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日蓮正宗法華講 妙霑寺支部のサイトです。

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岡山県岡山市北区津高781番地 妙霑寺内

仏説盂蘭盆経(書き下し文)

『佛説仏説盂蘭盆經』
         西晋月氏三蔵竺法護が訳す。
聞くこと是くの如し。
一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園にいましき。
大目乾連、始めて六神通を得て、父母を度して乳哺の恩を報ぜんと欲し、即ち道眼を以って世間を観視して、其の亡母を見るに餓鬼の中に生まれて、飲食を見ず皮骨連立せり。
目連、悲哀して、鉢を以って飯を盛り、往(ゆ)いて其の母に向くるに、母、鉢の飯を得て、便(すなわ)ち左手を以って鉢を障(ささ)え、右手を以って飯を捧(にぎ)るに、食未だ口に入らざるに、化して火炭と成り、遂に食することを得ず。
目連、大いに叫び悲号(ひごう)啼泣(ていきゅう)して、馳せて還りて仏にもうして、具(つぶさ)に陳(のぶ)ること此(か)くの如し。
仏の言(のたま)く。汝の母は罪根(ざいこん)が深く結(けっ)せり。汝一人の力を以って奈何(いかん)ともすべき所にあらず。汝、孝順(こうじゅん)にして、声が天地を動かすといえども、天神地神も邪魔外道も道士も四天王神も、亦(ま)た奈何(いかん)ともすること能(あた)わず。
当に十方衆僧の威神の力を須(もっ)て、乃(すなわ)ち解脱することを得せしむべし。 吾れ今(いま)当に汝が為に救済の法を説き、一切の難をして皆憂苦を離れ、罪障を消除せん。
仏、目連と十方衆僧に告げ給はく、七月十五日僧自恣(そうじし)する時に於いて、当に七世の父母及び現在の父母、 現在の父母厄難(やくなん)の中なる者の為に、飯と百味の五果と盆器を汲潅(きっかん)し、香油、錠燭(ていしょく)、床に臥具を敷き、世の甘美を尽くして以って盆中に著(つけ)て十方の大徳衆僧に供養すべし。此の日に当たりて、一切の聖衆、或いは山間に在りて、禅定し、或いは四道果を得、或いは樹下に在りて経行し、或いは六通自在にして声聞縁覚を教化し、或いは十地の菩薩大人(ぼさつたいじん)、権(かり)に比丘と現じて、大衆の中に在りて、皆同一心に鉢和羅(はわら)の飯を受け給う。清浄の戒を具せる聖衆の道は其の徳、汪洋(おうよう)たり。 其れ此等の自恣僧(じしそう)を供養することあらん者は、現在の父母、七世の父母、六種の親属の三途の苦を出ることを得て、時に応じて解脱し、衣食自然(じねん)ならん。
若し復(また)人あり。父母現在せば、福楽百年ならん。若し已(すで)に亡ぜし七世の父母、生は天に生じ、自在に化生し天の華光に入りて無量の快楽を受けん。
時に仏、十方衆僧に勅し給はく。皆先づ施主家の為に、七世の父母を呪願し、禅定意を行じ、然して後に食を受くべし。初め食を受くる時、先ず仏塔の前に安在し、衆僧呪願し竟(おわ)りて、便(すなわ)ち自(みずか)ら食を受くべしと。
爾時(そのとき)、目連比丘及び此の大会の大菩薩衆、皆大いに歓喜し、而して目連悲啼の泣声、釈然として除滅す。是の時、目連のその母。即ち是の日に於いて一劫餓鬼の苦を脱することを得たり。
爾時、目連復(また)仏に白(もう)して言(もうさ)く。 弟子所生の父母は、三宝の功徳力と衆僧威神の力を蒙ることを得るが故なり。若し未来世の一切の仏弟子、孝順を行ずるものも亦まさに此の盂蘭盆を奉じて、現在の父母乃至七世の父母を救度し、現在父母乃至七世父母を救度すべきこと爾るべしと為(なさ)んや否や。
仏の言(のたま)はく、大いに善し快きかな。 問うこと、我正に説かんと欲す。汝今復(また)問へり。善男子、若し比丘、比丘尼、国王、太子、王子、大臣、宰相、三公、百官、万民、庶人、孝慈を行ずるもの、皆応に先ず所生の現在の父母と過去七世の父母の為に七月十五日の仏歓喜日(ぶっかんきじつ)僧自恣(そうじし)の日に於いて、百味の飲食を以って盂蘭盆の中に安し、十方自恣の僧の施し、現在の父母をして寿命百年にして病なく、一切苦悩の患いなく、乃至七世の父母、餓鬼の苦を離れ、人天の中に生じて福楽極まりなきことを得せしめむと願うべし。
仏、諸々の善男子、善女人に告げ給はく。 是の仏弟子、孝順を修する者は応に念々の中に常に父母乃至七世の父母を憶(おも)うて、年々七月十五日に当に孝順慈憶を以って所生の父母乃至七世の父母を憶ひ、為(ため)に盂蘭盆を作り、仏及び僧に施し、以て父母長養慈愛の恩を報ずべし。
若し一切の仏弟子、応当(まさ)に是の法を奉持すべし。
爾時、目連比丘、四輩の弟子、仏の所説を聞いて歓喜を奉行(ぶぎょう)しき。
           佛説孟蘭盆經


 
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