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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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諸宗破折ガイド 新興宗教 法華宗系 妙智會教団

六 妙智會教団

  創 立   昭和25年10月12日
  創始者   宮本ミツ(会主)
  現後継者  宮本丈靖(たけやす)(ミツの長女の婿第2代会長)
  信仰の対象 十界互具の曼荼羅・仏舎利
  経 典   法華三部経 『朝夕のおつとめ』
  本部所在地 東京都渋谷区代々木3―3―3
  信者数   1,095,897

【沿革】
 妙智會は、宮本ミツが霊友会を脱会し、教えの根本を〝法華経による先祖供養の実践〟にすえ、娘婿の宮本丈靖とともに創設した在家教団である。
 宮本(旧姓石田)ミツは明治33(1900)年、千葉県鳴浜村(現在の九十九里町)の農家に生まれ、18歳のとき、隣村の出身で東京の電気局に勤めていた宮本孝平と結婚し、夫の信仰にしたがって「仏立講」に入った。
 その後、夫孝平の転職による事業の失敗、3人の子供の誕生、ミツ自身の重病等が重なり、生活が困窮した。昭和9年、ミツは兄の勧めにより、夫婦ともに「仏立講」を捨てて「霊友会」に入った。2人は着物を質に入れたり、家財道具を売り払って信仰活動に専念し、孝平は同11年の暮れには第7支部長に、翌年に常務理事に任命され、ミツも同年〝本部勤め〟に抜擢された。
 昭和19年、「霊友会」の創始者・久保角太郎が病没し、孝平も翌年死去したが、ミツの精力的な活動は止まらなかった。しかし同24年に起きた会長小谷キミの金塊・コカイン隠匿事件、翌年の麻薬所持事件などを機に、ミツは「霊友会」から脱会した。
 昭和25年10月12日、ミツは渋谷区代々木において「妙智會」を設立し、自ら会長に就任し、代表役員には長女の婿武保(丈靖)が就いた。以後、ミツは教団の組織・運営は丈靖にまかせ、自身は会員の霊的指導に専念した。
 同30年、代々木の本部にミャンマー(当時のビルマ)から贈られたという仏舎利を安置した。同32年の孝平の13回忌に、ミツは「孝平が霊界で菩薩の位に入った」といい出し、霊友会時代の法名13文字を15文字に変え、さらに〝ミツと孝平が現界と霊界で表裏一体となって人々を導いている〟と主張するようになった。また、ミツと孝平が生まれた千葉の九十九里町に法華多宝仏塔と原始仏塔を建て、孝平の墓所も移して霊域とした。
 同36年、孝平の17回忌の折り、ミツは孝平の呼称を「大恩師」とすることを決定し、同39年には孝平が日常唱えていた「忍善」と称する教訓を教義に取り入れ、さらに会員に〝孝平が教えの源であり、その遺徳がミツの現身を通して現れている〟などと徹底指導した。以後、九十九里町の教団の土地に錬成道場を立てたり、仏舎利とともに孝平の遺骨を祀る久遠仏塔を建てるなど、妙智會の聖地が形づくられていった。

 同50年、代々木に本部新本殿を建設し、同59年にはミツが83歳で死去して「会主」と呼ばれるようになった。
 同62年、第2代会長に就任した宮本丈靖は、開教40周年に当たる平成2年に、開発途上国の子供のための「ありがとう基金」を発足させ、募金活動を展開している。
 平成7年には、代々木に妙智会館(本部教庁)が再建された。

【教義の概要】
 本部の本殿には〝十界具足の曼荼羅〟と称する本尊を祀り、九十九里の聖地には仏舎利を祀っている。また会員は曼荼羅本尊を中心に祀り、その右横に霊友会と同様の総戒名を合わせて祀る。また、教団本部から毎年、三宝荒神の札が会員に配布され、本尊とは別に〝守護神〟として神棚に祀る。
 教団では、霊友会から引き継いだ法華経による「先祖供養」、孝平が示した「忍善」、さらに「懺悔」「感謝」を教えの四本柱と称している。すなわち「先祖とともに自分も成仏する」という目的意識のもとに積極的に修行に励み、忍善を基本精神とした日常生活を送り、自己向上の道として懺悔、仏・国土・一切衆生・父母に対する報恩を実践する、というものである。また、そこに個々の安心立命・真の現世安穏成仏が叶うとともに、社会の繁栄・仏道楽土の建設・恒久平和が実現される、としている。ちなみに忍善とは、良いことをするときにはさまざまな障害が押し寄せてくるが、怒らず、愚痴をいわず、欲をかかずに乗り越えるという日常の心がけのことである。
 四本柱のなかでも、特に先祖供養を教団では重視し、具体的に仏や先祖に食事・花・水を供える「利供養」、仏や先祖の徳を讃える「敬供養」、仏の教えを身をもって実践する「行供養」の三つ供養方法を挙げている。また先祖供養のために、総戒名のほかに個々の霊について戒名をつけ過去帳に記載している。さらに教団では、水子だけでなく動物、台風や地震などの自然現象にも法名をつけて供養を勧めている。
 基本的な行として、会員は仏壇に向かって教団発行の「朝夕のおつとめ」を読誦し、 定例の供養会に出席したり、全国の各支部の拠点で開かれる「法座」に参加する。また教団では、九十九里の聖地団参と身延山久遠寺・七面山団参を会員の二大修行と定めている。布教方法には、毎年地域別に行われる会長布教と、布教者による小さな地域を対象にしたものがある。

【破折の要点】
◆教団では仏舎利を本尊としているが、これは法華経法師品に「復舎利を安んずることを須いず」と禁じられた行為である。法華経を根本経典としながら、その精神を踏みにじる行為である。

◆教団では三宝荒神(仏法僧を守護して悪人を罰するという神)を祀っているが、法華経に「三宝荒神を祀れ」とは説かれておらず、大聖人の御書のどこにも示されていない。所詮、三宝荒神などは民間信仰における竈の神に過ぎないのである。

◆自然現象にも法名を付けて供養するとしているが、自然現象に法名を付けるなどは法華経をはじめいずれの経典にも説かれていない。つまり、単なる教祖の思いつきではじめた戯れ事である。当然、何の意義も実効もない。

◆開教して14年も経ってから、修行者の根本精神となる「忍善」を、教義として定めるなどは、思いつき以外の何物でもない。

◆ミツの夫宮本孝平は霊友会の幹部として亡くなっており、妙智會教団に対しては何も寄与していない。それをミツの思いつきから、妙智會の会員に「大恩師」などと尊称させるのは筋の通らない話である。


 
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