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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

特別学習会テキスト

目次 (ページ数は原本から引用しています)
日蓮正宗宗務院から通達             3
特別学習会のために               7
「教学上の基本問題に」について(6・30)      14
僧俗和合へ基本の確認(11・7)          46
御法主日達上人猊下特別御講演(5・3)       60

日蓮正宗宗務院から通達

宗内僧俗の進むべき方途示さる  
院達第十八号  昭和五十四年十月八日
宗内一般
日蓮正宗宗務院    
今般、法主上人の御意向に基き、現時局下における宗内僧俗の進むべき方途につき左のとおり通達いたします。  
これは去る八月二十一日御公布の訓諭の趣旨に則り、より具体的にその指針を示したものでありますから、よく理解の上、誤りなく実践されるよう願います。  
一、創価学会に対する基本的な態度は、前法主日達上人が示された既定の方針と聊かも変るものではない。それは、去る昭和五十三年十一月七日創価学会創立四十八周年記念代表幹部会の席上及び本年五月三日同第四十回本部総会における御講演を始め、各種院達等に明確にされている。 即ち、 「この数年、宗門と学会の間に種々な不協和の点がありまして、さわぎにもなりましたが、こういう状態が続くことは宗開両祖の御精神に照らして憂慮すべきであることはいうまでもありません。こうした状態をいつまでも続けていることは、世間の物笑いになり、我が宗団を破壊することにもなり兼ねないといつも心配しておりました。幸い、学会においてその点に気付かれて今後の改善のために、反省すべき点は卒直に反省し、改めるべき点を明確に改める決意をされたことは、まことに喜ばしいことであります。…… 今日、私が申し上げたことを、ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということの上で、これまでのさわぎについてはすべて此処に終止符をつけて、相手の悪口、中傷をいい合うことなく、理想的な僧俗一致の実現をめざしてがんばっていただきたいのであります。」(53・11・7)
「この数年間、まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることは、まことに喜ばしいことであります。…… 私は、日淳上人のもとで創価学会の宗教法人設立に立ち会った一人であります。宗門の外護団体としての創価学会の理解者の一人であったし、今後もそうありたいと念願しております。 どうか今後は、信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸びのびと御活躍を願いたいのであります。 なお、我が日蓮正宗には創価学会の他にも法華講および檀徒会に属する信者がおることは御承知の通りであります。同じ信者として仲良くしていただきたいのです。これまでの経緯は水に流して大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力していただきたいのであります。」(54・5・3) とご指南のごとくである。
二、僧侶にあっては上求菩提下化衆生の誓願に徹して慈悲の精神に立ち、法主上人のもと一結して僧俗和合協調の右基本路線に添い奉るべきである。 したがって、御講を始めいかなる場においても、また各種紙誌等出版物においても創価学会の過去の誤り等を指摘批判する言動は厳に慎しまなくてはならない。 さらに創価学会員に対しては、自らの意志・希望によって檀徒となることを申し出た者の受け入れは差支えないが、それ以外は一切の働きかけをしてはならない。このことは指導教師または住職として所属の法華講・檀徒の全員にも充分徹底せられたい。また正宗信徒として法華講・檀徒及び学会員の間で、互いに謗法呼ばわりする等誹謗中傷し合うことも断じて許されない。
宗祖大聖人生死一大事血脈抄に曰く、 「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し。」 と。以って肝に銘ずべきである。 我々正宗僧俗は、いたずらに過去の行きがかりにこだわり、内輪同志で反目し合い、世間の嘲笑の的となる愚は避けなければならない。そして今や互いに励まし合い、助け合い、異体同心の上、外に向かって謗法不信の人々の慈折教化に全力を注ぎ、以って一天広布の願業に邁進すべき時である。 勿論もし眼前に同信の人々の謗法行為を見聞した場合においては、即座に厳然と破斥し善導すべきであり、またそこに何等かの複雑な問題を含むときには宗務院に報告して善処を委ねるなり、或いは地方協議会の機関に諮る等の道を講ずべきである。
三、創価学会にあっては、六・三〇、十一・七につき、さらに全会員が充分その経緯と意義内容を理解し納得するよう、意を尽して説明徹底することを怠ってはならない。 即ちそのためには、過去において正宗の化儀化法から逸脱していた部分を明確にし、またそのような指導を行なったことについて卒直に反省懺悔し、再び過ちを繰り返さぬことを誓う姿勢を忘れてはならない。
以上

特別学習会のために

一昨年来、近年の創価学会の広布への歩み方をめぐって、宗門と学会との間に、さまざまな不協和が生じ、宗門から種々の御指摘がありました。  
これらの諸点につき、日蓮正宗の伝統ある化儀化法のうえからみて、学会として現代社会に実践的に展開するなかに、行き過ぎ、逸脱等があったことを認め、改めるべき点は改め、正すべき点は正し、日蓮大聖人の大正法を広宣流布するため、永遠の僧俗和合のため努力を重ねてまいりました。
まず、昨年六月三十日には、過去の学会の教学展開のなかで、正宗の伝統法義解釈のうえから指摘のあった問題点を正し「教学上の基本問題」として聖教新聞に掲載し、今後、学会の教学展開にあたり、逸脱のないよう確認をいたしました。  
そして、昨年十一月七日には、総本山大石寺で代表幹部会を行い、近年の学会の歩みと流れを総括し、
一、学会のここ数年の指導・進み方、教学の展開のなかに正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、
二、五十二年のような学会の行き方は、行き過ぎがあったことを率直に反省いたしました。  
更に本年五月三日には、この信徒団体としての基本、性格を新会則に明確にし、規則も改め、同時に、今後の僧俗間の問題については、最高教導会議、地方協議会等で話し合い、解決する道が開かれたのであります。  
日達上人猊下からも「どうか今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸びのびと御活躍を願いたいのであります」との御指南を賜ったのであります。  
以来半年、その間、七月二十二日には、日達上人猊下が御遷化あそばされ、八月には血脈相承をうけられた第六十七世日顕上人猊下が御登座あそばされ、この日顕上人猊下のもと令法久住、広宣流布への新たなる前進が開始されたのであります。  
日顕上人猊下は御登座あそばされた直後、八月二十一日、宗内一般に「血脈法水に基く和衷協力を」との訓諭を発せられ、甚深の御決意で僧俗和合して広宣流布への方針を示されたのであります。
そして去る十月八日には、この訓諭の趣旨にのっとり、宗務院より宗内一般に通達が為されました。
この院達においては
① 創価学会に対する基本的な態度は、前法主日達上人が示された既定の方針と聊かも変わるものではない。
② 僧侶にあっては上求菩提下化衆生の誓願に徹して慈悲の精神に立ち、法主上人のもと一結して僧俗和合協調の基本路線に添い奉るべきである。
③ 創価学会にあっては、「6・30」、「11・7」につき、更に全会員が十分その経緯と意義内容を理解し納得するよう、意を尽くして説明、徹底することを怠ってはならない。すなわち、そのためには、過去において正宗の化儀化法から逸脱していた部分を明確にし、またそのような指導を行ったことについて率直に反省懺悔し、再び過ちを繰り返さぬことを誓う姿勢を忘れてはならない。
との宗内僧俗の進むべき方途を示されたのであります。  
学会としては、この猊下の御指南に基づく院達をうけて、直ちに過去の逸脱について反省懺悔する北條会長談話を発表いたしました。  
そして、ここに院達に基づき、もう一度「6・30」「11・7」をふまえ、その意義内容を正しく理解するため過去の経過のなかから反省し、改めた点を明確にするとともに、再び過ちを繰り返さないためにも、次の諸点に要約して確認をいたしました。
幹部並びに会員の皆さまには、この点よくよく御理解くださるようお願いいたします。
◇      ◇  
一、五十二年当時を中心とする指導のなかに、宗門、寺院、僧侶に対して、従来の正宗と学会の関係の関係からもはずれた行き過ぎた指導があったことは、まず第一に率直に反省すべき点であります。  
たとえば、極端に「寺へ行くな」とか「僧侶は折伏もしない。広宣流布しているのは学会だ」とか「寺院は単なる御授戒の場」とか、登山会を軽視する発言などがありました。  
また、在家仏教的な考え方から僧侶並びに寺院を軽視し、日蓮正宗本来の三宝の意味を正しく理解せず、「学会が僧宝である」といった誤った記述もあり、結果として、あたかも日蓮正宗を無視するかのような発言があったことは、ことの経緯はともあれ、信徒として明らかな逸脱であり、今後、こうした考え、指導上の誤りのないよう十分注意してまいります。
「11・7」において創価学会の前提たる日蓮正宗の信徒団体としての基本及び伝統法義についての意識が希薄化していたことを正したのであります。  
この点、私達は日蓮正宗の信徒であることの意識を明確にし、僧侶に対しても礼節を重んじ、信徒としての姿勢を正すなかに僧俗和合の道を進めてまいりたいと思います。  
二、過去の指導のなかに、会長に対して、日蓮正宗では、御本仏日蓮大聖人または日興上人にしか用いない法義になっている言葉を用いて、宣揚する幹部の言動がありました。  
すなわち「大導師」とか「久遠の師」とか、「帰命」とか「主師親の三徳」という言葉、また「人間革命は現代の御書である」といったことなども、明らかに誤りであります。こうした表現を用いてはなりません。  
これについては、池田名誉会長自身「私がごとき者を、かりそめにも、本仏などということはもちろん、思ったりすることも謗法なのであります」と明確に否定しています。
また「私は凡夫の身であり、誤り多き身であります」「創価学会には唯一至上の絶対者などもいない。日蓮正宗創価学会員にとって、唯一至上、絶対の尊厳は三大秘法の御本尊であり、他は全て創価学会会長といえども平等に末法の衆生であり、凡夫である」とも述べております。したがって、神格化することがあってはなりません。それはかえって本意に反することになります。幹部及び会員の皆さまもこの点、よろしくお願い申し上げます。  
学会における師弟の関係については、牧口初代会長以来、今日の深いきずなをなしてきたものであります。  
第六十五世日淳上人猊下も、昭和三十三年六月、九州総会において「創価学会が、何がその信仰の基盤をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはっきりと確認し、そこから信仰を掘り下げてゆく、これが一番肝心なことだと思う。今日の創価学会の強い信仰は、一切そこから出てくる。戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思っております」と御指南くださっております。  
学会内における師弟は、あくまでも「よき師、よき法、よき檀那」の檀那のなかにおける指導性であります。具体的には、昨年の「11・7」で再確認したように、代々の会長は折伏・弘教の師であり、現実社会における人生の師であることを銘記すべきであります。しかして、法義のうえで「よき師」とは日蓮大聖人お一人であり、代々の血脈付法の御法主上人であることを、正しく理解しなければなりません。  
三、学会における正宗教学の展開にあたって、実践の教学として、社会に広く仏法を展開していくことに、主眼をおいて進められてきました。  
もちろん、その展開にあたっては、どこまでも日蓮大聖人の仏法の正統の流れは、ただ一つ日蓮正宗にあり、また大聖人よりの血脈付法は、唯受一人の代々の猊下であることを根本にしなければならないことは当然であります。また法体の血脈と信心の血脈の立て分けも正宗の根本義であり、信徒として正しく理解しなければなりません。  
この点、過去において、その根本を論述せず、いきなり飛躍的に、学会及び個人の日常生活にあてはめた展開があり、日蓮正宗の伝統化儀・化法のうえからみて、行き過ぎた表現や、基本からの逸脱があった点について、反省するものであります。  
具体的には、たとえば「創価仏法」という用語の用い方は、大聖人の仏法のほかに、なにか別のものがあるような印象を与えることにもなり、日蓮正宗の法義のうえからは不適であり、こうした言葉の使用は改めることに「6・30」でいたしました。  
更に「本因本果」「本迹」「境智冥合」という、日蓮正宗の法義のうえで、甚深の法門にわたる用語を、安易な解釈で用いることのないようにするなど、これらはいずれも「教学上の基本問題について」で改めたところであります。  
また、謗法厳誡についても、四十六年ごろから「地域友好」の方針が打ち出され、そのなかで、一時、宗教的意義も消え、風俗、習慣、市民行事的色彩が強い「まつり」については、友好の場として活用していこうとの考えに基づいて、その方向の指導が出されましたが、これも行き過ぎであり、法義の厳正を期するうえから「6・30」で是正いたしました。  
四、日蓮正宗に伝わる厳粛なる化儀は、日蓮大聖人の仏法を令法久住せしめるための信心のうえの化儀であります。  
しかし、過去において、我々の考え方のなかに、そうした基本精神を理解せず、単なる形式として安易に受けとめ、これを軽視する風潮がありました。  
宗門行事及び末寺諸行事、また御僧侶の三衣に対する厳しい考え方、経本・念珠に対する考え方等をはじめ、正宗伝統の化儀について十分認識を改め、粗略であった点を反省するとともに、信徒として基本を誤たぬよう留意してまいります。  
五、御本尊の件につきましては、信心の根本問題であり、「11・7」の基本をふまえて、猊下の御指南を仰ぎつつ、お取り扱い、手続きなど、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいります。  
御本尊に関しては、昭和五十三年十月三日付の院達をもって「一切論じてはならない」旨の厳命を受けておりますので、私達としては、これを猊下の御命と受けとめ、厳守してまいりたい。御命があるにもかかわらず、なお論ずることは、そのこと自体が猊下の御命に背く謗法であると信ずるからであります。  
以上、これまでの経緯と意義内容及び過去において正宗の化儀化法から逸脱した点を明らかにしてきましたが、会員の皆さまにおかれては、よろしくその趣旨を御理解願いたいと思うものであります。
◇      ◇  
なお、この学習にあたっては、去る十月十二日、北條会長談話で「今回の院達では、とくに学会には、三番目の項目に御指摘いただいたことを真摯に受けとめ、信徒としての道を遵守してまいります。私どもは、ここで重ねて過去における正宗の化儀化法のうち逸脱した点を明らかにし、正しき指導を徹底するとともに、そのような指導を行ったことについて、全最高幹部みずから率直に反省し懺悔するとともに、再び過ちをおかさぬよう猊下にお誓いするものであります」とあるように、幹部自らが真摯な姿勢で取り組んでまいりたい。そして理想的な僧俗和合の道を私どもの信心で切り開き、広宣流布の前進と、信徒団体の基本を守り、宗門を外護申し上げることを願ってやまないものであります。  

「教学上の基本問題に」について(6・30)

一、戸田会長の悟達・創価仏法の原点    
資料  この御文は、非常に深い意味が含められております。  
一つは、この前の「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」を受けて、総じては、題目を唱える人は、すべて地涌の菩薩であるけれども、その弘まっていく原理はまず一人が立ち上がって唱えはじめ、そこから二人、三人、百人と広がっていく。必ずそこに総・別があるということであります。  
この別してのお一人が、いうまでもなくご在世においては、日蓮大聖人ご自身であります。しかし、それはご在世のみならず「未来も又しかるべし」と仰せであります。創価学会は、初代会長・牧口先生が、まずお一人、立ち上がられ、唱えられはじめたところから二人、三人と「唱えつたえ」、約三千人にまでなった。  
戦後は、第二代会長・戸田先生が、東京の焼け野原に立って、一人、唱えはじめられ、そこから、二人、三人、百人と「唱えつたえ」て、現在の一千万人以上にまでなったのであります。  
私どもは、この別して一人、唱えはじめられた牧口先生、戸田先生の存在はもとより、その精神を正しく受け継いでいくことを忘れては絶対にならない。まず一人が唱えはじめ、そこから唱えつたえていくということは、その最初の一人の精神が脈々と伝わっていかねばならないとのご指南でなくて、なんでありましょうか。  
ともかく、最初の一人が肝心なのです。それが一切の淵源となって、広がっていく、というのは、広布の絶対の方程式と確信していただきたい。 (池田会長講義「諸法実相抄」聖教新聞52年1月5日付)  
質問  
大聖人がただお一人唱え初められたお題目であるにも関らず初代会長・二代会長が唱えはじめられたというのは僭越ではないでしょうか。  
答え  
「諸法実相抄」の「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが……」の御文を講義する際、学会において初代会長、二代会長が唱えはじめられたとの表現がありましたが、現時点における、学会における歴史的事実を述べたものでありました。しかし、こうした論述をする際も、大聖人がただお一人唱えはじめられたお題目であることを銘記し、僭越にならぬように注意してまいりたいと思います。    
資料  
創価仏法の原点は、いうまでもなく戸田前会長の悟達にあります。  (池田会長てい談「法華経の展開」大百蓮華49年4月号)  
質問  
創価仏法とは何ですか。日蓮正宗の仏法の外にあるのですか。  
答え  
学会は、実践の教学として社会に仏法を応用展開してきましたが、それを急ぐあまり、宗門伝統の教学に対し、配慮のいたらない部分がありました。この点は、今後十分留意していきたいと思います。  
「創価仏法」という表現を使ったことがありますが、これは折伏弘教のうえでの社会への展開という側面でありました。すなわち、実践の教学の意味が込められていました。ものごとには一つのことをさまざまに表現する場合があります。いわば創価というのは、幸福ということであり、幸福の仏法という意味で用いたのであります。  
また、仏法の展開に際しては、さまざまな現代の哲学、科学上の成果をふまえなければなりません。そのためには、多少の試行錯誤もあることは、当然、覚悟しなければならないことです。むしろ現代人にわかりやすいように、外護の責任のうえから、ある意味のクッションをおいた形が、後々のために望ましいと考えました。しかし「創価仏法」という表現自体は避けるようにします。
*創価仏法という言葉は、日蓮大聖人の仏法のほかに、なにか別のものがあるかのような印象を与える恐れがあるので今後使用しないようにします。    
資料  
この折りの、彼の明晰な悟達は、仏法を見事に現代に蘇らせ、近代科学に優に伍して遜色のないものとした、といえよう。そして、仏法に鮮明な性格と、現代的な理解とを与えたのである。いや、そればかりではない。日蓮大聖人の生命哲学を、あらゆる古今の哲学のうえに位置せしめた、記念すべき強力な発条であったというべきではなかろうか。 (池田会長著「人間革命」第四巻)  
質問  
「日蓮大聖人の生命哲学」という語を使っているが、これは「日蓮大聖人の仏法」というべきであります。また、戸田会長の悟達が大聖人の生命哲学をあらゆる古今の哲学の上に位置せしめたという言い方は僭越であると思います。もし、大聖人の仏法を古今の教えのなかで最高のものと悟られたというなら結構であります。  
答え  
「日蓮大聖人の生命哲学」という表現は、厳密にいえば「日蓮大聖人の仏法」というべきであります。日蓮大聖人の仏法は宗教であり、その実践においては、純一な信を根本とすべきであります。ただ、広く仏法を理解させる素地をつくる手段のために、理論的には「生命論」「生命哲学」として展開することは、ご了解願いたいと思います。    
資料  
戸田先生はあくまで、日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されながら、久遠の妙法によって法華経を読みきられたのであります。まさにあの「仏とは生命である」との悟達は、この従果向因の行き方から生まれたのであります。  
そしてその悟達をもとに、法華経並びに一切の経典を生命論の立場から捉え直され、仏教を現代的に開く画期的な展開をされたのもまた、従果向因であります。 (池田会長講義「百六箇抄」大百蓮華52年8月号)  
質問  
「その悟達をもとに法華経並びに一切の経典を生命論の立場から捉え直され仏教を現代的に開く画期的な展開をされたのも又従果向因であります」との文は何が従果向因なのかわかりません。もっと判り易く解釈して下さい。  
答え  
戸田第二代会長の悟達を「従果向因」と表現したのは、法華経から大聖人の仏法に入ったのではなく、日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されて、法華経を読みきられたとの意であります。  しかし、このような場合に「従果向因」の語は適当でなく誤解を生ずるので、第二代会長の自覚に関連したような形では、この語を使わないようにします。    
資料  
原島 それから創価学会再建への獅子奮迅の戦いのなかで、戸田前会長は法華経の講義に全魂を傾けられますね。出獄後直ちに法華経を講義されたのも、獄中の悟達を弟子達に伝えたかったからだと「人間革命」には記されております。  それは、戸田前会長の悟達の大生命に回転していく法華経であったと思うのです。あえていえば、法華経を媒介としてご自身の境地を開き“生命”そのものに迫っていかれた……。  
会長 創価仏法の原点は、いうまでもなく戸田前会長の悟達にあります。 (池田会長てい談「法華経の展開」大白蓮華49年4月号)
*****  
又自分は文底独一の教理を説いて居ると深く信じて居るが教本には文上の法華経を用いて居る。  此の二つの罪は御本仏の許す可らざるものである。私は大難をうけたのである。立つ可き秋に立たずつく可き位置につかず、釈迦文上の法華経をもてあそぶ者として大謗法の罪に私は問はれたのである。有り難や、死して無間地獄うたがいなき身が御本尊の功徳は有り難く現世に気づくことが出来たのである。 (戸田城聖論文「創価学会の歴史と確信」)  
質問  
戸田前会長の悟達は法華経を媒介として悟ったということですが、法華経の付属をうけてその文底真義を弘められる方は大聖人お一人の筈であります。しかるに戸田会長の法華経による悟達を立てるならば大聖人の仏法は要らなくなると思いますがいかがですか。また、戸田会長自身かつて法華経の講義をしたことにより罰を受けた(妙悟空 人間革命)といわれています。このことと法華経による悟達の関係をどのように会通されますか。  
答え  
戸田第二代会長の、いわゆる“獄中の悟達”については、どこまでも大聖人の仏法を古今の教えのなかで最高のものであるということを悟り、大聖人の南無妙法蓮華経を広宣流布していくべき使命の自覚に立たれたということであります。すなわち南無妙法蓮華経の大慈大悲に包まれた境涯に感涙したという意味でありました。それが日蓮大聖人の御内証と同じであるとか、大聖人の仏法とは違う仏法を創造したと受けとめてはならないことです。  
戸田第二代会長が、後に法華経を講義したために罰をうけたというのは、第二代会長は、大聖人の仏法の文底から解釈していったつもりでありましたが、受講者にとっては、いつのまにか文上に流され、その理解にとどまったことをいったのであります。    
資料  
戸田前会長は、牢獄の中、御本尊のないところで、大宇宙に向かって二百万遍の題目を唱え、法華経を色読され、地涌の菩薩の棟梁としての開悟をされた。 (池田会長指導「前進」52年6月号)  
質問  
地涌の菩薩の棟梁とはいうまでもなく上行菩薩であります。すると戸田前会長は上行菩薩として自身を開悟しその行を行じたのですか。そうなると大聖人は必要ないことになりますね。  
答え  
戸田第二代会長のことを「地涌の菩薩の棟梁」といったことがありますが……これは在家における折伏弘教のうえの指導者という意味で使ったのであり、戸田第二代会長みずからいわれた言葉でもあります。  
ただし、不本意ながら、文は意を尽くさずで、要旨としてまとめたとき、文脈上、上行菩薩の再誕即御内証は久遠元初自受用報身如来の再誕・末法の御本仏日蓮大聖人に通じるかのような文体となってしまった場合もありました。したがって、今後こうした言葉遣いについて十分注意していきます。    
資料  
戸田前会長は、獄中のあの必死の唱題と巌を貫く求道の一念によって、己心の久遠の仏としての生命を覚知されたのではないでしょうか。 (桐村泰次著「教学対話室」)  
質問  
この語によると学会では戸田前会長を本仏と仰ぐように思われますがそうなのですか。  
答え  
末法の御本仏が日蓮大聖人お一人であられることは「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」との御金言のごとく、末法万年にわたって変わらぬ根本義であります。また学会の半世紀にわたる苦闘の歴史は、すべてこの日蓮大聖人が末法御出現の御本仏であることを、折伏をもって世界に知らしめてきました。  
日常の自行において、また化他行において、すべて日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、日蓮大聖人の魂をとどめられた御本尊を信心の根本対境とし、日蓮大聖人の仏法の広宣流布を実践の大目的としてきたのが、学会精神の骨髄であります。  
ゆえに、学会には本来、会長本仏論などということは絶対にありません。  
歴代会長を折伏弘教、広宣流布の指導者として尊敬し、またさまざまの指導をうけ心からの信頼を寄せていることは、会員の自然の心情であります。そのことを宣揚するあまり、あたかも大聖人と等しいがごとく受けとめられる過大な言葉や表現を用いることは、厳重に慎まなければなりません。  
なお戸田第二代会長の悟達の意味を「己心の久遠の仏としての生命を覚知した」と解釈したことについては、これは妙法に対する題目の力によって、我が胸中に力強く仏界が湧現することを表現しようとしたものでありますが、十分その意を尽くしていないので、そうした言葉は使わないようにします。    
資料  
獄中における“仏とは生命なり”の悟達と、その生命の暖流を、広く濁世にしき満つる戦いが、戸田先生の原点であり、学会の原点であるわけですね。  
柳原 戸田先生の、学会再建の第一歩は、生命論から始められた。それから亡くなるまでの激闘に次ぐ激闘の生涯も、また自己の生命の展開とともに、未来に不朽不滅の生命論を残された日蓮大聖人の仏法を、生命という視点からとらえ直し、生き生きと現代へよみがえらせた偉業であるといってよい。 (座談会「4・2恩師の逝去と広布後継の道」柳原延行副会長談 聖教新聞51年4月2日付)
*****  
あの戸田先生の獄中での「仏とは生命なり」との悟達は、まさしく日蓮大聖人の仏法を生命論としてその原点に立ち返ることにより、現代に蘇生させ、人類文明をリードする不変の哲理として打ち立てた一大壮挙であったのであります。とともに、この戸田先生の地涌の菩薩としての自覚は、創価学会の実践、生命として脈打ち、御本仏日蓮大聖人の生死一大事の血脈はとうとうとして流れ始めたといってよい。 (池田会長講義「生死一大事血脈抄」大白蓮華52年6月号)  
質問  
「仏とは生命なり」ということはどういう意味ですか。  「生命の暖流」とはどういう意味ですか。  仏とは生命なりの悟達が戸田先生と学会の原点であるといわれるが、戸田先生は大聖人の南無妙法蓮華経を広宣流布するつもりではなかったのですか。  「現代に蘇生させ」たということは、大聖人の仏法はその時まで死んでいたのですか。また、「戸田先生の地涌の菩薩としての自覚」とあるが吾々自身は地涌の眷属と信じています。戸田先生は眷属ではなく地涌の菩薩であるのですか。  
答え  
一、戸田第二代会長が「仏とは生命なり」と叫んだということの意味は、キリスト教のように神を遠くにおき、人間は神になれないといった考え方に対し、大聖人の仏法では、我が生命に仏界があると説かれています。その大聖人の仏法の深遠な偉大さを、透徹した信心で確信したとの意味であります。すなわち、御本尊への唱題によって、一切衆生に仏性があるということを実感したことの、一つの表現であります。  
一、学会の原点が戸田第二代会長の悟達にあるということを、さまざまに表現しました。たとえば、そこから「生命の暖流が流れはじめた」とか「仏法を現代に蘇生させた」とかいいましたが、いずれも学会の広布弘教の起点を意味したものであります。この意味をより正確にいえば、戸田第二代会長の獄中の自覚と決意が戦後の折伏活動の起点となったということです。事実、戸田第二代会長は戦後の学会にあってひとり決然と折伏に立ち、七十五万世帯の達成をする決意で戦われました。これがあって、今日のような大河のような広宣流布の姿があるのであります。  
もちろん、根本は御本尊であり、日蓮大聖人の大慈悲であります。かつまた、七百年間正宗の正しき法義、化義があったからであり、それが見事に開花したのであります。その証拠に、戸田第二代会長が戦後いちはやく総本山に御奉公をしたことをもってしても、他意がないことは明らかであることを確認しておきたいと思います。  
一、また、我々が地涌の菩薩というのは、御書の「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや(中略)末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」との御文等によったものであり、この表現自体は許されると考えております。  しかし、それは総じての立場であり、別しての日蓮大聖人に対するときは、地涌の菩薩の眷属というべきであります。  

二、血脈・途中の人師論師・大聖人直結    
資料  
「先師の御弘通」の「先師」とは、御本仏日蓮大聖人のことであります。したがって「日蓮大聖人の御弘通」そのままにということになるのであります。すなわち日蓮大聖人の正真正銘の門下であるならば、日蓮大聖人の振る舞いと、その精神を根本にすべきなのであります。それは、途中の人師、論師ではないということなのであります。途中の人師、論師が根本ではないということは、人師、論師の場合には、いろいろな時代背景のもとに、生き延びなければならなかったが故に、令法久住を願ってさまざまな知恵をめぐらした場合があるからであります。 (池田会長講演 聖教新聞52年2月17日付)  
質問  
途中の人師論師とは誰を指すのですか。  
答え  
「途中の人師、論師を根本とすべきでない」と表現したことについては、この人師、論師は唯受一人血脈付法の御法主上人猊下の御内証のことではありません。  
我ら末弟は「日興遺誡置文」の「富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事」と仰せのごとく、御本仏日蓮大聖人の御弘通のままにということを強調する意味でありました。その日蓮大聖人の仏法の正統の流れは、第二祖日興上人、第三祖日目上人、そして第六十六世の御法主日達上人猊下の御内証に流れていることはいうまでもないことであります。  
したがって、こうした唯受一人の血脈に触れずに論ずるような表現は決して使わないようにしたいと存じます。    
資料  
遠くは、日蓮大聖人と日興上人という峻厳なる師弟の道がありました。  一切の法皆是れ仏法であるが故に、その原理、方程式を第二代戸田会長は、初代牧口会長を師として、創価学会の血脈の師弟の道をつくられた。 (原田稔学生部長指導 大白蓮華51年3月号)  
質問  
戸田会長の悟達が創価学会の原点であると前来の各書に示しているに関らず、ここでは牧口会長と戸田会長の間の師弟の血脈があったとしているが、これは矛盾ではありませんか。  
答え  
牧口初代会長と戸田第二代会長のあいだに師弟の血脈があったといった趣旨の表現は、あくまでも一次元として広宣流布達成への師弟の決意と約束と実践を通しての表現でありました。ただ、こうした場合、血脈という言葉は使わないようにしてまいります。    
資料  
暴悪な軍部権力の激しい弾圧の中で毅然と一歩も退くことなく御書と生死を共にされた牧口常三郎初代会長。獄中という最悪の環境の中で壮絶ともいうべき気迫で法華経と対決され、境涯を開かれた戸田城聖第二代会長。  そして民衆救済と学会厳護の戦いのため止暇断眠の実践行動を展開される中で何千枚、何万枚にもおよぶ原稿を書かれる池田現会長。こうした代々会長の姿の中にこそ、創価学会の教学の真髄があり、原点があるのであります。 (原田稔青年部長論文 大白蓮華52年2月号)
*****  
この日我々は「本陣の男子部」として、日蓮大聖人直結の創価学会を厳護し、魔軍に指一本たりともふれさせない戦いを展開していくことを決意したのである。 (榎本雅人新宿区男子部長筆 大白蓮華52年2月号)  
質問  
学会の原点が戸田会長の悟達であるというのにたいし、ここでは大聖人直結の血脈が述べられており、両者は関係がないのではありませんか。また、日蓮大聖人直結とはどういう意味なのですか。
答え  
「大聖人直結」ということについては、大聖人即三大秘法の御本尊に南無し奉り、境智冥合するとの意味で述べたものであります。したがって、唯受一人、遣使還告であられる御法主上人猊下を通しての大聖人への直結であることは当然であります。    
資料  
「先師の御弘通」の「先師」とは、御本仏日蓮大聖人のことであります。 (池田会長講演 聖教新聞52年2月17日付)
*****  
たとえば、先師牧口初代会長、恩師戸田会長が獄中の身となったことは、たしかに悲劇的な歴史であったにちがいない。しかし、大聖人のご遺命どおりの実践を貫いたその崇高な生涯が、今日の学会発展の遠因となっていることはまぎれもない事実である。 (池田会長講演「広布第二章の指針」第10集)  
質問  
ここでは先師とは日蓮大聖人とありますが、また牧口会長にも使われている。すると大聖人と牧口会長は同じ意味になるのですか。  
答え  
牧口初代会長を、一般用語として、一時「先師」と呼称したことがありますが、正宗では二祖日興上人が宗祖日蓮大聖人のことをいわれた言葉であります。したがって、第三代会長もすでに述べているように、恩師戸田会長と区別する意味で使用したことがありますが、今後ともに恩師と呼称し、初代会長を先師と呼ぶようなことのないようにしてまいります。    
資料  
血脈相承といえば、よく既成宗教などにみられるように、神秘的に高僧から高僧へ、深遠甚深の儀式を踏まえて流れるものであると思われがちであります。事実、最蓮房もそのように思っていたにちがいない。しかし、大聖人の仏法の本義はそんなところにあるのではない。我が己心の厳粛な信心のなかにこそあるといわれているのです。  
大聖人の生命にある生死一大事の血脈を、私たちはどうすれば相承できるか。大聖人ご自身はすでにおられません。だが、大聖人は人法一箇の当体たる御本尊を残してくださっております。この御本尊から生死一大事の血脈を受けるのでありますが、それは剣道の免許皆伝の儀式のような、学校の卒業証書のような、そうしたものがあるわけではない。ただ、唱題という方程式によって、大御本尊の生命を我が生命に移すのです。というよりも、我が生命の中にある、大聖人のご生命、仏界の生命を涌現させる以外にないのです。 (池田会長講義「生死一大事血脈抄」大白蓮華52年6月号)
質問  
ここでは既成宗教に血脈相承があることをのべ、かつ大聖人の仏法の本義はそんなところ(高僧から高僧への血脈相承)にあるのではないと論じられているが、それは日蓮正宗に血脈相承があることを否定することともとれますがその意味なのですか。他宗でも血脈ということは言うが血脈相承とは言いません。また、法体の血脈相承と生死一大事の信心の血脈とはその意味に違いがあります。  しかるに学会で大聖人直結の血脈というところに、おのずから本宗の唯受一人の血脈を否定するかのようです。  
そこであえて質問いたしますが、学会では生死一大事の血脈のみを血脈として、身延相承書の「血脈の次第日蓮日興」の文義を否定するのですか。  
答え  
血脈については、法体の血脈と信心の血脈等があります。御書に「生死一大事血脈抄」があります。その冒頭に「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」と仰せであります。これは別しては日蓮大聖人の御内証そのものであられる南無妙法蓮華経の法体が生死一大事血脈の究極であるとの意味であります。  
この別しての法体の血脈相承は「身延相承書」に「血脈の次第 日蓮日興」と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯受一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。同抄に「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」の御文は「別して」の法体の血脈を大前提としての「総じて」の信心の血脈を仰せなのであります。ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となるのであります。  
ゆえに、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがあることを確認しておきたいと思います。  
一昨年、発表された第三代会長の「生死一大事血脈抄講義」は、こうした原理をふまえたうえで、総じての仏法実践のうえでの生死一大事の信心の血脈を中心に、一般社会に展開したものでありますが、別しての法体の血脈相承について深く論ずることをしなかったために、誤解を生ぜしめる点もありました。これについては、第三代会長からの意向もあり、一部訂正して改訂版を発行しましたのでご了承をお願い申し上げます。    
資料  
一、こうした「本因」「本果」の法理を、我が創価学会の実践に当てはめてみるならば――戸田前会長は地涌の菩薩の棟梁として広宣流布の指揮をとられた。この時点では、牧口初代会長は本果の立場であり、牧口初代会長の遺志を受け継いで、七十五万世帯の達成を目指し戦われた戸田前会長が、本因の立場といえよう。これが創価学会の生死一大事の血脈である。  
そして今度は、戸田前会長が一切の広宣流布の原理を示された。この時には、戸田前会長が本果であり、その戸田前会長が示した広宣流布の構想並びに仏法思想を世界に広め、時代即応して応用し実践していく私どもが本因となるわけである。  
一、戸田前会長が示された広宣流布の構想も、皆さん方のお力を得て、一切実現することができた。更に、こうした広宣流布の流れのなかから、未来永遠の広布を展望して見るならば、今度は私が本果、北條理事長をはじめ副会長が本因の立場になるのである。  
したがって、仏法にいささかたりとも独裁というものはない。すなわち必ず本因・本果、本果・本因という信心の血脈、学会精神の血脈がある。これが牧口初代会長以来の代々の会長であることを知っていただきたい。 (池田会長指導「前進」52年6月号)  
質問  
本因本果とは本来仏法の法体に備わるものであり、本仏以外の個人個人にあてるべきものではありません。また文中の「独裁」ということと本因本果とはどういう関係があるのですか。  
答え  
「本因本果の主」は、久遠元初自受用報身如来の再誕であられる末法御本仏日蓮大聖人の御事であります。また正宗においては、一往三妙に分けるなら、本果妙とは日蓮大聖人であられ、本因妙は日興上人、本国土妙とは大日蓮華山であります。しかし文底の三妙合論のうえでは御本尊のことであり、日蓮大聖人の御当体に備わるのであります。ゆえに、大聖人を本因本果の主といわれるのであります。この根本の本因本果の関係を一般的に我々の人間関係について使うのは慎むようにします。  
なお「独裁」については、創価学会の運動が一人で全て行われるのでなく、支え合って遂行されるものであるゆえにこう述べたのであります。しかし、それを仏法の本因本果に結びつけて論ずるのは適切でなく、今後使用しないことにいたします。  
三、人間革命は御書    
資料  
私は再び繰り返したい。「人間革命」は現代の御書である。「人間革命」を通して御書を拝読すると、大聖人の大精神がより鮮明に、私の心を打つ。更に御書を通して「人間革命」を読むと、学会精神が体内により強烈に脈打ってくる。  
御書から「人間革命」へ、そして「人間革命」から御書へと。この往復の中に、信行学の揺がぬ確立があるのではなかろうか。  
「人間革命」はそのような一書である。大聖人との不可思議な血脈の相承がある。確かに不思議な書といわざるをえない。 (福島源次郎述 文集「教学と私」第一巻)  
質問  
前進の№二〇四では大聖人の教えの真髄は御本尊と御書であるといっている。が、ここでは人間革命が御書であるとしています。それでは人間革命が大聖人の教えの真髄ということになりますが、そうお考えなのですか。  
答え  
「人間革命は現代の御書」という発言については、第三代会長もすでに明確にしているように、明らかに誤りであります。  
四、帰命・主師親三徳・大導師・久遠の師    
資料  
一、この若い革命家の「妙法への帰命」という理念は、具体的実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち「戸田城聖への帰命」でなければならぬことを、彼は知ったのである。(後略)(中略)妙法広布の大願に身命を削る戸田前会長と生死を共にしていくとの、生命の奥底からの深く厳しい決意にたった実践。これが山本伸一青年の「革命は死なり」という意味であった。 (福島源次郎講義「小説人間革命第3巻に学ぶ」聖教新聞49年11月8日付)
*****  
一、まさしく、現代における“人”への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる。また、池田会長が大聖人の御書を寸分違わず、身に移し実践されていることから考えても、必然的にそうなるのである。 (村野宏論文「ひのくに」10号)
*****  
一、戸田先生のとらえ方が、“希有の師”なのです。“希有の師”という言葉が初めて出てきたのです。「希有の師への帰命」ということを、御義口伝をひっぱり出して読んだのです。いずれにしても、これはついていくというようなものではない。師弟不二だから、生命次元の問題だ、と。 (福島源次郎談「潮流」第9号)  
質問  
御義口伝における人と法は釈尊と法華経であるが、本宗では人とは文底本因妙の釈尊で、法とは御本尊であります。しかるに学会では帰命する人とは戸田会長であり、また池田会長であるというのは、まさに戸田・池田会長が人の仏となります。戸田・池田会長に南無し皆に拝ませるというのですか。  
また「大聖人の御書を寸分たがわず身に移し、実践されている」との言も行き過ぎであると思います。  
答え  
一、「帰命」という言葉は、正宗では仏に対してのみ使う言葉であります。当初は「妙法への帰命」を大前提として「師への帰命」といっておりましたが、それが一部で「人への帰命」といった表現にまでエスカレートして、会長が本仏であるかのような使われ方がなされました。これは誤りであり、帰命という言葉を安直に使用しては絶対にならないものであります。  
一、なお「ひのくに」については「会長が久遠の師」とか「会長の振る舞いが法でありそれに帰命する」「大聖人の御書を寸分たがわず身に移し、実践されている」等の趣旨のかなり逸脱の部分があったので、すでに廃刊処分にしました。  こうした内容表現は、今後絶対に使用してはならないことであり、「潮流」についても同じ考えであります。    
資料  
御書に「今日蓮等の類いは善の導師なり」(御書全集七一二㌻)とあるごとく、別しては日蓮大聖人こそ末法の大導師であられるが、総じて民衆を幸福へと指し導いていく指導者こそ、この「導師」「大導師」の今日的な謂でもあると明示。さまざまな世界の指導者のなかにあって、牧口初代会長こそ、真実の成仏即幸福の道を指し示し、広宣流布の大願へ民衆を導いていった指導者であり、大導師であると論じた。 (池田会長指導 聖教新聞52年6月2日付)  
質問  
大導師にかんして総別を立てていますが、宗門では総別ともに大導師とは大聖人と血脈付法の日興上人等であります。  
答え  
「大導師」という表現を使ったこともありました。御書に「日蓮等の類いは善の導師なり」とありますように、仏法弘通の人は「導師」であります。ただし「大導師」という言葉は正宗では総別ともに、大聖人と血脈付法の日興上人等であられます。ゆえに今後、たとえば初代会長を大導師と呼ぶような表現は使わないようにしてまいります。    
資料  
現在でいえば、社会それ自体。しかし民衆の犠牲のうえで成り立っている主徳を失った社会もあり、その民衆は不幸です。  
真に人々を根底から幸福にするには、妙法を根底とした社会以外にない。全日本を、そして、世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。  
師徳――眷属を指導する力  師とは、知識を教えるのみでなく、智慧を開かせてあげる者でなければならない。現代の教育は、知識に終始した師徳なき姿である。  
以信代慧の妙法によらねば、真実の師徳はありえない。私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。  親徳――眷属を慈愛する力  親の愛は、相対的であり、子の発展をさまたげる場合がある。  身命を惜まず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる。 (「講師筆記試験答案」から 大白蓮華41年2月号)  
質問  
日蓮正宗で主師親三徳のお方は日蓮大聖人お一人であります。  
答え  
十数年前に、ある教学部講師が、筆記試験に際し、主師親三徳を現代生活のうえから説明するにあたって、第三代会長と結びつけた表現のものがありましたが、これら行き過ぎについて、今後十分注意してまいります。    
資料  
主師親の三徳は仏が備えている根本的資格であって、我々の九界の凡夫にはそうした徳はないとするのは大きな誤りである。なぜなら、九界の衆生も一念三千の当体であり、仏知見を具えているからである。その仏知見を開き示し悟らしめ入らしめるのが仏の使命である。我々にとって仏知見を開く鍵は何かといえば“信”に尽きる。以信代慧の原理によって、御本尊に対する尊敬すなわち信心によって仏智を開き顕わすことができるのである。そこには主徳も師徳も親徳も一切含まれている。 (宮本忠憲論文 大白蓮華47年5月号)  
質問  
信心修行に関する指導の中で、あえて凡夫の我が身に主師親三徳が備わることを強調する必要はありません。我々は体の仏であり、我々凡夫が仏知見を開いたとしてもその処に主師親が備わるというのは行き過ぎであります。  
答え  
正宗では主師親三徳具備のお方は、日蓮大聖人お一人であられます。第九世日有上人の仰せに「高祖日蓮上人ノ御抄ニハ、日蓮ハ日本国ノ一切衆生ノ親ナリト遊シテ候モ今ハ人ノ上ニテ候。但今ノ師匠在家ニテモアレ、出家ニテモアレ、尼・入道ニテモアレ信心無二ニシテ此妙法蓮花ヲ能ク進ムル人乃チ主師親也、能ク能ク心得ヘシ」とあるのは、総じての立場から述べられたと拝します。  
したがって、信心修行に関する指導のなかで、あえて凡夫の我が身に主師親三徳が備わることを強調する必要はありません。我々凡夫が仏知見を開いたとしても、そのところに主師親が備わるということは行き過ぎであります。    
資料  
今、我々が「人間革命」を学ぶ意義も、この一点にあるといえよう。師が身をもって実践した真実の軌道をとどめたこの一書に、我々の行動の原理を求め、そこに学んだ精神を自身の原点として実践に移す、その往復作業の中に妙法への帰命、即具体的実践としての“師への帰命”の展開があり、自身の人間革命もまた一歩一歩進められるのである。 (福島源次郎論文 大白蓮華50年5月号)  
質問  
妙法への帰命は当然でありますが戸田前会長にたいし帰命の語を使うことは行き過ぎであります。帰命するのは南無妙法蓮華経の御本尊の人法にであって、いかに自己の師であるとしても帰命というべきではありません。従ってそれは日蓮正宗を逸脱するものであります。  
答え  
これについては、31㌻下段の質問に対する答えで述べました。    
資料  
一、この決意に対して、ただ今拝読されましたごとく、久遠の師・池田会長より、メッセージが寄せられたのであります。 (北風清松九州長談「ひのくに」11号)
*****  
一、師匠に人法があります。師匠の一つ一つの振る舞い、指導を通して、師匠の偉大さを知り、そして心から慕い、心から尊敬し、更にもう一歩進んで、帰命していこうと決意するに至ります。それは“人”であります。  
その“人”としての師匠の振る舞いは一体いかなるものであるか、いかなるものから発せられるものであるか、それが“法”であります。まさしく、我々の師弟の道はその人法一箇としての師匠というものを、学び取っていかねばならないと私は訴えておくものです。 (福島源次郎談「ひのくに」11号)
質問  
文中「久遠の師池田会長」とありますが、本宗で久遠の師とは大聖人のことであります。故に池田会長が久遠の師なら池田会長は即ち大聖人ということですか?  
また本宗で帰命とは人法一箇の本門の本尊への帰命ですが文中でいうように池田会長の振る舞いが法でありそれに帰命するということは日蓮正宗の教えと全く違っているように思いますがいかがですか。  
答え  
第三代会長に関して「久遠の師」という言葉を使った場合がありますが、これは師弟の縁が深いことを述べようとするあまり行き過ぎた表現でありました。正宗では久遠の師とは大聖人のことであり、今後、こういう表現を用いないことにします。 *また「会長の振る舞いが法でありそれに帰命する」といった表現も、31㌻下段の質問に対する答えの中で述べた通り、明らかな逸脱であります。
資料  
池田先生こそ本門弘通の大導師であります。私達は、かかる希有の師と会うことのできた福運をかみしめると同時に、必ず師の心にかなう弟子として生涯を貫き、学会総体に久遠元初の生命活動を確立し、広宣流布達成を決意するものであります。 (八矢英世論文 文集「教学と私」第一巻)  
質問  
本門弘通の大導師とは大聖人日興上人であり、ここに日蓮正宗の血脈の意義があります。学会では池田会長がそうだというのですか。もしそうなら日蓮正宗とは全く異質となります。また、「学会総体に久遠元初の生命活動を確立し……」ということはどういう意味ですか。  
答え  
これらは明らかな誤りであります。基本的な考え方については、32㌻上段の質問に対する答えの中に述べている通りです。    
資料  
昭和三十八年頃の夏季講習会で、八矢教授(現壮年部長、師範)より「生死一大事血脈抄」の講義を受けたとき、「生涯、池田先生と生死一大事血脈抄でいこう。池田会長と境智冥合できる人材になろう」と強く訴えられたことは、強く私の脳裏に焼きついて忘れられない。 (平塚一雄述 文集「教学と私」第一巻)  
質問  
池田会長と境智冥合というなら、池田会長は仏ということになりますがそうなのですか?  
答え  
「境智冥合」とは、境とは御本尊であり、智とは信心であります。したがって、会長と呼吸を合わせることを境智冥合などと、安易に使ってはなりません。  
五、寺院、会館混同・寺軽視    
資料  
いわゆる正宗の寺院は、授戒とか葬式とか法事などの儀式の場であります。社会のためとか、広宣流布とか、人間革命という御本仏直結の脈動の場は、もはや現代においては創価学会しかないのです。 (藤田栄述 「女子部と私」)  
質問  
正法をもって行う授戒、葬式、法事、結婚式等は衆生済度のための大切な行事であります。これを行っている寺院が広宣流布のため活動していないと、どうしていえるのですか。  
また学会の会館や研修所でも聞く処によると、法事や結婚式などをしているではありませんか。特に創価学会のみが広布の場として区別する必要がどこにあるのですか?  
答え  
正宗寺院においては、正法をもって授戒、葬式、法事、結婚式等の衆生済度のための大切な行事を行っています。寺院もまた、広宣流布のための活動の重要な拠点であることを認識すべきであります。学会のみが広宣流布の場として、寺院がそうでないかのような表現は、明らかに言い過ぎであります。    
資料  
寺院を別名「道場」ともいうのは、その意味からであります。儀式だけを行ない、我が身の研鑚もしない、大衆のなかへ入って布教をするわけでもない既成の寺院の姿は、修行者の集まる場所でもなければ、ましてや道場であるわけは絶対にない。(中略)  また近くは末法の御本仏日蓮大聖人も、一生涯、既成仏教のような寺院は持たれなかった。お亡くなりになるまで草庵であります。折伏弘教の指揮をとられ、また自ら布教のために歩く拠点としての庵室を持たれたのみであります。 (池田会長講演「仏教史観を語る」大白蓮華52年3月号)  
質問  
文中「葬式だけを行い我が身の研鑚もしない……」とあり、こういう言い方は当然日蓮正宗僧侶を目しているものと思われますが、しからば我々僧侶が我が身の研鑚もしていないと見られるのはいかなる理由によるのですか。  
次に大聖人が一生寺院を持たなかったとの浜田某の論文にたいしこちらは破折してあります。これについてそちらからもう一度意見を出して下さい。  
また正宗の寺院が修行者の集る場所でなく、道場でもないという理由をあげて下さい。  
答え  
この講演の文中「葬式だけを行い我が身の研鑚もしない……」とあるのは、日蓮正宗僧侶を目して述べたものではなく、日蓮正宗以外の一般仏教界の多くの姿を語ったものであります。したがって「既成の寺院の姿は、修行者の集る場所でなく、道場でもない」というのも、正宗の寺院を言ったものではないことをご了承願いたいと思います。しかしそういう印象を与えたとすれば、まことに遺憾であります。  
なお、寺院の存在についてでありますが、日蓮大聖人は、お亡くなりになる前年の弘安四年には、身延に十間四面の堂宇を建てられ、これを久遠寺と命名されました。そして「池上相承書」においては「身延山久遠寺の別当たるべきなり」と日興上人へ遺付されています。さらに日興上人は、身延離山の後、正応三年、南条時光の寄進を得て、大石寺の基を築かれたことは、周知の事実であります。
*また浜田論文については「前進」52年9月号誌上「二箇相承に思う」(辻副会長)で、その誤りを訂正しました。    
資料  
したがって、信心の血脈こそ大事なんです。われわれの次元に於いてはそれでいいんです。生死一大事血脈抄、その他の御書を拝読をすれば全部それは明快である。形式は必要ない。 (池田会長「52年元旦勤行あいさつ」)  
質問  
「形式は必要ない」といわれているが世間の事でも形式は必要であります。結婚式でも葬式でもそれがなければ、人間生活における秩序が立ちません。  
従って寺院における各種法要、授戒、結婚式等の儀式が形式だから必要ないという考えは成立しません。  
答え  
寺院における法要・儀式についての考え方は37㌻下段の宗門からの質問に対する答えの中で述べた通りであります。なお「形式は必要ない」と述べている点については、創価学会員の実践においては、特に広宣流布への使命感と情熱とが肝要であることを強調したものであり、言葉がたりませんでした。  
六、謗法容認    
資料  
ただし、悪鬼乱入の寺社に関係するのであるから、それ自体“謗法”であることは否定できない。ただ広布のためという目的観と、御本尊への信仰によって、これを越える善根を積み、帳消しにするのである。その意味で、それが謗法であると自覚できる人ならば、自らの責任において、あえて、これを犯してよいともいえる。 (雪山居士述 大白蓮華49年7月号)  
質問  
日蓮正宗は古来から謗法厳誡であります。信心さえあれば謗法してもよいなどの生やさしいものではありません。聊かの謗法があってもいけない事は曾谷殿御返事に「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」と示される通りです。謗法を容認して正しい広宣流布はありえないのです。  
答え
「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」との御金言のごとく、正宗においては謗法厳禁であります。神社に対する寄付、祭礼の参加等の具体的な活動においても、社会への対応ということより、謗法厳禁という信仰の姿勢から対処していくべきであります。
*この文に関しては大白蓮華49年8月号で誤りを訂正する文を出しました。
七、供養    
資料  
更に、この供養について、若干、歴史的なことを申し上げますと、前にもお話しした維摩詰は、在家の身でありながら供養を受けた事実が「維摩詰経」に記されております。(中略)つまり、供養とは、あくまで仏法のためになすのであります。その供養が仏法流布に生かされるならば、在家の身であっても供養を受けられるという思想があります。 (池田会長講演「仏教史観を語る」大白蓮華52年3月号)  
質問  
維摩詰が供養を受けたことは法華経で観世音菩薩が受けたのと同じく、仏に捧げる意味であります。  
ことに維摩詰は在家であり、供養を受ける資格があるとはいえません。経文に応供とあるのは仏のことで、供養を受ける資格があるのは仏以外にない。  
在家はどこまでも資生産業にはげみ、仏に供養すべきであります。  
答え  
維摩詰が供養を受けたことは法華経で観世音菩薩が受けたのと同じく仏に捧げる意味であります。ことに維摩詰は在家であり、供養を受ける資格があるとはいえません。経文に応供とあるのは仏のことで供養を受ける資格があるのは仏以外はないのであります。したがって、在家が供養を受ける資格があるという記述は改めます。
八、僧俗    
資料
●仏法に三宝というものが説かれている。いうまでもなく仏法僧の三宝であるが、この「僧宝」が問題なのである。「僧宝」と言っても僧侶を意味するのではなく、社会のなかで実践し「法」を正しく伝持する人々のことである●(中略)今日における「僧宝」つまり仏法実践者の組織としては創価学会があるのであり、その組織こそ、仏法を厳しき人間の打ち合いのなかで実践している「和合僧」なのである。 (聖教新聞「名字の言」49年5月27日付)  
質問  
日蓮正宗でいう三宝は法宝御本尊。仏宝大聖人。僧宝日興上人であります。また七百年来正法を伝持してきた僧を僧宝ということは当然であります。  
学会では「僧宝といっても僧侶を意味するものではない」として、日蓮正宗の三宝のたて方を無視し、自分達創価学会が僧宝であるというが、これは日蓮正宗の法義からは大変な逸脱だと思いますがいかがでしょう。  
これについて再度学会の意見をお聞かせ下さい。  
答え  
「僧宝」とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言しているごとく、唯受一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられます。従ってこの正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはなりません。また、広義においても、学会を「僧宝」という言い方はしてはならないことであります。
資料   
しかし、その仏教も、時代を経るにつれて、出家僧侶を中心とする一部のエリートたちの独占物となっていくのであります。在家の供養で支えられた僧院の中で、学問的に語られるにすぎないものとなっていったことは、皆さんもよくご承知のところでしょう。(中略)これによると、在家はもっぱら唱題に励み、供養し、そのうえ、力にしたがって仏法を語るべきであるとされているのであります。僧侶がもっぱら折伏に徹し、三類の敵人と戦い、広宣流布するのに対して、在家は自身の成仏のため唱題し側面から僧侶を応援する立場である。その本義に立てば、現代において創価学会は在家、出家の両方に通ずる役割を果たしているといえましょう。(中略)私ども学会員は、形は在俗であろうとも、その精神においては出世間の使命感をもって、誇りも高く……。 (池田会長講演「仏教史観を語る」聖教新聞52年1月17日付)  
質問  
この文では「在家の供養で支えられる僧院」と言いながら前に在家も供養を受けてよいと言うのは、何か話がチグハグなようです。このように一連の出家仏教を否定する表現から考えると創価学会では在家仏教を立てる方針なのですか?  文中「その本義に立てば、現代において創価学会は在家出家の両方に通ずる役割を果している……、私ども学会員は、形は在俗であろうともその精神においては出世間の使命感をもって誇りも高く云々」とあるが、このことは結局学会幹部もみずから有髪の僧侶たることを認めているようであります。  
つまり創価学会は今の僧侶は駄目だとして自分の方の在家教団でやって行くという考えのように思われます。もしそうでないといわれるならば、日蓮正宗には七百年来僧侶が存在しているのですから、その意義を充分にわきまえたかたちでの発言をなすべきであると思いますがいかがですか。
答え  
一昨年の一月十五日の第九回教学部大会における「仏教史観を語る」と題する講演については、仏教史を通して広宣流布をめざす学会の今日的意義を述べたものであります。  
今日、これだけの在家集団ができあがったことは、仏法史上、画期的なことであります。しかし、このことを強調したことが、出家仏教に対して在家仏教を立てるというような印象を与え、結果的に正宗の伝統及び御僧侶、寺院の軽視につながる論拠を与えたことは、まことに遺憾であります。そうした考えはもとよりありません。    
資料  
やる気になってからの学会の座談会での指導は、鮮烈なまでに私の命をゆさぶった。ああ、惰眠をむさぼったこと二十八年。  
何といいかげんな、日蓮正宗の信徒であったか。このような慙愧の念は、ますます私を折伏、座談会、そして教学にかりたてていった。  
たしかに念仏を唱えるよりは、南無妙法蓮華経と唱えれば功徳はある。しかし、本当の宿命転換という大功徳は、創価学会に入って信心しなければ得られないのだ。これが、私の信仰体験である。従って私の入信は、昭和二十六年六月十五日。入信前の宗教、日蓮正宗なのである。 (北條浩述 文集「私の入信動機」)  
質問  
宗門からは右の文を挙げ「日蓮正宗軽視」とのご指南があった。  
答え  
かつて入信動機を語るに際し“正宗から学会へ入信”と記した表現がありました。これは、それ以前も正宗であったが、学会に入って初めて正宗の真実の信仰にめざめたとの意味であり、信仰の在り方の問題でありましたが、正宗と学会が別であるかのような印象を与える表現となってしまったことは遺憾であります。
九、その他    
資料  
獄中において、まさに法性の淵底から生命の悟達を得、地涌の菩薩の棟梁として広宣流布の指揮をとられた前会長――。この師のもとに、陸続と地涌の同志が参集し、現在にいたっているわけである。 (池田会長講演「広布第二章の指針」第10集)  
質問  
この文に書くところの意味からすれば戸田前会長が大聖人の再誕ということになるのですか。  
答え  
これについては19㌻下段の質問に対する答えでまとめて述べました。    
資料  
私は戸田前会長と十年間、師弟の道を歩んできた。たとえ師匠が地獄に落ちようと、師匠のそばへ行くと決めていた。それを自分の人生と決め、だまされても、師匠と一緒なら、それでいい。これが師弟相対だと決めていた。 (池田会長著「指導メモ」)  
質問  
師が地獄へおちるなら私も地獄でよいというのは本宗でいう師弟相対ではありません。  
答え  
「師が地獄に行けば弟子も地獄に行く」といったことについては、同志間の強い絆、苦悩の共有ということを強調しただけで、教義上の意義を用いたわけではありませんが、正宗では即身成仏であり、誤解を招きやすいので、今後使わないことにします。
創立48周年記念代表幹部会から

僧俗和合へ基本の確認(11・7)

御法主日達上人猊下のお言葉    
先程来、学会幹部の方々から種々お話を承りました。たしかに、この数年、宗門と学会の間に種々な不協和音の点がありまして、さわぎにもなりましたが、こういう状態が続くことは宗開両祖の御精神に照らして憂慮すべきであることはいうまでもありません。こうした状態をいつまでも続けていることは、世間の物笑いになり、我が宗団を破壊することにもなり兼ねないといつも心配しておりました。幸い、学会においてその点に気付かれて今後の改善のために、反省すべき点は率直に反省し、改めるべき点を明確に改める決意をされたことは、まことに喜ばしいことであります。  どうか今後は、今日の決意と決定を出発点として池田会長を中心に、一層の広宣流布への邁進と宗門外護を改めてよろしくお願いします。  
僧侶の役割は、はた目に見るほどなまやさしいものではありません。非才の身ではありますが、僧侶は一同、常日頃から我が正宗僧侶にふさわしい人格と識見を各々が身につけるべく鋭意教育に努め、各人にもそれぞれ努力を促しております。また各寺院についても、信徒の依止の道場としての確固とした基盤を築くべく、日夜努力を重ねております。しかしながら我が宗門においては若い僧侶が多く、指導力が足らなくて信徒の皆様に御不満を招く場合もあるかと思いますが、僧侶も寺も、信徒の皆様の温かい御支援と理解と思いやりがあれば、より立派に育つものであります。  
もちろん、どんな逆境にあっても御本尊を厳護し、大聖人の仏法を一歩たりとも前進させるのが正宗僧侶の悲願であり、決して信徒や世間に甘えるつもりはありません。しかし人々の無理解のため、或いは悪意の中傷に紛動されて、もっともたよるべき信徒が寺院を非難中傷し、圧迫するようなことがあれば、僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応なく反論しなくてはならないのであります。こうした言動は破和合僧であり、正宗の法義にももとる行為であると指摘せざるを得ないのであります。  
賢明なる幹部の皆様は、この辺をよくよく御理解の上、正しい寺檀関係の確立に最大の決意と努力をお願いいたします。これに対しては、各僧侶も最大の信頼と感謝をもって応えることにやぶさかではないのであります。    
この三十年間、学会はまことに奇跡的な大発展をとげられた。そのために今日の我が宗門の繁栄が築かれたことは歴史的事実であり、その功績は仏教史に残るべき、まことに輝かしいものであります。  
しかし、その陰に、宗門の僧侶の挙っての支援と協力があったことを忘れないでいただきたいのです。  
体制的には、学会の発展に充分ついて行けない部分があり、依存することも多かったが幸い人材も次第に育ったので今後は、宗門としてなすべきことは自ら責任をもって果たして行く決意であります。  
とにかく大聖人以来、七百年間守りつづけてきた伝統と教義の根本はあくまで守り伝えなくてはならないのであります。これを踏まえなかったならば仮にこれからいくら勢力が増しても、広宣流布は見せかけのものであったかとの後世の批判を免れることはできないのではないかと心配いたします。  
私は法主として、正しい信心を全信徒に持ってもらうよう最大の努力をする責任があります。その立場から老婆心ながら、この点をあえて強調しなくてはならないのであります。私はもとより池田会長の信心を信頼し、正しい日蓮正宗の信仰を全信徒に深めることをお願いいたします。    
今回の経過中に新しく檀徒となられた方々については、その寺院住職教師が責任をもって正しき正宗信徒として指導していただきたいのであります。新しい檀徒の方々も現在まで磨いたねばり強い信心を更に成長させていただきたいのであります。  
今日、私が申し上げたことを、ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということの上で、これまでのさわぎについてはすべて此処に終止符をつけて、相手の悪口、中傷をいい合うことなく、理想的な僧俗一致の実現をめざしてがんばっていただきたいのであります。戒壇の大御本尊を中心に僧侶、檀信徒、ともども一致団結して手をとり合ってまいりたいのであります。  
要するに過去のあやまちは過去の出来事として納め、現当に亘り我が日蓮正宗を如何に強力に発展させ広宣流布を実現するかにあるのです。  
我々の信心する御本尊は現当二世の御利益を賜わる御本尊であります。過去の事にいつまでもこだわることなく今日以後、真の僧俗の和合を実現して我が宗門を守っていただきたいと私はお願いするのであります。  
皆様どうかよろしく御賢察をお願いいたします。

池田会長の挨拶    
一言、ごあいさつをさせていただきます。  
本日、本門大講堂におきまして、ここにもったいなくも、御法主日達上人猊下のご臨席を賜り、また法務ご多繁のなか、全国より御尊師方のご出席をいただき、創価学会の記念代表幹部会を有意義に開催できましたことに対し、一同を代表しまして、衷心より御礼申し上げます。ありがとうございました(拍手)。  
戒壇の大御本尊根本に広布に挺身    
末法の御本仏日蓮大聖人の仏法の正統の流れは、いうまでもなく、わが日蓮正宗であります。法水瀉瓶・唯我与我の代々の御法主上人猊下御一人にのみ、受け継がれておられるのであります。  
私どもは、その清流の日蓮正宗の信徒として、今までも正法正義の広宣流布の一翼を担わせていただきました。また、随力弘通の日々を送らせていただき、最大の名誉と福運を自負しているものであります。  
私達は、きょうよりはまた、ふたたび日達上人猊下が、熱原法難七百年記念法要のみぎり、御説法くだされた御聖訓、すなわち「とにかくに死は一定なり(中略)かりにも法華経 のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」(御書一五六一㌻)の御金言を胸に、弘安二年十月十二日、末法総与の本門戒壇の大御本尊を根本として、御宗門を外護し、広布大願に、さらに挺身していく決意でありますけれども、皆さんいかがでしょうか(拍手)。  
眼前の昭和五十六年には、値い難き宗祖第七百遠忌を迎えます。一眼の亀が浮木にあうがごとき最大に意義深き時を迎え、私達は、信心の姿勢を引き締め、御本仏日蓮大聖人より、御法主上人猊下より、称賛される精進をしていきたいのであります。  
先程来、理事長、副会長から、僧俗和合の路線の確認、その他の問題について、いろいろと話がありましたが、これは総務会議、県長会議、各部最高会議の全員一致による決定であり、また私の決意であります。  
この方針に従って、私どもは、一段と広宣流布と正法外護のご奉公に励む所存でございますので、御宗門の先生方、くれぐれも凡下なわれわれを、厳しくも温かく、今後ともご指導くださいますよう心より御願い申し上げます。よろしくお願い申し上げます(拍手)。  
会員、幹部の皆さまも、この一点を深くご了解をいただき、その指導徹底をなにとぞお願いいたします。  
なお、これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、また、その収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で、深くおわびいたします。  
万代にわたる僧俗和合へ第一歩    
再建以来、創価学会は、広宣流布、折伏の挺身にすべてをかけてまいりました。  
他を顧みるいとまもなく一直線に進んでまいりました。その結果、今日の大発展と一つの完成をみることができえました。これひとえに大御本尊のお力であり、日達上人猊下のご威徳のたまものであります。そしてまた、御宗門の御僧侶の先生方のご支援のたまものであります。ここに甚深の敬意を表します。また、その過程にあっては、幾多の大難にもあいましたが、そのつど、御宗門におかせられましては、つねに学会を守りに守ってくださいました。そのご恩を私どもは、永久に忘れず、一段と御宗門へのご奉公を尽くしてまいる決意でございます。  
ともあれ、激動の時代の変遷と相まって、広宣流布の過程にあっては、たしかに幾多の試行錯誤もありました。また、これからもあると思います。われわれは凡夫幼稚の身であり、誤り多き人間の集いであります。  
今は、この場で多くを語るよりも、猊下のご指南を賜り、また宗内の皆さま並びに社会とも真摯に対話させていただきながら、厳たる正しい方向を作り上げる決心であります。それが、私どものとるべき大道であると思い定めております。当面、大いなる発展よりも、内部の整備と信心を深めることに力を注ぎ、ことに正宗の伝統教義の基本をふまえて進んでまいりたいと思っております。これが、万年への宗門と学会、すなわち、僧俗和合の大なる基礎の第一歩となれば、と私は思っております。  
正宗の伝統ふまえ広布大願を    
ともかく、昭和二十六年、戸田前会長が当時、申し上げた「本山を守護し、諸難を会長の一身に受ける覚悟である」との原点を、私は、ふたたび深く胸に刻んで、広宣流布という大願に、いっそうの信力・行力を奮い起こして前進していく覚悟であります。  
広宣流布は、万年への遠征であります。これからが、二十一世紀へ向けての本舞台と展望いたします。  
どうか同志の皆さんは、美しき信心と信心とのスクラムを組んで、広々とした大海のような境涯で進んでいっていただきたいのであります。  
そして、現実に人生の四苦に悩める人を常楽我浄の幸福への道へと転換するために、きょうもあすも粘り強く、民衆のなかに入り、人間のために、社会のために、そして、広くは世界のために、一閻浮提の正法の光を、さん然と輝かせていく新たなる前進を、開始しようではありませんか(拍手)。  
謹んで、御法主日達上人猊下のますますのご健勝と、正法護持の御尊師方のご繁栄を、心よりお祈り申し上げます。また、全会員の皆さま方が、安心して一生成仏への仏道修行の道を信心強盛に進まれんことを念願しまして、私のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました(拍手)。

僧俗和合へ新たな前進を 北條浩理事長    
私は、二十一世紀への創価学会の新たなる船出にあたり、これまでの日蓮正宗と創価学会の関係について振り返りながら、今後の新しい基調について申し上げます。  
創価学会は、昭和二十七年、宗教法人として出発いたしました。御宗門からは、その設立にさいし①折伏した人は信徒として各寺院に所属させること②当山の教義を守ること③仏法僧の三宝を守ること、の三原則を遵守するよう、お話があり、以来、創価学会は、この三原則をふまえて、御宗門の外護をつとめ、広宣流布への歩みを始めたのであります。  
この歩みのなかで、日蓮大聖人のご遺命たる広宣流布への流れは、大きくかつ広く推進され、それは、世界にまで及ぶものとなりました。とくに、正本堂建立にいたるまでの永き年月、創価学会は宗門に対して、赤誠の念をもってご奉公申し上げ、外護の任にあたってきたのであります。その結果、未曾有の発展と基盤が確立されてきたと、私どもは信じております。  
しかし、この間、言論問題等さまざまな問題を経るなかで、学会それ自体の基盤をあるていど確立しなくては、今後の社会情勢には対応できず、外護の役割も果たせないのではないか、と思われる客観的状況が存在したことも事実であります。それゆえに、学会を確立、発展せしめていくことが、次への宗門全体の発展、外護につながるとの希望的な展望に立ち、創価学会は、正本堂建立以降、それに力を尽くしてきたわけであります。  
行き過ぎ改め“三原則”を遵守    
さらに、創価学会の宗教法人としての体制についても、関係筋からの種々の指摘もありました。あわせて、大聖人の仏法を広く社会に弘通・流布する学会の根本的使命のうえからも、実践と教学の展開を、いかに時代、社会の要請に合致させるかとの、いわば宗教と社会という永遠の課題たる問題に直面しつづけてきたのであります。  
正本堂建立以降、今日まで、こういう意識のもとで、創価学会の運営は進められてまいりました。
しかし、今にして思えば、そうした数年間の流れのなかに、学会の独自性と社会的存在基盤を追及するあまり、創価学会の前提たる日蓮正宗の信徒団体としての基本及び伝統法義についての意識が、会内において、しだいに希薄化していたことも否めません。  
そのことについて、すでに宗門からは、指摘の声が出ていたのでありますが、当時にあっては、直面する問題に四つに取り組んでいたために、われわれは、事の重要性を十分認識するにいたらず、気にはかかりつつも、学会として定めた既定の道を進んでいったのであります。  
とくに昨年初頭、今日これだけの在家集団ができあがったことは画期的なことであるという視点から、また宗教のもつ現代的役割のうえから、在家の宗教的使命の側面を掘り下げて展開したのであります。しかし、そのことが、宗門、寺院、僧侶を軽視する方向へと進んでしまったことも事実であります。昨年来の宗門との問題は、こうした経緯から起きたものと思うのであります。  
今、このことを総括するに、問題を起こした背景に、宗門の伝統、法義解釈、化儀等に対する配慮の欠如があったことを率直に認めなければなりません。ともかく、この意識のズレ、配慮の欠如がその後の対応のなかでもあらわれ、そのことが、問題をここまで発展させてしまったのであります。学会としては、その間、認識の距離をなんとか埋めようと御僧侶方とも話し合い、日達上人猊下のご指南も、たびたび賜って事態収拾のために努力してまいりました。  
その結果、私ども創価学会といたしまして、以下の二点を率直に認めるものであります。すなわち、第一に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開のなかに、正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、第二に、昨年のような学会の行き方は行き過ぎがあったこと、以上の二点を私ども学会は、とくにわれわれ執行部は、深く反省するものであります。  
その認識に立ち、戦後再建の時から今日に至る、宗門と学会との三十年余りに及ぶ関係を顧みたうえで、創価学会は昭和二十七年の宗教法人設立時の三原則を遵守し、日蓮正宗の信徒団体としての性格を、いっそう明確にしてまいる方針であります。  
もとより私どもの宗門に対する赤誠の外護の念は、初代牧口会長以来の根本の生命線であり、学会の依って立つ基盤であります。しかし、この外護の在り方についても、あくまでこの根本路線をふまえ、御宗門ならびに寺院の運営の主体性を尊重していくものでなくてはなりません。すなわち、ともに主体性を尊重しあうお互いの信心のうえの理解と協力とが、これからの時代の基調であると思うのであります。  
よき信徒・会員として広布に邁進    
さらに加えて申し上げれば、私どもは信徒として、寺院参詣の重要性を指導してまいります。寺院は、経文に当詣道場とあるごとく、信徒としての参詣の道場であります。  
それに対して、在家の私どもが異体同心で広布を目指す信心練磨の場が会館であります。ゆえに、学会員はよき正宗の信徒とし、礼節をわきまえながら寺院に参詣していくとともに、よき会員として、広宣流布に挺身すべきでありましょう。  
どうか、御尊師方におかれましても、信徒が気持ちよく参詣できますよう、温かいご理解とご慈愛で包んでくださいますようお願い申し上げます。  
また、寺院行事を尊重する意味から、各地にあっては、御講や彼岸法要など、寺院の行事に影響を与えないよう、学会行事、会合の開催を考慮してまいります。そのためにも、春秋彼岸会、盂蘭盆会の学会としての開催は、学会本部ならびに各県中心会館では行う場合はありますが、地方では、いっさい行わないようにいたします。  
元旦勤行についても、寺院と会館が隣り合わせのような地域にあっては、会館では今後自粛いたします。  
寺院総代については、推薦依頼のあったときには、寺院協力の推進者という視点から、社会的見識、信心を考慮した人選を行い、推薦してまいります。また、現総代の人には、末寺の外護に身を挺していくよう指導を徹底してまいります。  
なお、新たな檀徒の皆さんについては、その心情をよく理解し、われわれは同じ日蓮正宗の信徒として、誹謗中傷せず、仲良くやっていきたいと願っております。  
以上申し上げまして、私の本日の話とさせていただきます。

教学の基本について 辻武寿副会長  
伝統、法義を一段と厳守    
ただいま、北條理事長より、信徒団体としての基本について確認がありましたが、私からは、これをふまえて、私どもが留意すべき点について申し上げます。  
それはまず第一に、戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません。日寛上人は「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段)と仰せであります。この戒壇の大御本尊を厳護するためにこそ、日蓮正宗の厳粛なる化儀、伝統があるのであり、その点われわれ信徒は、よく認識していかねばなりません。  
その意味からも、不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げました。今後、御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。  
第二には、唯受一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいりたいと思います。「身延相承書」に「血脈の次第 日蓮日興」(御書一六〇〇㌻)とありますごとく、日蓮大聖人の法体、御法門は、すべて現法主日達上人猊下に受け継がれております。ゆえに創価学会は広布を目指し、社会に仏法を弘通、展開していくにしても、その大前提として、猊下のご指南に、いっさい従っていくことを、忘れてはならないのであります。  
第三に、学会員の心情には、長い歴史のなかで、しぜんに会長への敬愛の念が培われてきましたが、また、それは当然であるとしても、その心情を表すのに、行き過ぎた表現は避けなければなりません。「法華初心成仏抄」のなかに「よき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(同五五〇㌻)とあります。この御文のなかに、よき法とは、いうまでもなく、末法の法華経たる三大秘法の大仏法であります。よき師とは、末法の御本仏日蓮大聖人であらせられ、また代々の血脈付法の御法主上人猊下であると拝するのであります。  
私ども創価学会は、よき檀那の立場でなくてはなりません。したがって、今日において、学会で師弟という場合、よき檀那のなかにおける指導性の問題であり、私どもにとっては、代々の会長は、折伏・弘通の師であり、現実社会における人生の師であることを銘記すべきであります。  
この三点に基づき、広宣流布を目指す学会の教学の展開についてふれれば、その大原則は、六月三十日付聖教新聞に掲載した「教学上の基本問題について」に明らかであります。これは、猊下のご指南を得て発表したものであり、今後の展開の規範として、さらに学習してまいる方針でありますので、よろしくお願いいたします。  
その他にもご指南をうけております点についても、鋭意正してまいります。また今後、教学展開上の重要な問題があった場合には、御宗門の教学部に検討、指導をお願いするようにしてまいりたいと思います。  
日蓮大聖人の法義は、深遠かつ厳正なものであります。したがって、日蓮大聖人の根本の教義に関する仏法用語を使用する場合は、かならずその大前提をふまえねばなりません。  
そのほか、たとえば、在在諸仏土常与師倶生とか、如来如実知見とか、大導師とか、本来、仏にのみ用いる言葉を、私どもの立場にあてはめることは、厳に慎むべきでありましょう。このような姿勢で、今後、学会は進んでまいりますので、御宗門の先生方におかれては、温かく見守ってくださり、またお気付きの点があれば、私ども幹部に率直におっしゃっていただきたいと思います。
新しい宗教運動の波起こそう    
しかし、だからといって、社会に向かって仏法を弘通する自信を失ってはなりません。それが、私ども在家の尊き使命であるからであります。今日、幾百万の庶民が、幾十か国にわたり、国を超え民族を超え、真剣に仏法を学習している姿が、いずこにありましょうか。  
日常生活のなかに、人生に、社会に大聖人の仏法が新鮮な感動をもって語られている姿は、未曾有のことであります。大聖人の仏法は力強く全世界に鼓動しているとの感を深くいたします。  御聖訓にいわく「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同一三六一㌻)と。すなわち、正信のもとに、行学を練磨し、さらにさらに人々の救済のために、大仏法を一文一句たりとも語り継いでいきなさいとの仰せであります。  
したがって、私どもは今ふたたびの新しい船出にあたって、この御聖訓のままに、原則をふまえつつ、社会のなかにあって、不幸な民衆救済のために、胸を張り、誇らかに仏法を語りに語り、新しい宗教運動の波を、万波のごとく起こしてまいろうではありませんか。

特別御講演 御法主日達上人猊下(54・5・3 第40回本部総会)

話し合いで永遠に僧俗和合へ    
創価学会第四十回本部総会を盛大に開催されましたことを、心よりお祝い申し上げます。おめでとうございます。  
このたびは、新しく第四代会長に北條浩氏が就任されまして、まことに意義の深い総会であると思います。  
私は初代会長以来、今日までの歴代会長を皆よく存じ上げております。  
初代会長牧口常三郎会長は謹厳実直なお人柄で、まことに信心の筋目をきちんとせられた方でありました。  
次の二代会長戸田城聖会長は豪放磊落、物事にこだわらない率直な方で、私は大正八、九年ごろ、学校で共々机を並べたこともありました。この方は、我が正宗を守護し、総本山を護持する信念のたいそう強い方でありました。  
三代の池田大作会長は、皆様の御存じの通りスケールの大きな英傑とも申せる方で、しかも求道心の強い信仰者で広宣流布への大発展の指揮をとられました。今後も名誉会長として皆様を見守り、社会に大いに活躍し貢献せられることと期待しております。この三代にわたる会長の強い信心と会員の皆様の弘法によって、日蓮正宗は今日の発展をみることができました。その功労に対しここに改めて深く敬意を表し、謹んで御礼申し上げます。  
今、ここに新しい四代会長を迎えられて、輝かしい歴史と伝統を踏まえて、一層の御活躍を期待いたします。  
この数年間、まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることは、まことに喜ばしいことであります。  
「雨降って地固まる」との格言があります通り、何の障害もなく順調に事が運ばれるよりも、幾度か危機に直面しつつ、これを信心と賢明な衆智の結集で乗り越えながら貴重な体験を積みつつ前進することのほうが、まことの広宣流布の道程のように思われます。生きている人間はだれしも完全無欠ではあり得ません。誤りは避けることができません。要は自己の誤りに気付き改めることのできる聡明さと謙虚さを持つことが大切であります。また、お互いに気付いたことを素直に話し合い、戒め合うことのできる信頼感に基づいた付き合いが大切であり必要であります。  
このたび、宗門と学会の間で、最高教導会議、並びに地方協議会等の充分な話し合いの制度が制定されたことは、まことに意義深いことと思われます。それ以外にも若い僧侶と学会の若手の幹部、住職教師と地域の会員の間などで忌憚のない話し合いができる風潮が生まれてきたことは、まことによいことと思います。  
これからは僧侶も、積極的に行動し発言しなくてはならないし、これまでのように、あなたまかせではなく、共に話し合い、手を携えて広宣流布へと永遠に和合して進むという心構えが必要であると思います。そのさい、よく理解していただきたいことは、我々僧侶はどこまでも信徒の皆様が正しい信心をして、幸せになられることが最大の喜びであり、いつもこれを念願しているということであります。  
私自身、大御本尊様に丑寅勤行において乃至常に信者の皆様方の幸福を御祈念申し上げております。  
その立場のうえで敢えて色々申し上げる場合もあるかということであります。それが仮に厳しいことのようであっても、決して悪意ではないことをよく御理解していただきたいのであります。  
世間やマスコミの方々には、ただの諍いに見えるかも知れないことも、信心のうえで受け止めていただけるならば、それはただの諍いではなかったということがわかっていただけると思います。
仏教において、出家ということは、重要な意義があります。また寺院というのは、やはり重大な意義と働きを持っているのであります。寺院も僧侶も、その檀徒、信者によって守られなければ存立ができません。我が宗の僧侶には、若い人が多いのです。が、真剣に努力するよう、よく指導していきますから、どうか信徒の皆様は温かく、譲り、育てていただきたいのであります。気が付いたことがありましたら遠慮なく私に言ってください。  
私は日淳上人のもとで創価学会の宗教法人設立に立ち会った一人であります。宗門の外護団体としての創価学会の理解者の一人であったし、今後もそうありたいと念願しております。  
どうか今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸びのびと御活躍を願いたいのであります。  
なお、我が日蓮正宗には、創価学会の他にも法華講および檀徒会に属する信者がおることは御承知の通りであります。同じ信者として仲良くしていただきたいのです。これまでの経緯は水に流して、大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力していただきたいのであります。  
最後に、池田名誉会長には永い間、本当にありがとうございました。  
皆様方の御健康と御繁栄を心よりお祈り申し上げます。  
どうも今日はありがとうございました。  


 
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