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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 仏教系 卍教団

五 卍教団

  創 立   昭和23年4月
  創始者   真木応瑞(第1世)
  代 表   真木崇日女(応瑞の長女)
  信仰の対象 金剛・胎蔵両部の大日如来(曼荼羅)
  教 典   『大日経』『五輪九字秘釈』『合掌本儀編』
  本部所在地 福岡県久留米市津福本町35―39
  信者数   818,920
  名称の変遷 昭和18年「真言宗遍路派」、昭和23年「卍教団」

【沿革】
  卍教団は、真木応瑞が既存の仏教教団を解体し、寺院の自由自治、教師の自主独立を提唱して創設した真言宗系の教団である。
明治40年1月10日、応瑞は糸島郡前原(現福岡県前原市)の真言宗大覚寺派・千如寺大悲王院14世貫主の真木宥馨(ゆうけい)の長男として生まれた。
大正8年8月、13歳になった応瑞は、福井県武生市の曹洞宗成景禅寺において得度した。応瑞は禅僧として修行していたが、アナーキスト(無政府主義者)として左翼運動に加わったため、官憲から追われることになった。
 昭和5年、同じ福岡出身で国家主義者であった頭山満の勧めにより、それまでの左翼運動から一変して右翼運動に転向した。やがて応瑞は実家に戻り、真言宗の僧に復帰した。
昭和18年、佐賀県鹿島町(現鹿島市)の誕生院で執事をしていた応瑞は、新義真言宗の祖覚鑁(かくばん)の霊告を蒙り、合掌(身業)による成仏法を感得したという。これにより応瑞は「真言宗遍路派」を創設した。
 終戦後、真言宗九州教団の再編の動きに合わせ、応瑞は「十三宗五十六派を解体し、仏教の原点である釈迦に還れ」とのスローガンを掲げ、仏教の標識である「卍」に独自の解釈を加え、この原理のもとに宗派を問わず、すべての寺院教会が自由連合し、相互扶助のため結集すべきであるとの主張を展開した。
 この呼びかけに対し、真言宗御室派大徳寺の一派、真言宗善通寺派聖観寺の一派が末寺教師を引き連れて参加し、応瑞は昭和23年4月に、真言宗諸派連合「卍教団」を結成した。翌24年7月には宗教法人を設立し、久留米市西町に連合教務所「高野山八葉閣」を置いた。
 卍教団は連合組織の形態をとり、一般の教団における本末関係とは趣を異にしている。
 『宗教法人卍教団規則』の第3章「寺院及び教会」の項には、「第二十三條 この法人に包括される寺院教会及び教師の、個々の自由自治、自主独立はあくまで尊重され、これらの寺院教会及び教師を単位としてこの法人は形成される。
 2,各寺院教会及び教師は、事務的便宜上あるいは古来の本末関係、法流、師資等の関係により、一個のグループを形成し、このグループの中で一箇の本寺を定めることができる。
 3,本寺は、その所属寺院教会及び教師の数によって、準別格本山、別格本山、大本山、総本山 等の呼称を用いる」とあり、寺院教会や教師の数によって本寺の寺格が定められ、総本山や大本山等という呼称も寺院規模の大小によって決められるとなっている。
 したがって、教団が定める統一的な信仰活動というものはほとんどなく、各グループあるいは各本山・各寺院の自主運営に任せられているというのが実情である。
 平成9年に応瑞は90歳で死去し、同10年6月には、応瑞の長女・崇日女が現在、教団の代表として就任している。
なお、卍教団では機関紙『マンジ』を月1回発行しているとしているが、昭和27年6月に第1号が発行されてから第2号以下が発行された形跡がない。

【教義の概要】
 教団は、真言宗諸派の連合組織であるため、本尊は金剛・胎蔵の両部の大日如来(曼荼羅)とし、『大日経』と覚鑁が著した『五輪九字秘釈』『合掌本儀編』を経典としている。
この教団の教義の特徴は「卍」の解釈にある。教団創立者である真木応瑞は、仏教の標識となっている「卍」を、Light(ライト=光明)・Love(ラブ=聖愛)・Life(ライフ=生命)・Liberty(リヴァティ=自由・解脱)の頭文字であるL字が合成されたものとし、これに知・情・意を配し、具象化して知を文珠菩薩、情を観世音菩薩、意を普賢菩薩、自由解脱の具現者として釈迦如来を配する。さらに「卍」の中央に大日如来・阿弥陀如来を意味するAbsoluteness(アブソリュートネス=絶対・無限)の頭文字である「A」の字を置き、これを「卍曼荼羅」と称して教団の聖典としている。
 すなわち、卍教団では仏教の究極の目的は、個人の成仏とこの世に極楽世界を建設することであり、本来の持ち前を完全に成就し、与えられた存在価値を100%発揮して、完成した人格を目指すことにあるとしている。
 その完成された人格とは、知・情・意が円満な発達を遂げ、しかも知・情・意のいずれにも偏しない心境のことである。それが自由解脱の境地であるとし、それは「卍」の意義を身に証し、Absoluteness(絶対・無限)を実現することにほかならないとする。そして、このような「卍」教の信仰者によって構成された世界がこの世の極楽世界であるとしている。
 また教団では、「合掌一路」という合掌による成仏を説いている。応瑞は、即身成仏を説く宗旨について、天台と真言の2宗は身口意の三業三密によるとし、浄土宗と真宗の往生成仏は念仏による口業一密、禅宗は見性成仏による意業一密、そして法華宗は唱題による即身成仏を説くゆえに口業一密であるとし、唯一身業一密を顕したのは新義真言宗の祖・覚鑁であり、それこそが「合掌(身業)一路(一密)」であるなどと主張している。
 またこの教団では「土砂」による病気治しが行われている。これは応瑞の父が住職をしていた千如寺大悲王院の一角には、弘法大師が発見したという霊験あらたかな土砂が産出するとし、この土砂による祈祷を今日に伝えているのが応瑞であるとしている。これまで秘中の秘として門外不出の加持であったものを、応瑞が「自利利他済世利民のため」はじめて公開するとしている。この土砂を粉末にし、水に浸したものを「加持宝水」と呼び、これを飲むと諸種の病気が治るなどと宣伝している。
 また教団には「本四国八十八ケ所御砂ふみ修行」と称する行事がある。これは、四国88カ所の各札所から持ち帰った砂を袋に入れ、各札所の写真の前においてこれを踏めば、88カ所に参詣したのと同じ利益があると説明している。

【破折の要点】
◆卍教団では、「卍」とは4つのLを合成したものとし、これを教団存立の根本理念としている。しかし、この「卍」とは、仏の胸や手足、眉間や頭髪等に現れた徳相・吉祥のしるし・功徳円満を意味するものであり、「卍」が四つの英語のLで合成された文字であるとか、それが「光明」「生命」「聖愛」「自由」を意味するものという解釈は、仏教にはまったく存しない。したがって、このような教団の主張は、単なる「こじつけ」の何ものでもない。

◆卍教団は、既存の仏教教団の解体を唱え、「仏教の原点である釈尊に還れ」を主張しているが、卍教団自身、弘法大師や覚鑁を教団創設の祖と立て、真言宗の両界曼荼羅を本尊とし、大日経等を教典とする真言系教団の形態をとっており、しかも「土砂加持」や「お砂踏み」などの行儀も、既存の真言宗と何ら変わるところがない。すなわち、実態は「すべての仏教教団は真言宗のもとに集まれ」と呼びかけているにすぎない。
 卍教団が宗祖とする弘法大師は、大日如来と釈迦如来との優劣を判じ、釈尊を「無明の辺域」と罵り、大日如来の草履取りにも及ばない下劣な仏と酷している。このように真言宗自体「仏教の原点である釈尊を無視した」教えであり、「既存の教団を解体し、仏教の原点である釈尊に還れ」との非難は、むしろ卍教団や真言宗にこそ向けられるべきである。

◆教団創設者応瑞は、法華宗の成仏は唱題による「口業一密」であると決めつけ、合掌による成仏(身業一密)を説くのは卍教団だけであるなどと主張している。合掌が大切であると説くのは何も卍教団だけに限った教えではない。『法華経』には「実相印」「合掌以敬心」「即起合掌」「合掌向仏」等々、合掌に関する御文が数多く説き示されているのである。
 成仏とは、合掌(身業)だけで成就するものではなく、口業・意業の働きも大切なのであり、口や心を離れた身の成仏はないと知るべきである。身口意の三業にわたる仏道修行こそ仏法の基本であるにも関わらず、「身業」のみで成仏すると説く卍教団の教えは仏法破壊の邪論であり、人々を誑惑する魔説である。


 
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