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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

盂蘭盆御書(原文)

盂蘭盆御書
                               (御書・1374) 
 盂蘭盆(うらぼん)と申し候事は仏の御弟子の中に、目連(もくれん)尊者と申して、舎利弗(しゃりほつ)にならびて智慧第一・神通第一と申して、須弥山(しゅみせん)に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをは(御座)せし人なり。
 此の人の父をば吉懺師子(きっせんしし)と申し母をば青提女(しょうだいにょ)と申す。其の母の慳貪(けんどん)の科(とが)によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。
 其の因縁は母は餓鬼道に堕ちてなげき候ひけれども、目連は凡夫なれば知ることなし。
 幼少にして外道の家に入り、四井陀・十八大経と申す外道の一切経をならいつくせども、いまだ其の母の生処をしらず。
 其の後十三のとし、舎利弗とともに釈迦仏にまいりて御弟子となり、見惑(けんなく)をだんじて初果の聖人となり、修惑(しゅわく)を断じて阿羅漢(あらかん)となりて、三明をそなへ六通をへ(得)給へり。
 天眼をひらいて三千大千世界を明鏡のかげのごとく御らむ(覧)ありしかば、大地をみ(見)とを(透)し三悪道を見る事、冰の下に候魚を朝日にむかいて我等がとを(透)しみるがごとし。
 其の中に餓鬼道と申すところに我が母あり。のむ事なし、食(く)らふことなし。皮はきんてう(金鳥)をむしれるがごとく、骨はまろき石をならべたるがごとし。
 頭はまりのごとく、頸(くび)はいと(糸)のごとし。腹は大海のごとし。口をはり手を合はせて物をこ(乞)へる形は、う(飢)へたるひる(蛭)の人のか(香)をかげるがごとし。
 先生(せんじょう)の子をみてな(泣)かんとするすがた、うへたるかたち、たとへをとるに及ばず。いかんがかな(悲)しかりけん。
 法勝寺の修(執)行舜観(俊寛)がいわう(硫黄)の島にながされて、はだかにて、かみ(髪)くび(頸)つ(付)きにうちをい、やせ(痩)をと(衰)ろへて海へん(辺)にやすらいて、もくづ(藻屑)をとりてこし(腰)にまき、魚を一みつけて右の手にとり、口にかみける時、本(もと)つかいしわらわ(童)のたづねゆきて見し時と、目連尊者が母を見しと、いづれかをろ(疎)かなるべき。かれはいますこしかな(悲)しさわまさ(勝)りけん。
 目連尊者はあまりのかなしさに大神通をげんじ給い、はん(飯)をまいらせたりしかば、母よろこびて右の手にははん(飯)をにぎり、左の手にてははんをかくして口にを(押)し入れ給ひしかば、いかんがしたりけん、はん変じて火となり、やがてもへ(燃)あがり、とう(灯)しび(心)をあつめて火をつけたるがごとくばとも(燃)へあがり、母の身のごこごことや(焼)け候ひしを目連見給ひて、あまりあわてさわ(騒)ぎ、大神通を現じて大なる水をかけ候ひしかば、其の水たきゞとなりていよいよ母の身のやけ候し事こそあはれには候しか。
 其の時、目連みづからの神通かなわざりしかば、はしりかへり、須臾(しゅゆ)に仏にまいりて、なげき申せしやうは、我が身は外道の家に生れて候ひしが、仏の御弟子になりて阿羅漢の身をへて三界の生(しょう)をはなれ、三明六通の羅漢とはなりて候へども、乳母(はは)の大苦をすくはんとし候にかへりて大苦にあわせて候は心う(憂)しとなげき候ひしかば、仏け説ひて云はく、汝が母はつみふかし。汝一人が力及ぶべからず。又多人なりとも天神・地神・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず。七月十五日に十方の聖僧をあつめて、百味をんじき(飲食)をとゝ(調)のへて、母のく(苦)はすく(救)うべしと云云。
 目連、仏の仰せのごとく行なひしかば、其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給ひきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候。
 其れによて滅後末代の人人は七月十五日に此の法を行なひ候なり。此は常のごとし。
 日蓮案じて云はく、目連尊者と申せし人は十界の中に声聞道の人、二百五十戒をかたく持つ事石のごとし。三千の威儀を備へてか(欠)けざる事は十五夜の月のごとし。智慧は日にに(似)たり。神通は須弥山を十四さう(匝)まき、大山をうごかせし人ぞかし。かかる聖人だにも重報の乳母の恩ほうじがたし。あまさ(剰)へほう(報)ぜんとせしかば大苦をまし給ひき。
 いまの僧等の二百五十戒は名計りにて、事をかい(戒)によせて人をたぼらかし、一分の神通もなし。大石の天にのぼらんとせんがごとし。智慧は牛にるい(類)し、羊にことならず。設(たと)い千万人をあつめたりとも父母の一苦すくうべしや。
 せん(詮)ずるところは目連尊者が乳母(はは)の苦をすくわざりし事は、小乗の法を信じて二百五十戒と申す持斎(じさい)にてありしゆへぞかし。
 されば浄名経と申す経には浄名居士と申す男、目連房をせめて云はく「汝を供養する者は三悪道に堕つ」云云。
 文の心は、二百五十戒のたうと(尊)き目連尊者をくやう(供養)せん人は三悪道に堕つべしと云云。此又唯(ただ)目連一人がき(聞)くみゝ(耳)にはあらず、一切の声聞乃至末代の持斎等がきくみゝなり。
 此の浄名経と申すは法華経の御ためには数十番の末への郎従にて候。詮ずるところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし。自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし。いわ(況)うや他人をや。
 しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて「正直捨方便」とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏(たまらばせんだんこうぶつ)と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ。
 故に法華経に云はく「我が願既に満じて衆の望も亦足りなん」云云。目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心、仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。
 例せば日本国八十一代の安徳天皇と申せし王の御宇に平氏の大将安芸守(あきのかみ)清盛と申せし人をはしき。度々の合戦に国敵をほろぼして上太政(かみだじょう)大臣まで臣位をきわめ、当今(とうぎん)はまご(孫)となり、一門は雲客月卿(うんかくげっけい)につらなり、日本六十六国島二を掌の内にかいにぎりて候ひしが、人を順(したが)ふること大風の草木をなびかしたるやうにて候ひしほどに、心をご(憍)り身あがり、結句は神仏をあな(侮)づりて神人と諸僧を手ににぎ(握)らむとせしほどに、山僧と七寺との諸僧のかたきとなりて、結句は去る治承(じしょう)四年十二月二十二日に、七寺の内の東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば、其の大重罪入道の身にかゝりて、かへるとし養和(ようわ)元年潤(うるう)二月四日、身はすみ(炭)のごとく、血は火のごとく、すみ(炭)のをこれるがやうにて、結句は炎(ほのお)身より出でてあつ(熱)ちじ(死)ゝに死にゝき。
 其の大重罪をば二男宗盛(むねもり)にゆづりしかば、西海に沈むとみへしかども東天に浮び出でて、右大将頼朝の御前に繩をつけてひきすへて候ひき。
 三男知盛(とももり)は海に入りて魚の糞となりぬ。四男重衡(しげひら)は其の身に繩をつけて京かまくら(鎌倉)を引きかへし、結句なら(奈良)七大寺にわたされて、十万人の大衆等、我等が仏のかたきなりとて一刀(ひとたち)づつきき(切刻)ざみぬ。
 悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末へ七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。
 目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外(ぞんがい)に仏となり給ふ。乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるゝのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ、故に法華経の第三に云はく「願くは此の功徳を以て普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云。
 されば此等をもって思ふに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり。二百五十戒一戒も持つことなし。三千の威儀一つも持たず。智慧は牛馬にるい(類)し、威儀は猿猴(えんこう)ににて候へども、あを(仰)ぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。
 例せば蛇の珠(たま)をにぎり、竜の舎利を戴けるがごとし。
 藤は松にかゝりて千尋(ちひろ)をよぢ、鶴は羽を持(たも)ちて万里をかける。此は自身の力にはあらず。治部房も又かくのごとし。
 我が身は藤のごとくなれども、法華経の松にかゝりて妙覚の山にものぼりなん。一乗の羽をたのみて寂光の空をもかけりぬべし。此の羽をもて父母・祖父・祖母・乃至七代の末までもとぶらうべき僧なり。あわれいみじき御たから(宝)はもたせ給ひてをはします女人かな。
 彼の竜女は珠をさゝげて仏となり給ふ。
 此女人は孫を法華経の行者となしてみちびかれさせ給うべし。
 事々そうそうにて候へばくはしくは申さず。又又申すべく候、恐々謹言。
                      七月十三日     日 蓮 花押
 治部殿うばごぜん御返事

 麞牙(しらけごめ)一俵・やいごめ(焼米)・うり・なすび等、仏前にさゝげ申し上候ひ了んぬ。


 
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