本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 真言宗

三 真言系(高野山真言宗・東寺真言宗・真言宗智山派・真言宗豊山派)

【沿革】
 真言宗は、高野山金剛峯寺を本山とし、弘法大師空海(774~835)によって立てられた真言秘密の教えを説く宗派である。真言宗では、大日如来を根本仏として、『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』の「真言三部秘経」を所依の経典とし、大日経に説かれる胎蔵界の曼陀羅と金剛頂経に説かれる金剛界の曼陀羅を礼拝の対象としている。

〈インド・中国の真言密教〉
 真言宗では、大日如来が、色究竟天法界宮において『大日経』を、金剛宮において『金剛頂経』を説き、それを金剛薩埵が結集し、その後、竜樹菩薩(竜猛)によって竜智に伝えられ、竜智は『大日経』を善無畏に、『金剛頂経』を金剛智に伝えたとしている。
唐の開元四年、善無畏(637~735)は大日経をインドから中国に伝えようとしたが、その頃、法華経が広まっていたため、善無畏は天台僧であった一行に、本来『大日経』にない法華経の教理を取り入れた『大日経疏』を著させた。これにより善無畏は、大日経が法華経よりも高い教えであると説き、『大日経』を弘めた。これが真言宗の起こりである。
 また開元八年には、金剛智(671~741)が『金剛頂経』を中国に伝え、その法を不空へと伝受した。不空の弟子・恵(けい)果(か)はこの教えを受け継ぎ、空海へ伝授した。
 以上の流れは、付法の八祖、伝持の八祖として左の図となる。
 付法の八祖……大日如来―金剛菩薩―竜猛―竜智―金剛智―不空―恵果―空海
 伝持の八祖……竜猛―竜智―金剛智―不空―善無畏―一行―恵果―空海

〈空海と真言宗〉
 空海は、平安時代の宝亀5(774)年、四国の讃岐国屏風ヶ浦(香川県善通寺市)の豪族の子として生まれ、延暦7(788)年、一五歳のとき京に上り、18歳で論語・孝経・史伝などの儒教を大学で学んだ。しかし、漢籍に満足せず仏教を学び、24歳のとき『三教(さんごう)指(し)帰(いき)』を著して、儒教・道教・仏教のなかで仏教が最も勝れていることを主張した。

 延暦23(804)年4月、31歳のとき、唐へ留(る)学(がく)僧(そう)として渡った。入唐した空海は、長安の西明寺に住し、翌年5月より12月まで長安の青(しょう)竜(りゅう)寺(じ)で不空の弟子恵果に師事した。そこで、伝法阿闍梨位の灌頂(かんじょう)を受け「遍(へん)照(じょう)金剛(こんごう)」の号を授かり、密教の金剛界・胎蔵界両部の秘奥・壇儀・印契を付法伝授されて真言密教の第八祖となった。そして12月、恵果の死去により、翌大同元(806)年三月、多くの経論・曼陀羅・法具などを持って帰国した。
 帰国後、上洛した空海は36歳のときに嵯峨天皇の信任を得て真言密教を弘め、真言宗の高揚に努めた。弘仁7(816)年、43歳のとき高野山を修行の道場と定め、朝廷に寺領の下賜を願い勅許され、金剛峯寺を建立した。さらに弘仁14(832)年には、平安京に教王護国寺(東寺)を勅賜され、以来、ここを真言宗の根本道場とした。
 天長7(830)年には、淳和天皇の勅問に答えて『十住心論』10巻を著し、宗義の体系を確立した。『秘蔵宝鑰』3巻はその略論である。
 承和2(835)年3月31日、空海は62歳をもって高野山で死去(真言宗では入定という)した。
 その後空海は、延喜21(921)年、醍醐天皇より弘法大師号の諡号を送られている。

〈空海以後の真言宗〉
 空海没後の真言宗は、真済(しんぜい)、真(しん)雅(が)をはじめとする10大弟子によって継承され、高野山の金剛峰寺と京都の東寺を中心として教線を拡大していった。
 比叡山の天台宗も真言宗の影響を受け、慈覚・智証の代になって密教化した。以後、天台密教を「台密」といい、東寺を中心に広まった真言宗の密教を「東密」と呼んだ。
 この後の真言宗は、真雅から源仁へと受け継がれたが、源仁の弟子の代になり、修行の行法の違いによって、貴族出身の者が主となった益信(826~906)の門流と、在家出身の者が主となった聖宝(しょうぼう)(832~909)の門流の二つに分派した。
 益信の門流からは宇多法皇が出て、御室仁和寺を真言宗に改め、ここを門流の中心道場として以後、「仁和寺教団」といわれた。また、益信門流を「広沢流」と別称するが、これは寛朝の代になって、嵯峨広沢池南畔に遍照寺を創したことに起因する。この広沢流は後に6流に分派した。
 一方、聖宝は山科に醍醐寺を創し、ここを中心として門流を形成していった。聖宝の門下の寛賢(かんげん)(853~925)は、「大師いまだおわします」という弘法大師入定信仰を確立した。
 寛賢聖宝門流を「小野流」と称するが、これは仁海(にんがい)(951~1046)の代になって、京都・山科の小野の地に漫荼羅寺(現在の随心院)を創したことに起因する。小野流は後に六流に分派した。この小野・広沢の両流12派を「野(や)沢(たく)根本12流」と称した。
 平安中期の真言宗は、興教大師・覚鑁(かくばん)(1095~1143)によって大きな転機を迎えた。覚鑁は、長承元(1132)年、鳥羽上皇の御(ご)願(がん)寺として高野山に大伝法院と密厳院を建立し真言教学の興隆を図った。覚鑁は金剛峯寺と大伝法院の座主となるが、金剛峯寺方はこれを承服せず、また専修念仏を取り入れた秘密念仏思想を提唱したことにより、覚鑁は東寺と高野山から反感を買った。そして、保延六(1140)年には、大伝法院が金剛峯寺から襲撃される事件が起こり、覚鑁はやむなく根来の円明寺に移った。以後、大伝法院側と金剛峰寺側は、長年にわたって争うこととなる。
 江戸時代になって幕府は、宗教政策上、覚鑁以前を古義真言宗(金剛峯寺・東寺等)、それ以後を新義真言宗(根来寺等)とした。覚鑁の系統の新義真言宗は、玄宥(げんゆう)を派祖とし京都の智積院を本山とする智山派と、専(せん)誉(よ)を派祖とし奈良の長谷寺を本山とする豊山派に分かれ、今日に至っている。

【教義の概要】
 真言宗では、依経である『金剛頂経』と『大日経』によって、「金剛界」と「胎蔵界」の二つの世界観を説いている。仏菩薩のなかで大日如来こそ最高の仏とし、世界は大日如来の智慧を表す金剛界と、すべてを包み込む大日如来の慈悲を表す胎蔵界よって成り立つという。この世界観を図示したものが、金剛界曼陀羅と胎蔵界曼陀羅である。
 大日如来と身心ともに一体となって修行を行えば、この身このまま仏になるという「我即大日」の即身成仏を説く。その修行は、手に印を結ぶ身密、真言陀羅尼を唱える口密、心で祈る意密の三密加持の実践にある。

〈本尊〉
 真言宗では元来、大日如来を根本仏とするが、末寺によってはさまざまな仏菩薩を本尊としている。
 大日如来と諸尊の関係は、大日如来の「普門総徳の尊」、諸尊を「一門別徳の尊」といって、一門即普門と説く。すなわち、種々の機根の衆生を救うために、あらゆる徳を具える大日如来の普門の身から、一門別徳の諸尊が分出されるのであるから、諸尊を本尊としても、それは大日如来を本尊とすることと同じであるというのである。
 また真言宗では、『大日経』と『金剛頂経』の教理を曼荼羅の図絵で顕している。『大日経』に説かれる如来の理法身を顕したのが胎蔵界曼荼羅であり、『金剛頂経』に説かれる如来の智法身の徳を顕したのが金剛界曼荼羅であり、併せて「金胎両部曼荼羅」という。これらはともに、大日如来を中心にその上下左右に諸仏・諸菩薩を配したものであり、これらの諸尊は、すべて大日如来の徳相を顕すものであるという。

〈所依の経論〉
 真言宗は、『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』の三部秘経、またはこれに『瑜祇経』『要略念誦経』を加えた五部秘経を根本経典としている。このほかに所依の論疏として、竜樹の『釈摩訶衍論』、不空訳の『菩提心論』、一行の『大日経疏』、空海の『十住心論』『秘蔵宝鑰』『弁顕密二教論』『般若心経秘鍵』『秘蔵記』などがある。

〈教判論〉
●顕密二教判
 顕密二教判とは、空海が『弁顕密二教論』に説いた教判で、顕教と密教の勝劣を判じたものである。顕教とは、衆生の機根に応じて顕(あらわ)に説かれた教え(顕現浅略の教え)であり、密教とは、表面から顕(あらわ)に知り得ないもので秘密に説かれた教え(秘密深奧の教え)である。
 空海は、顕教とは釈尊の方便の教えで、密教こそが法身の大日如来が説いた真実の教えとしている。顕密二教の違いを次のように示している。
一、顕教は、応化身である釈尊、すなわち、歴史上の釈尊によって説かれた随他意・方便の教えであるのに対し、密教は、法身仏である大日如来が悟りの境界を説いた随自意の真実の教えである。
二、顕教は、修行については説くが、悟りの境界を説くことができない教え(因分可説、果分不可説の教え)であるのに対し、密教は、果分不可説である悟りの境界を説いた教えである。
三、顕教は、三大阿僧祇劫という長い間の修行によらなければ成仏しないが、密教では即身成仏を説く。
 以上の違いによって、空海は「顕劣密勝」(顕教は劣り、密教が勝ること)を主張した。

●十住心判
十住心判とは、空海が『大日経』の「住心品」に基づいて『十住心論』を著し、そのなかで説いた教判である。真言行者の住心(宗教意識)を10種に次第して示し、同時に密教と顕教を含む他の宗教との比較を示したものである。
一、異生羝羊心(いしょうていようしん)……雄羊のように煩悩のおもむくまま行動し、三悪道に輪廻転生する凡夫の心
二、愚童持斉心(ぐどうじさいしん)……人間として愚童でも持っている道徳心
三、嬰童無畏心(ようどうむいしん)……天界に生まれることを願う、母を慕う幼児のような心
四、唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)……無我の心境に住する小乗声聞の心
五、抜業因種心(ばつごういんじゅしん)……十二因縁を観じて苦の因となる惑と業を断つ小乗縁覚の心
六、他縁大乗心(たえんだいじょうしん)……他縁とは利他を意味するもので、大悲を起こして一切衆生を救おうとする心         (法相宗)
七、覚心不生心(かくしんふしょうしん)……あらゆるものは空であると覚る不生不滅の心(三論宗)
八、一道無為心(いちどうむいしん)……すべては即空即仮即中の真実であるとする心(天台法華宗)
九、極無自性心(ごくむじしょうしん)……すべては如来の果海にある心(華厳宗)
十、秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん)……秘密の荘厳が開かれて万徳が顕れる心(真言宗)
 このように10に分けて教判次第し、8番目の一道無為心を天台法華宗にあてて、『法華経』は『華厳経』の次であるから、三重下劣の経、第三の戲論と下し、10番目の秘密荘厳心を真言宗に配当し最高としている。空海は『秘蔵宝鑰』において、「無明の辺域にして明の分位にあらず」といい、法華経寿量品の釈尊は、いまだ煩悩を断ち切らない迷いの位(無明の辺域)にあり、大日経の大日如来は悟れる仏(明の分位)であるとしている。

●三密加持
 三密加持とは、真言宗で説く即身成仏の実践法である。真言宗の教えによれば、三密とは、身密・口密・意密のことで、これには仏と凡夫の三密があるとしている。仏の三密とは、仏の身口意の働きをいい、この働きは凡夫の思慮をはるかに超えた尊いものであると説く。凡夫の三密とは、手に印契を結び(身密)、口に真言陀羅尼を唱え(口密)、意を集中させ一心に大日如来を念ずる(意密)ことをいう。さらに、凡夫もその本性は仏と同じであるとし、三密の修行をすれば凡夫と仏が感応道交し、一体となって即身成仏を遂げることができるとした。

●理同事勝
真言宗では、大日経の「心の実相」「我一切本初」「大那羅延力」と、法華経の「一念三千」「久遠実成」「二乗作仏」は同じ法理(理同)であるが、法華経は意密のみ説かれ、印と真言(呪文)の身密と口密が示されていないので、事相においては三密の完備した大日経が勝れている(事勝)と説く。

●古義真言宗と新義真言宗の違い
 事相(威儀・行法)の面では古義と新義の大差はないが、教義の面で、『大日経』の教主である大日如来に二種の説を立てている。古義真言宗では、自性身の本地身(ほんじしん)(法身大日如来)が絶対の立場で説法をする本地身説法(自證説)を説き、新義真言宗では、自性身を本地身と加持身(報身仏)とに分け、本地身に説法はなく、加持身で説法をするという加持身説法を主張する。

1 高野山真言宗(古義)

  宗 祖   弘法大師空海(774~835)讃岐国(香川県)生
  本 尊   大日如来
  経 典   『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』
  総本山   金剛峯寺 和歌山県伊都郡高野町大字高野山132
  寺院教会数 3,526
  教師数   6,278
  信徒数   5,486,000

 昭和21年、真言宗各派は独立し、その一つが高野山真言宗である。なかでも、この宗派は最大の宗派で、総本山の高野山金剛峯寺は空海が開創し、死去した地でもある。

2 東寺真言宗(古義)

  宗 祖   弘法大師空海
  本 尊   大日如来
  経 典   『大日経』『金剛頂経』等の五部秘経・釈摩訶衍論・大日経疏等の10巻章
  総本山   金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(東寺)京都市南区九条町1
  寺院教会数 152
  教師数   244
  信徒数   172,000

 東寺(教王護国寺)は、元来、延暦13年の平安遷都の際、羅城門の東側に王城守護のために建てられたものである。真言宗の寺となったのは、空海が嵯峨天皇より弘仁14(823)年に寄進を受けてからである。以後、真言宗の根本道場として展開した。
 従来、真言宗東寺派と称していたが、昭和四六年、総本山の東寺が東寺派から離脱し、翌47年に「東寺真言宗」と名乗り独立した。

3 真言宗智山(ちざん)派(新義)

  宗 祖   弘法大師空海
  派 祖   興教大師覺鑁
  開 祖   玄宥(げんゆう)(1529~1605)
  本 尊   大日如来 金剛・胎蔵曼陀羅界会の諸尊
  経 典   『大日経』『金剛頂経』等
  総本山   智積院 京都市東山区塩小路通大和大路東入東瓦町964
  寺院教会数 2,894
  教師数   4,181
  信徒数   1,512,488

 覚鑁にはじまる新義真言宗の一派である。明治33年、新義真言宗智山派を公称し、昭和21年に真言宗智山派となった。

4 真言宗豊山(ぶざん)派(新義)

  宗 祖   弘法大師空海
  中興の祖  興教大師覺鑁
  派 祖   専誉(せんよ)(1530~1604)
  本 尊   大日如来・曼陀羅のすべての仏菩薩、弘法大師・興教大師
  経 典   『大日経』『金剛頂経』等
  総本山   長谷寺 奈良県桜井市初瀬
  寺院教会数 2,650
  教師数   3,021 
  信徒数   1,203,762

 長谷寺の創建は奈良時代である。観音霊場として知られていたが、専誉が入寺してから智積院とともに新義真言宗の本山となった。明治33年、新義真言宗豊山派を公称し、昭和21年に真言宗豊山派となった。

【破折の要点】
◆真言宗の教主大日如来は、実仏に非ず
空海は、『秘蔵宝鑰』のなかで、釈尊を大日如来に比べれば無明の辺域と貶めているが、大日如来は釈尊によって説かれた単なる法身仏であり、理論上に説かれた生国不明の架空仏である。これに対し釈尊はインドで生まれ、菩提樹の下で悟りを開いた実在の仏である。したがって、実在(本体)の釈尊より理論上(影)の大日如来が勝れた仏であるとすることは本末転倒である。

◆真言宗の「顕劣密勝」は邪義
 空海は、釈尊が現実に姿を現して説いた教えは方便であり、これを顕教と下し、大日如来が説いた密教である大日経が真実の教えであると主張し、「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」とし、法華経を第三の戯論と貶めている。
 大日経は釈尊50年の説法中、第三時方等部に属する方便権教の経である。釈尊は法華経の序分である『無量義経』において、
 「四十余年には未だ真実を顕さず」(開結23)
と説き、『法華経』に至って方便品には、
 「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」(開結124)
 安楽行品には、
 「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り」(開結399)
等と説かれ、法華経こそが最勝の経であり、真の秘密教であると自ら説かれている。
 したがって、空海の説く「顕劣密勝」は邪義であり、法華誹謗の罪過に当たるものである。

◆「理同事勝」の邪義を破す
 真言宗では、『法華経』と『大日経』で説く一念三千の理は同じであるが、大日経には法華経には説かれていない「身業印契」と「口業真言」の二事が説かれているゆえに勝れているという。
 「理同」とは、法華経の一念三千の法門が『大日経』にもあるというものである。この説は、善無畏・金剛智等の説にたぶらかされて、天台僧の一行が、大日経の「心の実相」の文を、『大日経義釈』に「彼に諸法実相と言うはすなわち此の経の心の実相なり」といい、法華経の「諸法実相」と大日経の「心の実相」は同じであると解釈したことによる。
 しかし、十界互具・百界千如・一念三千の法門は『法華経』のみに説かれるものであって、その現証としての二乗作仏・久遠実成は大日経には説かれていない。
 真言宗で説く一念三千は、善無畏が中国に大日経を弘めるため、すでに広まっていた法華経から盗み入れたものである。
 ゆえに、法華経と大日経を「理同」と主張する真言の教えは、仏説に反する誑惑の邪義である。
 また「事勝」とは、大日経に印と真言が詳しく説かれているから、法華経よりも勝れているとの主張であるが、『法華経』においても方便品に、
 「為に実相の印を説く」(開結111)
とあり、譬喩品にも、
 「我が此の法印は 世間を利益せん」(開結173)
と説かれており、大日経だけの独説ではない。たとえ、手に印を結び、口に真言を唱え、即身成仏を説こうとも、十界互具・一念三千の実義もない大日経は、空理空論の邪説である。

 このように真言宗の教義は、道理文証のうえからも善無畏や空海の主張が欺瞞と誑惑に満ちた主客転倒であることがわかる。この教えを信ずるならば、一家にあっては柱が倒れ、一国にあっては亡国となることは明らかである。


 
inserted by FC2 system