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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 法華宗(本門流)

四 法華宗(本門流)

  門 祖   日隆
  本 尊   宗祖奠定の大曼荼羅
  教 典   妙法蓮華経開結十巻・日蓮遺文
  四大本山  光長寺 静岡県沼津市岡宮1055
        鷲山寺 千葉県茂原市鷲の巣48
        本能寺 京都市中京区寺町御池下ル
        本興寺 兵庫県尼崎市開明町3―13
  寺院・教会数 519
  教師数   716
  信徒数   544,740

【沿革】
 法華宗(本門流)は、六老僧の一人である日朗の弟子日像の流れを汲む慶林日隆(1385~1464)が、室町時代のはじめに「本門八品正意」(別名「神力正意」)という独自の本迹勝劣義を主張し、一致門流から分派独立した一派で、尼ヶ崎門流、または八品派とも呼ばれる。
 もともと、妙蓮寺(京都)・本能寺(京都)・本興寺(尼崎)・光長寺(沼津)・鷲山寺(千葉)の五山が中心となって「本門法華宗」と称していたが、戦後に妙蓮寺が離脱し、残る四山とその末寺が集合して教団を形成し、「法華宗(本門流)」と公称して現在に至っている。
 これまでに教義や教団運営上の問題から対立して同派から分派独立したものに、本門仏立宗(京都)・本門経王宗(調布市)・本派日蓮宗(摂津市)などがある。
 門祖の日隆は、越中(富山)の出身で、応永9(1402)年、叔父の日存、日道を慕って妙顕寺六代の日霽に入門し、慶林日立(のちに日隆)と改めた。当時、京都日蓮宗の中心的存在であった妙顕寺は、嘉慶元(1387)年に叡山の襲撃を受けて破却され、明徳4(1393)年に三条堀川に妙本寺と改称して再興されたが、寛容な日霽の無戒主義によって化儀化法が乱れ、これに反発する弟子の日慶らとの間に内紛が絶えなかった。日霽から具覚月明の代になると対立はさらに深まり、応永17(1410)年の春、日隆は日慶・日存・日道とともに妙顕寺を退出し、日慶は綾小路に妙蓮寺(現在の本門法華宗の本山)を建てて、独自の教線を張った。
 この間、日隆は諸国を遊学して応永22(1415)年、京都紫野に本応寺(のちの本能寺)を建立し、本迹勝劣義を唱えて独立を目指した。しかし月明の反対にあって破却され、同25年、日隆は本迹一致の門流を捨てたことを詫びる起請文を捧げて、妙本寺に帰山している。しかし、その後日隆は、再び妙本寺と訣別して布教に歩き、同30(1413)年、39歳のとき、尼崎に本興寺を建立した。
 永享元(1429)年、45歳のとき、再び上洛して内野に本応寺を再建し、『四帖抄』を著して本勝迹劣・八品正意を唱え、これを京都の日蓮宗諸山に表明し、独立宣言をした。その後、日隆は本応寺を六角大宮に移して本能寺と改めて本寺とし、先に建立した本興寺との間に両山一寺の関係を立てた。これによって布教の基盤を確立した日隆は、中国・四国方面にある妙顕寺の末寺を帰伏させ、教線を拡大していった。また、同7(1435)年には、駿河光長寺の学頭であった本果日朝が日隆に帰依し、光長寺一山が八品派に転じて駿河方面の拠点となった。
 宝徳3(1451)年、67歳のとき、日隆は「信心法度十三ヶ条」を定めて本能寺を日信に、本興寺を日登に与え、本興寺内に勧学院という学舎を創立して著述に専念し、『法華本門弘教抄』(117巻)をはじめ、大部の著述を残している。
 寛正4(1463)年5月、「本能寺法度七ヶ条」を制定して正式に本能寺と本興寺の両山一寺制を定め、翌年2月、80歳で示寂した。
 以後の日隆門流は、本能寺・本興寺・妙蓮寺・光長寺・鷲山寺を中心に、「本門八品上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経」を信じることで一体であるという「一味法水」の名のもとに団結を図ったが、叡山の宗徒によって京都の法華宗21本山が焼き打ちにあった天文法乱(1536)や、織田信長が明智光秀によって誅殺された本能寺の変(1582)などによって大きな打撃を受けた。さらに天正年間には、光長寺と同格であった立正寺(山梨)が末寺とともに身延に吸収され、鷲山寺も身延派に支配されるなど宗勢は次第に衰退していった。
 その後日隆門流は、日陣門流、日真門流などとともに勝劣派を形成していたが、明治9(1876)年2月、妙蓮寺・本能寺・本興寺・光長寺・鷲山寺の五山は勝劣派から分裂して「日蓮宗八品派」と称し、五山から一年交代制で管長を選ぶという規約を定め、明治31(1898)年には「本門法華宗」と改称した。
 政府の宗教政策によって昭和16(1941)年、再び本妙法華宗(日真門流)、法華宗(日陣門流)と合流して「法華宗」と総称するようになったが、昭和25(1950)年には、妙蓮寺が離脱して「本門法華宗」を名乗っている。さらに同27年10月、「法華宗」はそれぞれ「法華宗(本門流)」(本能寺・本興寺・光長寺・鷲山寺)、「法華宗(真門流)」(本隆寺)、「法華宗(陣門流)」(本成寺)に分離、独立して今に至っている。現在、法華宗(本門流)は宗務院を東京(大塚)に置いて各寺院を統括している。なお、自治的組織として大日本獅子吼教会(新宿)があり、法華宗に所属しながら独自の信仰活動を行っている。

【教義の概要】
〈八品正意論〉
 日隆門流は「八品派」とも呼ばれるとおり、その根本教義は「八品正意」である。これは法華経28品の中で、特に『従地涌出品第15』から『嘱累品第22』までの本門八品を選び、「この八品に顕れた神力付嘱・上行所伝の妙法のみが、久遠の本仏の正意であり、宗祖の正意である」というものである。
 日隆は、その拠り所として、『観心本尊抄』の「本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付嘱したまわず(中略)但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ。其の本尊の為体(中略)是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し、8年の間但八品に限る」(新編654)の「但八品に限る」の文を挙げ、寿量品と神力品に勝劣を立て、寿量品を中心とした一品二半を在世本果脱益の迹とし、神力品において四句の要法を以て結要付嘱された上行所伝の南無妙法蓮華経を本として、「八品所顕の本尊」「神力付嘱・本因下種の妙法」を最勝であると主張した。
 また、同じ勝劣派の日陣が立てる「一品二半・寿量品正意」に対して、「一品二半を以て本門正宗と為すは在世脱益の一辺なり、未だ経旨を極めず、是れ一往の経釈なり。再往は本門八品上行要付を以て真実の経釈と為す」(四帖抄)といい、これを否定している。

〈種脱一双論〉
 日隆は、仏が寿量品に明かした久遠の妙法を脱益の本果妙とし、これを末法に下種する上行別付の妙法こそ本因妙の修行であるとして、正宗一品二半の絶待妙と本門八品所顕の相待妙に種脱、事理の区別を立てている。『観心本尊抄』の「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(新編656)との御文を、「在世と末法、種と脱の異りはありとも、其の体はこれ同じ、故に一同に純円なりとは釈するなり(中略)所詮一品二半と八品とは一妙の上の種脱の上の種脱、在世滅後なり。故に一法の二義と得意すべきなり」(一帖抄)と解釈して、在世と滅後という時機の違いによる勝劣を説き、法体に勝劣はないと主張する。これを「種脱一双」という。

〈繰り返し顕本論〉
 日隆独自の主張に「繰り返し顕本論」といわれるものがある。これは、当時の日蓮宗が天台の観心主義に陥り、「五百塵点は久遠を顕す譬えにすぎない」という五百塵点仮説論を支持したのに対し、日隆は「五百塵点が仮説ならば、本迹もすべて仮説となる」と批判し、五百塵点実数説を唱えた。日隆は、その内容について「顕本報身に始を論ずることは、本因本果二妙顕然なり(中略)三世本有本来常住の五百塵点五百塵点と断絶無く顕本し給うこと無量無辺にして際限なし。無際限の五百塵点を束ねて一箇の五百塵点と経に説けり」(私新抄)と説明している。
 つまり五百塵点劫という有限な実数が際限なく繰り返されることで、実際に無始無終の報身顕本を説明しようとしたものである。

【破折の要点】
◆日隆のいう「八品正意」論、及び「八品所顕の本尊」の誤り
 『観心本尊抄』の「是くの如き本尊は在世五十年に之無し。八年の間但八品に限る」(新編654)との御文を、日隆は「八品正意」の拠り所としている。しかし「但八品に限る」という意味は、末法に本尊を弘通すべき地涌上行は、法華経28品の中でも八品に限って顕れ、結要付属の儀式を済ませて去るという「付嘱の始終」を示されたものである。本尊の正体が法華経の本門八品にはじめて明かされたという意味ではない。
 本門八品に示された正しい内容を示せば、まず『涌出品』では付嘱の人である地涌千界が召し出され、『寿量品』において付嘱の法体である本尊が説き明かされ、『分別功徳品』には本尊の一念信解の功徳、『隨喜功徳品』には五十展転の功徳、『法師功徳品』には本尊を護持する五種の妙行の功徳が示され、『不軽品』には末法における本尊弘通の方軌が示され、『神力品』では、この寿量品の本尊が上行菩薩に結要付属され、最後の『嘱累品』に至って、付嘱を終えた上行等の退座が説かれている。
 この八品を、大聖人が「但八品に限る」と仰せられた「限る」の意味は、八品すべてに通じるものである。すなわち、本門八品の中でも地涌千界の出現は『涌出品』に限られ、本尊所顕は『寿量品』に限られ、結要付嘱は『神力品』に限られると読むのが宗祖の正意であり、ここに寿量品所顕の本尊を中心とした本門八品の意義が、正しく理解できるのである。『新尼御前御返事』にも「此の御本尊は(乃至)宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりて候」(新編764)とあり、八品には寿量品に説き顕わした本尊の付嘱の始終が明かされた旨を示されており、「八品所顕の本尊」など、どこにも説かれていない。
 これを曲げて、あくまで「八品所顕の本尊、但八品に限る」を主張する日隆の誤謬は明かである。

◆法華経や御書のどこにも「繰り返し顕本」なる言葉や教説など説かれておらず、久遠元初の本地に迷った日隆が思いついた迷論にほかならない。

◆『観心本尊抄』の「但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ」の「之」とは、「八品の本尊」という誤り
 日隆は同じく『観心本尊抄』に「但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ」(新編654)とある「之」を、「八品所顕の本尊」と曲解している。
 ここでいう「八品を説いて」とは、通じて本化の菩薩への付属の始終を示すものであり、「之を付属し」とは、別して寿量品の肝心を付属したことを示すものである。
 同文の後半に、「未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」、「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる」(新編654)とあり、「之」とは、付嘱の正体である未曽有の「寿量品の仏」「寿量品の本尊」であることが明かである。
 「八品」との語句に固執し、御書に一言一句もない「八品の仏・本尊」を立てる本門流の主張は、御書の正意に迷う謬見である。

◆「神力品の肝要」「神力品の本尊」の誤り
 日隆の「八品正意」の説は、『寿量品』を在世の衆生のために説いた脱益とし、『神力品』で上行に結要付嘱された妙法を末法の衆生に叶った下種益として相対させた、「神力品正意」の種脱論である。日隆は『神力品』の結要付嘱を示した「皆於此経 宣示顕説」の「此経」を『神力品』と勝手に解釈し、『神力品』において付嘱の要法がすべて顕説され、上行菩薩に付嘱されたと主張する。
 しかし、『観心本尊抄』には、
 「伝教の云はく『又神力品に云はく、以要言之、如来一切所有之法、乃至宣示顕説已上経文。明らかに知んぬ、果分の一切の所有の法、果分の一切の自在の神力、果分の一切の秘要の蔵、果分の 一切の甚深の事、皆法華に於て宣示顕説するなり』等云云」(新編659)
とあって、『神力品』の「皆於此経 宣示顕説」の「此経」とは、寿量品の観心を含む法華経一経を指していることが示されており、これを、あえて『神力品』一品のことだと曲解する日隆の誤謬が明らかである。
 また、同抄には、
 「『遣使還告』は地涌なり。『是好良薬』とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(新編658)
とあり、『神力品』で結要付嘱された要法の正体とは、「寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経」であると明かされている。
 『神力品』には、この寿量品の文底に秘沈された結要付嘱の正体を四句に結んで上行菩薩に譲る「付嘱の儀式」が説かれたに過ぎず、『神力品』で宣示顕説された「神力品の肝要」「神力品の本尊」など、どこにも説かれてはいない。
 すべては、宗祖の本懐である「寿量品の本尊」に迷い、『神力品』に執着した日隆の邪見であることが明かである。

◆『観心本尊抄』の「但し彼は脱、此は種なり」の曲解
 また、日隆は『観心本尊抄』の「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(新編656)との一文を、勝手に曲解し、在世と滅後の衆生を得脱せしめる仏の悟りは、まったく同じであり、その法体に勝劣を認めない「種脱一双論」を主張している。
 しかし、衆生の機根に勝劣があれば、その衆生に与えられる教え、その教えを説く仏自体にも勝劣があるのは当然である。この御文を素直に拝すれば、ともに法華経によって成仏を得る衆生という意味では、「一同に純円」であっても、在世の衆生は過去に善根ある故に脱益仏の説く脱益の法華経(一品二半)が説かれ、末法の衆生は過去に善根無き故に末法下種の仏である地涌上行、その再誕である大聖人によって寿量文底下種の妙法が説かれる、すなわち同抄の肝心たる「種脱相対」を明確に示された御文であることは明かである。
 日隆は、久遠の釈尊に固執するあまり、寿量文底下種の妙法を、在世の釈尊の悟りである法華経文上脱益の妙法と混同し、「一同に純円」との一往の御文を、「一法の二義」などと曲解し、再往「但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」と、明確に峻別された「種脱相対」を、「種脱一双」と改変してしまったのである。
 同じく『本尊抄』には、「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。月支・震旦に未だ此の本尊有さず」(新編661)と仰せられている。ここに大聖人が明かされた末法出現の地涌千界とは、『神力品』において末法下種の要法である「寿量文底下種の妙法」を結要付嘱された上行の再誕、日蓮大聖人ご自身のことであり、「未だ有さず」といわれた「一閻浮提第一の本尊」とは、下種の法体の正体たる、宗祖所顕の未曽有の大曼荼羅にほかならないことが明かである。
 このように御書を曲解し、我流の教義解釈によって邪義を唱える日隆、および法華宗(本門流)は、大聖人の正意に背く異流義にほかならない。


 
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