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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 神道系 大山祇命神示教会

十三 大山祇命神示教会

  創 立   昭和23年9月23日
  創設者   稲飯定雄(供丸斎)
  後継者   森日出子(供丸姫)
  信仰の対象 大山祇命
  教 典   『大山祇命神示 直伝心の道』
  本 部   横浜市南区宮元町4―82―1
  信徒数   818,307

【沿革】
 「大山祇命神示教会」の創始者、稲飯定雄は、明治39(1906)年1月、富山県立山町の農家の3男として生まれ、13歳のとき東京赤坂の洋服店に丁稚奉公に出る。貧しい生活であったが働きを認められ、23歳のときに独立し、その後に結婚。事業も順調に伸びたが、昭和18(1943)年1月、母の突然の死と、その後の敗戦により、「新たな出発」を決意し、横浜市西区戸部に「ぼたん湯」(のちに教団本部の施設となる)という銭湯を営業した。
 昭和21(1946)年、定雄は咽喉ガンという診断を受け、苦しんでいた夜、夢の中で女神の「命が欲しければ、大山祇命に縋れ」との御告げを聞き、目を覚ましたところ、苦しみがなくなっていたので、それ以来、昼夜を分かたず「大山祇命」の名を一心に唱え続けたという。
 同23年9月23日、定雄は「今日より『大山祇命の使者』としての力を与える」という神示が降りたとして「供丸斎」と名乗り、神より直々の指導を施されたといっている。教団ではこの日を「創立日」としている。また、妻マサ子にも「副使者・供丸嬢」と名が与えられたとして、ともに神示の受け方、加持の術、祈祷の方法(占いや手かざし)等を学んでいったという。
同27年7月、神示により「大山祇命神示教会」として宗教法人を取得する。
 昭和21(1946)年11月、後継者供丸姫(本名森日出子)は、横浜市南区宮元町の代々地主の家庭に、3人兄弟の真中、一人娘として生まれた。日出子は中学に進む頃から健康を害し、高校を卒業する頃には容態がますます悪くなっていったことから、親族は近隣の寺社に詣で神仏にすがる毎日であったという。同41年12月、父は勤務先の友人より、大山祇命の話しを聞いたことから家族揃って入信を決意する。その折、両親は供丸斎に「3日間、大山祇命に祈り続け、塩水を飲ませよ」といわれたので、そのとおり実行したところ、体調が回復し、快方に向かったという。これにより翌年2月、日出子が供丸斎に御礼のために訪ねたとき、供丸斎より「片腕となる女が現れる」との神示があったことを告げられ、「生涯神と共に暮らせ」との予言を伝えられたので、供丸斎のもとで、神示・人相・対応の方法等、細かい指導を受け、徐々に神と話ができるようになっていったといっている。このことから日出子は教団拡大に力を注ぐなか、同47(1972)年、母親が家屋敷全てを教会に寄付し、そこが現在の本部となっている。
 同50年7月、大山祇命の神示により、日出子は「副使者」という肩書きと「供丸姫」という神の名を授けられたといっている。この頃、教団内で幹部による女性問題が新聞沙汰となったことから、供丸斎夫妻は別居し、妻・供丸嬢は長男と独立を企てる。これにより妻の供丸嬢は副使者の座を降ろされるが、供丸姫(森日出子)は教団を救うことに尽力していたので、供丸斎の信頼とともに教団内での地位を確保することとなっていった。
 同57(1979)年2月、供丸斎は「供丸姫を後継者とする」という公正証書を遺し、さらに同59年5月、神より「次期使者の命が下りた」とし、同61年9月、「大山祇命直々使者」としての「直使」の任を授けている。
 また同62年11月15日、供丸姫の41歳の誕生日に供丸姫の実体は「神示により大山祇命の化身である」と明かされ、この日を「聖日」と称し、この世の支配者・最高の神・大山祇命がその実体を現した日としている。これにより供丸姫の兄森真一を教会長に、弟の森正人(供丸光)を副使者とし、直使・副使者・教会長という三本柱の新体制で出発して現在に至っている。なお創始者・供丸斎(稲飯定雄)は、翌63年10月に死去した。

【教義の概要】
 大山祇命は、使者である供丸姫を通して人間に命を授ける神とし、幸福を得るための生き方を示す神といっている。その根拠を、大山祇命神示教会の教典である『大山祇命神示 直伝心の道』に以下(趣意)のように示している。
 一、大山祇命は、ただ一人の救世主で、神々を統一している最高の神である。
 二、大山祇命にすがれば、どんな悪しき因縁でも断ち切ることができる。他の神々、仏(先祖)   にお経、お題目を唱えても、また良き教え、善意の行いだけでは、悪しき因縁は断ち切れな   い。
 三、大山祇命は神の指名した直々の使者こそ、神に代わる救世主であることを信ぜよ。
 これらが教義内容で、幸福への道の根拠となるとするものである。また、信者の心得としての規範を『教会の十教訓』に、
 「一、肉親・身内・近所同士は、和合せよ、妥協せよ、争うな。
  一,人を恨むな、憎むな、陰口をたたくな、自己を反省せよ。
  一、責任を果たせ、裏切るな、身勝手な行動を取るな。(趣意)」
等、といって倫理道徳を推し勧めている。また、『信者心の基』には、
 「一、神・仏を敬い、神仏で世を渡ること。
  一、人の道を守り、人の道にそむかず、人の道をあやまたぬこと。
  一、正しいことはやること、曲がったことはやらぬこと。(趣意)」
と、人は「和を保つ」ことが基本であると示している。それを実行するならば、「夫や妻に恵まれ・子供に恵まれ・健康に恵まれ・職業に恵まれ・生活に恵まれ・希望に恵まれる」という「六つの幸福」に囲まれ、毎日何の悩みも苦しみもなく生活ができるとする。
 さらに、人間の苦しみの要素は無数であるが、その苦悩の原因は、自分の親、先祖から受ける悪い因縁によって、神に授けられた良い運命が壊されていくからであるとし、その悪い因縁を断ち切るためにも「大山祇命」と直使たる「供丸姫」の偉光にすがる以外はないとしている。
 なお、信者は毎年、奉納金を支払い、御神体を改めることが義務づけられている。

【破折の要点】
◆いい加減な神示
 大山祇命神示教会は、大山祇命よりの神示という名目で運営しているが、そもそも大山祇命とは何者なのか。いとも簡単に供丸斎に神示を下したというが、今まではなにゆえ降りてこなかったのか。昭和23年9月に大山祇命より神示を受け、人々を救うための活動を開始したというが、それ以前の人々は救われなかったのか。いくら魂の永続性を説いても過去からの三世が説かれない限り、未来への永続性は確立するものではない。まさに大山祇命は無責任極まりない神としかいえない。 なお、この神の実体を文証・理証を示し、明らかにしない限り稲飯定雄が勝手に創った代物としかいえない。

◆矛盾した教義
 『教会の十教訓』や『信者心の基』に書かれている社会倫理を実行すれば、「六つの幸福」(妻や子に恵まれる等)と教えていながら、実際には副使者の妻との離婚や長男を捨てるなど、教祖の所行をいかに説明するのか。道徳や倫理で健康になったり子供が生まれたりするであろうか。この例をとってしても大山祇命の教えによる道徳や倫理では、人々の苦悩を根本から救済することは不可能であることを知るべきである。
 また、親・先祖などによる悪因縁が苦悩の原因であると教えているが、「悪いことは親・先祖の仕業=他人の所為」という考えは、自分には誤りがないとする無反省な自己中心の考えである。また、「この苦悩の因縁を断ち切るためには、供丸姫の偉光にすがる」としているが、これも一切の幸不幸は自己の因行にありとする因果の道理とかけ離れた外道の教えである。何を根拠にこのような説が出てくるのか、根拠のない無責任ないい分としかいえない。
 さらに信者は毎年、奉納金を支払い、御神体を改めることが義務づけられているが、「大山祇命」は、1年契約の神なのか。このように短期間のうちに御神体を改めることを義務づけるのは、単に神の名を語った金儲けの詐欺行為でしかない。


 
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