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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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諸宗破折ガイド 世界の宗教 ゾロアスター教

四 ゾロアスター教(パールシー教・拝火教)

【歴史と現状】
 ゾロアスター教は、紀元前700年ごろ、古代ペルシア(今のイラン)において、ゾロアスター(ザラスシュトラ)によって開かれた教えで、創唱宗教(創始者のはっきりした宗教)としては世界史上、仏教と並んで古いものである。
 ゾロアスターは、紀元前7世紀なかばから前6世紀後半にかけて活動したとされている。彼は現在のアフガニスタン南部、シースターン地方において、幼少のころから祭司の仕事に加わって信仰生活をおくっていた。成人したのち、さすらいの旅に出、30歳のとき、春の季節祭の水汲みにおいて、ゾロアスター教の至上神とされるアフラ・マズダーと対話し、啓示をうける幻を見た。以後10年間に7回の啓示を受けたという。
 最初の啓示を受けたのち、現在のイラン東北部からアフガニスタンにわたる地域を中心に布教をはじめた。しかし、その周辺にはゾロアスターの教えに反対する古くからの宗教勢力が強く、伝道は困難をきわめた。
 42歳のとき、それまで迫害を加えていたカウィ王朝のウィーシュタースパ王がゾロアスターに帰依した。この王の保護により、ゾロアスターの教えは人々の間に広まっていった。
 ゾロアスターは以後も宣教活動を続けたが、77歳のとき、反対者の軍隊から拝火神殿を守るため殉死したという。
 ゾロアスター教は、アケメネス朝ペルシア(前6世紀~前3世紀)において統治者から公認され、ササン朝ペルシア(3世紀~7世紀)では国教の地位を得た。
 しかし、642年、アラブ人イスラム教徒の侵入によってササン朝ペルシアが滅ぼされると、ゾロアスター教はイスラム教の勢いにおされて、衰退しはじめた。
 8世紀に入ったころから、一部の教徒は宗教上の自由を求めて、ペルシアからインド西北沿岸地域へ移っていった。
 彼らは、ここでは「ペルシア」を意味するパールシー(パーシー)と呼ばれた。パールシーは、18世紀ごろから、重工業、金融、商業などの分野で成功を遂げ、強力な社会的基盤を築いた。また、パールシーの間で起こる社会的問題を法的、政治的な立場から解決していくパンチャーヤト(自治組織)を作った。このパールシー間のパンチャーヤトは当時のインドを支配していた英国政府に協力し、インドの政治、文化の近代化に顕著な役割を果たした。インド独立後、彼らの一部は、アメリカ、イギリス、カナダなどに移住した。
 パールシーは原則的に、他の宗教からの改宗や他の宗教への転宗を許さない。したがって近親婚や教徒間の結婚が大多数を占めている。パールシーである男子がパールシー外の女子と結婚した場合、その子供は、ゾロアスター教の信仰を誓約したときだけパールシーとして認められ、パールシー外の男子とパールシーの女子の場合は、その子供はパールシーとは認められない。このような徹底した非改宗主義、純血主義を守る規則のため、パールシー自体の結婚年齢が高く、出産率が低い状況などから、教徒の人口は徐々に減少している。
 現在、ゾロアスター教徒は、その発生地イランのテヘラン、ヤズド、ケルマンなどに1万人、インド北西部のムンバイ(ボンベイ)を中心とする地域に9万人、ロンドン、シンガポール、トロント、ニューヨーク、ワシントン、シドニー、香港などに少数が散在している。

【教義の概要】
 ゾロアスター教の聖典は『アヴェスター』と呼ばれ、ササン朝ペルシア時代の4世紀~5世紀ごろに編集された。現存するものは、原典の四分の一程度であるが、そのなかにはゾロアスター自身の手になる部分も残っているとされる。
 教義はきわめてはっきりした善悪二元論で、存在は善と悪の2のみとする。
 また、この世界は生や光などをつかさどる善神アフラ・マズダーと、死や闇などをつかさどる悪魔アンラ・マンユが対立し、戦うところであると説く。
 ゾロアスター教では世界の生成は、3,000年ずつ、4つに分けられるとし、最初の3,000年は霊的創造の時代で、形あるものの存在がないとき、第2の3,000年は物質創造の時代で、霊的な存在が次第に形を現してくるときであり、この時期に悪魔アンラ・マンユが世界に侵入を企てるが、失敗におわる。第3の3,000年は、アンラ・マンユがいよいよ侵入し、世界は善神アフラ・マズダーとアンラ・マンユが対立して戦う場であり、この時代に人間が創造されたと説く。第4の3,000年は、ゾロアスターの登場以後で、彼が神の教えを説き、アフラ・マズダーがアンラ・マンユに徐々に勝利し、最後の審判があって終わるという。
 個人の救済は、それぞれが生活のなかで、善、悪を自らの主体的な意志で選択し、行動する結果によって決まる。死後の魂は、「チンワトの橋」(検別者の橋)で生前の行為の審判を受ける。生前に善を選択し、悪と戦った者は、この橋を渡るとき橋が広くなって容易に天国へ行くことができ、悪を選択した者は、橋の先が細くなって地獄へ堕ちるという。
 また、この世の終末期には、すべての魂が復活して、最後の審判が行われ、ここで溶けた金属によって覆われた大地の上を魂が通過して、それぞれ選別をうける。このとき救世主サオシュヤントが降臨して、この世の再生が行われ、選別された魂は新しい世界で永遠の生命を得るとする。
 これら善悪二元論、死後の個別の審判、終末における最後の審判、救世主の出現などが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など、世界的宗教の教義成立に、大きく関わった。
 ゾロアスター教は「拝火教」とも称されるように、拝火殿を建て、聖なる火を礼拝する。この火に対して、祭司は日に数回、香木を加え、祈りの言葉を唱える。これは、火が善神アフラ・マズダー存在の象徴であるとし、火をとおしてアフラ・マズダーを礼拝しているのである。多くの教徒も家庭に、煮炊きなどに使用する火とは別に、祈るためだけの聖なる火を灯し続けている。
 また、教徒は、死体を「沈黙の塔」(ダクマ)と呼ばれる鳥葬用の塔に運び、ハゲワシによる鳥葬を行う。これは土葬、火葬、水葬などによって、大地、火、水などを汚すことを避けるためであり、死体についた悪魔が鳥によって排除されると考えるからである。この鳥葬は、衛生上の問題やハゲワシの減少などから、近年では行われなくなっている地域もある。
 現在のゾロアスター教は、多くの人を救済するという宗教本来の目的を失い、一部ペルシア人のための証になっているにすぎない。
 なお、聖典『アヴェスター』の研究から、ゾロアスターの活動した時期やゾロアスター教の成立を紀元前1200年ごろとする説もある。


 
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