本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

諸宗破折ガイド 世界の宗教 曹渓宗・太古宗

12 曹渓宗・太古宗

【歴史と現状】
 曹渓宗は、韓国仏教徒の大部分が信ずる禅宗系の宗派で、宗名は中国の禅宗を確立した慧能が住んだ曹渓の地名よりとったものである。
 太古宗は、1970年に曹渓宗から分立した宗派で、歴史、教義など、そのほとんどを共有している。
 朝鮮半島に仏教が伝播したのは、高句麗、新羅、百済の三国が分立して、まだ半島全体が統一されていなかった四世紀の終わりごろである。以後、仏教はこの三国に徐々に取り入れられ、6世紀なかばには、百済から日本に伝えられた。
 668年、新羅が半島全体を統一し、新国家を作った。この統一新羅の精神的支柱となったのが、仏教であり、仏教は民衆のなかに深く浸透していった。
 統一新羅時代の821年、道(ド)義(オイ)(生没年不詳)が、唐(中国)から南宗禅(頓悟禅)をもたらした。これが曹渓宗の起源とされている。しかし、このころの朝鮮仏教界は華厳、法相などの教理を研究することが盛んで、実践を重んじる禅は、あまり顧みられなかった。
 918年、高麗王朝が成立した。この時代、知(ジ)訥(ヌル)(1158~1210)によって、禅は大いに発展した。知訥は1200年に全羅南道(朝鮮半島南西部)の松広山吉祥寺を再建し、1205年に、これを曹渓山修禅社と改称し本山とした。この修禅社が現在の松広寺で、以後、朝鮮禅の中心道場となった。
 知訥は『金剛般若経』を尊重し、『華厳論節要』『念仏要門』『真心直説』などを著わして、禅と華厳及び念仏の融合を論じた。これにより朝鮮の禅は、中国の禅とも、日本の禅とも異なる独自の宗風を確立した。
 曹渓宗において、信仰上の宗祖は道義であるが、事実上の宗祖は知訥とされている。
 高麗時代の末には、太古(テゴ)普愚(ボウ)(1301~82)が元(中国)に入って臨済禅を学び、これを朝鮮に伝えた。これに帰依した王室から普愚は、王師、国師に任ぜられた。この普愚の法語や歌頌などは、『太古和尚語録』として残されている。
 1392年、李(イ)成(ソン)桂(ゲ)が李朝を建てた。以後、500年続く李朝時代には排仏崇儒が強行され、仏教は衰退を余儀なくされた。しかし、曹渓宗は、太宗の7(1407)年、11宗を統合して7宗としたときにも存続し、さらに、世宗の6(1424)年、7宗を統合して禅宗、教宗の2宗としたときにも、禅宗の名のもとに、そのまま残った。
 16世紀末、西(ソ)山(サン)休(ヒュ)静(ジョン)(1520~1604)がでて、禅教不二を説き、禅、教の二宗を実質的に禅教兼修の禅宗に統合した。以後、休静の法脈が朝鮮仏教の主流になって、近年に至った。
 1910年、「日韓併合条約」が締結され、朝鮮は日本の植民地となった。翌1911年、朝鮮総督府は「寺刹令」を出して宗教統制を強化、30本山を制定して、ソウルの覚皇寺に中央教務院を置いた。次いで1936年、覚皇寺を太古寺と改称し、1941年、太古寺を朝鮮仏教の総本山とした。また、その名称を「朝鮮仏教曹渓宗」とした。
 1942年の独立後、朝鮮仏教はただちに植民地時代の諸制度を廃棄して新たな発展を期した。しかし、1950年にはじまった朝鮮戦争で、多数の寺院が戦火にかかり痛手を受けた。
 1954年ごろから、日本統治時代の影響である妻帯僧を追放する「仏教浄化運動」が盛んになった。
 1962年、非妻帯僧は太古寺を曹渓寺と改称し、「大韓仏教曹渓宗」を設立した。
 これに対し妻帯僧は1970年、「韓国仏教太古宗」を起こした。
 曹渓宗の総本山は、ソウル特別市鐘路区にある曹渓寺である。寺院1,300・信徒1,300万人、東国大学校のほか、高等学校、中学校など教育機関も多くもっている。
 太古宗は曹渓宗の分宗ともいえる宗派で、総本山は、ソウル特別市西大門区の奉元寺である。
 韓国の仏教信徒は、全人口の3分の1の1、500万人ほどであり、そのうち90パーセントが曹渓宗、7パーセントが太古宗の信徒である。その他の仏教教派は、すべて韓国独立後に発生した新興教団である。

【教義の概要】
 曹渓宗は、その信条を「釈迦世尊の自覚覚他せる覚行円満なる根本精神を奉戴し、直指人心・見性成仏・伝法度生することを宗旨とする」としている。
 「自覚覚他」の「自覚」とは、インドにおける釈尊の菩提樹下の開悟、「覚他」とは、それ以後の衆生教化をいい、「覚行円満」とは「覚りと修行が円満に備わること」をいう。「直指人心」とは「坐禅修行によって直ちに人心をきわめ、悟りを得る」こと、「見性成仏」とは「自己の仏性を徹見して成仏する」こと、また「伝法度生」とは「仏法を伝え、衆生を済度する」ことである。
 太古宗の信条も曹渓宗とほぼ同様であるが、「太古宗祖の宗風を宣揚」することが付け加えられている。
 本尊は「釈迦牟尼世尊」、宗祖は曹渓宗では道義、太古宗では太古普愚としている。
 所依の教典は般若部の『金剛経』である。『金剛経』は正しくは『金剛般若波羅蜜経』といい、「空」の文字を使用せずに「空」を説くことで知られている。この経は、日本においても禅宗系統の宗派では重要視されている。
 禅の形は、坐禅と公案工夫をもとに、師との問答によって悟りに至ろうとする看話禅である。これは、日本の禅宗でいえば臨済宗の禅に近く、ただひたすら坐禅をして悟りを開こうとする曹洞宗の黙照禅とは禅風が異なる。
 また、修行のために念仏を唱えるが、これは日本の禅宗にはない形態である。
 韓国の仏教は、李朝時代の仏教弾圧や檀家制度がなかったことなどから、日本の仏教ほど社会的な影響はもっていない。
 寺院のほとんどは深山幽谷にあり、その維持、管理は、寺有財産の運用や篤信者、参詣者の寄付をもって行われている。僧侶は、葬儀には関与せず、墓地も寺院にはない。
 参詣者は、除災招福を願う信徒が多く、祈祷なども盛んに行われる。
 なお、朝鮮寺院独特の建物に、「山神閣」や「七星閣」がある。「山神閣」は、民間信仰の神である山神を祀る堂で、寺院には必ず建てられている。「七星閣」は、北斗七星を祀っている。これは道教の影響を受け、建てられたものである。信徒は本尊に参拝したあと、利益を求めてこれらの小堂に詣でる習慣がある。


 
inserted by FC2 system