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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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諸宗破折ガイド 世界の宗教 上座仏教

11 上座仏教(南伝仏教)

【歴史と現状】
 上座仏教(南伝仏教・南方仏教)は、スリランカ(セイロン)、ミャンマー(ビルマ)、タイ、カンボジア、ラオスなどに伝えられた仏教をいい、このほかにヴェトナム南部、マレーシア、インドネシアの一部にも伝わっている。
 南伝仏教の呼称は、中央アジアから中国、朝鮮半島、日本などに伝わる北伝仏教(北方仏教)に対するもので、一般には「上座仏教」(テーラヴァーダ)と称される。上座仏教を「小乗仏教」(ヒーナヤーナ 小さな乗り物)と呼ぶ場合もあるが、これは北伝仏教が自らを「大乗仏教」と称賛し、上座仏教を劣ったものとする呼び方で、一般には使用されない。
 仏教教団の歴史をみると、まず「初期仏教時代」(根本仏教)といわれる、釈尊とその直弟子たちの時代がある。次いで、釈尊入滅の年には、釈尊の教えを正しく後世に伝承するため、摩訶陀国の王舎城郊外で、長老の大迦葉を中心に500人の比丘が集い、第1回結集といわれる最初の仏典編さんのための会議が開かれている。
 さらに、釈尊滅後100年の第2回結集のとき、教団の規則(戒律)を厳格に守ろうとする長老中心の上座部(保守派)と、柔軟な考えを持つ大衆部(改革派)とに大きく分裂する。これを「根本分裂」といっている。
 その後、さらに18~20の部派へと分裂していき、それぞれの部派は独自の論と教義(アビダルマ)を立て、互いに論争を繰り広げる「枝末分裂」の時代に入っていく。
 紀元前3世紀、マウリヤ王朝の第3代に阿育王が即位した。王はインド史上、はじめて統一国家を築いたが、即位九年目のカリンガ戦争でその惨状を目の当たりにし、仏教の精神を政治に反映させようと志した。
 王は各地に仏塔を建立するとともに、仏教の伝道団を北はガンダーラ、カシミール、南は南インドのデカン、スリランカ、カンボジアなど広範な地域に派遣し、仏教の保護と流布に努めた。今日、仏教が世界宗教として存在するのも、この阿育大王の功績によるものである。
 紀元前3世紀なかごろ、上座部系の信者であった阿育王はスリランカに伝道団を派遣した。伝説では、阿育王の子・マヒンダ長老がスリランカのデーヴァーナンピヤ・ティッサ王に会い、王は仏教に帰依し、首都アヌラーダプラに大寺(マハー・ヴィハーラ)を建立するなど篤い保護を行ったという。
 大寺中心に、聖典編さん、教学整備、僧団の充実が計られ、次第に東南アジア各地へと広まっていった。上座仏教がときに「シンハラ仏教」といわれるのは、源流であるスリランカの仏教徒の大半がシンハラ人であることに由来する。
 5世紀にはインドのブッダゴーサがスリランカに来島し、パーリ語で三蔵(経・律・論)の注釈書を完成させ、さらに『清浄道論』を著して、上座仏教の教学を確立したといわれる。『清浄道論』は、今日の上座仏教教義のテキストとなっている。
 ここで、東南アジアに広がる上座仏教の事情を見ることにする。
 一、スリランカは上座仏教圏の発祥地である。紀元前三世紀、阿育王の子・マヒンダ長老によって仏教がもたらされ、後世の仏教徒は「島に灯火をつけた人」として王子を敬っている。
 次いで、マヒンダの妹・サンガミッター尼が11人の比丘尼ととも、ブッタガヤーの菩提樹の若木をたずさえ来島し、スリランカにおける比丘尼教団の基礎を作った。
 ドゥッタマニー王(紀元前161~137)の時代に国家宗教として定着したが、前2世紀前半にはタミール人の侵入があり、仏教徒のシンハラ族とヒンドゥー教徒のタミル人との確執は現在にまで及んでいる。
 ヴァッタガーマニ・アバヤ王(紀元前89~77)のとき、戒律上の論争から無畏山寺(アバヤギリヴィハーラ)が大寺から分派し、さらに3世紀にはジェータワナ派ができ、スリランカ仏教は3派に分かれた。
 12世紀に入り、パラッカマ・バーフ王は混乱した教団の浄化をはかり、分立する3派を大寺派に統一した。
 1505年から1948年までスリランカは、ポルトガル、オランダ、イギリスのキリスト教圏の支配下となり、仏教は抑圧され滅亡の危機に瀕した。
 1750年、ときのキャンディ王は仏教の復興を願い、タイ(シャム)に使節を送り、僧の派遣を要請し、翌々年にウパーリ長老一行を迎え受具足の儀式を復活している。現在、上座部教学の保持に務め、依然、東南アジアの上座仏教の要にある。

 二、ミャンマー(ビルマ)は、11世紀、ビルマ族のアノーヤター王がパガンに統一国家を建設し、スリランカから上座仏教を移入したのがはじまりとされる。
 王は既存の宗教(大乗教、密教、ヒンドゥーの習合した宗教)を追放し、公的に上座仏教を保護した。王や貴族は仏塔建立と仏書作成に援助を惜しまず、13世紀末の蒙古軍による王朝崩壊まで、パガンには約5,000基の仏塔が建立されたといわれるほど仏教は繁栄した。ミャンマーの仏教は、スリランカの大寺に準拠し、独自の教学的展開はない。

 三、タイには8世紀ごろ、すでに大乗仏教が伝えられていたが、11世紀にビルマのアノーヤター王がタイに侵攻し、大乗仏教を排除して上座仏教を移入したといわれる。
 13世紀なかごろ、タイ民族最初の王朝スコタイが建設され、2代ラームカムヘン王はスリランカに使節を送り高僧を迎え、上座仏教は国教の地位を占めた。
 14世紀に入り、リタイ王はスリランカから僧団の中心者にマハーサーミ長老を招き、以後、タイにおける大寺派教学の地位が確立された。
 タイ王国憲法には「国王を仏教徒とする」と規定され、国王は伝統的に「仏教の第一の守護者」「第一の信徒」の立場にある。
 全国の寺院と僧の統括者である教団(サンガ)の首長は国王によって任免され、教団は国家統制下のもとにある。現在、タイは東南アジア最大の仏教国である。

 四、カンボジアは、インド文化の影響下にあり、ヒンドゥー教と仏教の混交した宗教が栄えていた。
 9世紀初頭、ジャヤヴァルマン2世(877~889)によってクメール王国の基礎が固められ、アンコール・トムを都として繁栄していった。クメール様式の建築として名高いアンコール・ワットはヒンドゥー教の寺院であったが、のちに仏教寺院に改められた。
 13世紀末、クメール王国はタイの支配下となり、タイ上座仏教の強い影響を受けるところとなった。
 1975年、反ヴェトナムを掲げる共産主義のポル・ポト派が政権を樹立し、その暴政によって、カンボジアの伝統は抹殺され、上座仏教もまた徹底的に破壊された。3,000を超える全国の寺院は倉庫となり、6万人を超える僧侶は黄衣をはぎ取られ強制労働に従事させられた。
 1978年末、ヴェトナムはカンボジアに大軍を率いて侵攻し、ポル・ポト派を放逐するとともに、ヘン・サムリンを擁立して社会主義政権をプノンペンに樹立した。新政権は、国内秩序の回復に努め、その一環として仏教の再建をはかった。
 カンボジアの仏教は、メコン河デルタ地帯に居住するカンボジア系ヴェトナム人の「クマエ・クラオム(低地クメール)」と呼ばれる僧侶によって復興された。1994年の宗教省の発表によれば、寺院数は3,196箇寺で旧に復したといえるが、僧侶総数は32,449名で、最盛期の半数にすぎない。

 五、ラオスは、14世紀の建国以来、スリランカ系上座仏教が根強く信奉されている。
 1975年に王国政府が崩壊し、社会主義政権であるラオス人民民主共和国が成立したが、新政権は民衆の精神的支柱である仏教を警戒視し、さまざまな規制を行った。その一つが、民衆の僧侶への布施の禁止であり、僧侶は自ら田を耕すなど自給を強制された。
 現在、新政権の基盤の強化によって、仏教への統制は緩和されているものの、宗教省の厳しい監督下にあることに変わりはない。
 このほか、上座仏教はヴェトナム、インドネシアの一部にも伝播している。

【特徴】
 上座仏教の特徴は、出家中心主義であり、国民の僧侶への篤い信頼である。仏教徒の理想は、いつの日か僧侶となって修行生活を送ることである。特に国教となっているミャンマーやタイでは一時出家という制度があり、8~10歳の男子は皆一度は出家して寺に入り、そののち還俗して世俗の仕事に携わるという慣習がある。また、還俗せずに生涯を僧侶として送るものには、社会の指導者として特別の尊敬がはらわれている。
 現在、上座仏教徒はタイでは総人口の95パーセント、ミャンマーでは85パーセント、カンボジアは85パーセント、スリランカは70パーセント、ラオスでは50~60パーセントを占めている。

【教義の概要】
 上座仏教の「上座」とは、パーリ語「テーラ」の漢訳であり、仏教教団の「長老」を意味する。そこには、「長老たちを通じて連綿と伝承されてきたブッダの正統的教説」という自負が込められている。
 信仰の対象は、釈尊一仏であり、釈尊の遺骨などを祀る仏塔(パゴダ)崇拝も盛んである。出家僧の集団(サンガ)は伝統の継承に重きをおき、僧侶と在家信者との間には厳格な区別がある。
 黄衣をまとった僧侶は、世俗の仕事につかず、妻帯をせず、寺院に起居して227の戒律を守り、北伝仏教(大乗仏教)にいう衆生教化という考えはなく、ひたすら修行に専念して自己の解脱のみを求める。
 出家者の日常の生活は、托鉢によって日々の食べ物を得、正午以降は食事を摂らない。また戒律を厳守し、僧院に止住して、パーリ三蔵経典を主とした仏教知識の習得に努め、阿羅漢(羅漢 尊敬を受けるに値する人)と呼ばれる聖者を目指す。
 在家信者は五戒を守ることを基本に、出家僧団の存続を願い、寺院や僧侶に金銭や土地などを喜捨することに宗教的な情熱を燃やす。この世で功徳を積み、来世にはより幸福な状態で生まれ変わりたいと願うのである。
 上座仏教徒の象徴的な言葉に、スリランカの「ピン・カム」、タイの「タンブン」、カンボジアの「トゥヴー・ボン」、ラオスの「ヘット・ブン」があるが、いずれも功徳を積むという意味である。


 
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