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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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諸宗破折ガイド 世界の宗教 キリスト教

二 キリスト教

【歴史と現状】
 キリスト教は、世界人口の3割以上の教徒をもつ世界最大の宗教である。カトリック教会(ローマ・カトリック教会)、東方正教会、プロテスタントの三大教会(教会とは宗派と同義)をはじめとして、多くの派にわかれている。
 キリスト教を開いたイエス・キリストは、紀元前4年ごろ、イスラエル北部の町ナザレにユダヤの民として生まれた。このころのユダヤ民族は、ローマの支配下に置かれながらも、神から選ばれた民族(選民)としての誇りを持ち、ユダヤ教の律法を遵守して、強い絆をたもっていた。しかし、圧政の苦しみから、『旧約聖書』にあるメシア(救済者)の出現を待望する者が多くあった。
 このようななかで、イエスは、30歳のころヨルダン川で、終末論を説く預言者ヨハネから洗礼を受けて弟子となり、ガリラヤ地方(イスラエル北部)を巡回しながら、人々に「神の愛」と「悔い改め」を説いた。
 イエスの説教は、ユダヤ教の律法の文字にとらわれず、神の愛を全面に出した内容であったため、下層の民衆から熱烈に支持された。しかし、権力者や富裕な人たちからは、律法をないがしろにし、神を冒涜する異端者、敵対者として迫害を受けた。
 イエスは宣教開始後3年目の紀元30年ごろ、エルサレムの地でユダに裏切られ、ユダとともに押しかけたローマ兵によって捕えられた。その後、国家への反逆者としてゴルゴタの丘で十字架にかけられ処刑された。
 イエスの教えは、弟子パウロによって地中海沿岸の国々まで広められた。パウロは当初、ユダヤ教徒としてキリスト教徒を迫害していたが、律法による罪の解放に限界を感じてキリスト教徒となった。彼はキリストの死と復活は神による救いを啓示するものと捉え、すべての人が神によって救われるとした。また、神の前では人種、男女などの差別はなく、神を信じる者は、誰もが神からの恵みを受け、神とともに生きることができると説いて、選民思想をもつユダヤ教との違いを明確にした。
 2世紀ごろ、キリスト教徒の聖典である『新約聖書』が成立した。
 キリスト教は、ローマ帝国において長い間迫害され続けたが、313年にコンスタンティヌス帝によって公認の宗教とされ、ローマ帝国の権力下におかれ、皇帝の主導により、重要事項を議論し、議決する公会議が開催された。そのなかで、イエスと神の関係についてはさまざまに意見が出され一致を見ることができなかったが、381年の教会会議ではイエスに神性と人性を認め、聖霊が父と子から発せられると認めた。しかし、この論争には政治的な思惑も絡んでいたため、完全に収まることはなかった。
 392年、テオドシウス帝はキリスト教をローマ帝国の国教と定めた。教会は帝国内を5教区に分けて運営したが、395年、ローマ帝国が東西に分割された影響をうけ、東はコンスタンチノープル、西はローマの教会に次第にまとまっていった。
 451年、カルケドン公会議で三位一体説をキリスト教の正統的理解とする「ニカイア・カルケドン信条」が成立し、イエスの神性論争の収束を計るが、完全な収束には至らなかった。
 476年、西ローマ帝国が滅亡してから、ローマ教会は俗権の保護を失ったが、皇帝領を教会領として権力をにぎり、800年には戴冠式でカール大帝を教皇の足元にひざまずかせるほどになった。
 1054年、キリスト教は、教義的、政治的な諸問題から、ローマを中心とするカトリック教会(西方教会)とビザンチン帝国(東ローマ帝国)を基盤とする東方正教会に、相互破門の形で分裂した。東方正教会は、15世紀半ば、イスラム教徒の攻撃でビザンチン帝国が滅亡してからは、その中心をコンスタンチノープルからモスクワに移した。
 カトリック教会は、皇帝との世俗的な争いや土地の寄付による領主化で、13世紀には皇帝をしのぐ勢力を持つようになり、ヨーロッパはキリスト教社会になった。また、聖地エルサレム奪還の名目で七回にわたって十字軍遠征をおこない、イスラム教徒と戦った。しかし、十字軍の失敗や、内部の腐敗により、その権威は次第に失墜しはじめた。
 16世紀のはじめ、ルターは当時の教会に対して、免罪符の販売や堕落などを指摘した「95箇条の論題」をもって抗議し、カルヴァンも『キリスト教綱要』を著して教会を批判した。これらキリスト教会への批判は、ドイツ・スイス・北欧を中心として多くの支持者を得、カトリック教会から分離する者も出た。これらの動きは「宗教改革」、また「プロテスタント運動」と呼ばれた。
 16世紀中ごろ、イギリスはヘンリー8世の離婚問題をきっかけに、カトリック教会から独立し、イギリス国教会を設立した。ここでは、プロテスタントの影響を受けてピューリタン(清教徒)運動が起こったが、その多くは、新天地のアメリカに移住した。
 分裂を繰り返したキリスト教は、近代に至ってエキュメニカ(世界教会再統一)運動が起こり、各派間で対話が行われはじめている。

【教義の概要】
 キリスト教とは、イエスを、『旧約聖書』で予言されたキリスト(メシヤ)であるとし、父たる神が遣わした神の独り子と信じる宗教である。
 このキリスト教の聖典は聖書(バイブル)で、これには『旧約聖書』と『新約聖書』がある。
 『旧約聖書』はユダヤ教の教典で、「旧約」とはユダヤ教の神ヤーウェがモーセを介してイスラエルの民と結んだ旧い契約を指すが、キリスト教では、キリストの出現を予言するものとして、その価値を認めている。
 『新約聖書』の「新約」とは、イエスによって神の義と愛が説かれ、人々はイエスを通じて神の救済に与るという新しい約束を指す。『新約聖書』は、西暦50年ごろから作られはじめ、150年前後に成立し、397年に現在の形が定められた。その内容は、福音書、使徒言行録、手紙、黙示録など27の書からなっている。
 『新約聖書』には、人間をはじめ天地万物は、唯一の神によって創造されたが、はじめの人間アダムとイブが禁断の果を食した罪(原罪)によって神から遠ざけられ、死が定めづけられたこと、この原罪を背負った人々を救うため、イエスが人として現れ、すべての人の罪を受け(贖罪)十字架の刑に処せられたこと、処刑の3日後に復活し、40日間弟子たちに姿を見せ、再臨を告げて昇天したこと、これらは全人類に対する罪の赦しと救いの成就を表したものであることなどが説かれている。
 また、イエスは天上界に戻った後も聖霊(せいれい)を派遣し、人々を導くが、人々はこの神の愛と赦しを信じ、神との契約を実行すれば、世の終末にある「最後の審判」によって神の国に入り、永遠の命が得られるなどとしている。
 神の本質については、無償の愛であるとし、人々も神にならって、互いに愛しあうよう説かれている。また、神は愛のゆえに非常に憐れみ深く、神の前ではすべての人間が赦されるが、この赦しを得るためには、神に対して自分の犯した罪を告白し、悔い改める心を示さなければならないなどとしている。
 その他、『新約聖書』には、イエスの奇蹟、誕生、病気治療など、さまざまな事柄が記されている。
 キリスト教の中核をなしている教義に、三位一体説がある。三位一体説は、唯一なる神に、父と子(イエス)と聖霊(力・働き)の三つの位格(ペルソナ)を認め、三つの位格はともに永遠であり、上下・大小の差別はないとする説である。そこでは、イエスは神の子であり完全なる神性と完全なる人性を有し、神性と人性は一つで区別することができないとされている。
 三位一体の考えの原型は聖書にも見られるが、この言葉を最初に用いたのはテルトゥリアヌス(160頃~220頃)で、アウグスティヌス(354~430)によって明示された。451年のカルケドン公会議で正統とされてはいるが、イエスの神性や聖霊については異論も多く、分派や論争の因となっている。
 キリスト教は、長い歴史のなかで、教義、信仰姿勢や社会的、政治的状況などから、さまざまな教会、教派にわかれている。その主なものは、「カトリック教会」、「東方正教会」、「プロテスタント」である。

〈カトリック教会〉
 キリスト教のなかで最大の教徒数をもつ教会で、カトリックとは「普遍的」「全体的」を意味する。
 この教会の特徴は、ローマ教皇(法皇)をキリストの代理者であるとし、教皇は、世界の諸教会の指導者として、信仰と道徳において決して誤ることはないとすることである。教皇のもとには司祭、助祭など位階制度が制定され、信徒と教会に奉仕する形になっている。
 教会の存在については、神の国(神の支配)の実現を目指す人たちの共同体として形成されたものであるとし、人的な組織としてだけでなく、神の霊的な働きの場としても位置づけられている。
 また、聖母マリアを崇敬し、聖なる生涯を送ったとする聖人(せいじん)を重要視することも特徴である。
 教会においての典礼行為の中心は、毎週日曜のミサである。ミサでは、罪の赦しの祈り、賛美歌、聖書の朗読や聖餐(せいさん)(聖体拝領)を行う。聖餐とは、聖別されたぶどう酒とパンをキリストの血と肉になぞらえ、信徒に与えるものである。
 その他、聖水を額に注ぐ入信時の「洗礼」、自分の信仰が真実であることを告白する「堅信」、罪の許しを受けるために懺悔する「告解」、病気の者に神の霊的な力を与えたり、死への恐怖を和らげるための「塗油」などの典礼(秘蹟)がある。
 なお、カトリック教会では、離婚を認めず、司祭は独身の男性に限られている。

〈東方正教会〉
 ビザンチン帝国の諸教会を起源とした教会の連合体で、「正教会」とは「オーソドックス」の訳である。これらの教会は国家や民族の違いで、それぞれ独立しており、カトリック教会の教皇のような教団全体を統率する首長は存在しない。451年のカルケドン公会議の信条が共通の基盤にあり、有力なものはギリシャ正教会、ロシア正教会などである。
 正教会の教義は、原始キリスト教の精神に忠実で、義よりも愛、十字架より復活、罪よりも救いを重んじるとされている。神秘的、形而上的な要素が強く、聖書の内容をそのまま信じ、奇蹟や復活などもそのとおりに受け入れる。
 聖霊については、正教会では父からのみ発するとするのに対し、カトリック教会は父と子の両者から発せられるとする。地獄と天国の間にあるとされる煉獄(れんごく)についても、正教会ではその存在を認めないのに対し、カトリック教会はこれを認めている。
 また、東方正教会では、キリストや聖人をペイント等で描いたイコン(聖画像)を聖なるものとして崇敬するが、これに対してカトリック教会は、神以外のものへの信、あるいは偶像崇拝と批判する。しかし東方正教会では、イコンへの崇敬は神の本質に導くためのものであって、神への帰依とは異質のものと意義づけている。
 秘蹟は、カトリック教会と類似しているが、正教会では、洗礼は受洗者の体を実際に水の中に浸し、洗礼の後に、ただちに堅信が行われる。
 教会での讃美歌の合唱は、正教会では楽器の使用を必要としない。
 正教会は離婚や再婚を認めており、聖職者も修道士以外は妻帯を容認している。

〈プロテスタント〉
 プロテスタントの諸教会は、16世紀の宗教改革のとき、カトリック教会の腐敗や制度、習慣などに反対して分かれた教会である。
 プロテスタントとは「その立場を公に表明して抗議する」という意味で、少数派の改革側が、多数派のカトリック教会側に対して、その立場を公に表明して抗議したことから付けられた名である。
 基本的信条としては、
 一、聖書のみを規範とし、それ以外のすべての権威を否定する聖書原理主義
 二、信仰によってのみ神の恩恵が得られるとする信仰義認説
 三、教皇の絶対的権威を否定し、人それぞれが直接神の前に立つとする万人祭司説
の3点が挙げられる。
 礼拝は、聖書の説教を中心とし、儀礼的なものは簡素化され、秘蹟は、洗礼と聖餐の2つに限られている。
 プロテスタントは、その改革的精神から地域によって、それぞれ分派集団を形成することに特徴があり、当初のルター派からルーテル教会が、カルヴァン派から改革派教会・長老教会が形成され、さらにバプティスト派教会・会衆派教会・メソジスト教会・クエーカー(フレンド教会)などにも分かれている。


 
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