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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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諸宗破折ガイド 世界の宗教 道教

10 道教

【歴史と現状】
 道教は中国固有の民俗宗教である。今日、儒教を宗教と見なさない中国にあっては、道教が中国で生まれた唯一の宗教といえる。
 中国民族の精神生活を支えてきたものは、儒教と道教である。孔子・孟子を始祖とする儒教は人倫の規範を説き、いわば為政者の側に立った表の思想である。これに対し、道教は民衆の願望をそのまま映し出した裏の思想とみることができる。
 もともと道教は、すべてのものに霊魂が宿るというアニミズムから発生した自然宗教であり、特定の教祖はいない。古代の民間信仰をもとに、不老長寿のための根本原理である神仙思想を中核として、陰陽、五行、易、医学、占星、呪術など、またのちに道家(どうか)とよばれる老荘思想、さらに仏教や儒教など、歴史のなかで、さまざまな教えを付け加えた、きわめて幅の広い宗教となっている。
 教団組織としての道教は、2世紀なかばに成立した「太平道(たいへいどう)」と「五斗米道(ごとべいどう)」が起源とされる。この時期は、後漢が崩壊しはじめたときであり、内乱や飢饉など社会不安が高まり、民衆は心の拠り所を求めていた。そうしたなか、河北省南部に張角(ちょうかく)が太平道を組織し、やや遅れて四川省で張陵(ちょうりょう)・張魯(ちょうろ)が五斗米道を開いた。この二派は原始道教と呼ばれ、その教えは呪術による病気治療が中心であった。
 太平道は漢王朝の転覆を企て、武装蜂起して「黄巾(こうきん)の乱」(184)を起こし断絶するに至ったが、五斗米道は無料宿泊所を作るなど、地道な慈善活動によって支持を集め、一時は四川省に宗教王国を形成した。張陵を天師と称したことから、「天師道(てんしどう)」、また「正一教(しょういつきょう)」とも呼ばれる。五斗米道の名は、入信時に五斗の米(日本の約五升)を寄進させたことに由来する。
 3世紀の後半には、山東省生まれの魏華存(ぎかぞん)によって「上清派(じょうせいは)」(茅山派(ぼうざんは))が組織された。この派は道教の経典目録、養生法、神々の組織系統図などを作り、道教の教義を大成した。
 5世紀のなかばには、河北省生まれの寇謙之(こうけんし)が「新天師道(しんてんしどう)」を開き、道教の宗教としての体裁を確立した。当時、仏教が教勢を拡大しつつあり、これに対抗して道教は組織・儀礼・教義・経典などを整える必要に迫られた。そこで、寇謙之は天師道のもつ呪術的な側面を抑制し、儀礼・祈祷の形式を整備した。北魏の太武帝(たいぶてい)の尊信を得て、都に国立の道観(どうかん)(道教の寺院)を建立し、国教の地位を占めるに至った。
 7世紀に入ると、仏教の大蔵経に対抗して『道蔵(どうぞう)』と呼ばれる経典類が作成された。また、唐王室の姓が老子(李耳)と同じ李(り)姓であり、老子を自らの先祖であると喧伝(けんでん)し、道教を特別に保護した。
 ここに、道教は全盛期を迎え、国から税制上の特権を与えられるなど、教団は経済的に一大勢力となった。このとき、王室と結びついたのは、先に述べた上清派である。
 次いで宋代、11世紀はじめに起こった神霄派(しんしょうは)は北宋の徽宗(きそう)皇帝を取り込み、徽宗は自ら「教主道君皇帝」と名乗るまでに道教に心酔した。
 教団は免税の特権を受けるなどの国家権力の庇護のもとに次第に堕落した。そのため内部から改革が叫ばれ、全真教・真大教・太一教の3教派が誕生した。各教団は時代の反省から、無為自然を説いた老子の道家思想、また大乗仏教思想などを組み入れ、より複合的宗教となっていった。
 なかでも、王重陽によって創始された全真教は道・儒・仏の三教同源論を説き、特に禅の影響を受け、坐禅を取り入れるなど、その特色を加えた。
 元代は、王室と結びつき保護を受けたが、さらに浄明忠孝道(じょうみょうちゅうこうどう)、武当道(ぶとうどう)へと分裂していった。
 明、清の時代には、仏教とともに道教はきびしく統制され、道教は活力を失い、かろうじて伝統の維持をはかるのみであった。
 近年においては、1919年に中国全土にわたって「五・四運動」と呼ばれる革命が起こり、古い伝統(迷信や旧芸術、旧宗教の排除など)を打破することが叫ばれたため、道教も標的となり、衰退はさらに進んだ。
 現在は、政府の方針転換の結果、道観の復興、道士(道教の僧)の養成などが行われ、中国本土では北京の白雲観を本部とする中国道教協会が設立されている。
 中国以外では、台湾や華僑(中国本土から移住した海外の中国人及びその子孫)が作るチャイナタウンなどで道教は根強く信奉されている。
 日本では、養老4(720)年に成った『日本書紀』に道教の影響が見られるという。陰陽五行説、易、風水、また庚申(こうしん)信仰(道教の三尸(さんし)説)や、七福神のなかの福禄寿と寿老人など、さらには願かけ、おみくじ、お守り札といったものも、道教の影響といわれている。

【教義の概要】
 道教の経典として、老子の『道徳経』、葛洪(かっこう)の『抱朴子(ほうぼくし)』などが挙げられるが、その集大成は、『道蔵』である。道蔵は11世紀に編さんされて以来、数回手直しされている。現在、用いられているのは明代のものである。仏教の大蔵経を意識して編さんされたもので、ここには、主な教派の教義が収録され、内容は大きく次の4つに分けられている。
 第1に教学的部門として、道教の中核を成す万物の起こりから天界のありさま、神々の配置などが示されている。最高神として元始天尊や玉皇上帝、高位の神々として太上老君(老子)・玄天上帝(北極星)・北斗神君(北斗星)・雷神などの神々が崇(あが)められている。庶民の間で人気が高い神々としては、媽祖(まそ)(天妃)、関帝(関羽)、娘娘(ニャンニャン)(母、貴婦人、皇后などの意)などが挙げられる。
 第2に方術的部門では、呪(まじな)い、おふだ、おはらい、星占い、予言、祈祷の儀式、儀礼などが説かれている。お札には魔除け、治病、護身、不老長生などさまざまな目的に適うものがある。おはらいなどの目的は国や天子の安泰や、祖先や死者の霊を救うなど、願いに応じて祀る神が何千もあると記されている。儀式や儀礼は仏教の影響を強く受けたものである。
 第3は養生的部門で、調息(気功)・導引(柔軟体操)等の医術的なことが説かれ、さらに不老長寿の薬の作り方までが示されている。道教の主な目的が不老長寿にあるところから、この部門がとくに重要視される。  
 第4は倫理、戒律的部門で、道義(人倫)や国法に従うことを説き、ここには儒教の影響が色濃く反映されている。
 このように、道教は中国民族(漢民族)の土俗的で素朴なものに端を発し、歴史とともに仏教や儒教など、さまざまな教えを習合し、その経典や教義、儀式などが整備されている。
 中国民族は現実的、即物的、具体的な性向をもつといわれ、道教は民衆の欲求に応じて形成された宗教といえる。すなわち、道教は徹底した現世利益を説き、信仰の目的の中心は福禄寿の獲得にあるとする。福は子孫の繁栄、禄は財産、寿は長寿である。この願望を叶えるため、ありとあらゆる神々が祀られるのである。
 なお、最高神が元始天尊、玉皇上帝、太上老君などと、時代によって揺れ動いているように、民衆の要求に応えて形成された宗教であり、その内容は決して一様ではない。


 
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