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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 新興宗教 疑似宗教 一燈園

三 一燈園 (財団法人・懺悔(さんげ)奉仕(ほうし)光泉林(こうせんりん))

  創 立    明治37年4月
  創始者    西田天香(本名・市太郎)
  代表者    当番・西田多戈止(たけし)(旧名=武・天香の孫)
  崇拝の対象  (光(おひかり)〈神・仏・大自然〉
  教 典    『西田天香選集』全五巻ほか
  本部所在地  京都市山科区四ノ宮柳山町8-3
  信者数    不明
  名称の変遷  一燈会(明治38年) 一燈園(大正2年)

【沿革】
 一燈園とは、西田天香の「許されて生きる」「争いがなく、相互に喜び合う世界を」という理念と実践に惹かれた人たちによる共同生活集団の呼称である。
 創始者西田天香は本名を市太郎といい、明治5(1872)年2月、滋賀県長浜町の紙と糸を商う家に生まれた。小学校を卒業して家業を手伝っていた市太郎は、16歳のころ独立して紙と文具の卸商をはじめ、18歳で西田のぶと結婚した。やがて徴兵を目前にした市太郎は、北海道の開拓に従事すれば兵役を免除するとの規定もあり、同25年に他の資本家とともに合資会社を興し、自ら百戸の農家を率いて北海道へ渡った。
 同31年、合資会社の現地事務所の全焼、さらに大洪水による凶作や資本者側と小作人の衝突などの災難が起こり、事業は深刻な経営不振に陥った。資本者側と小作人の間に立たされた市太郎は「人間が争わずに生きるにはどうすればよいのか」と悩み抜き、結局、開拓事業をあきらめて郷里の長浜へ帰った。
 その後、以前から目をとおしていた二宮尊徳著『報徳記』、さらにマルクス著『資本論』など数書を研究した市太郎は、平和に徹する生活を決意して名を「天香」と称するようになった。次いでトルストイ著『我が宗教』の「生きようとするには死ね」との言葉に触発されて、家を捨て放浪生活を送った。このころ、京都南禅寺の豊田毒湛について参禅をしている。
 同37年4月、天香が32歳のとき、長浜の愛染明王堂の縁側で断食をはじめて4日目の未明、乳を欲しがる赤子の鳴き声を聞き〝許されて生きる生命〟を悟ったという。以来、天香は自身を世の中の最下位に位置づけ、家々を訪問して便所掃除や草取りなどの下座行(げざぎょう)と称する奉仕活動を行うようになった。
 その思想と行動に共鳴して集まった人たちとともに天香は、同38年「一燈会」を創立し、大正2年に拠点となる建物が京都鹿ヶ谷に献堂されたことを機に、同会を「一燈園」と改称して同地で共同生活をはじめた。同年、天香は奥田かつと2度目の結婚をした。同4年には、戯曲『出家とその弟子』を書いた倉田百三が入園している。
 同8年に国際連盟が設立されたのを機に、天香は〝世界平和の祈り〟と称して六万行願(慰撫・懺悔・行乞など6つの願いを込めて、他家の便所掃除を行うこと)を発願した。同10年に天香は『懺悔の生活』を出版した。
 昭和4年8月、一燈園は「財団法人 懺悔奉仕光泉林」として認可され、同5年には寄贈された山科の土地建物へ拠点を移した。
 また同6年に〝俳優修行は人間修行〟を掲げて「すわらじ劇園」を発足させ、同16年には園外者に短期間だけ一燈園の修行を体験させる第1回目の「智徳研修会」開催した。
 さらに天香は、同22年4月に行われた第1回総選挙において、参議院全国区から立候補して国会議員となって一期6年を務めている。同30年には「一燈園農事研究所」を設立している。
 天香が同43年2月に96歳で死去し、その後を孫の多戈止(たけし)が当番(責任者)となって継いでいる。
 現在、一燈園に居住する者は「同人(どうにん)」と呼ばれ、園外から依頼される仕事も含め、出版(燈影舎)・建築・農業・研修会・演劇などに従事しながら園内で約300人が共同生活を送り、下座行としての托鉢を行うために全国に散っている者もいる。このほかに、園以外の地で一燈園生活に共鳴している人々を「光友(こうゆう)」と呼び、それぞれの地域ごとに「光友会」が結成されている。また一燈園の思想を一般に広めるために、毎月「智徳研修会」を行っている。
【教えと修行】
 一燈園には、本尊・神体と称されるような具体的な対象物はなく、(光(おひかり)と称するものを崇拝するとしている。この、(光(おひかり)とは「神・仏・大自然の本体にして、諸宗の真髄である」と主張している。具体的には、園内の礼堂と呼ばれる建物の祭壇中央の円窓から見える自然風景に向かって祈る。
 この(光について、天香は「その当体はやはり〝何事のおはしますかは知らねども・・・〟で、拝む人の自由」であるといい、また円窓ついては「一宗一派にかたよらないために円い窓にしたものである」と一燈園では説明している。
 一燈園の教えや修行方法は、天香の思想や天香が行った方法が原点となっている。
 天香の思想の特徴は、次の四箇条に集約される。
 一、母親と赤子の間には、授乳をとおして、相互が喜ぶという真の平和な世界がある
 一、この乳の供給者と需要者の相反する二つの立場が一つにとけあった平和な姿こそ、生命生存   の実体にして生命の原点である
 一、人間は生まれようとして生まれたのではなく、大自然・神・仏によって授けられ、生かされ   ている
 一、よって、生かされるままに、許されるままに生きるならば、争いがなくお互いに生きて喜び   合う世界となる
 一燈園では〝人間は誕生した時、自分の物は何もない〟という無一物・無所有の姿こそが「路頭の心」であり、この心で生活することを人間本来の姿であると教える。そして、人間の争いの原因は、欲望や執着心によるとし、こうした欲望への執着心を絶ち、利己心を浄化させて人間本来の姿に立ち帰ることを「路頭に帰る」という。したがって、人間が身についたもの、集まったものすべてを、(光(おひかり)のもの、全体のものとして教団に返し、常に無一物の立場が人間本来の姿と説く。
 また、天香の日誌『天華香洞録』から抜粋した「一事実」と称する文章を根本精神としている。それは、
 「僧にあらず、俗にあらず、無限の福田ありてしかも同時に一労働者なり。生活のために働かず、 光明に養われし故に報恩の働きありとも見ゆ」
等の内容である。
 これらのことから、一燈園では一燈園生活の究極目標は「戦争がないということだけではなく、あらゆる対立、憎悪、怨恨、争いを生み出すもの根切れさせ、種をつくり出さない、本当の心の平和」にあるとし、世界に真の平和を実現することを祈っていくことを説いている。したがって、実際の園生活においても、「光明祈願」といわれる
 一、不二の光明によりて新生し 許されて生きん
 一、諸宗の真髄を礼拝し 帰一の大願に参ぜん
 一、懺悔のために奉仕し 報恩のために行乞(ぎょうこつ)せん
 一、法爾の清規にしたがい 世諦を成ぜん
 一、即ち天華(てんか)香洞(こうどう)に帰り 無相の楽園に逍遥せん
という五箇条を根本規範としている。
 一燈園では「一燈園はいわゆる宗教ではない。宗教を生活するところである」とし、園での生活そのものが修行としている。したがって、園では礼堂において朝課(一帰四礼と称される礼拝行と維摩経偈・「一事実」の朗誦)と晩課(般若心経・維摩経偈を中心とした誦経)を行っているが、炊事・農園作業など各部門における仕事を「作務」と呼び、奉仕としての「托鉢」であると規定してより重要視している。園内の同人が労働による収入は「預かりもの」として、すべて、(光(おひかり)に捧げられ、同人の財産にはならず、必要なものは必要に応じて(光(おひかり)から与えられるとする。
 一燈園の特色となっている他家の便所掃除は、「行願」と称され、園では下座の心を養い、争いのない世界の将来を祈り、念ずる修行と定義されて、礼拝(おがむ)・下座(へりくだる)・奉仕(ささげる)・慰撫(なぐさめる)・懺悔(あやまる)・行乞(いただく)の六つ願いを込めて実践する。これには正月に行われる年頭行願、11月の霜月行願、毎月の研修会行願などがあるが、折にふれて各地でも行っている。

【破折の要点】
◆一燈園では「一燈園はいわゆる宗教ではない。宗教を生活するところである」と主張している。しかし、(光(おひかり)を崇拝対象とし、天香の本来無一物・無所有に基づく教義を説き、朝課や晩課などの礼拝修行、年中行事としてお盆の供養をするなど、宗教そのものである。一燈園の「宗教ではない」との主張は、世間をあざむくものである。

◆一燈園では(光(おひかり)を「神・仏・大自然の本体にして、諸宗の真髄である」として崇拝対象としているが、その実体については天香がいつ、どこで悟ったのか何ら説明もなく、定かではない。このような崇拝対象は、極めていい加減なものであり、天香の単なる思い付きによる空想的産物である。それを崇拝せよとは、無責任きわまりない。

◆天香の思想は「許されて生きる」「争いがなく、相互に喜び合う世界を」つくるための道徳論に終始している。しかし人生には、道徳論では解決し得ないさまざまな問題や苦悩がある。実際、人々に大苦悩を与える原因には天変地異や事故、凶悪犯罪に遭遇することもある。
 正しい御本尊と正しい教えによらなければ、天変地異を治め、悪い病巣を断ち切り、煩悩を浄化するという根本的解決はできない。
  所詮、天香の道徳論などは、人々に大苦悩を与える原因の総合的解決からはほど遠い話である。

◆一燈園では「人間はもともと無一物で生まれ、生命も授かったものであります。自分のものといえるものは何もなく、権利を主張できる何物もありません。無一物・無所有こそ人間本来の姿だといえる」と主張している。
 しかし人間はこの世に生をうけたとき、すでにさまざまな境遇・境涯がそなわるのは事実であり、決して「無一物・無所有」とはいえない。このような人間観は、まったく現実生活から遊離した偏見に過ぎない。

◆「本来無一物・無所有」なる理論をもとに、人間個々の身についたもの、集まったものすべてを、(光(おひかり)のもの、全体のものとして教団に返し、常に無一物の立場が人間本来の姿、などといっている。しかしこのような理論は、園で生活する者が得たすべてのものを、教団に集めるための理由付けに過ぎない。


 
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