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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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諸宗破折ガイド 世界の宗教 一貫道

13 一貫道(天道)

【歴史と現状】
 一貫道は、台湾を中心に信仰されている、きわめて呪術的要素の強い宗教である。
 この宗教は、19世紀の末、中国清朝の光緒年間に、山東省地域で発生した。このころ中国には、民間信仰と弥勒信仰が融合した白蓮教など、反体制的な民衆宗教が数多くあったが、一貫道もこの流れを引いている。
 一貫道の開祖は王覚一(生没年不詳)で、そのあとを劉清虚(生没年不詳)が継いた。「一貫道」の命名は、この劉清虚であるとされる。次いで、路中一(~1925)がこれを継承した。路中一は山東省を中心に布教をしたが、1925年、死去した。
 1930年ごろ、路中一の弟子で占い師をしていた張天然(てんぜん)(1889~1947)が信徒をまとめ、活発な活動をはじめた。
 当時、一貫道は反政府的な謀反集団と見られたり、裸体で礼拝する等の批判があり、異端視、邪教視されていた。張天然は、教義を確立し、組織を再編成して新たな出発をした。以後、一貫道は、張天然のカリスマと行動力によって、急激に発展していった。
 1940年前後には、山東省、河北省などの華北地方、また長江(揚子江)流域から遠く辺境地域まで、信徒がいたといわれる。
 1947年、張天然は、布教先の四川省成都において、59歳で急逝した。
 張天然の死後、妻の孫慧明(1895~1975)が一貫道を引き継いだ。しかし、求心力の低下から分裂がはじまり、多くのグループが派生した。
 1949年、中華人民共和国が成立すると、一貫道は封建的な迷信、反動的な宗教として弾圧され、指導者の孫慧明はイギリスの植民地であった香港に避難し、次いで台湾に移住して、1975年、そこで死去した。
 多くの信徒も迫害を受けて中国本土から台湾に移り、一貫道の本拠は台湾になった。
 台湾では、非合法であった組織が、1987年に解禁された。
 現在、20以上の「組」や「派」が確認され、これらの組や派において、100万人以上の信者が活動しているという。また世界各地の中国人居住地でも、布教が展開されている。
 多数の信徒を擁するのは、基礎組(台北中心)、宝光組(台湾南部中心)、発一組(台湾中部中心)などである。基礎組の発表では、日本にも8つの組、派があるという。
 一貫道には全体的な統一組織がなく、それぞれ独自の活動をしているが、解禁翌年の1988年、「中華民国一貫道総会」という連絡機関が作られている。
 なお、信徒は一貫道のことを「天道」、または「道(どう)」と呼んでいる。

【教義の概要】
 一貫道の名称は『論語』の「吾が道は一(いつ)以って之を貫く」によっている。
 しかし、その教義は儒教だけでなく、仏教、道教、民間信仰などが混合したものである。
 一貫道の主神は老「中+・・」(らおむう、明明上帝)である。祭壇には、ほかに弥勒古仏、観音古仏、弓長天然古仏(張天然)、関帝、無生老母、劉伯温軍師など、さまざまなものが同時に祀られ、崇拝されている。
 信徒は老●を、天地創造の根源神で、無始無終の存在であると考えている。
 この老●は、古代の聖人(せいじん)とされる伏羲に、一貫道の最高指導者である「道統」となるよう天命を下した。以後、道統は神農、老子、孔子、釈迦などに受け継がれて、西天第28祖の菩提達磨(禅宗の開祖)に至る。この菩提達磨が、道統の東土第1祖となり、その流れが東土第18代の張天然まで伝わっているという。
 老●は、永遠不滅の天である理天界(極楽世界)に住み、この天から降世した96億(あるいは92億)のすべての原子(衆生)を理天界に救い帰す使命を帯びた神とされている。
 天から降りた原子の住むところは、人間が活動する象天界(人間界)、象天界で自己を修めた者が死後おもむく気天界(天上界)、象天界で悪事を働いた者が堕ちる地獄界の三界で、原子は常にここを輪廻している。
 この三界には、青陽・紅陽・白陽の三期がある。青陽期は伏羲以降、紅陽期は周の文王以降とし、白陽期は張天然の師・路中一より後であるとする。この期末には倫理、風俗などが退廃して正しい道が行われず、人心の荒廃は極点に達して、空前未曽有の大破壊が起こる。これを「三期末劫」という。
 この大破壊のとき、老●は、弥勒古仏、観音古仏、弓長天然古仏などに命じて、象天界、気天界、地獄界の三界(三曹)にある原子を理天界に帰す救済(普渡)に当たらせる。これを「三曹普渡」と呼んでいる。
 一貫道には、老●が原子を輪廻の苦しみから救うため、お告げを下すという独特の儀礼がある。これは「飛鸞宣化」といわれ、少年、少女から選ばれた天才、地才、人才の三才とい呼ばれる三人によって行われる。天才の少年、または少女が神がかりになって、木筆をもって砂盤に文字を書き、地才がそれを記録し、人才が読み上げ、人々にお告げを公開するというものである。
 一貫道の信徒が参拝する建物は、仏堂とよばれる。この仏堂で入信の儀式を終えた信徒は、殺生・偸盗・邪淫・妄語・酒乱を禁じる戒を守る。殺生を禁じられているため、肉や魚などは食べず、菜食主義をとる。
 また、祭壇に果物、菓子、花などの供物を供え、1日3度、焼香(線香を立てる)をして礼拝する。礼拝は、本尊の前にひざまずき、叩頭(頭を地につける礼)を何度も繰り返し、懺悔文を小声で唱える。これらの行為は、主に現実生活における福徳を願って行われる。
 先祖の供養については、亡霊を理天界に帰すことが最高の孝養であるとし、そのために「功徳費」(献金)を納めることを、盛んに勧める。
 一貫道の教典には、『息戦論』(劉伯温著)、『天道概論』(蘇鳴東著)、『暫訂仏規』(張天然書)などがある。


 
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