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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 神道系 天照皇大神宮教

十一 天照皇大神宮教

  創 立   昭和20年8月
  創始者   北村サヨ(大神様)
  後継者   北村清和(姫神様)
  信仰の対象 天照皇大神宮
  教 典   『生書(せいしょ)』
  本 部   山口県熊毛郡田布施町大字波野第123
  信者数   463,568

【沿革】
 「踊る宗教」で有名な「天照皇大神宮教」は、農家の主婦が突然、神がかって「神」になりきり、「神の言葉」というものを語り出したことにはじまる。
 教祖・北村サヨは明治33(1900)年1月、山口県玖珂郡日積村(現柳井市)の農家の4女として生まれ、大正9年11月、サヨが20歳のとき、同県田布施町の北村清之助と結婚した。
 昭和17年7月、北村家が放火により焼失するという事件が起きたことから、サヨは隣町の祈祷師に事の判断を尋ねると、その祈祷師から「丑の刻参りと水行をせよ」といわれ、そのとおりに続けるなかで、「行」そのものに魅せられていく。
 「行」が日常化してきたサヨは、昭和19年「自分以外の何者かが、肚の中でものを言い出した」として、以後肚の中の何者かの指示通り「心の行」を実践することとなる。
 翌20年7月、サヨは、北村家に「神の国建設精神修練道場本部」という看板を掲げた後、翌8月、宇宙の絶対神とする天照皇大神の降臨を自覚したという。これにより自分は「皇大神という男神と天照大神という女神が一体にして肚の中に納めている“天照皇大神宮”である」と宣言し、自身を「大神様」と称するようになる。なお、ここにいう「宮」とは、サヨの肚の中ということである。
 自身を「神」と呼ばせるようになったサヨは、無我の境地で自由に手足を動かす「無我の舞」を踊り、「歌説法」をするなか、自らを磨かない人間を「蛆(うじむし)の乞食」と叫び、「蛆の乞食よ、目を覚ませ」と訴えては信者(同志)たちに「無我の舞」を勧めていった。このことにより、世間からは「踊る宗教」といわれるようになった。
 そのようななか同21年10月、肚の中の「神」から「法人の設立を来年早々に行え」とのお告げがあったとして、翌年1月、宗教法人「天照皇大神宮教」を設立する。
 この設立により、教団内では昭和21年を「神の国の紀元元年」と定め、独自の年号を使用することとなり、その伝道方針として「役員は本来の職務に従事しながら自費にて奉仕し特定の伝道者を設けぬ(趣意)」を本旨とし、在家教団を前面に出し、既成宗教の批判を徹底して行っている。
 また教団では、海外、特にハワイを「世界の架け橋」であると位置づけ、昭和27年にはハワイで独特の社会批判や歌説法をしたり、新聞やマスコミに頻繁に登場しては、ハワイの各島に支部を結成したりしていった。その後南北アメリカ・南西アジア・ヨーロッパ等へも、出張布教している。
 日常は、昭和39年に竣工された本部道場で、2と6を除く毎日2回、教祖サヨの語ったテープを信徒に聞かせ、修練及び布教活動の指針としている。
 同43年、サヨは孫娘である清和(姫神様)を後継者と定め、67歳で死亡した。

【教義の概要】
 天照皇大神宮教の教典としては、教祖・サヨの言行緑である『生書(せいしょ)』というのがある。これにより儀礼化した既成宗教の在り方や、戦後の風潮を批判しているので、この批判が一応、この教団の教義といえるであろう。さらに組織的にまとめられた『神教(みおしえ)』にも彼らの教義らしきものを記している。
 この2書によると、教祖サヨを「大神様」と呼ばせ、彼等の創造神である「天照皇大神宮」と同一視して、神の国の建設を目指し、この理想の世界を、今のときこそ建設するときであるという。
 またサヨは、昭和20年の元旦に独特の時代区分を、次のようにいっている。
 「今までの2605年間は…人の世」(紀元前660年~西暦1945年まで)
 「今からの2300年間は…神の世」(西暦1946年~西暦4246年まで)
 「次の1999年間は…月の世」(西暦4247年~西暦6246年まで)
 「次の1526年間は…星の世」(西暦6247年~西暦7873年まで)
とし、さらに、「人の世から神の世への転換にあたり、大神様の出現によって、個々の因縁が断ち切られ、神の国へ転生し、神の子となることができる(趣意)」といっている。 このことから教団では、今はまさに“神の世”であるとして、神の国の建設を訴えている。そしてこの“神の国”は、自己中心の利己的社会ではなく、他人のことを思いやる利他の世界で、闘争もなく平和な世界であると定義づけている。
 また、この教団では、現世は霊界との因縁によって結ばれているとして、この現象世界で多くの利己闘争が行われている原因は、「宇宙は悪霊で充満」しているからであるとしている。したがって現世の乱れを無くすには、霊界の掃除、すなわち悪霊を済度しなくてはいけないといい、また、人間もそれぞれの因縁によって悪霊に取り憑かれているゆえに、心身の煩悩・苦悩の原因である悪霊を断ち切ることにより苦悩から脱れられるとし、これによって先祖・家族・隣人・国・世界までもを救うことができるとする。
 そのためには素直な心と、反省懺悔によって、神のところに行けるとする「神行(しんこう)」が必要であるとし、「六魂清浄」を説いている。この六魂のうち、「惜しい」「欲しい」とは、すべてのものに対する執着心をいい、「憎い」「かわいい」とは、すべてのものに対する憎愛の念をいい、「好いた」「好かれた」とは、すべてのものに対する過ぎたる愛であるとし、これらを罪の根元であると定義している。この六魂を清浄するためには「名(な)妙法連結(れんけっ)経」と唱え、反省して懺悔することが必要とされている。この「行」により、神がお気に召してくれ、住み良い神の世界を与えてくれるという。
 この「名妙法連結経」について、教団では、サヨの肚の神から「なという字は、人の名を書け、みょうという字は女編に少しと書け(妙)、われ(サヨ)を、神経じゃ、気違いじゃ、信仰のぼせじゃ、百姓の女房じゃ、というて少し名のある女が、今、天から法の連結をとって結するお経ができるのじゃ」と告げられたことにより、これが天照皇大神宮教の題目となったといっている。
 また教団では、南無妙法蓮華経についても、南無とは南が無いという意味で、日本軍の南方進行が失敗し、南を失ってしまったとき、「名妙法連結経」によって救われるとし、これを繰り返し唱えることによって「悪霊済度」の法力があるとしている。
 そして「名妙法連結経」を一心に唱えれば、自然と無我になり、手や足も自然に動き、歌も歌うようになって、霊界とも通じ合うことができ、学ばなくても悟ることができるとする。この無我の境地になって踊る“無我の舞”によって一切が救われると説いている。
 これについて歌説法には、「無我のばかになれ(中略)まづわしのいうことを“はい”と素直に聞くことじゃ。たとい東が西といわれても、黒いが白いといわれても、ただ“はい、はい”とついて来る者だけが救われるのじゃ」とある。
 サヨは、天照皇大神宮を最高の神として、拝む対象をその「札」のみとし、他の一切の神仏を否定している。特に形骸化した既成宗教を金儲け主義であると激しく非難し、さらにその金儲けの要因は墓にあるとして、『生書』に「神世の時代には墓などなかった。人間は腐ったり死んだりするようになったから墓が必要になった」とあり、また自らも「墓は建てないように」と遺言し、先祖供養や死者に対する儀礼も不必要といっている。
 なお、教団では、「道徳」を「同徳」。「合掌」を「合正」。「結婚」を「結魂」等。というように、文字のすり替えによる造語を多用している。

【破折の要点】
◆教祖・北村サヨは「宇宙の絶対神とする天照皇大神の降臨を自覚した」といっているが、この絶対神は教祖の出現以前は、人類救済のはたらきをしていなかったのか。ましてや「皇大神という男神と天照大神という女神が一体にして肚の中に納めている」といっても、その証拠は何もない。

◆サヨは「神の世…西暦1946年~西暦4246年まで」といい、さらにこのときに建設する“神の国”は「自己中心の利己的社会ではなく、他人のことを思いやる利他の世界で、闘争もなく平和な世界である」と定義付けている。しかし今日、世界で未だ止まない紛争などの現状を見たとき、これでも「神の世・神の国」といえるであろうか。このような荒唐無稽なサヨの予言を、教えの根本とする天照皇大神宮教は、まさに欺瞞の集団である。

◆サヨがいう「六魂清浄」「名妙法連結経」等は、所詮は仏教用語をもじったもので、造作語にほかならない。その教義も盗作しているものばかりで、全く取るに足らない大神である。またサヨは「南無とは帰命ではなく、南が無いという意味で、日本軍の南方進行が失敗し、南を失ってしまった時」といっているが、これなども論外のいい分である。


 
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