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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 神道系 黒住教



一 黒住教


  立 教   文化11(1814)年11月11日
  創始者   黒住宗忠(くろずみむねただ)
  現後継者  黒住(くろずみ)宗晴(むねはる)(第6代教主)
  信仰の対象 主祭神・天照(あまてらす)大御神(おおみかみ)。八百萬神(やおよろずのかみ)。
        教祖宗忠神。
  教 典   黒住教教書
  本部所在地  岡山県岡山市尾上2770
  信者数    319,702
  名称の変遷 黒住講社(明治5年) 神道黒住派(明治9年) 神道黒住教(明治15年)

【沿革】
 新興宗教の草分けといわれる黒住教は、幕末期に教祖・黒住宗忠(くろずみむねただ)が創立した神道系の教団で、日拝(にっぱい)と称して朝日を拝み、陽気ぐらしを主張する宗教である。
 黒住宗忠は幼名を権吉といい、安永9(1780)年11月、備前の上中野村(岡山市上中野)の代々神職を勤める家に生まれた。幼いころから孝心が篤かった宗忠は、青年期には「最高の親孝行は自分が神のような人間になることである」と考え、自ら5カ条の生活信条を定めて実践した。
 文化9(1811)年の秋、相次いで両親を失った宗忠は、翌年には自身も肺病を患い死を宣告された。同11年正月、宗忠が今生の別れに日の出の太陽を拝したとき、両親の死と自身の病気によって心が陰気になっていることを反省し、陽気になろうと決意すると、病状は快方に向かい、やがて全快したという。
 文化11年11月11日、日の出を拝していた宗忠は、陽気に満たされ、思わず太陽の光を飲み込むと、天照太神と自己の生命が一体になり、そこで神人不二の理を悟ったと伝えられる。教団では、この体験は〝宗忠が天照太神から直授に天命を禀けたものである〟として天命直授(じきじゅ)と呼び、この日を立教の日としている。
 その後、腹痛で苦しむ使用人のお腹に陽気を吹きかけ、撫でて治したことで自信を深めた宗忠は、病気治しは天照太神の神徳であると主張し、さらに誠・勤勉・無我・正直などの徳目を説いて、次第に信者を獲得し、弘化年間には教団の組織が形成されたといわれる。
 嘉永3(1850)年2月25日、老衰により70歳で宗忠が死去した後、弟子たちによって活発な布教が展開され、なかでも赤木忠春は京都に教戦を張り、やがて公家の中にも信奉する者が現れた。赤木らの吉田神道の本家への働きかけによって、安政3(1856)年、宗忠に対して「大明神」号が下りた。
 教団は、宗忠大明神を誕生の地に祀るために神社を建設しようとしたが、岡山藩内の神職たちの反対にあって実現できず、文久2(1862)年に京都の神楽岡(かぐらおか)に宗忠神社を建立して大明神を祀った。この神社は3年後の慶応元年に、孝明天皇の命により勅願所となった。
 天照太神を最高神とする黒住教は、明治政府による天皇崇拝を推進する宗教政策に積極的に協力したため、明治5年にはいち早く「黒住講社」として活動を公認され、同9年には「神道黒住派」として神道事務局から独立し、初代管長に宗忠の孫・黒住宗篤(むねあつ)が就任した。同15年12月、教団は宗名を「神道黒住教」と改称し、同18年4月には岡山市大元に宗忠神社を建立し本部とした。
 昭和25年、第5代管長・黒住宗和(むねかず)が教団の規則を変更し、代表者を「管長」から「教主」に改称した。同27年7月、宗教法人の認証を受けた。
 第5代宗和(むねかず)が昭和48年に死去し、第6代教主に就任した宗晴(むねはる)は、翌年、岡山市尾上に神道山大教殿を完成させ、本部を移転した。その後、教団ではボランティア、福祉活動に力を入れている。

【教義の概要】
 黒住教では神体を「御神号(ごしんごう)」と称し、中央に主祭神として天照大御神、右に八百萬神、左に宗忠大神の三神を祀る。主祭神は万物を生み育て、人間を活かす徳をもつ宇宙の親神であるとし、その象徴としての太陽(日の神)を拝している。
 黒住教の教典である『黒住教教書』は、教祖宗忠の短歌と書簡を集録したものである。
 教団では、人間は天照太神の分心を受けた神の子であり、その身そのまま神であるという「同魂同体(どうこんどうたい)」「神人(しんじん)不二(ふに)」を主張し、「離我(りが)任天(にんてん)」による「陽気暮らし」を説いている。
 この生き方は、一切の物事への執着・欲望から離れ、すべてを天照太神に任せることによって誰もが陽気に生活できる、というものである。たとえば病気は、すべて心の持ち方に起因するもので、自身が神の子であることを自覚し、穢れた心を祓い、日拝によって陽気をいただき、それを下腹に納めれば必ず病は癒えるとする。
 教団は「まるごとの実践」を強調し、人間は善悪のすべては神の計らいであると認識し、自己に内在する神の声に従って生きていくことを教える。
 また教団では、信者が神への感謝と陽気ぐらしをするための心得を、次のように説いている。
一、いかすこと…自他の長所を、互いに最大限に発揮するように努めること
一、祓い…………我欲、執着をなくし、自身を空しくすることによって、本来、自分は神の分心である、と目覚めること
一、祈り…………祈りは「ひのり」といい、ひのりとは日に乗ること。すなわち神徳に身を委ねること
 そして教団では、教祖が定めた「腹を立て、物を苦にする事」「日々有り難きことを取り外す事」など、7カ条からなる誡め「日々家内心得の事」を信心の規範として実行すれば、必ず幸福になれると教える。この7カ条は、入信の際、神に対して唱える誓文として用いられている。
 さらに第6代教主宗晴は、教祖宗忠の信仰を追体験するためとして、
一、お日の出を拝もう
一、親を大切に、先祖を敬おう
一、明るいあたたかいことばを使おう
一、人に親切に、とりわけ弱い人にあたたかい手をさしのべよう
一、人のために祈ろう
という5つの生活信条を示し、実践していくことを教えている。

【破折の要点】
◆教団では、天照太神を「一切萬物を生じ給ふ大御神」(教書1295)と規定し、〝人間は天照太神の子である〟と主張している。しかしそのような主張は、生命の誕生と成長過程についてはすでに進化論が定説となっている現代にあっては、空理空論の戯れ言である。

◆教団は、「自分が可愛いと思う心、物質や名誉に対する慾望を離れ、すべてを神に任せよ」(趣意)と主張している。しかし向上心を起こし、成長していく源となるのも欲望であり、欲望を持つことがすべて悪とは限らない。ちなみに、大乗仏教では「煩悩は諸仏の母」とも説き、しかも煩悩を断尽することは自身の肉体までも滅ぼすとまで断言している。黒住教の教えは、人間の本質をわきまえない邪論である。

◆教団では「陰気暮らしこそが、病気などあらゆる不幸の原因である」という。しかし病気だけを考えてみても、先天性の病気を持つ人や、今まで陽気に暮らしていた人が病気になる場合もある。しかも、すべての不幸の原因が陰気にあるとする教団の主張は、まさに素人の思いつきに過ぎない。

◆教団では「どのような不幸が起こっても常に陽気に暮らせ」(趣意)と説いている。しかし人間は、自分の心に適ったり、満足したときには陽気になり、反対に嫌いなこと、不快なことが身に降りかかったときには陰気になるのは当然であり、きわめて自然のことである。にも関わらず、いかなる環境下であっても「陽気であれ」と強要することは、人間の生命や心理を無視する安易な教えであり、暴論である。


 
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