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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 神道系 白光真宏会

五 白光真宏会

  創 立   昭和26年11月
  創始者   五井(ごい)昌久(まさひさ)
  現後継者  第2代会長・西園寺(さいおんじ)昌美(まさみ)(昌久の養女)
  信仰の対象 宇宙神、各人の守護霊・守護神
  教 典   昌久の著『神と人間』等と、昌美の著『我即神也』等
  本部所在地  静岡県富士宮市人穴812―1
  信者数    800,000
  名称の変遷 五井先生鑚仰会(さんごうかい)(昭和26年) 白光真宏会(同30年)

【沿革】
 民家の外壁や塀などに「世界人類が平和でありますように」と書いたステッカーを見かけるが、この普及運動をしているのが白光真宏会である。
 創始者の五井(ごい)昌久(まさひさ)は、大正5(1916)年11月、東京浅草に元士族・五井満二郎の4男として生まれた。13歳で織物問屋の店員となった昌久は、19歳のころに独立して商店を開き、東京音楽院で声楽を学んだ。24歳のときに兄のすすめで日立製作所の亀有工場に就職した。
 昭和20年、29歳のときに腎臓を患った昌久は、同僚から「世界救世教」の教祖岡田茂吉が著した『明日への医術』を読むことを勧められ、そのなかで毒素排泄による治療の方法を知った。さらに、その同僚の母からも「手かざし」による〝霊線治療〟を受けている。
 終戦を機に退社した昌久は、岡田の弟子から霊線療法を施す講習を受け、自ら人々に無償で治療を行った。同じ頃、生長の家の教祖谷口雅春の書いた『生命の實相』を読み、生長の家の信仰に興味をもったという。
 間もなく、生長の家本部を訪問した昌久は、谷口雅春の「人間神の子…人間の本来性には悪もなく病苦もないのだ」という言葉に感動し、直ちに生長の家に入信した。以後、昌久は葛飾に信徒会を結成して副会長に就任し、講師をするなど熱狂的に布教に励んだ。
 しかし、生長の家の説く教義では現実の問題をなかなか解決できないとの疑問を感じた昌久は、人を救うためにも超人的な力を求めて同23年1月、神霊研究団体である「千鳥会」に入会し、同会の交霊会に参加した。この交霊会によって昌久は、神界・霊界の存在と高級霊の存在を確信し、自分に取り憑いている霊と度々交霊を行った。ある夜、死んだ友人と戦死した弟の文字や絵が昌久の手を通じて書き出される〝自動書記現象〟が現れたという。以後、その現象が続き、やがて昌久は自分にとりついた霊によって、自分の意志で文字を書くことができなくなり、勤務していた中央労働学園出版部の編集員を退職した。
 昭和24年、昌久が瞑想していると、自分の身体が上昇して霊界をつき抜け、神界にいる自分と合体する「神我一体観」を体験をしたという。翌朝の冥想には、釈尊が現れて金色(こんじき)の珠とさかきのような葉を五枚さずけ、次にイエス・キリストが現れて昌久の体に突入して消え、その時「汝はキリストと同体なり」との声を聞いたという。このときに昌久は、すべてを知り得る霊覚者になった、と自ら語っている。
 これを機に、昌久は亀有の自宅を訪ねてくる人に、人生相談や病気治療をおこなうなど独自の宗教活動に専念した。昭和26年11月、昌久を信奉する人々によって、千葉県市川市に「五井先生鑚仰会(さんごうかい)」が結成された。同28年5月、昌久は『神と人間』を著述し、翌29年10月には機関誌「白光」を創刊するなど文書による布教をはじめ、そのなかで「人間と真実の生き方」と「世界平和の祈り」を提唱した。
 同30年2月、教団名を「白光真宏会」と改称して昌久が会長に就任し、宗教法人を取得した。同33年、千葉県市川市に「聖ヶ丘道場」が開設された。同39年より、教団は布教の一環として「世界人類が平和でありますように」との標語を書いたステッカーを貼る運動をはじめ、さらに同51年より同様の言葉を書いた祈願柱〝ピースポール〟を各地に建てる運動を開始した。
昭和55年8月、昌久は63歳で死去し、後継者として昌久の養女・西園(さいおん)寺(じ)昌(まさ)美(み)が第2代会長に就任した。昌美は、旧名を尚(しょう)悦子といい琉球王朝の末裔を自称し、昭和33年に母の入信とともに昌久と出会い養女となった。同49年に昌美は、明治時代に首相を務めた西園寺公望(きんもち)の曾孫である西園寺裕夫(ひろお)と結婚している。
 同55年、教団は、静岡県富士宮市に富士道場を開設し、その後、富士野外道場を新設した。
 昭和63年、教団は〝万人共通の願いである世界の平和を祈る〟との趣旨のもとに、アメリカに外郭団体「祈りによる世界平和運動推進本部」を組織し、代表に西園寺昌美が、理事長に夫・裕夫が就任した。
 昌美は平成六年に「我即神也(われそくかみなり)」の宣言文を発表し、同時に〝人間は本来神そのものであり、その自己を顕現し、人類に示していく方法〟である「我即神也の印」の修業を信者に対して提唱し、同八年には、さらに「人類即神也の印」の修業方法も提示した。
 平成11年3月、教団は外郭団体の活動をより推進し、世界平和に寄与する目的で東京千代田区に「財団法人五井平和財団」を設立し、会長に昌美が、理事長に夫・裕夫が就任した。同年、教団本部を千葉県市川市から富士道場に移した。同8月には「宇宙神マンダラ」を信者に書写させる行を開始した。

【教義の概要】
 教団では、宇宙神と個々の守護霊・守護神を崇めよ、と説いている。この宇宙神について、昌久は「宇宙に遍満する生命の原理」「創造の原理・法則」にして「宇宙根源の大光明」であるとしている。守護霊とは祖先のなかでも悟りを開いた霊であり、守護神とは生まれる前から自分に付いて守る神のことである。
 昌久の守護神は、夜明観世音である。この青銅の観音は、昌久が世界救世教の治療方法の講習をうけた岡田茂吉の弟子からもらい受けたものである。昌久は生前、この観音を本尊として安置していた。
 教団の各道場においては、昌久の直筆で「白光」と書かれた額を中心とし、創始者五井昌久の写真と、「信者が昌久を撮影すると写ったのが円光だった」との謂われを持つ、2つの写真を左右に掲げている。
 昌久は、人間とは生命の原理・原則の理体である宇宙神の分霊であり、本来、神としての存在である。しかし肉体界(人間界)に誕生した時、すでに宇宙神との差異が生じており、この差異が業そのものとしている。したがって肉体界にある人間では、その業を突き破って宇宙神の光明と合致することはできない。そこで宇宙神は自己の光明を分けた守護神をつくり、その守護神の光明によって、さきに肉体界に誕生させた分霊たち(祖先)を霊界にひき上げ、一人ひとりの背後につけて人間を守護させるのである、と主張する。
 もともと守護霊、守護神は、肉体人間の想いを宇宙神の光明につなぐ存在であり、背後にいて休みなく業を消しており、その業の消え去る相が、人間の抱えるさまざまな苦悩・不慮の災難等なのである。したがって、守護霊、守護神へ感謝の祈りを捧げることによって、完全円満なる神の子である人間本来の姿となり、自分が救われることはもとより地上世界の光明化、大調和となると主張する。
 また、守護霊・守護神に対して「世界平和の祈り」と称し、教団で定めているものに、「世界人類が平和でありますように」「日本が平和でありますように」「私達の天命が完うされますように」「守護霊様ありがとうございます」「守護神様ありがとうございます」という五つの祈り言葉がある。この祈りを広める具体的な活動の一つが「世界人類が平和でありますように」とのステッカー貼りとピースポールを立てる運動なのである。
 信者の個々の行には、「動く祈り」と呼ばれる、「我即神也」「人類即神也」の印を組むというものがある。これは体操をするように、手と腕と体の動作を連動させながら「ワ・レ・ソ・ク・カ・ミ・ナ・リ」と発声することである。この印を組むことにより〝宇宙根源のエネルギー〟との交流がおこり、人間の内部に蓄積されているマイナスエネルギーが浄化され、その結果、思考がかわり運命を変換することができるとする。また「我即神也」の印は、自分自身を光り輝く神であることを、魂と体に思い出させる印であるという。
 このほかに信者が行うものとしては、西園寺昌美が提唱した「我即神也」「人類即神也」との文字を円形状に書き連ねる行がある。これを教団では「宇宙神マンダラ」称し、この行によって自己が磨かれ、向上するとされる。

【破折の要点】
◆教団の祭神である宇宙神を「宇宙根源の大光明」と表現し、霊覚者である教祖五井昌久を写したときの円光の写真がその証明であるとしている。しかし、五井を写した写真は多数あるが、円光が写っている写真はこの1枚だけでありインチキ極まりないものといえる。このような写真を掲げて信者に拝ませる白光真宏会は、荒唐無稽な宗教である。

◆五井は、すべての苦悩は〝人間の過去世から現在にいたる誤てる想念(そうねん)が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である〟との因果論を主張している。そして、各自の守護神や守護霊に感謝の祈りを行ってさえいけば〝いかなる苦悩といえど現れれば必ず消えるものである〟と信者に教える。しかし、苦悩の原因は誤った想念に限ったものではなく、ましてや存在しない守護神や守護霊にいくら感謝したとしても何ら問題の解決とはならない。この教団の教えは、まさに三世の因果を無視した外道である。

◆教団では「世界平和を祈り」を続けていけば、個人も人類も真の救いを体得できると説く。しかし、全世界の人々は平和を願い、平和を祈り続けているが、現実社会において紛争がたえない。ステッカーなどに書いた祈りだけで幸せになると主張することは、人々の惑わす邪教である。

◆現2代会長は、五井が平和の祈りのみの修行を教えたことに対して、新たに「我即神也」「人類即神也」の印や「宇宙神マンダラ」の書写の修行を提唱している。このように会長が代わることで修行も代わるこの教団は一貫性のない、安易な宗教といえる。


 
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