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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 神道系 世界救世教

六 世界救世教

  設 立   昭和10年1月
  創始者   岡田茂吉(明主)
  現後継者  四代教主 岡田陽一
  信仰の対象 大光明真神
  教 典   『天国の礎』『神示の健康』『祈りの栞』『美の世界』など
  本部所在地 静岡県熱海市桃山26―1
  信者数   835,756
  名称の変遷 大日本観音会(昭和10年) 大日本健康協会(昭和11年) 
        岡田式指圧療法普及会(昭和12年) 日本浄霊化普及会(昭和20年頃) 
        宗教法人日本観音教団(昭和22年) 宗教法人世界救世教(昭和25年) 
        世界救世教(昭和32年)

【沿革】
 世界救世教は、大本教の影響を強く受けた教団で、一般に“お光さま”と呼ばれている。
 この教団は、「浄霊」と称する「手かざし」を行うことが特徴で、自然農法の食品販売や、熱海市(静岡県)の「MOA美術館」でも知られる。
 教団の創設者である岡田茂吉は、明治15(1882)年、東京浅草の古道具屋の子として生まれた。幼少のころから病弱であったが、美術的感覚には優れていたという。
 20歳を過ぎるころまで種々の病気を患い続けた茂吉は、闘病中に医薬の効果がなかなか現れないことから、薬を使い過ぎることがかえって毒となると考え、以来、薬に頼ることは人間本来の治癒力を弱めるとする「薬毒論」を形成していった。これが後に、教団の教義として「健康法」を取り入れる元となったとされる。
 茂吉は、23歳ではじめた装身具等の小間物屋「光琳堂」を成功させ、これを卸問屋㈱岡田商店にまで拡大発展させたが、大正9(1920)年の大恐慌に遇って倒産した。それまで、事業にのみ目を向けていた茂吉は、このこととともに、最初の妻と三人の子供のすべてを亡くしたこともあってか、当時盛んな布教を行っていた大本教に、同9年6月、入信した。
 一時は教団から遠ざかったが、同13年ころより、大本教の出口王仁三郎のもとで、その開祖・出口なおの言葉からなる『お筆先』を中心に、神と人との関係や神霊の研究に没頭しはじめた。茂吉はこのころより、観音菩薩と関わる不思議な現象を次々に経験したという。そして昭和元(1926)年にいたり、神霊である観音が自分に宿ったとして、「私の腹中には光の玉がある」といい出した。こうして大本教での活動を続けるなか、同3年に布教師、同5年には別院長となったが、同6年に鋸山(千葉県)において、「霊界の夜昼転換」という天の啓示を受けたとしている。
 茂吉は、昭和9年、「岡田式神霊指圧療法」をはじめるとともに、同年9月には大本教を脱会し、翌年の大本教弾圧事件を逃れたうえ、同10年1月に東京で「大日本観音会」を創立した。これは、観音が茂吉の体内に宿り、その力をもととする「浄霊」によって「病気・貧困・紛争」を解決し、「健康・富貴・平和」と「真・善・美」の理想世界の建設を目的とするものであったという。しかし、宗教団体に対する弾圧がしきりに行われた時代背景から、宗教活動よりも健康活動を表とすることとなる。
 そして同11年に「大日本健康協会」、同12年には「岡田式指圧療法普及会」などと目まぐるしく看板を塗り替えながら、心霊術と指圧による療法を行ったが、これが患者や相談者の体に直接触れるものであったことから、いかがわしい行為として、同11年・15年の2度にわたって医師法違反で逮捕されている。しかし戦争末期には相当の財力を蓄え、同19年、教団の本拠地を東京から箱根・熱海に移し、以来、「地上天国」の建設を目指すこととなる。地上天国とは、霊界が夜昼転換したことによって、やがては現世界も明るい昼の世界へと転換し、その具体的な姿として現れる天国的な美の世界のことであるとし、そのひな型が「箱根・神仙郷」「熱海・瑞雲郷」であるというものである。この思想は、後に建設される、同教団の美術館や美術・芸術に対する姿勢によく現れている。
 教団は、戦後すぐに「日本浄霊化普及会」を名乗り、さらに昭和22年8月、宗教法人「日本観音教団」として再建、同25年には、分立していた「日本五六七教会」「天国会」などの教会を統合して、「宗教法人世界救世教」となった。このとき茂吉は、「観音の衣をかなぐり捨ててメシヤ(救世)へと衣替えをした」といっているが、この直後、脱税と贈賄の容疑で、有罪判決を受けた。同27年には京都に土地を求めて「平安郷」とし、これを前の箱根・熱海に加えて三大聖地と定めている。
 同30年2月、教祖茂吉が83歳で死去すると、2代目教主には後妻であるよしが就任した。しかし、その直後に教団内の対立が起こり、世界明主教・救世主教・浄霊医術普及会などが分立した。
 同32年、2代目教主よしは、教団の名称を「世界救世教」と変更し、教団内の仏教的な要素を薄めて神道式の儀礼に統一していった。その後は、3代目教主の斎(茂吉の3女)を経て、4代目教主陽一(茂吉の孫)の現代に至っている。
 その間、教団の一元化などをめぐって各地の多数の教会が執行部に反発し、次々と独立して新教団を発足させていった。それらの主なものは、世界真光文明教団とその分派の崇教真光や、救世神教・救世新教・神慈秀明会・黎明教会・救世真教・みろく神教・救いの光教団などである。これらの教団では、浄霊の「手かざし」を行うことなど共通点が多いが、世界救世教との関わりを明らかにしないものもある。
 なお世界救世教では、設立以来、病気直しの浄霊を主体としながら、自然農法の普及と自然食運動を重要視し、これらに関連するものとしては「伊豆・大仁農場」や「自然農法国際研究開発センター」「MOA健康科学センター」「世界永続農業協会」など多数がある。また、美術・芸術活動も盛んに行っており、昭和27年に箱根美術館を開館、同四七年に華道の山月創流(MOA山月)を創始、さらに同57年には熱海にMOA美術館を開館した。そして、平成2年には「MOAトラベルサービス・MOA商事」などの企業グループを設立し、積極的な事業活動に当たっている。



【教義の概要】
 世界救世教では、信仰の対象を「大光明真神」としている。
 教団がこの神体を定めるに至った経過には、教祖・茂吉の発言の変遷が関わっている。茂吉は、「神から心霊を与えられた」とか「私の腹中には光の玉がある」などといい、また、あるときは「観音菩薩の力を得た」といいながら、後には「観音の衣を脱ぎ捨ててメシヤになった」などと、神道・仏教などを混在させた発言を続けてきた。そして最終的には、その著に「釈迦・キリスト・マホメットの三大聖者も神人合一ではない。ところが私は、私の言動のすべてを神様自身が自由自在に動かしているのだから、神と人との区別がなく真の神人合一である(趣意)」と述べているように、自分は三大聖者を超越した神の立場であると称するに至った。
 現在の教団は、この真の神を大光明真神と称して祭神とし、これと一体化した教祖・茂吉こそ世界人類の救世主であり「明主」であるとする。そして、この大光明真神とは、この世を創造した主神の働きのうち、特に人類を救済し、地上天国・真文明世界を創造するために現れた神であるという。このことから教団では、病・貧・争を三大災厄とし、これらをなくして、健・富・和で真・善・美を完結させた「地上天国」という理想世界の実現を目指すとしている。
 この思想の依り所となっているのは、教祖・茂吉が天啓として受けたという「霊界の夜昼転換」である。その内容は、この世界に人の住む「現界」と、目に見えない「霊界」があるとすることにはじまる。そして、霊界には夜と昼があり、今までは霊界の夜(悪)の時代であったが、これが間もなく転換して昼(善)の時代となり、この霊界の善が現界に及んで、この世に天国的光明世界・地上天国が出現するというものである。そのうえで、この一大転換期に世を救うために出現したのが、教祖・茂吉であるとしている。
 教団での儀礼の実践は、「浄霊」が中心とされる。これは、茂吉が神から観音力を授かったとし、「腹中に光の玉がある」といい、はじめたことを元としている。茂吉は、相手に「光」の文字を書いた紙を畳んで懐に入れさせ、それに向かって手をかざすことによって、自分の体内の光の玉からの「光波」が供給され、救済されると説いた。
 現在では、信徒の誰であっても取り次ぎ者として、教祖から与えられた文字など、「おひかり」と称するものを身につけ、病人や相談者に対して手をかざし、「光」をなぞる動作をすれば、苦悩の原因となっている霊の曇りを浄化させ、病気・不幸・争いをなくせるとしている。浄化とは、人間の体に残留する汚物が毒素となり霊の曇りとなることから、自然治癒能力によってこれを排除させようとするものであるという。教団ではこれらを総合して「日本医術・浄霊」と称している。
 また、健康に関連した「自然農法」を主張し、研修農園や実施農場で農薬・肥料を排除した作物を育てたり、これらの食料品を「MOAブランド」として流通・販売したりしている。これらの浄霊や自然農法は、三大災厄のなかでも「病」を第一とする教祖・茂吉が、自らの闘病体験に基づいて、近代医学に対抗する「薬毒論」を主張したことからはじまったものであり、献金などとともに、信徒の修行・奉仕活動の中心をなしている。

【破折の要点】
◆世界救世教の教義は、教祖の腹の中に「光の玉」があるといったり、仏教や神道、さらにはメシヤを交えた御都合主義で、思いつくまま創作したものにほかならない。また教祖は、「神から力を授かった」といいながら、「神人合一」と称して、自分は釈迦・キリスト・マホメットなどよりも上位で、神と同じであるともいっている。まさにそれらの内容は矛盾に満ち、支離滅裂・荒唐無稽である。

◆教団では、教祖に力を与えたという観音について、「その本体は、天照皇大神の慈悲による救世の代現神・伊都能売大神であり、これが仏身に姿を変えてインドにわたり、観音の立場として釈迦を悟りに導いた。したがって仏教の元は観音である。この“伊都能売大神”は、大光明真神の霊系である」などと、何ら脈絡のない意味不明の説明をしながら、大光明真神とつなぎあわせようとしている。この説明こそ、教団で祀る「大光明真神」は実体のない架空のものであることを、自ら明かしているといえよう。まさに教祖の悩乱の産物たる証拠である。
 また、茂吉を写真に撮った際“観音・お光・竜”などが同時に写っていたとする「霊写真」を宣伝した時もあったが、後になって、二重写しの偽造写真であることが読売新聞(昭和25年6月1日付け夕刊)に明かされ、教祖の欺瞞性があばかれている。

◆「霊界の夜昼転換」により理想世界の「地上天国」が現れるというが、これは美術骨董の趣味・収集の欲望を満足させるため、茂吉自身の理想として創作したものにほかならない。その欲望のために奉仕を続ける信徒は、最後に空しい思いをすることになることを知らなければならない。

◆浄霊・手かざしを行って、あらゆる苦悩の原因である霊の曇りをなくしたはずの教団で、跡目争いや内紛が続くのは、浄霊に効果がないばかりか、それを行う者たちが精神を曇らせている証しである。また手かざしによって、大漁や豊作になったり、故障したエンジンがなおったなどと、奇跡を売り物にするが、このようなまやかしを信ずることが、かえって不幸の原因になるのである。


 
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