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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 仏教系 阿含宗

七 阿含宗

  創 立   昭和53年4月8日
  創始者   桐山靖雄(きりやませいゆう)(管長)
  信仰の対象 真正仏舎利
  経 典   阿含経
  本部所在地 京都市山科区花山大峰町17―5
  信者数   321,283
  名称の変遷 観音慈恵会(昭和29年) 大日山金剛華寺観音慈恵会(昭和42年) 
        阿含宗大日山金剛華寺観音慈恵会(昭和53年) 阿含宗(昭和56年)

【沿革】
 阿含宗は、桐山靖雄が「阿含経の教説を密教の方式で実践することにより、誰でも超能力を備え、仏陀になれる」と主張し、設立した教団である。
創始者・桐山靖雄は本名を堤真寿雄(ますお)といい、大正10(1921)年1月、横浜市神奈川区において4人兄弟の長男として生まれた。両親が仕事の関係から千葉県流山に転居したため、真寿雄もここで幼少時代を過ごした。
 昭和9年に単身で上京した真寿雄は、新聞販売店に住み込みながら神田三崎町の私立中学に通った。しかし新聞配達と学業の両立ができず、やがて中途退学し、15歳で出版会社に入社した。
 同14年、結核性の痔瘻とカリエスに罹り、房州上総の病院に入院した真寿雄は、精神的安心を得るために宗教書を読み漁り、自ら考案した瞑想法や数々の養生療法を試みたという。
 戦後、退院した真寿雄は、弟たちとはじめた製粉機・精米機のヤミ販売で利益を上げ、さらに水産加工物販売にも手を広げた。この頃、歯科医師の渡辺たちと結婚している。
 まもなく水産加工物の事業に失敗した真寿雄は、多大な負債を抱え、債権者に強く責められて、父親の残した廃工場で首つり自殺をはかろうとした。そこでたまたま目にした『般若心経』『準胝観音経』等の経巻を読み、死ぬのを思い止まった。このことがきっかけとなり、真寿雄は観音信仰に励む一方、運命学や因縁解脱などを学んだという。
 同28年8月、真寿雄は合成ビールを密造販売したことにより、酒税法違反と私文書偽造の容疑で逮捕され、翌29年3月、第一審において懲役1年6カ月及び罰金五万円の実刑判決を受けた。この判決を不服として控訴したが、7年後には有罪が確定し、真寿雄は習志野刑務所で約1年間服役している。
 逮捕をきっかけに、一から出直すことを決意した真寿雄は、同29年8月、横浜市鶴見区生麦の借家において「観音慈恵会」を設立し、母方の姓をとって自らの名を「桐山靖雄」と改めた。
 靖雄は主に、人生相談や運命鑑定を中心とした活動を展開するが、収入は少なく、家賃を滞納したため、立ち退きを迫られた。靖雄は東京在住の会員を頼って転々としながら、東京と京都・大阪・愛知・石川等を往復して会員を増やし、やがてそれらの地域に支部や道場を開設するまでになった。
 この間、靖雄は断食・滝行などを行ずる一方、法華経などの大乗経典を学んだが満足できず、次第に密教に傾倒し、同30年10月には、姫路市の真言宗金剛院派本覚寺において得度し、僧籍を得たという。
 同42年、靖雄は「観音慈恵会」を「大日山金剛華寺観音慈恵会」と改称し、すでに開設した道場の中で唯一、加賀市の北陸道場だけが土地・建物ともに教団の所有であったことから、同44年8月に石川県において宗教法人を取得した。
 翌年、靖雄は静岡県富士宮市天母台(あんもだい)において、第1回「大柴燈(だいさいとう)護摩供(ごまく)」と称する世界平和祈願祭を行った。これが後に、教団の最大行事となる「火の祭典 阿含の星まつり」のはじまりである。
 同46年、当時のオカルトブームに乗って自著『変身の原理』が世間の注目を集めると、靖雄は妻のたちに株式会社平河出版社を設立させ、自分が著した密教解説書を次々と出版し、同48年には株式会社光和食品を設立して密教食を売り出すなど、意欲的に教団関連会社の拡充を図った。
 また同52年には、港区北青山や京都市内に瞑想道場「ニホン・メディテーションセンター」(後に「求聞持スクール」と改称)を開設した。このころ、靖雄は「密教は成仏の修行法が観念化されているが、『阿含経』には『七科三十七道品』という真実の成仏法が説かれている」との考えにいたった。
 同53年4月、『阿含経』を根本経典とする「阿含宗」を立宗し、同年6月には教団名を「大日山金剛華寺観音慈恵会」から「阿含宗総本山大日山金剛華寺観音慈恵会」と変更した。翌年4月、千代田区平河町に東京総本部道場を建設し、同56年には石川県から京都府に宗教法人を移転するとともに、教団名を「阿含宗」と改称した。同58年には京都市東山区に関西総本部を完成させた。
 同61年、スリランカより「真正仏舎利」が贈与されたことを受け、靖雄は本尊を従来の準胝観世音から「真正仏舎利」に変更した。
 同62年1月、教団の関連会社「光和食品」が、無許可の漢方薬を原料とした密教食を販売したことによって摘発を受け、元会長の靖雄をはじめ営業部長ら七名が薬事法違反の罪でそれぞれ罰金20万円の略式命令を受けた。
 平成2年、教団は布教の拠点として神戸に「メシア館」を、翌年は横浜に「占いの館・シャリーラ」を開設し、主に若者を対象にして密教占星術による占いやカウンセリングを行っている。
同三年四月に教団は、京都市山科区に総本殿・釈迦山大菩提寺を建て本山とし、毎年2月に阿含の星まつりを催している。同年7月、教団は地球の守護仏として真正仏舎利を人工衛星に搭載した。

【教義の概要】
 靖雄は観音慈恵会以来、たびたび本尊を変更しているが、現在、教団が総本尊と称して祀っているのは「真正仏舎利」である。靖雄が過去に仕立てた本尊には、
一、「大白身如来最勝金剛仏母準胝観世音」…観音慈恵会時代
二、「大白身如来最勝金剛仏母準胝観世音大菩薩」…昭和53年の立宗時
三、「大日如来・釈迦如来・準胝如来の三身即一の如来」…昭和54年2月の「大柴燈護摩供」(阿含の星まつり)で、火焔の中に姿を現したとしている
四、「真正仏舎利」…昭和61年にスリランカから贈られた釈尊の遺骨
などがあり、大日如来・釈迦如来・準胝如来の三身即一の如来は現在でも、一応本尊としている。
 信者は、各家庭に〝御宝塔〟と称する金属製の仏舎利塔を祀る。この舎利塔は、靖雄が「真正仏舎利」の前で7日間「舎利法」を修し、真正仏舎利と同等の功徳力が備わるという石を納めたものである。
 教団の所依の経典は、立宗以前は『準胝観音経』や『般若心経』としていたが、立宗後は『阿含経』としている。
 阿含宗では、人間自身には各自が前世から担ってきた「ヨコの因縁」と、祖先から受け継ぐ「タテの因縁」とがあり、そのタテとヨコの因縁が交わるところにカルマ(業)があると説明している。
 そして、人間が不幸になる悪因縁は、執着や執念のために成仏できない「不成仏霊」と、不成仏霊のなかでも特に怨念の強い「霊障のホトケ」との2つによって引き起こされるとし、教団発行の『修行者座右宝鑑』には家庭衰退の因縁・二重人格の因縁・色情の因縁など、霊障によって形成される37種の悪因縁を挙げている。
 教団では、これらの霊障を取り除き、さまざまな悪因縁から解放され(因縁解脱)、自由自在の境地になるための実践法として「成仏法」「如意宝珠法」「求聞持聡明法」の三つを教えている。
「成仏法」とは、『阿含経』に説かれる「七科三十七道品」である。七科三十七道品とは、四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道等の修行方法のことであり、靖雄はこれを「7つのシステムと37のカリキュラム」と称し、生者、死者の業を断ち、因縁解脱をして仏になるための実践法としている。
 「如意宝珠法」とは、「真正仏舎利」(釈尊の遺骨)の力によって、願うままに福徳宝生が与えられ、因縁解脱成就へと導く法であるという。
「求聞持聡明法」とは、人の記憶力を数倍にも高め超能力を与え、凡夫を天才にすると同時に、仏陀の悟りに至らしめる法であるとしている。これらの修行法は、阿含経の教説に基づくとしながら、実践においては密教様式を採りいれたものである。
 また、教団における行法は、観音慈恵会時代と立宗当時は、1日3、40分の行を欠かさず1,000日間続ける「準胝尊・因縁解脱千座行」が中心であった。この行は、自己の悪因縁を断ち切る(因縁切り)ことを目的に行われた。しかし、立宗から八年後の昭和61年にスリランカから贈られた仏舎利を本尊に変更してからは、1日10分間程度の「仏舎利宝珠尊・解脱宝生行」と称する礼拝供養を行うだけで、因縁切りと福徳宝生の功徳が備わるとしている。
 信者は、「不成仏霊」を供養する「冥徳供養法」と「霊障のホトケ」を供養する「解脱供養法」を行う。冥徳供養法は、管長・靖雄が供養した塔婆を自宅の舎利塔に置き、真言を称える。そして、その塔婆を教団に返納し、毎月管長が供養を続けることにより「守護霊」を持つことが出来るとする。「解脱供養法」は、管長が「霊障のホトケ」を探り出し、戒名・法名をつけ、そのホトケを完全解脱させるという。
 その他に同教団には、教団運営のための奉仕活動や布教を行う「梵行」がある。自身の欠点や短所を消滅させる「戒行」、徳を積み福を伸ばすための「課行」との実践修行がある。さらに、教団は、土地や家の霊障を取り払う目的で「土地浄霊法」「地鎮屋敷浄霊法」を行っている。

【破折の要点】
◆阿含宗は、立宗時に本尊・修行が決まっていなかった、という奇妙な教団である。
靖雄は、本尊について「教団を立てるとしたら、本尊の仏をきめなければならないが、それは、生身の釈迦とされる仏舎利以外あり得ない」(オウム真理教と阿含宗147)」と述べながら準胝観音を本尊とした。教義・修行についても「立宗時に、ある程度の教義が樹立されていたが、それが完成し、修行法までできあがるのには『熟成』の期間が必要である」(同前・趣意)と述べている。
 実際に、昭和53年4月の立宗以後、八年もたってから本尊を準胝観音から真正仏舎利に、修行は「準胝尊・因縁解脱千座行」から「仏舎利宝珠尊・解脱宝生行」に変更している。
 阿含宗はまさに、靖雄のご都合主義による教団である。

◆阿含宗では、立宗以来「大白身如来最勝金剛仏母準胝観世音大菩薩」「大日如来(三身即一身)」「真正仏舎利」等と本尊を変更している。しかしいずれの本尊も、教団が依経とする『阿含経』には、本尊にせよ、とは説かれていない。しかも変更した本尊に関する法義的一貫性はない。靖雄の単なる思いつきによる本尊変更である。
 実際、靖雄は「やたらに本尊や教義を変えるものではない」との質問に、「かれらは、『なぜそうしたか?』という理由など全然、知ろうとせず、だた、本尊や教義は変えるものではないと、一方的に攻撃するのである。私は、内心、かれらの無知を笑って一瞥もくれなかった」(オウム真理教と阿含宗162)と答えている。ここに、本尊の変更理由を正攻法に論ずることができない、靖雄の論理破綻が浮き彫りにされている。

◆靖雄は、真正仏舎利を「これこそが真実の仏であり、仏教徒の総本尊」と高言している。ところが、この真正仏舎利なるものはたまたま入手できたに過ぎない。靖雄自身が、舎利を入手した経緯を「日本の某教団が舎利を受けることになり、その分骨式をスリランカの国家的行事として行ったが、相手の不都合により贈与が中止となった。しかし国家的に分骨式を行った手前、従来仏舎利を蔵していた寺院にもどすことはできず、急遽、阿含宗に贈与されることになった」(オウム真理教と阿含宗・取意)と説明をしている。
 阿含宗として立宗してから、偶然手に入れた舎利をもって教団の本尊に即座にしてしまういい加減な教団である。

◆靖雄は自分がかつて『法華経』等の大乗経典を用いていたときには、大乗非仏説を否定していた。ところが、自ら『阿含経』を用いるようになってからは、釈尊の直説は唯一『阿含経』のみであると主張しはじめ、大乗経典は後人の「創作」「偽作」であると決めつけ、大乗非仏説論を盛んに展開している。しかし、信徒には勤行において『般若心経』を読ませ、『阿含経』には説かれていない「三種真言」を唱えさせている。靖雄の大乗非仏説論は極めて恣意的であり、その主張には一貫性がなく自己矛盾と欺瞞に満ちた邪論である。

◆靖雄は「自分の持つすべての悪い因縁(条件)をすべて無くしてしまった人を『仏』という」と述べ、すべての悪を断じ、苦の因をなくさなければ仏になることができないなどという成仏論を主張している。
 靖雄がいかに現世の成仏を強調しても、所依の経典である『阿含経』には、即身成仏の法門はまったく示されておらず、その主張は机上の空論にすぎない。


 
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