本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 仏教系 解脱会

三 解脱会

  創 立   昭和4年8月
  創始者   岡野聖憲
  現継承者  岡野聖法
  信仰の対象 主祭神 天神(てんじん)地祇(ちぎ)太神(おおみかみ) 
  本 尊   五智如来 併せて解脱金剛(開祖・岡野聖憲)
  教 典   『般若心経』 『解脱金剛とその教義』(岸田英山著)
  本部所在地 埼玉県北本市緑1―1
  信徒数   192,494
  名称の変遷 解脱会(昭和4年) 解脱報恩感謝会(昭和15年) 解脱会(昭和36年)

【沿革】
 解脱会は、甘茶(天茶(あまちゃ))に、霊や業障を浄化する神秘的な力があるとし、戒名などを書いた札に甘茶をかけて供養をする「天茶供養」で知られる教団である。
 解脱会の開祖・岡野聖憲は、明治14(1881)年11月、埼玉県北足立郡中丸村(現・北本市)の農家の2男に生まれ、名を英蔵(英三)といった。父牧太郎は土地の有力者で、真言宗多聞寺の総代や氏神である天満天神社の役員を務めていた。
 英蔵は、14歳のとき東京に奉公に出たが、2年後に家庭の事情で帰郷し、綿織物の流通で成功をおさめた。しかし、明治41年に脱税容疑で摘発されて会社が倒産し、多額の借金をかかえて再び東京に出た。英蔵は、ここで極貧生活を送るが、同43年、港湾労働者として回漕業(海運業)者に雇われ、次第に頭角をあらわし、大正元(1912)年には別の回漕業者の店で番頭になった。同4年に結婚し、同11年に回漕業「北海共同組」を組織して独立した。
 大正14年、45歳のとき、急性肺炎を患った英蔵は、その回復が思わしくなかったが、母親が飲ませた甘茶により急激に治癒する体験をしたという。
 英蔵は、事業にかげりの見えはじめたこのころより宗教に関心をよせ、さまざまな神社仏閣をたずねた。昭和元年には事業を縮小し、東京・下高井戸に別荘を建て、修験道の僧や法華の行者、教派神道の天津教教祖、天理教の信者などと交わってその教えを習った。また、釈迦、孔子、キリストなどの偉人を敬う万教帰一的なモラロジー(道徳科学)などを研究し、丹沢や伊豆山の山中では独自の修行も行った。
 やがて下高井戸の別荘に人が訪れるようになり、病気治しの評判がたちはじめたころ、英蔵は甘茶による供養方法を思いつき、自ら祈祷を行うようになった。
 昭和4年正月、故郷の北本の神社に初詣したとき「太神(おおがみ)を世に出せ」との神の声を聞いた。同年5月、再び神の声を聞き、そのとおり菩提寺の多聞寺にある石塔を開くと経典が納められていた。これを借りて写していると、自然に手が動いて文字を書いたという。
 同年8月、49歳の英蔵は、宗教専従の生活を送ることを決意した。「解脱会」では、このときを開創としている。
 昭和6年、宗教活動をきらう妻と離婚し、同年4月、当山派修験道の本山である真言宗醍醐派三宝院で得度して五法院の院号と聖憲の僧名を受け、教師試補となった。
 昭和7年8月、聖憲は北本において「真言宗修験道解脱教会」を発足させ、同時に東京・四谷荒木町に独自の「解脱報恩感謝会」をつくって、布教道場を開設した。
 昭和12年の日中戦争勃発ごろから、国家権力の宗教団体に対する干渉が激しくなったため、教団は独自の霊能的色彩をうすめ、既成宗派の真言宗醍醐派傘下にあることを強調した。以後、国粋的な傾向を強め、国家への献金、献納をすすめ、昭和16年には、皇祖を祀る伊勢神宮、建国の祖を祀る橿原(かしはら)神宮、皇室の菩提寺である泉(せん)涌(にゅう)寺を団体で参拝する三聖地巡拝をはじめた。これは現在でも、引き続いて行われている。
 昭和20年8月の敗戦後、戦時中の教団の在り方について内外から批判があったが、引揚者や戦争未亡人のために海産物の加工や織物などの職を与える授産事業を行い、世評をかわした。
 昭和23年11月、聖憲は両手を上げ、あくびをするようにして、68歳で逝去した。死後、醍醐寺から「権大僧正」の僧階と「解脱金剛」の諡(し)号が贈られた。これにより解脱会では聖憲を「解脱金剛尊者」と呼んでいる。
 聖憲の死後、教団は後継者を選定しなかったが、昭和28年に聖憲の兄の孫岡野聖法が14歳(中学2年)で教団の代表者(法主(ほうしゅ))に就いた。
 昭和29年11月、醍醐寺より聖憲に、最高位の「大僧正」位が贈補され、昭和34年、聖憲とともに解脱会を運営してきた岸田英山が、解脱会の中心的教典『解脱金剛とその教義』を出版した。
 昭和36年、教団は名称を「解脱報恩感謝会」から「解脱会」と改称した。

【教義の概要】
 信仰対象は、主祭神の天神地祇太神で、併せて岡野自筆の五智如来と解脱金剛を祀る。
 天神地祇太神は、宇宙そのものにして大生命体であり、これによって万物が生み育まれるとし、五智如来とは主祭神の人間への加護など、具体的な生命活動を神格化したもので、大日・阿閦(あしゅく)・宝生・阿弥陀・釈迦の五如来が相当するという。解脱金剛とは、会祖・岡野聖憲のことである。信者は、これらに向かって、朝夕『般若心経』を読み、「南無解脱金剛」と唱え勤行をする。
 解脱会では、人間の災難や不幸は、先祖の悪い因縁があらわれたとき、祀られていない有縁無縁の霊魂が助けを求めているとき、自分が生かされていることに対しての感謝の心が足りないときなどに起こるとしている。これを改善するには、自己反省により自我(自己中心性や欲望)を没却する「心直し」を行い、大自然のなかに生かされていることを自覚し、敬神崇祖、感謝報恩の行為をすることが必要であるという。
 この「心直し」の方法として、「天茶(甘茶)供養」「御(おん)五(ご)法(ほう)修行」「御秘法お浄め」の三つの修法があり、これを「秘儀三宝」といって、信者にすすめている。
 天茶供養とは、戒名などを書いた供養札に、供養すべき霊の名を念じながら、甘茶を注ぐというものである。また、場合によっては、甘茶を祭壇に供えたり、地面に散布したりする。
 これは、災難を起こす不幸な霊魂が、その業障を洗い浄める力をもつ甘茶を切望していることから行われる。その結果、甘茶で霊魂の業障が取り除かれれば、供養者は安心、幸福を得ることができるとする。この甘茶供養の総仕上げとして、年2回、春秋の大祭で「万部供養」が施行される。
 御五法修行は、修行者と仲介者の2人が組になって行う。修行者が神前に正座合掌して、両手の間に「五智如来の種(しゅ)字(じ)」(梵字で書いた曼荼羅)が記された「御五法」と称される霊符をはさんで祈念をはじめると、修行者に関係のある霊がさがって、修行者が神がかり状態になるという。この神がかった修行者の手の振動などを、霊のお告げを判断する仲介者が見て、悩みや苦しみの解決方法を教えるのである。これは現世の業障を断ち、一切苦から解脱するために行う修行であるとしている。
 御秘法お浄めとは、修行者が神前に正座合唱して、手の間に「御秘法」という霊符をはさんで黙想する行である。これは心を浄めるための行とされる。
 解脱会では、在家仏教の道を説き、一宗一派にとらわれない超宗派の立場に立つとする。具体的には、入会前の神仏、父母や先祖が信仰していた神仏を守護神と位置づけ、各家の宗旨を変えないで、自身の菩提寺を尊び、住んでいる土地の氏神を大切にすることを指導する。
 また、日常の行動では、「生活即宗教」を基本とし、「信仰」に「真行」の2字をあて「真の行い」であるいい、その実践法に「五常」をたて、「五恩」に対する報恩行為をすすめている。解脱会では「五常」とは忠・孝・仁・義・礼であり、「五恩」とは国土・父母・師・社会・天地万物の恩としている。
 総じて、解脱会は真言宗の影響を強くうけているが、神道や他の新興宗教からも、さまざまなものを取り入れている。
 教団は、会祖・岡野の郷里である埼玉県北本市にある教団所有地を「御(ご)霊(れい)地(ち)」とする。
「御(ご)霊(れい)地(ち)」には戦前に岡野が建てた「三建碑」と呼ばれる万霊魂祭塔、太陽精神碑、頌徳碑があり、ここでは春秋大祭をはじめ解脱金剛に対する報恩感謝などの行事が行われる。

【破折の要点】
◆定見のない解脱会
 天神地祇太神なるものを主尊として拝んでいるが、これはどの教典にも、文献にもない解脱会の発明、独創である。仏教の流れをくんでいるのであれば、教典によって明確な根拠を示すべきである。根拠が示せないのは邪説である。
 真言宗の教えでは、顕教を密教より劣るものとしている。解脱会は真言宗の末流でありながら、密教より劣るとする顕教の『般若心経』を依経とするのは矛盾である。
 解脱会は、開創以来、宗教統制の時代には真言宗の傘下に入り、戦時中は国粋主義を主張して、皇室を利用し、戦後は授産事業を行って世の歓心を買うなど、社会の動きをみながら、今日まできている。これでは、都合により、いつまた教えが変わるかわからない。解脱会は無節操な迎合主義の教団である。

◆「秘義三法」は根拠のない魔説
 解脱会では、有縁無縁の霊魂の業障によって、人の悩みや苦しみが起こるとしている。しかし、仏教では、死者の霊魂がこの世に残って祟りをなすというようなことは、説かれていない。根拠のない霊界や霊魂の存在を作りだして、いわれなき不安を与え、供養を強要するのは仏教に名を借りた外道というべきである。
 「秘義三法」の根拠となるものは、いかなる教典にもない。このようなことを行うことは、まったくの己義であり、許されないことである。
 甘茶に、苦しむ霊魂を救う神秘的な力があるとしている。仏生会(花祭)に誕生仏に甘茶をかける習わしがあるが、これは釈尊誕生のときに甘露が降ったという故事によるものであって、甘茶そのものに力があることを示しているのではない。

◆「超宗派」という矛盾
 解脱会は「超宗派」であるので、自分の属している既成宗派を尊ぶようにすすめている。しかしまた、災難を除き、幸福を得るためには、解脱会独自の「秘義三法」を修するように指導している。これは、既成の宗派を尊んでも意味がないということである。既成宗派を尊べということは、既成宗派と摩擦を起こさないということにしかすぎない。
 解脱会では、各家の宗派や菩提寺を大切にするように教えている。しかし、仮にその宗派が解脱会を排除したり、批判したりする場合、また解脱会の教義と違うことを説く場合はどう対処するのか、矛盾を起こすことは必定である。


 
inserted by FC2 system