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諸宗破折ガイド 神道と民間信仰・俗信 神道

第五章 神道と民間信仰・俗信
 神道や民間信仰・俗信などは、その発祥と教理は曖昧であり、それを絶対的なものとして信仰している人は少ない。といっても、それらが長い時間を経て日本人のなかに深く広く浸透していることは否めない事実であり、安易に見過ごせない。
 日蓮大聖人は、「神」とは本来、正法を守護する諸天善神であり、その正法が広まっていない現在では、神社は善神が去って悪鬼の栖となっていることを示されている。
この章では、日本の神道・民間宗教・俗信、その他について紹介し、それぞれの教義と主張に対して破折を加え、読者の覚醒と布教の一助にしたい。

一 神道

 古代において人々は、自然界の未知なる力に対し、「カミ」なるものを想像し、畏敬の思いを懐き、さらには死者・先祖への追慕の念などから「祖霊神」を祀った。
 それらが国家平定に伴って豪族などが自らの立場の優位性を示すため「神話神」を創作することとなり、さらに後世には功績をなした人をも「人物神」として祀る形に発展させた。このような神道は我が国固有の信仰をつくり、教義体系が定まらないままに八百万の雑多な神を崇拝し、神社を中心とする多神教となっていった。
 この八百万神を崇拝する神社信仰は、のちに外来思想の仏教や儒教などの影響を強く受けて体系づけられ、我が国独特の思想の一端として見られるようになる。
 明治期からは神道国教化政策により、国家の庇護のもと「国家神道」として極端な国粋思想を生じ、侵略戦争につながる暗い歴史を作ることとなる。
 なお、幕末から維新の動乱期には、神道思想の土壌から新たな神道が生み出された。これらの神道を「教派神道」といい、これに対して従来からの神道を「神社神道」といって区別している。
 昭和期に入ると、神社神道を基とした政教一致の国体思想は、国内はもとより朝鮮・中国・南方諸国へも拡大されていったが、第二次世界大戦の敗戦に伴い、新憲法のもとに政教分離し、その勢いは一時衰退した。しかし、国民のなかに浸透した国家神道の思想は、今日においても政治・教育などを議論するなかに垣間見ることができる。

 1 神社神道

〈神の発生について〉
自然神
 古代社会において人々は、自らの能力で推し量ることのできない山や海で起こる自然現象や、さらには巨木や巨石といったものに対し、“何か得体の知れない霊力・能力をもっているもの”と畏敬の念を懐き、カミ(神・精霊(せいれい))が宿っていると想像した。さらに狩りや漁、農耕など、自然の恩恵を受ける生活のなかで、それらに対する感謝の思いが生じ、自然を崇拝の対象とするアニミズム(精霊崇拝)の信仰へと発展し、山の神・海の神・水の神などの「自然神」の概念が生じた。
 また、「自然神」「神話神」と結びついて信仰の対象となっているものも少なくない。
 その一例を民間信仰と合わせて左に挙げる。
(自然神)山の神………(民間信仰)春になると農耕に欠かせない水をもたらす神「田の神」にな                 るともいう。なお、山で生活する人々の間では、山を守る神                 として、信仰の対象となっている。
(神話神)木花開耶媛…(主な神社)浅間神社など
     大山祇神…   三島神社・大山祇神社など
     大山咋神…   日吉神社・松尾神社など
(自然神)海の神………………………(民間信仰)水神・竜神信仰とも結び付く
(神話神)大綿津見神…………………(主な神社)海神社など
筒男三神・宗像三姫神……       住吉神社・宗像神社など
(自然神)火の神…………(民間信仰)竈神・荒神として信仰されている
(神話神)火之迦具土神…(主な神社)秋葉神社など
木花開耶媛…… 浅間神社など
(自然神)水の神……………(民間信仰)天王信仰と結び付いているものもある
(神話神)天之御中主神 … (主な神社)水天宮など
健御名方神……… 諏訪神社など
(自然神)地の神…………………(民間信仰)その土地を護る神として、地方豪族の霊を祀ること                     もある
(神話神)大国主命・大国魂神…(主な神社)大国魂神社など

生活神
 古代社会では生活のなかにも、屋敷神・穀物神・竈神・井戸神・納戸神・厠神・厩神などの神を想定した。また産神・死神・疫神・縁結神などと、人生の出来事にも「神」を造作し、それらが八百万といわれる数多くの神の概念を生むことになった。

祖霊神
 祖霊神は、死者への「追慕の念」と死霊に対する「恐怖の念」が、時の経過とともに氏族の「守護神」としての働きをなすものと理解されるようになった。
 このようにして生まれた「神」への概念は、古代民族の風俗・習慣や文化の進展に伴い、族のなかに共同信仰を作り、さらに大和朝廷が徐々に国家統一へと向かうなかで、自然神や祖霊神信仰と結び付いて「神話神」へと発展することとなる。

神話神
 神話神の記述は、奈良時代の『古事記』(712)に万物生成のはじめとして、「天地が初めて分かれ、三神(高御坐(たかみむすび)・神坐(かみむすび)・御中主(みなかぬし))が生まれ云云」(趣意)という文に端を発している。その後さらに、同書には、「神代七代目の、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の結合によって、淡路島を最初とする日本国土の“国造り”となり、その後に山・川・草・木など数多くの自然界を成していく」(趣意)と、国土の生成が記され、また、「女神の伊邪那美は、生産の最後となった火神を産んだ後、程なくして死に至るや、夫の伊邪那岐に、自らの醜態を見られたことに恨みを懐き“1日に1,000人を絞め殺す”と呪いを告げると、夫の伊邪那岐は“しからば、1日に1,500人を生む”といい返したことから死者と新生児の数が定まった」(趣意)と、人口の増加数まで神代に決まっていたと記している。
 さらに、「男神の伊邪那岐から多くの神が生まれるなか、天照大神(あまてらすおおみかみ)や須佐之男命(すさのおのみこと)なども生まれるが、この須佐之男命の暴虐非道によって食物神の大気津比売(おおげつひめ)が殺害され、その遺体から、稲・粟・麦・大豆などの穀物が生まれた」(趣意)と、穀物の生成も神の体から生まれたと記されている。
 またこの神話神は、当初から天津神(あまつかみ)(天照大神など=天神(てんじん))・国津神(くにつかみ)(大国主命(おおくにぬしのみこと)など=地祇(ちぎ))と別れているが、この国津神の大国主命は、天津神から「出雲(いずも)に大社を建設して貰う」(趣意)ことを取引の条件として、日本国の統治を放棄することとなる。そこで、「天津神の天孫(瓊瓊杵尊(ににぎにみこと))が降臨して一時、日向(ひゅうが)に定着するが、程なくして日向三代の子(後の神武天皇)が大和(やまと)へ東征することとなり、その途中で各地の部族を武力で服属させ、ついに熊野より侵入して大和を征服する」(趣意)と記述している。この大和を平定して橿原で即位した神が「神武天皇」とされている。
 このように政治力を使って神話を作り、氏族が自らの正当性を高め、ひいては氏族の長(おさ)等(皇室の祖・地方豪族の祖)を神話神と結合させ、「祖神」として崇めていくのが神話神である。

人物神
 歴史上の人物が神として崇められるようになったものを「人物神」という。
 これには神話神と結び付くなかで、古くは応神天皇にはじまる天皇系や、天満宮の菅原道真(みちざね)などの、歴史上に名を残した人や、豊臣(とよとみ)秀吉や徳川家康などをはじめ、戦国大名や各藩主、さらに治水事業等で功を成した人、そして近くは靖国神社のように戊辰戦争から明治維新を経て太平洋戦争までの戦死者を「神」として祀り上げているものもある。
 その主な人物神と祭祀神社を左表に挙げる。

【歴史】
 古代人のなかから観念的に生じた祖霊信仰は、一族の宗教的な儀礼から「カミ」としての氏神を誕生させ、やがては『神話』と結び付いて日本各地に一族鎮守の神社信仰「古神道(こしんとう)」として発展した。その後、四世紀頃の大和政権の誕生に伴い、神話の神を祀る神社が、一族の鎮守社として各地に造営されていった。



〈白鳳・奈良時代〉
 六世紀中頃、仏教の伝来により、神道と仏教との間で争いが起きたが、6世紀後半、聖徳太子が『一七条の憲法』で「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」と制定したことにより、仏教を国家鎮護の宗教として神道の上に置き、保護することとなる。
 八世紀、奈良時代に入り律令国家が成立すると、国家の官僚機構の頂点に太政官と並んで「神祇官(しんぎかん)」が置かれ、古神道はすでに伝来していた儒教や仏教の影響を受けて、新たな「古代神道」として体系化される。さらには『古事記』(712)や『日本書紀』(720)を編纂し、国家的神道の形体を強化していった。
 その後、八世紀中頃(奈良時代末期)、聖武天皇の「仏教興隆の詔」による理想国家建設のため、神道の神々は仏法を護る守護神として寺院に祀られたり、神社に神宮寺が建立されるようになっていった。これを「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」といい、江戸末期までの思想体系の底流となった。

〈平安・鎌倉時代〉
 神仏習合の思想は、平安時代に入るとさらに進展し、中頃には、仏は神の本体(本地)であり、神は仏の化身(垂迹)とする「本地垂迹説」が唱えられ、平安末期には、神の本地仏の名が限定されるようになった。たとえば八幡大菩薩が釈尊(阿弥陀の説もあり)の垂迹、天照太神が釈尊(大日の説もあり)の垂迹等というものである。この状況は明治政府の「神仏分離令」の発令による国家神道誕生の頃まで続いた。
 一方、本地垂迹の思想により、鎌倉時代には仏教的神道が生じ、真言宗系の「両部(りょうぶ)神道」や天台宗系の「山王(さんのう)神道」が起こっている。
 しかし、鎌倉時代の中頃から蒙古襲来の影響によって外来思想、特に儒教や仏教に対する批判が出、南北朝時代には伊勢神宮の外宮(げくう)の宮司(ぐうじ)であった度会(わたらい)行忠・家行が中心となって、日本の神を上位に据えようとして神道の正統を主張する、「伊勢神道=度会神道」の説が生まれた。これが後に北畠親房(ちかふさ)が著した『神皇正統記』に影響を与え、やがて国家神道の発展へとつながっていく。

〈室町時代〉
 この時代になると神道は、儒教や仏教の上に位置する教えとして、宗教の源流であることを主張し、卜部(うらべ)(吉田)兼倶(かねとも)により伊勢神道の発展した「唯一神道」としての「吉田神道=卜部神道」が出現した。この吉田神道は、江戸時代初期には神祇行政の頂点となって神道界の実権を握ることとなる。

〈江戸時代〉
 江戸幕府が儒教の一つである朱子学(しゅしがく)を官学として採用したことにより、朱子学を体系化した「儒家神道」が起こった。これには吉川(よしかわ)惟足(これたる)の「吉川神道」と山崎闇斎の「垂加(すいか)神道」がある。これらは今までの神道の諸説に道徳性と天皇崇拝を強調したものであり、幕末の勤王(きんのう)思想の基盤となった。
 しかし、これら神道の主張は、仏教の思想や儒教・朱子学を取り入れるなど、外来思想によっていたため、仏教・儒教などの習合を否定した日本古来の神道に復帰しようとする「復古神道(ふっこしんとう)」が、荷田春満(かたのあづままろ)にはじまり賀茂真淵(かものまぶち)から本居宣長(もとおりのりなが)・平田篤胤(あつたね)を経て大成していった。この復古神道による思想は、天皇中心主義・日本中心主義として江戸末期には倒幕(とうばく)運動の中心思想となり、多くの支持を集めることとなった。しかし、神道界全体としては未だ仏教の下に置かれている状況が明治時代の神仏分離令が発令される頃まで続くことになる。
 またこの時代には、突然、神がかった教祖により唱えだされた神道系の、黒住教・天理教・金光教などの創唱(そうしょう)宗教が生まれた。これらは、従来の神話神などを中心とした神道を神社神道と称するのに対し、「教派神道」と区別される。

〈明治時代〉
 新政府は、神道国教化政策により、神社神道の上に天皇中心の「皇室神道」を置き、飛鳥・奈良の時代の思想に遡って、「祭政一致の復古」を宣言して太政官の上に神祇官を復活させた。この祭政一致の復古は、神道による祭祀と政治との一致を目指し、神道を一般宗教と切り離して国家儀礼・国民道徳の基本とする「国家神道」として誕生させ、神社を国家の管理下に置いて庇護するものであった。
 そのために政府は、奈良時代から1,000年以上も続いてきた「神仏習合」を分離する『神仏分離令』を発令した。この分離令は一二度に及ぶ法令の総称であるが、それらの内容は、従来の神仏習合思想による神社の仏教色をすべて撤去することを主眼とし、神社が国家の宗祠であることを宣言するものであった。またこの分離令が「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の運動に発展し、寺院や経典・仏像の破却、僧侶などに対する迫害につながっていった。
 しかし反面、信教の自由を要求する世間の動きも盛んとなっていったことから、政府は、これらの混乱に対処するために省庁の統廃合を繰り返し、都合に応じて神祇官→神祇省→教部省→内務省寺社局と、変更しながら法令の発布を立て続けに行い、さらに明治二二年、『大日本帝国憲法』を制定し、信教の自由を一応認めながらも、神道を一般の宗教とは区別し、「国家神道」の色彩をいっそう強める方針を取った。

〈大正・昭和時代〉
 このような明治時代の国家神道を基とした天皇「現人神(あらひとがみ)」・天皇中心・日本中心の思想は、大正・昭和の時代に入っても国家の基本理念として堅持され、さらに神道を中心として、日本の思想界を統一しようとする動きが強まっていった。昭和元(1925)年、『治安維持法』の制定にはじまり、昭和14年、国民の思想統一を図る一環として、関連宗派を整理統合する『宗教団体法』を公布し、さらに同一六年には、治安維持法を強化し、「国体」や「皇室」を冒涜するものを徹底して罰するなど、ますます「国家神道」が強制されることとなった。
 しかし、第二次大戦によって敗戦国となるや、統治に当たった連合国軍総司令部は、『神道指令』を発して神社の国家管理を撤廃し、さらに同22年の新憲法のもとに国家と宗教の分離(政教分離)が行われた。
 これにより国家神道は解体され、さらに同26年の『宗教法人法』の発布によって国家の庇護を受けてきた神道は、その勢いを失うこととなったが、いまだに国民の一部には根強く神道崇拝の思想が残っており、戦後55年を過ぎた今日においても、義務教育の中に「神話」を織りまぜて「新しい歴史を考える」という動きなどもある。
 なお、今日、神社信仰は東京・代々木にある宗教法人「神社本庁」を中心とし、伊勢神宮を本宗(ほんそう)(総本社)として、全国八万社を束ねている。

【破折の要点】
◆自然神
 自然界の諸現象に対して古代の人々が、畏敬と恐怖の念から想像力を巧みにし、勝手に生み出したところの自然神や生活神は、単なる観念的なものでしかない。このような神は、自然界や人の生命を把握する真理とはほど遠く、真に人々の生活を護ってくれる「神」と崇めるべきものではない。

◆神話神
 神話では、淡路島をはじめ四国・隠岐・九州・佐渡・本州などが「国造り」されたとするが、これは非科学的な論理であり、現代人には相手にもされない文字どおりの神話論である。また、その「国造り」には、北海道・沖縄については論及されておらず、ましてや他の大陸等については一切述べられていない偏狭な教えである。
 また、神話による日本の神々には、古代人の観念から生じた根拠のない「創造神」をはじめ、怒りや怨み等による「タタリ神」(祟り神の雷神が雷除けの菅公として学問の神・天神信仰に昇華し、祟り神の金神が後に救済神として変化し、疫病神の牛頭天王が祇園社に祭祀されるなど)、または感情的になって権力や武力で相手を押さえつける「神」(暴虐の限りを尽くす須佐之男命)、さらには相手を裏切って得意然としている「神」(兄弟で争う海幸彦と山幸彦)など、煩悩に振り回される神々が多く存在していることを知るべきである。

◆人物神
 歴史上で功績のあった人を人物神へと昇格させ、崇めているが、実際にはその神とされる人物自身が自己の煩悩さえも解決できない一介の凡夫であることを知るべきである。
 歴史上の人物の功績が、尊敬に値いするとしても、それをもって直ちに人々の願いを叶えてくれる力があるわけではない。

◆仏教で説く神
 仏教で説く神は、真に人類を守護してくれる力を有し、国境を越えたあらゆる民族とも融和する寛容性と普遍性をもっている。その仏教を日本民族は受け入れて、既成宗教であった「神道」と融合し、国家の安泰をはかっていったのである。
 仏典では日天・月天をはじめ梵天・帝釈天など多くの神を明かされているが、個々の神を拝む対象として説かれてはいない。
 『法華経』安楽行品には、
 「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」(開結396)
と、また陀羅尼品にも、
 「法華経を読誦し、受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す」(開結579)
と、諸天の神々は常に正法である法華経と、その行者を守護することを明かされている。
 このように仏教では、仏と神の関係を仏(正法)が主で、神を従として正しく説いている。にも関わらず、従としての神のみを信仰することは本末転倒であり、なんら利益にもつながらない。
 なお、日蓮大聖人は『立正安国論』に、
 「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て 魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(新編234)
と説かれ、法味に飢えた神は天上界に帰ってしまい、神社には悪鬼・魔神が棲み、災難を起こす元凶となっていると、仏法の道理を示されている。
 したがって神社信仰は、多くの災厄をもたらす結果となることを知るべきである。

 2 教派神道

 教派神道は、幕末から明治初期の動乱期にかけて、江戸後期の復古神道の影響や、山岳信仰の展開のなかで、神がかったとする人物が教祖となって唱え出した宗教である。
 これは従来の「祭り」を中心とする神社神道に対し、教祖を中心として布教をすることが特徴となっていることから、後者を「教派神道」と呼んで区別している。
 これには黒住教・天理教・金光教をはじめ、出雲大社教・御嶽教・神理教・神習教・実行教・禊教・扶桑教・神道大教・神道大成教・神道修成派の13派がある。
 これらのなかで、黒住教・天理教・金光教・禊教は、教祖の神がかり的体験による純然たる創唱神道であるが、御嶽教・実行教・扶桑教・神道修成派は、山伏を中心とする山岳信仰の講からの派生であり、出雲大社教など他の教団は、神社の講からの派生である。
 なお、黒住教は、天照大神や八百万神を祭神とする神道色の強い教団であるのに対し、天理教では親神・天理王命を信仰し、金光教では、天地金乃神を信仰して、それぞれが独自の祭神を祀っている。
 これらのうち、天理教・黒住教・金光教については、新興宗教の項目で、また山岳信仰については、民間信仰の項目で破折を加えている。

 3 神話神を祀る全国の主な神社

 自然崇拝の原始宗教から発った神道は、大和朝廷の統一後、神話を『古事記』『日本書紀』に盛り込んで中央政権の正当化をはかったが、八世紀頃から仏教や儒教の外来思想の影響を受けて、徐々に教えの内容を体系化していった。
 ここでは神話による神を主祭神とする全国の主な神社と、その神の由来を挙げる。

【神社名】伊勢神宮・熱田神宮
【主祭神】天照大神(内宮)豊受神(外宮)・(熱田大神)
【主祭神の由来・寸評】
 大和朝廷が誕生する際、その部族が自らの家系を天孫に由来するとして神話の天照大神(太陽神)を皇祖神として内宮に祀り、また天照大神の食事係としての豊受神(食物の神)を外宮に祀っている。この豊受神は、神代七代の婦神・伊弉冉が産後の苦しみの最中、尿から生まれた稚産日命の子である。

【神社名】出雲大社・ 出雲大社・北海道神社・二荒山神社・磯前神社・大国魂神社・大神神社
【主祭神】大国主命(主神)・別天津神(客神)
【主祭神の由来・寸評】
 神話によれば、大国主は日本の国造りを天照の子孫に譲る代わりに、自分が出雲に祀られることを取引した、とあるので出雲を統治する神である。それが北海道神社・二荒山神社・磯前神社や各地の大国魂神社の各地に祀られているのは矛盾である。大国主は、別名を大国玉(魂)・大己貴・大物主・大穴牟遅ともいわれるが、大物主については、大国主とは別に奈良桜井地方の農耕神として大神神社にも祀られているのは滑稽である。また、中世には大国と大黒天とが同音である誼みから『福の神・だいこく様』と勝手にこじつけられている。

【神社名】八坂神社(祇園社)・津島神社・氷川神社
【主祭神】須佐之男命(素戔嗚尊)
【主祭神の由来・寸評】
 これらの神社では、現在、須佐之男(素戔嗚)を祀っているが、もとはインドの守護神である牛頭天王を祀っていた。牛頭天王は病をもたらす武闘神で、乱暴な素戔嗚と習合したことから、素戔嗚は転じて疫病を防ぐ神となり、現在の祭神としている。しかしこれらの祭神は、架空の神であり、真に人を救う力はない。なお氷川神社には、素戔嗚の他に大己貴(大国主)も祀っている。

【神社名】熊野大社
【主祭神】家津御子神(本宮)・熊野速玉神(新宮)・熊野夫須美神(那智社)
【主祭神の由来・寸評】
 本宮の祭神・家津御子は素戔嗚命、新宮の祭神・熊野速玉は伊弉諾尊、那智社の祭神・熊野夫佐美は伊弉冉尊とされている。その後の神仏習合により、この三神がそれぞれ阿弥陀・薬師・観音とされ、そのほかに八百万神を合祀している。特に熊野社は、無責任極まりない、いわば雑貨神社であり、祀られている神や仏もすべて架空のものである。

【神社名】日吉大社・日枝神社(山王社)
【主祭神】大山咋神(山の神)・大己貴神(大国主命)
【主祭神の由来・寸評】
 神話に、大山咋は素戔嗚尊の孫で「日枝(比叡)の山に坐す」とあることから京や近江の守護神として比叡山に祀られているが、後に加茂氏の氏神と結びつき、上賀茂・下鴨社にも祀られることとなる。また大国主と同一神の大己貴も合祀されているが、神話に説かれる架空神にすぎない。

【神社名】白山神社
【主祭神】白比咩神(主神)・(菊理媛)・伊弉諾尊(配神)・伊弉冉尊(配神)
【主祭神の由来・寸評】
 現在、菊理媛を主神とし、伊弉諾・伊弉冉を合祀しているが、白山比咩と菊理媛との関連は不明瞭である。この菊理媛は神話では「伊弉諾と伊弉冉が争った時に助言した」と記されているだけの得体の知れない神である。菊理媛は、いい加減な架空神であり、北陸の名山である白山を神聖化したものにすぎない。

【神社名】出羽神社
【主祭神】宇伽之御魂神(伊氐波の倉稲魂命)・月読命(月山)・大山祇神(山神)・(大山津見神)     ・(湯殿山)
【主祭神の由来・寸評】
 倉稲魂は、食物をつかさどる穀物神で、稲作とも関連し、各地に稲荷信仰とともに祀られている。 また月読は、夜を統治する天照大神の弟神である。月読は保食神(食物神)を殺したことによって姉の天照大神から遠避けられるが、因縁により食物神として祀られている。大山祇は、天孫降臨の神・瓊瓊杵尊の義父に当たり、山の神として修験者に信仰され、さらには神仏習合により、この三神が観音・阿弥陀・大日であるとされた。これらも架空神・架空仏である。

【神社名】稲荷大社・稲荷神社
【主祭神】宇迦之御魂神(倉稲魂命)・大宜都比売神(御食津神)
【主祭神の由来・寸評】
 神話では、須佐之男が高天原を追放されたとき、大宜都比売が鼻や口、そして尻から食物を出して料理したことに腹を立てて殺害したとある。比売の体から稲や麦などの穀物が生じたことにより、穀物神として祀られているが、所詮、架空の神話神にすぎない。

【神社名】三嶋大社・浅間神社・大山祇神社・湯殿山神社
【主祭神】大山津見神(大山祇神)・木花開耶媛(木花之佐久夜毘売)
【主祭神の由来・寸評】
 大山祇は、天孫降臨の神・瓊瓊杵尊の妻、木花開耶媛の父神で、広く山をつかさどる神とされている。また木花開耶媛は、富士山信仰の神体であるとともに、火神・農耕神としても崇められている。これらの架空の神々は、ただ山の美しさなどを利用しているだけである。なお三嶋社では、神話の中で大国主命の子とされている事代主神も合祀している。

【神社名】春日大社・鹿島神宮・香取神宮・鹽竃神社
【主祭神】建御雷之男神(武甕槌神)・経津主神
【主祭神の由来・寸評】
 神話には、国譲りに際して建御雷と経津主は、大国主の子の建御名方と力競べをし、建御名方を屈服させたことによって、天孫降臨が可能となったとされている。したがって建御雷と経津主がともに国譲りの立役者、さらに東北の地の守り神として、これらの神社に祀られている。なお鹽竃社に限っては、塩土老翁が鹿島・香取の二神を東北の地に先導したとし、さらに塩の製法を伝えたとして合祀している。

【神社名】諏訪大社・鎮西大社・諏訪神社
【主祭神】建御名方神(本宮)・八坂刀売神(前社)
【主祭神の由来・寸評】
 大国主命の子・建御名方は、建御雷に敗れて諏訪の地に逃れ、そこに封じられて諏訪以外の地には行かないと誓っているが、全国にその分社があること自体、神への反逆である。なお建御名方の婦神・八坂刀売の神話伝承は明らかでない。

【神社名】金毘羅宮
【主祭神】大物主命(大国主命)・金毘羅神
【主祭神の由来・寸評】
 正式には金刀比羅宮といい、金毘羅神を祀っている。この金毘羅は、古代インドのガンジス河に棲むワニが水難除けの神として祀られたものである。これがなぜ日本の大物主に結びつくのか不明である。

【神社名】秋葉神社
【主祭神】火之迦具土神(火産霊)
【主祭神の由来・寸評】
 神話では、伊弉冉が火之迦具土を産んで亡くなったことにより、悲しんだ夫神・伊弉諾は、その子・火産霊を殺害した。そのとき、この火産霊から鉄や山に関する神々が生じ、さらにその名称から、火神として「火伏せの神」とされている。

【神社名】愛宕神社
【主祭神】埴山姫命・稚産日命・伊弉冉尊・豊受姫命
【主祭神の由来・寸評】
 伊弉冉が火産霊を産んで亡くなる苦しみの最中、汚物から生じたのが埴山姫で、尿から生じたのが稚産日とされている。そして、この稚産日の子として豊受姫が生まれている。この姫神が伊勢神宮の外宮に祀られている豊受神である。これら火産霊との深い因縁から、愛宕社も「火伏せの神」とされている。

【神社名】美保神社・戎神社
【主祭神】事代主神・三穂津姫命
【主祭神の由来・寸評】
 事代主は大国主命の子で、美保の岬で魚捕りをしていたときに、天孫の国造りに賛同したので、その因縁により「えびす様」漁業や海運の神として祀られているが、所詮、神話に説く架空の神である。なお三穂津姫は、高天原の斎田の稲穂を持って降りてきた農耕神とされている。

【神社名】住吉大社
【主祭神】筒男三神(住吉三神)・(海の神)・神功皇后
【主祭神の由来・寸評】
 神話では、黄泉の国から帰った伊弉諾が禊祓を行ったときに生じた神で、神功皇后が三韓出兵のときに海路の案内をしたことによって海の神として祀られている。

【神社名】宗像大社・厳島神社
【主祭神】田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神
【主祭神の由来と寸評】
 三祭神は、天照大神と素戔嗚尊の制約のなかから生じた三姫神で、古代、朝鮮半島との海運の豪族胸形氏の守護神とされ「海運の神」として祀られている。

【神社名】高千穂神社・霧島神宮・鹿児島神宮・鵜戸神宮
【主祭神】瓊瓊杵尊・木花開耶媛など
【主祭神の由来・寸評】
 天孫降臨による瓊瓊杵尊や、その妻、木花開耶媛などの日向3代と、その孫たちを祀っている。この日向の神話をもとに、初代(瓊瓊杵)を祀る霧島神宮、2代(穂穂出見=山幸彦)を祀る鹿児島神宮、3代(鵜葺草葺不合)を祀る鵜戸神宮がある。

【神社名】橿原神宮・宮崎神宮
【主祭神】伊波礼毘古命・(磐余彦命)・(神武天皇)
【主祭神の由来・寸評】
 日向三代に続き、磐余彦が大和へと東征するなかで、武力をもって瀬戸内の各部族を平定し、大和盆地に朝廷を建てた。これが奈良・橿原の地での初代・神武天皇の即位となる。この天皇は歴史的には実在として扱われていない。実在天皇の最初は第10代崇神天皇とされている。

 以上、『神話神』を中心に、全国の主だった神社を対象として、その由来を記してきたが、ここに挙げた祭神と“同じ神”“関連ある神”を祀っている神社が、ほかにも数多くあるのが現実である。しかしながら神話を中心としての神は、所詮「架空の神」である以上、苦悩に渦巻く現今の社会を救う真実の神とはなれない。それどころか、真実の神を見つめようとしない低次元の思想に執着する人々の行為に、これらの神がかえって逆作用をなし、不幸な現象を呼び起こすこととなり、ついには国家社会の混乱を招く結果となるのである。


 
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