本文へスキップ

日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

TEL 086-255-1155

岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

産湯相承事(現代語訳)

産湯相承事
 日興がこれを記す
 私の名前についてだが、最初は「是生」で実名は蓮長と言う。後に日蓮と名乗った。この名前は、慈悲深い母親である梅菊女の幼い頃の名前であり、平の畠山殿の一族である。また、法号は妙蓮禅尼である。
 母が物語られることには、
「わたしは、不思議な夢をみました。清澄寺に夜な夜な参詣していたとき『汝の志は真に神妙である。そこで一閻浮提第一の宝を与えようと思う。東条の片海という所に三国の太夫(だいふ)という者がいる。この男を夫と決めよ』と言われました。それはその年の春3月24日の夜であり、今でもはっきりと覚えています」
そして、
 「わたしは、父母に先立たれた後、仕方なく遊女のようになっていたとき、あなた(日蓮)の父に嫁いだのです。
 ある夜の不思議な夢ですが、比叡山の頂上に腰をかけて、琵琶湖の水で手を洗い、富士山から太陽が出て、それを取り込んだと思い、すごく驚いた後に、生理が止まったと、夫に話しますと、夫の太夫が言うに『わしも不思議な夢を見た。
 虚空蔵菩薩が、顔立ちのよい子供を肩に置いて立っておられた。虚空蔵菩薩がおっしゃるには、この子供は私にとっては上行菩薩である。日本の人にとっては財を生じる菩薩である。
 また、一切の有情にとっては、将来には過去・現在・未来の三世に常にいる大導師である。この子を汝に与えよう』とおっしゃった、と聞いた直後に妊娠のことを聞いたと、お互いに語り合ったのです。」
 それでこのことは大聖人のことであった。
 また、
「産まれるべき夜の夢に、富士山の頂上に登って十方を見ると、明らかな事実を手のひらを見るようなもので、過去・現在・未来の三世にわたり明白でありました。
 梵天や帝釈、四大天王などの諸天がみな現れ、本地自受用報身如来が衆生を救うために仮の姿として上行菩薩が凡人の地におりて下さる誕生が、今この時に起こったのです。無熱池の主である阿那婆達多竜王が、八功徳の水を時に応じて汲みに来るべきです。
 そして、産湯に浴するために供えるべきであることを諸天に伝えてくださいました。よって竜神王も、ただちに青蓮華を一本持ってきて、その蓮から清水を流し出し、御身を洗ってくださったのです。
 その余った水を四天下に撒き散らすと、その潤いを受けた人々や動物、草木、国土、世界中が金色の光明を放ち、四方に花が咲き、実り豊かなものとなりました。」
「男女が並んで座っていても、煩悩を持たずに泥沼から出ても、泥に染まらず、たとえば蓮の花が泥から出ても泥に汚れないように、人間や天、竜や動物たちがそれぞれ手に白い蓮を捧げ、太陽に向かって「今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・唯我一人・能為救護(今この三界は皆、私のものであり、その中の衆生は皆私の子供である。ただ我一人がよく救うことができる)」と唱えたのを見て驚くと、聖人がお生まれになられました。
 赤子は、「毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身(どのようにして衆生が無上の道に入り、速やかに仏の姿を成就するか常に思っている)」と泣かれたように聞こえました。(苦我渧【くがたい】の口伝)
 私が少し眠っているとき、梵天・帝釈などの諸天が一斉に『善きかな。善きかな。善日童子、末法教主釈迦仏』と三度唱えて礼をし、去っていく様子を目覚めた瞬間に見聞きしました。」 それを確かに語り伝えられたことを聞いたとき、私は日蓮と名乗ることになりました。
 大聖人はさらに言われた。それは日蓮が、私の弟子や信徒たちに語るべき話であり、悲母の物語であると思うべきではない。それはすなわち金言である。その理由は、私の修行が母の霊夢に関係しているからである。
 日蓮とは富士山の自然の名称であり、富士は郡の名前であり、実の名称は大日蓮華山と言う。私が中道を修行することから、このように国を日本と呼び、神を日神と称し、釈尊の童名を日種太子と呼び、私の童名が善日で、通称は是生、実名は日蓮なのである。
 久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は、我が国に天下りし始めた国は出雲である。出雲には日の御崎と呼ばれる場所がある。それは天照太神が最初に降臨されたため、日の御崎と呼ばれているのである。
 私たちの釈尊が法華経を説きあらわされて以来、十羅刹女と称されている。
 十羅刹と天照大神と釈尊と日蓮は、異なる名前であるが、一体の存在であり、本地垂迹の利益は広大である。日神と月神を結び合わせて文字を表すと「十」となる。十羅刹という言葉は、諸神を一体に結び合わせた深い意味を持っている。
 日蓮の「日」は日中を指し、蓮は月夜を指す。月は水と関連し、蓮は水から生まれるためである。また、「是生(ぜしょう)」とは日の下の人々を生むと書く。
 日蓮は天上・天下の一切衆生の主君であり、また父母であり、師匠でもある。今、久遠の下種である如来寿量品に「今この三界はすべて私が所有するものであり、主君の意義がある。その中にいるすべての衆生は私の子供であり、父母の意義がある。
 そして、ここで現在のこの国や土地、草木には数多くの苦難があるが、私一人が救済の役割を果たすことができる師匠としての意義がある」と言う。
 三世にわたり常に変わらない日蓮は今この三界の主となっている。日蓮には大きな恩恵があり、どのようにして報いることができるであろうか。無量億劫の間に教化や利益を施し、憐れみの心を持っている。私たちがどのようにして報いることができるであろうか。
 もしも日蓮の現在の弟子や未来の弟子たちの中に、日の文字を名乗りの字に置かない場合、自然の法罰を受けることになることを知りなさい。私の一生の功徳は、日の文字に留め置くという説法があったので、日興は謹んでそれを記録した。
 大聖人の仰せるこの相承は、日蓮が一人の正統な後継者であり、一人にのみ伝えられる秘伝である。神妙であると言われたので、これを書き留めたのである。
    弘安五年可壬午十月八日 
                        日蓮在御判


 
inserted by FC2 system