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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 神道系 生長の家

四 生長の家

  創 立    昭和5年3月1日
  創始者    谷口雅春(たにぐちまさはる)(初代総裁)
  現後継者   2代総裁・ 谷口清超(たにぐちせいちょう)(雅春の娘婿)
  信仰の対象  生長の家大神(おおみかみ)(大宇宙の応現・化現)
  教 典    聖典『生命の實相』他
  本部所在地  東京都渋谷区神宮前1―23―30
  信者数    850,435
  名称の変遷  教化団体生長の家(昭和11年) 生長の家教団(昭和27年) 生長の家(昭和32年)

【沿革】
 生長の家は、谷口雅春の「真理の書かれている言葉を読めば病が治る」等の主張に基づき、膨大な書籍を発行し、会員に購読させる出版宗教である。また谷口雅春の思想には宗教・哲学・心霊学・精神分析学などの教説が取り込まれていることから「宗教のデパート」とも呼ばれている。
 谷口雅春は、明治26(1893)年11月に兵庫県烏原村(からすはらむら)(現神戸市)の農家に生まれ、4歳のとき叔母の養子となった。長じて早稲田大学英文科に入学したが、女性問題を起こしたため養父母から仕送りを断たれ、大学を中退した。雅春は大正3年、大阪の紡績工場に勤めたがここでも女性問題を起こし、工場長と口論をして退職した。
 雅春は皇道大本(こうどうおおもと)(現大本)が発行する雑誌に心を引かれ、大正7年に大本に入信し、翌年の春に本部のある綾部に移り、教団機関誌の編集員となった。同9年、27歳の雅春は大本の信者江守輝子と結婚した。
 大正10年に大本は〝天皇に代わって世の中の立て直し、立て替えをする〟と主張したことによって、不敬罪・新聞紙法違反で幹部が検挙され、神殿も強制的に破却された。いわゆる第1次大本事件である。この事件後も雅春は、出口王仁三郎(おにさぶろう)の『霊界物語』の口述筆記などを担当していたが、次第に大本の信仰に疑問をもち、ついに翌11年10月に大本教団を去って上京し、浅草の小島町に移り住んだ。
 同12年9月、関東大震災を機に帰郷した雅春は、大本の信者であった浅野和三郎が主催する「心霊科学研究会」の機関誌の編集を手伝ったが、給与問題で浅野とたもとを分かち、英文書籍の翻訳の仕事についた。
 そのころ入手した宗教思想家のホルムス著『心の創造活動の法則』から、「幸・不幸は自分の心が将来する」との文言を見いだし、雅春は不幸の存在を意識の圏外に追い出すことが幸福になる道である〟との、心の法則なるものを見いだしたという。
 さらに昭和4年12月、雅春が36歳のとき、『般若心経』の「色即是空」の文を思念していると、どこからともなく「物質はない」「心もない」「実相がある」等の声が聞こえた。そのときに雅春は〝三界はただ心の所現であるが、その心自体も一切空無である。唯一真理である実相とは、久遠不滅の大生命である神(=仏)であり、それは自分自身である〟との悟りに達したという。
 雅春は翌年3月1日、自らが悟ったとする内容を発表するために、月刊誌『生長の家』を創刊した。後に教団では、この雑誌の創刊日を立教の日としている。
その後、同誌に〝購読したら病気が治った〟などの体験談が掲載されると、購読者が増え、6月には兵庫の尼崎、愛知の犬山などに雑誌販売の拠点ができた。雅春はこの月刊誌に「万教帰一の神示」など自らの思想の核となる説を相次いで掲載し、その内容を加筆・整理して同7年に『生命の實相』と題して順次刊行した。
 同9年に再び上京した雅春は、信者の出資によって出版会社「光明思想普及会」を設立し、翌10年、赤坂に本部を設けた。同11年1月には「教化(きょうか)団体 生長の家」を設立し、同15年に宗教結社「教化団体 生長の家」となった。
 太平洋戦争中、雅春は天皇中心の国家社会の実現こそ神の意志であると主張し、軍部による領土拡大を正当化し、戦争に積極的に協力した。雅春は戦後も「終戦後の神示」「日本実相顕現の神示」等を順次発表し、その中で帝国憲法への復帰、天皇の元首化、日の丸の掲揚、靖国神社の国家護持を提唱している。
 同23年、雅春は戦争犯罪者とみなされ、GHQ(連合軍司令部)の命令により、公職追放の処分をうけた。これにより雅春は教主を辞任し、第2代として娘婿である谷口清超が就任した。
 同27年、宗教法人「生長の家教団」を設立し、同32年8月には「生長の家」と改称し、雅春が総裁に、清超が副総裁に就任した。同35年には、京都府宇治市に別格本山として宝蔵神社を建築し、同39年に教団は「生長の家政治連合」を結成して政界への進出をはかり、その活動は同58年まで続けられた。
 昭和50年、雅春は住居を長崎に移し、同53年、長崎県西彼町(せいひちょう)に生長の家の総本山として龍宮住吉本宮(すみよしほんぐう)を建設した。教団では、長崎の総本山を祭祀の中心地とし、東京本部は宗務および出版・事務の中心地としている。
 昭和60年6月17日、雅春が91歳で死去し、後継総裁に谷口清超が就任した。平成5年から教団は、冷戦終結後の民族闘争や宗教対立などを克服することを目的とした「国際平和信仰運動」を提唱し、各国語に翻訳した教団出版物の普及活動を行っている。
 生長の家から分派した教団には、昭和二九年に五井(ごい)昌久(まさひさ)が創立した「白光真宏会」がある。

【教義の概要】
 生長の家では「大宇宙の本体者の応現、または化現である生長の家大神(おおみかみ)」を本尊としている。実際には、総本山の龍宮住吉本宮には住吉大神を祀り、その神体として両刃(もろは)の剣を安置している。道場や集会室には「生命の実相」、「実相」などと書された額や掛軸を掲げ、会員には「実相とは唯一の真理を意味し、あらゆる宗教の本尊の奥にあるもの」と教え、各自の祖先伝来の神棚・仏壇をそのまま祀ることを認めている。
 教団の教典は、谷口雅春の著した『生命の實相』をはじめとする多数の書籍である。
 教団では、教祖の教えを「唯心実相哲学」と呼び、それを「タテの真理」と「ヨコの真理」に大別する。タテの真理とは、すべての人間が神の子ということである。人間は神にして如来の最高の自己顕現であり、無限の生命・智恵・愛等のすべての善徳に満ちた久遠不滅の存在であり、これが人間の真実の相(すがた)であるという。
 ヨコの真理とは、心の法則のことである。現実世界は、ただ心の現すところ(唯心所現(ゆいしんしょげん))の世界であり、心によって自由自在に貧・富・健康・幸福等何でも現すことができるという。たとえば、病気にかかっても「人間本来病気なし、病気は心のかげ」との真理を知り、実相の完全さを信ずるならば、すべての病は消え、完全な至福の世界が顕現すると主張し、その原理を「心の法則」と称している。
 また「万教帰一」を説き、すべての宗教は唯一の大宇宙(神)から発したものであり、さまざまな宗教や真理は、あくまで時代性・地域性に照らして説かれたものと主張する。
教団では「生命の実相」の真理を体得するために、信者の日々の修行として、
一、毎日、必ず『生命の實相』等の聖典を読む
二、先祖供養のために、聖経と称する『甘露の法雨』『天使の言葉』『続々甘露の法雨』を神前、仏前で読誦する
三、毎日、神想観(しんそうかん)(神を想う瞑想の行)を実行する
との三点を教え、さらに「人類を光明化」する布教活動を奨励している。
 なかでも教団は、雅春の説いた神想観を重視する。神想観は「物質はない、肉体はない、人間は神のいのちそのものであり、神の子である」との人間の本質(実相)を実感するためのものである。

【破折の要点】
◆雅春は「神は宮の中にはおらぬ」(生長の家とは如何なるものか15)と主張しながら、総本山龍宮住吉本宮には住吉大神を祀り、崇めていることは自己矛盾である。

◆教団の神想観により、「物質はない、肉体はない、人間は神のいのちそのものであり、神の子である」という人間の本質(実相)を実感することが最高の悟りというならば、現実の存在の一切を否定した観念だけにとらわれた実体のない宗教である。

◆人間は心の思うことによって自由自在に貧・富・健康・幸福等何でも現すことができるという唯心所現(ゆいしんしょげん)との教団の教えは、心だけを中心として現象を理解させる偏った教えであり、思い込みの姿、妄想の世界を生じさせ、精神に異常をおこしかねない邪教である。

◆医学者である中村古(こ)峡(きょう)氏は、著書の中で「ある有力な新聞の一訪問記者が、谷口雅春にぶつかって、『果(はた)して君の本さえ読めば、君が大袈裟に吹聴(ふいちょう)してゐる如く、病気が実際になほるのかい』と問うたところ、彼は頭を掻(か)きながら、『いや、あれは単に本を売り出すための方便に過ぎない。本を多く売る為には、先(ま)づ多くの人々を集めねばならぬ。多くの人々を集める為には、何等かの方便を用ひなければならぬ』と答へたさうな」(迷信に陥るまで183)と記している。要するに、生長の家は本の出版販売を目的とする商売団体に過ぎない。

◆教団では「万教帰一」を主張し、〝実相とは唯一の真理を意味し、あらゆる宗教の本尊の奥にある〟とするが、キリスト教では創造神をたてるが仏教では立てない。
 このように各宗教の教理の内容を判断せずに、宗教の根源が一つであると決めつけ、万教帰一と主張することは独断に過ぎず、人々を誑惑するものである。


 
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