と呼ばれた。
 平安時代初期には、徳一(生没年不詳)が出て、伝教大師の法華一乗の教えに対し、「三乗真実一乗方便」の義を立てて論争した。これを「三一権実論争」という。
鎌倉時代以降、法相宗の宗勢は振るわず、さらには、明治維新の廃仏毀釈によって著しく衰退したため真言宗に一時併合されたが、明治15年に法相宗として独立し、同25年には興福寺、法隆寺、薬師寺を三大本山と定め、三本山制・一管長制となった。昭和25年、法隆寺が聖徳宗として分派独立したので、現在は興福寺と薬師寺を二大本山として法相宗を形成している。

【主な寺院】
〈興福寺〉
 興福寺は、藤原鎌足の妻が夫の病気平癒の祈願のため、和銅3(710)年に建立した山背(やましろ)の山階寺(やましなでら)が前身で、天武天皇のとき、飛鳥に移され厩坂寺(うまやさかでら)と称した。その後、平城京遷都とともに現在の春日の地に移されて興福寺と改称した。常に法相宗の中心的役割を担ってきた寺院である。
〈薬師寺〉
 薬師寺建立の由来は、白鳳8(680)年、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して薬師如来を造立し、飛鳥の地に一宇を建立発願したことによる。しかし、その後まもなく天武天皇が没したため、持統天皇がその意志を継いで藤原京に伽藍を完成させた。養老2(718)年、平城京遷都とともに平城京に移された。薬師寺に法相教学が伝えられたのは、初伝の道昭系と第三伝の智鳳系によるもので、以後、学問寺として栄えた。平安時代以降は、興福寺の支配下におかれた。

【教義の概要】
 法相宗は、『成唯識論(じょうゆいしきろん)』に引用される六経一一論を所依の経論とし、唯識の立場から諸法のあり方を追求した学問宗派である。
 六経一一論の中で正所依とされるのは『解深密経(げじんみつきょう)』と『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』であるが、法相宗の根本聖典は、護法の『成唯識論』である。これは、世親の『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』の註釈書であり、法相宗では最も重要な論書とされている。
法相という名称は、法相宗の所依の教典である『解深密経』の「一切法相品(いっさいほっそうぼん)」の品名(ほんめい)と、法相宗の教えが、真如よりも諸法(・)の相(・)である現象の分析・考察を目的とすることに由来する。

〈三時教判〉
 窺基(きき)は、『解深密経(げじんみつきょう)』の文によって一代仏教を、初時、第二時、第三時と分ける三時教判を立てた。
 初時とは小乗の機のために阿含経が説かれた時をいう。ここでは四諦の法門をもって、外道、凡夫が執着する実我(じつが)は空であり、諸法は有(う)であることが説かれた。この教を「有教(うきょう)」という。
 第二時とは「昔時(しゃくじ)」ともいい、大乗の機のために般若経を説いた時をいう。ここでは「諸法は皆空である」との教えが説かれた。この教えを「空教」という。
 第三時とは「今時(こんじ)」ともいい、大小乗すべての機類のために、『解深密経』『華厳経』『法華経』等の大乗教を説いた時をいう。ここでは非有非空の中道が説かれた。この教えを「中道教」という。これらの中でも『解深密経』を最勝とし、『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』『成唯識論(じょうゆいしきろん)』などはこの理をよく解説したものである。
 法相宗ではこの教判によって、唯識説は中道の教えであり最上の教説としている。

〈五性各別〉
 法相宗では、衆生が先天的に具えている性質に五種類あり、それは、阿頼耶識の中に持っている本有種子(ほんぬしゅうじ)によって決定され、決して変えることができないものとして、「五性(ごしょう)各別(かくべつ)」の説を立てる。
 五種の衆生は次のようになる。
①菩薩種性(定性菩薩)……完全な智慧である無漏智(むろち)の種子のみを持っていて成仏できる衆生。無漏智とは、四諦の理を証見する見道以上の聖者の智慧をいう。
②縁覚種性(定性縁覚)……無漏智の種子を一分持ってはいるが、修行しても縁覚の悟りしか得られない衆生。
③声聞種性(定性声聞)……無漏智の種子を一分持ってはいるが、修行しても声聞の悟りしか得られない衆生。
④三乗不定性(不定種性)…菩薩および声聞・縁覚の本有種子を併せ持っている衆生で、菩薩の種子を持っているものは成仏できるが、声聞・縁覚の種子のみのものは成仏できない。
⑤無生有情(無種性)………無漏智の種子をまったく持っていない衆生で成仏できない衆生。この「五性各別」説は、『楞伽経(りょうがきょう)』や『解深密経(げじんみつきょう)』によって立てられたものであり、「悉皆成仏」を説く『法華経』等の教えは、不定性の者を励まして大乗に入らしめるための方便に過ぎないとして「三乗真実、一乗方便」を主張する。

〈五位百法〉  法相宗の教義の根本は唯識思想である。唯識とは、ただ識のみという意味で、一切諸法の本源を尋ねると、すべて識より転変したものであり、自己の心を離れて存在するものは何一つないとする。すなわち、唯(ただ)、認識だけが万物の存在を決定するという考え方である。
 この唯識を説明するため、一切諸法を五位に分類している。
 第一位 心王(心は精神の統一作用を司り、万法を生ずるので心王という)
 第二位 心所有法(心王が所用している法という意味で、心の作用を実体視したもの)
 第三位 色法(五識と五根によって認識する五境と法処所摂色(ほうしょしょほうしき)とを含めたもの)
 第四位 不相応行法(精神的なものでも物質的なものでもなく、しかも独立したもの。たとえば、物と物との関係、あるいはそのものの持つ属性とか状態などを実体視したもの)
 第五位 無為法―因縁には無関係で、永久的に自存し不滅であるところの真理。さらにこの五位を百法に細別するが、これらの諸法は、識を離れて存在するものは何もないとして、を諸法の主体としている。心王とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識に末那識(まなしき)・阿頼耶識(あらやしき)を加えた八識をいう。
 八識のうち、眼・耳・鼻・舌・身の五識を前五識といい、これは、対境をそのまま感受するが自ら判断したものではなく、第六の意識とともに働いてはじめて判断を下し推量するものである。  第七の末那識とは、常に第八識の阿頼耶識を対象として起こってくる自我意識である。六識による日常的な感覚・認識作用は、すべてこの自我意識によって継続して統括されている。この末那識を迷いの根源と見る。また、煩悩の汚染の根拠となるものであるから、これを染汚意(ぜんまい)ともいう。
 第八の阿頼耶識とは、我々の心の根底にある根本の心をいう。阿頼耶との原語には「蔵(ひそ)む」「蔵(おさ)める」「執着する」という意味がある。これらの意味に応じて、阿頼耶識には次の三つの機能があるとされる。
 一、元来、阿頼耶識には、身体の中にひそんで、身体を生理的に維持する働きがある。
 二、阿頼耶識の中には、過去のあらゆる身口意の三業が経験として消えることなく残っている。すなわち、煩悩となる存在が種子(しゅうじ)として宿している。このゆえに阿頼耶識を蔵識(ぞうしき)、一切種子識(いっさいしゅうじしき)ともいう。一切諸法は、この阿頼耶識に貯蔵されている種子が顕れて、対境をとらえたものであるから、すべてのものは皆、ただ識のみであるというのである。この意味から、根本識とも万法不離識(ばんぽうふりしき)ともいう。
 三、意識の底に末那識という自我執着心を立て、この末那識が深層領域において、常に阿頼耶識を対象として、それを自我と思い続けている。
 このように、阿頼耶識に基づいて現実の自己及び世界が成立すると説くところから、これを「阿頼耶識縁起(あらやしきえんぎ)」という。

〈三性三無性〉
 法相宗の教えでは、すべての存在の本性や在り方を、有無、仮実という視点から、「遍計(へんげ)所執性(しょしゅうしょう)」「依他起性(えたきしょう)」「円成実性(えんじょうじつしょう)」の三性と、「相無性(そうむしょう)」「生無性(しょうむしょう)」「勝義無性(しょうぎむしょう)」の三無性とに立て分けて説いている。
 仏教においては、あらゆる存在は本来因縁によって生滅するものであり、実体はないものと説くが、これを実体があるものと思い、それに執着する心(能偏計(のうへんげ))とその対象となる境(所偏計(しょへんげ))、そして、それらによって認識される存在の姿(偏計所執(へんげしょしゅう))を「遍計所執性」という。
 また、これを妄想とし、実際には相(姿)のないものであるとすることを「相無生」という。
 「依他起性」とは、あらゆる存在は「他」、すなわち因縁によって生滅するものであるということで、これは他がなければ生じないものであるから「生無性」という。
 「円成実性」とは、完全円満な真実の世界である真如実相の姿をいったもので、真如は一切諸法に遍満し不生不滅にして常住であり虚妄でないということである。これは個に内在する我(が)や、外界の事象としての法でもなく、言説を超越したものであるから「勝義無性」という。

〈転依〉
 「転依(てんね)」(宗教的転換)とは、拠り所とする劣った法を捨て、転じて勝れた法を拠り所とすることであり、またそれによって得た果をいう。依とは、染浄迷悟の法を成立させている拠り所という意で、依他起性のことをいい、転とは、依他起性のうえの遍計所執性(雑染分)を捨てて依他起性のうちの円成実性(清浄分)を得ることをいう。これは『成唯識論』に説かれているもので、法相宗では、この転依を修行の目標としている。
転依の具体的な実践方法として、一、資料位(しりょうい) 二、加行位(けぎょうい) 三、通達位(つうだつい) 四、修習位(しゅうじゅうい) 五、究竟位(くきょうい)という五段階の修行の階位を設けている。
一、資料位とは、世俗的な善行を修することによって迷いを生ずる染法種子(ぜんぽうしゅうじ)(迷いを生ずる潜在的な傾向)を抑え、それを仏となる元手(もとで)とする位をいう。
二、加行位とは、前に集めた元手のうえに、さらに浄法種子(じょうほうしゅうじ)(悟りを生ずるための潜在的傾向)を強めるために、種々の方便を修する位をいう。
三、通達位とは、はじめて悟りを生ずる清浄な智慧を獲得して、後天的・知的な煩悩を断じ、あるがままの真実(真如の理)を体得する位のことで、このときの転依を「通達転(つうだつてん)」という。
四、修習位とは、先に悟った真如の理を幾度もおさめ、先天的・情的な煩悩を繰り返し断滅する位のことで、この転依を「修習転」という。
五、究竟位とは、永久にすべての煩悩を断じ、完全円満な仏の悟りを完成した位のことで、この最終的な転依を「果円満転」という。この位では、究極的に我(が)を執する煩悩(煩悩障)を転じて仏の涅槃を獲得し、法を執する煩悩(所知障(しょちしょう))を転じて無上の菩提を得る「二種転依」が修行の妙果であると強調している。
 以上のように法相宗では、二種転依を究極の悟りの境地としているが、それを得るためには三大阿僧祇という永い間の修行が必要とされる。

3-2 聖徳宗
  総本山   法隆寺 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
  経 論   聖徳太子撰述の「三経義疏」
         (『法華経義疏』『維摩経義疏』『勝鬘経義疏』)
  寺院教会数 24
  教師数   19
  信徒数   18,798

 聖徳宗の総本山である法隆寺は、法隆学問寺・斑鳩寺ともよばれ、推古天皇15(607)年、推古天皇が用明天皇の意志を受け継ぎ、聖徳太子とともに建立したと伝えられている。奈良時代は律、三論、法相等の兼学の寺であったが、中世には興福寺の末寺となり法相宗に属した。昭和25年、聖徳太子を尊崇し、法隆寺の伝統教学である太子教学を宣揚するため、聖徳太子の名をもって「聖徳宗」として分派独立した。
教えの特徴は法相宗とほぼ同じだが、聖徳太子の撰述である「三経義疏(さんきょうぎしょ)」(『法華経義疏』『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』)と「一七条の憲法」にもられた大乗一仏乗の理想を説くところにある。

3-3 北法相宗
  開 祖   延鎮(えんちん)(生没年不明)
  本 尊   十一面千手観音
  大本山   清水寺 京都市東山区清水1-294
  寺院教会数 8
  教師数   5
  信徒数   430,660

 北法相宗は、昭和40年、清水寺を大本山として法相宗から分派独立した宗派である。
 清水寺は、奈良時代の末、大和の子島寺の延鎮(えんちん)が清水の音羽の滝を訪ね、そこに千手観音を祀り庵住したのがはじまりで、延暦17(798)年、清水の観音に帰依した坂上田村麻呂が自邸の殿舎を本堂として寄進し、延鎮を開基として寺院を建立したものといわれる。同24(805)年に、桓武天皇の勅願寺となり清水寺と号した。
 清水寺は当初鎮護国家の道場であったが、大同2(807)年、興福寺に属し法相宗と真言宗の兼学の寺となり、昭和40年には北法相宗として分派独立した。「清水の舞台」として有名な現在の本堂は、徳川家光により再建されたものである。また、清水寺は観音霊場の西国33所第16番札所ともなっている。

【破折の要点】
◆法相宗では、自己の心を離れて存在するものは何一つとしてなく、唯(ただ)、認識だけが万物の存在を決定すると説くが、心(心法)と一切の現象(色法)は、どちらが主ということでなく、ともに具わりあっているもので、一切の現象を離れて心の存在もあり得ない。このことは中国の妙楽大師も法華経の教理によって、色心不二という法門を説いている。これは心法を離れた色法はなく、また色法を離れた心法もないとするもので、心法と色法は相即不二の関係にあって衆生の一念に円融しているのである。したがって法相宗の唯識説は、心法の一面からのみ諸法をとらえた偏頗な教えとなる。

◆法相宗では、衆生には先天的に成仏できる者とできない者とがあり、その差別は永久に変わるものではないという五性各別の説を立て、法華経に説かれる悉皆成仏は衆生に仏道心を発させるための方便の教えであり、五性各別こそ真実であるとして「三乗真実 一乗方便」を主張する。
 これについては、法相宗の徳一との「三・一権実論争」のとき、伝教大師によってすでに破折されている。法相宗の拠り所としている『解深密経』や『瑜伽論』『成唯識論』等は、第三方等時の教えであり、これは、「会二破二」といって、小乗の教えに執着する声聞・縁覚の二乗を破折して菩薩の一乗こそ真実であると知らしめるための教えであり、三乗を開して真の一仏乗に会入せしめる『法華経』の開会の法門には遠く及ばない権大乗の教えである。五性各別説は、この「会二破二」の権大乗教に執着するゆえの大僻見の説である。一切衆生を平等に救うために教えを説かれた仏が、五性各別などという衆生を差別する教えを説くはずがない。法華経には十界互具・一念三千の法門が説かれ、正法を持ち信行に励むならば、いかなる人でもことごとく成仏すると説かれている。
 また、法華経の開経である『無量義経』には、
 「四十余年。未顕真実」(開結23)
と説かれ、さらには『法華経』方便品にも、
 「正直捨方便 但説無上道」(開結124)
と、法華経以前の諸経はすべて方便の教えであり、法華経こそ唯一真実の教えであると説かれている。したがって、法華経を方便の教えと主張する法相宗の教義は、二乗を弾訶する第三時方等部の教説にとらわれた謬説であり、仏説に背く大謗法といわざるを得ない。

◆法相宗では、悟りを得るためには三大阿僧祇劫という、膨大な時を費やして修行しなければならないとしている。これも、即身成仏を説く法華経には遠く及ばない低級な教えの証拠である。


 
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