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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 仏教系 中山身語正宗

二 中山身語正宗

  立 教   大正元年2月18日
  創始者   木原覚恵(宗祖)
  現後継者  八坂隆憲(第四世・創始者の孫)
  信仰の対象 立像中山不動尊(不動明王)
  経 典   御座文・般若心経・観音経・理趣経等
  本部所在地 佐賀県三養基郡基山町宮浦2200
  信者数   382,695
  名称の変遷 真言宗瀧光徳寺(大正10年) 中山身語正宗(昭和21年)

【沿革】
 中山身語正宗は、木原覚恵が、霊夢に現れた弘法大師をとおして授かったという「おじひ」(指図)に基づき、「身語正」なるものを掲げて創設した宗団である。
 木原覚恵は明治3年旧7月23日、肥前国宮浦村(佐賀県基山町)の農家の次男として生まれ、俗名を松太郎といった。宮浦村には古くから「新後生」と呼ばれる浄土真宗系の秘密念仏信仰が伝わり、木原家は熱心な門徒であったという。
 松太郎は、3歳のころから意味不明の言葉を発したり、周囲の者には見えないものが「見える」と口走るなど不可解な言動が多かったという。明治12年、父の再婚により、梁井家に養子縁組をした松太郎は、精米・粉挽きなどの家業を手伝った。
 明治27年、広瀬チエと結婚した松太郎は、木挽・炭焼き・農業などで生計を立てながら対馬・長崎・佐賀と渡り歩いた。その間には次女が夭折し、長女を失い、さらには出荷準備を整えた炭を火災で焼失するなど不幸が重なった。悲嘆にくれた松太郎は、明治43年10月、生活の立て直しのために単身で長崎県平戸市に赴き漁師の仕事に就いた。
 同年12月、松太郎は同僚とともに漁に出たが時化のために遭難した。死を予感した松太郎が、必死に金毘羅大権現に祈ると「助かりたいか。御法のため、一切衆生のためその五尺の身体を根本大悲のみ仏に捧げるか」との声が聞こえ、身を捧げることを誓ったという。それから1週間漂流し、通りかかった蒸気船に救助された。教団では、この金毘羅大権現への誓いをもって、松太郎の実質的な出家と位置付けている。
 翌年1月、妻チエが病死した。悲観した松太郎は3人の子供とともに入水しようとした。その時「待て」という声が自身の口をついて出、続いて「死を覚悟すれば、どのような苦難も克服できるぞ。わがままは許さんぞ」との声が聞こえ、松太郎は自殺を思い止まったという。以後、松太郎は基山山麓において修行生活に入った。
 大正元年2月18日の夜、松太郎の夢の中に弘法大師が現れ、「この度根本大悲の親は頼む一念身語正とひらくぞ、世界のはしばしに至るまでひらいてたすけていくぞ。我れ現世利益をもって本願となし中山不動と世に出づるぞ」(中山身語正宗160)とのおじひを授かったという。教団では、この日を立教の日としている。
その後、修行に専念している中で「筑肥(佐賀)に八十八カ所を開け」「速やかに立ちて新宗を開き、弘法大師頼む一念身語正宗旨となして衆生済度せよ」などのおじひを次々と授かったとして、松太郎は開宗に向けての活動を開始した。
 翌年1月、八坂マツと再婚し婿養子となった松太郎は、同年6月15日、高野山の古義真言宗・本願院の津田実英の弟子となり、名を「覚恵」と改めた。その後、3年3カ月にわたり、筑紫山脈の坊住山(ぼうじゅうやま)山頂霊々石(たまたまいし)においてお百度を踏む修行を行い、この行によって覚恵は衆生済度の自覚を得たという。
 同7年、古義真言宗管長より教師試補の資格を与えられた覚恵は、同10年4月、和歌山県那賀郡の「瀧福寺」を佐賀県基山町に移転して「瀧光徳寺」と改称し、「真言宗九州高野山瀧光徳寺」と名乗った。昭和8年、覚恵は後妻マツの実子八坂覚照に瀧光徳寺を譲り、自らは華厳宗の傘下に入って「八宗兼学華厳道場大日教会」の本部を併設した。
 その後、覚恵は覚照とともに満州、朝鮮半島、台湾において布教を展開するが、同17年1月5日、73歳で死去した。
 昭和21年、第2世覚照は古義真言宗から独立、瀧光徳寺を本山とする「中山身語正宗」を立宗し、昭和27年には宗教法人「中山身語正宗」の認証を受けている。
この教団からは数多くの分派が生じている。それは覚恵の複雑な家族関係によるもので、先妻チエの長男木原唯一(覚法)が「光明念仏身語聖宗」、後妻マツの次男八坂照男(仰純)が「身言正宗」をそれぞれ開いている。また親仏と呼ばれる霊能指導者の独立問題から「肥州高野山真心言宗」「一切宗」「八宗兼学真修教」「密厳宗」などが分派している。
 
【教義の概要】
本尊は立像の中山不動尊である。これは宗祖覚恵が受けた弘法大師の霊告によるものである。現在の本山・瀧光徳寺本堂に祀られる不動尊は、昭和28年12月に第2世覚照が造立したものである。その形は赤身・並眼・舟形の火焔を背負った立像で、大きさは宗祖覚恵の身の丈(五尺三寸五分)に合わせてあるという。
 経典は、宗祖覚恵が弘法大師から授かったという『御座文』を、教団の根本聖典としている。信徒は日々これを読誦することを基本とし、その他に般若心経・観音経・理趣経等を併読している。
 教義の基本は「身語正」の実践にある。身語正とは「身に正しく如来の語(ことば)を授かる」との意味で、仏が直々に授ける言葉(おじひ)を身口意にわたって実践し、さまざまな現世利益の不思議を体験して、自らが真の菩薩となることを信仰の目標とする。
 そのおじひを授かるためには、宗祖覚恵と同じく「頼む一念」で一途に仏に「おすがり」する行が必要であるとしている。その行には滝行、念仏行、経典読誦、お百度、巡礼などがあるが、その選択は、親仏と称する教団認定の霊能指導者が行うこととなっており、親仏がおじひにより授かった修行内容を、それぞれの子仏(信徒)に指示することになっている。
 修行の概要は、次のようなものである。
 滝行…本山・瀧光徳寺には中山本滝、養老の滝、成田の滝の3つの滝があり、これを一度にまわ    る「三滝」、あるいは1つの滝で1日に100回滝に打たれる「百滝」の行
 経典読誦…昭和56年1月21日に制定された「ご宝前の行」という勤行式があり、これを1日に1度は唱える
 巡礼…「古四国巡拝」とも呼ばれる修行で、宗祖覚恵が「おじひ」により廃仏毀釈で捨てられた仏像を祀った堂宇を巡る行。毎月1回、瀧光徳寺を中心に、基山から鳥栖方面までの約80キロの道程を2日間で巡る
 お百度…祈願を込める行としてのお百度。瀧光徳寺内にある宗祖覚恵像が立つ「お百度場」にお百度参りをする
 これらの行によって行者の身に宇宙の大生命力が備わり、その力が行者の身体や手先を通して流入し、病気を治したり、相手のさまざまな苦悩が解決できるとしている。
 ちなみに、おすがりを行ずるなかで、親仏から「確信をもって信仰している」と判断された者は、「御成就」と称する入信儀式を受けることができるという。これは子仏と本尊・中山不動尊と宗祖覚恵との縁結びの儀式で、法蔵比丘を祀る「御宝蔵堂」において行われる。この儀式中、霊感に打たれて発語や霊動を体験する信者もいるという。さらに御成就を受けた者のうち、親仏から資格有りと認められた者は得度が許され、在俗のままで僧名を受けることができるとしている。
 また得度した者のうちで、親仏の推薦を受け、本部主催の講習・法座を受講し、輔教師養成講座の試験に合格すれば輔教資格者となり、親仏に準ずる資格を有する。この輔教資格者のうち10世帯の子仏を持つ者が親仏と呼ばれ、布教所を持つことが許されるという。

【破折の要点】
◆中山身語正宗では「中山不動尊」を本尊とするが、ほかにも大日如来を祀る「大日堂」はじめ、釈迦を祀る「釈迦堂」、阿弥陀を祀る「弥陀堂」、さらに「馬頭堂」「金毘羅堂」など、実に種々雑多な神仏・諸尊を本尊として祀っている。教団では「本尊は『中山不動尊』のみで、その他は信徒の志しによって建立されたものであり、信仰の対象ではない」としているが、教団発行の記念資料によれば「(昭和の初期)ご宝蔵、馬頭堂、大日堂、淡島堂、釈迦堂、弥陀堂等々この頃ようやく本山としての装いが整ってきた」(中山身語正宗158)とあり、「中山不動尊」以外の種々の諸仏・諸神を祀る堂宇は、本山として必要不可欠な伽藍であると述べている。
 このように、教団では宗旨の本尊以外に種々雑多な神仏を祀り拝ませているが、これは宗教の命ともいえる本尊に対する定見がないことを、自ら証明するものである。

◆教団では、信徒に「心に根本大悲の親(仏)を信じていれば、たとえ阿弥陀仏でも、釈迦仏でも、先祖の位牌でも、何を拝んでも構わない」といい、その根本大悲の親である仏は「目には見えない仏」といい、しかも「いずれの経典にも説かれていない仏」であると説明している。
 この出所不明の仏に関する言葉自体、教祖が思いつきの素人法門を振り回し、信者を誑かす教団であることの証拠である。

◆日々の勤行式の『ご宝前の行』においては、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 さても さても かたじけない」と阿弥陀仏を礼讚し、108反の念仏を称えることが記されているが、なぜに不動尊に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えるのか。矛盾も甚だしいといわざるを得ない。

◆教団では「身語正」とは、「身に正しく如来の語を授かる」こととしているが、その如来とは「目に見えない仏」などといって実体を明らかにしていない。明らかではない仏から「如来の語を授かる」ことなどできるはずがない。

◆仏の「おじひ」を得るためには、滝行・巡礼等の修行が必要であると説いているが、これらはいずれも荒行であり、老若男女すべての人が行えるものではない。中山身語正宗は一切の衆生を救えない、仏の教えに背く偏頗な教団である。


 
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